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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

❄14 修行僧 逆打ち いつかあなたに会いたい 

 二人が黙って堂の舞台の下に立っていると、どこから現れたのか、後ろをひとりの僧が通りかかった。随分古びた袈裟を着た僧は、笠をふと斜めに上げ、彼らと目が合ったので挨拶をしてくれた。傘の下の顔は、思ったよりずっと若かった。整った顔つきだったが、後から思い出してもどんな顔だったのか思い描くことができない。ただ、目だけは強い意思の力が漲るように輝いていた。
 その目を見た時、真は一瞬、今自分たちのいる歴史の中の時間を疑った。
「御旅行ですか」
 若い僧は当たり前のように日本語で話しかけた。明らかに異国人と分かる竹流と、半分以下だが異国の血の混じっている真に対して、日本語が通じるかどうか、確認する気配はなかった。
「えぇ、まぁ」
「このようなところまで、お珍しい」
「先ほど神泉苑で池の水を見ていましたら、何となく京都の水の源を見たくなって」
 若い僧は、穏やかに二人を見つめていた。
 真はどこかでこのような姿の僧の像を見たなと思った。いや、それは像だったのだろうか。それとも。
 丁度僧が光のよく当たる場所に立っていたので、まるで光輪を背負っているように見えたのだろう。それに、自分はともかく、今は竹流が話しているのだから、死んでいる人でも幻でも魑魅魍魎の化けた姿でもないはずだ。
「それは奇遇です。私もこの水源地を見に参りました。龍の伝説を調べておりまして、神泉苑にも行ってきたところです。あそこの伝説は御存知ですか」
「弘法大師が雨乞いをした、ということしか」
 若い僧は笠をまた斜めに上げながら、自分も根本中院の舞台作りの上の方を見上げるようにした。
「弘仁十五年、淳和天皇の御代でございました。平安京が造営された当初、京都は左右対称の形でしたので、今残っている東寺と対に、西寺という立派なお寺も建っておりました。東寺には空海が、西寺には守敏大徳がおられ、厳しい旱魃の際に法力比べが行われたわけです。まず守敏大徳が雨乞いを執り行いましたが、七日の後までも雨は降らず、諦めました。空海は九日間、請雨経法を行い、北天竺の大雪山の善女龍王を招くことができたわけでございます。その時、五尺ばかりの金色の龍王が蛇に乗って現れ、池に入ると乍ち大雨となりました」
 龍が蛇に乗ってくる?
 一瞬妙な感じがしたが、五尺といえば確かに龍としてはそれほど大きくないのかもしれないし、蛇にだって乗れるのかもしれない。そんな小さな龍もいるのか、いや、やはり伝説の生き物だから何でもありなのだろう。
 真は黙ったまま、竹流と若い僧を交互に見つめた。
「この地にもやはり龍の伝説がございます。古来より龍は水を司る神、水は人間だけではなく、あらゆる生命の源、この地はその源の源でございます。京都の地は太古の昔には巨大な湖であったとも言われております」
「それは聞いたことがあります。今でも京都の街の下には巨大な地底の湖、つまり水の貯留層があって、この街のあちこちから湧き出る水の源泉は、その古代の湖の水なのだと。そのために京都は夏はおそろしく蒸し暑く、冬は底冷えのきつい気候をもっていると」
 僧は見かけの若さとは比較にならないほどの、智と厳格さと思慮深さに充ちた瞳を持っていた。
「地底の湖とは多少大袈裟にも聞こえますが、確かに、古代の湖は多くの水脈として伏流し、この京都の全ての水、川も苑も湧き水も全て、そこから生じたものだと言われております」
「あなたは、何故龍の伝説を調べておられるのですか」
 この若い僧に対して竹流が随分と丁寧なものの言い方をしていることに、真は気がついた。泊まっている寺の住職に話すよりも、むしろ遜ったような言葉の響きがあって、妙な感じを覚えたのだ。
「水には龍がつきものですから。このところ、京都の多くの湧き水は涸れてきております。つい何十年か前までは、どんな場所でも三メートルも掘れば井戸水が湧き出ておりました。京都の豆腐、生麩、湯葉、茶の湯、酒、あるいは友禅までも、全て湧き出す水の賜でございました。私は大学で水について勉強をしておりまして、時間があればこうして歩き、見て回っております。善きもの、善き水、善き心、そういうものがついに湖の底をつくように、消えていこうとしているように思えてなりません」
 竹流は、一度ちらっと真の方を見た。真は一瞬、彼が何を自分に確かめたのかと思って、どきっとした。
「この根本中院は大巖に寄り掛かるように建てられておりますが、この神降窟の洞窟内に湧き出る水は、あらゆる難病を癒す霊水と言われております。命の水です。天からの水は山に染み入り、湧き出し、やがて人里へ下り、文化を、命を育む」
 そうか、山に降った雨は地下に潜り、この山の至るところから湧き出て集まり、川となって下り、ついには鴨川に、そしてやがては海に至るのだろう。さっき登ってきた道を並走していた川は、この染み出し湧き出したあらゆる霊水の束のようなものだ。同じように地下にも多くの水脈があり、高い位置から、つまり北から南の窪地へ下っていく。その途中で町の家々の井戸を潤し、人びとの暮らしを支えてきた。
 しかし近年、多くの新しい建物が、つまりこの町にしては高層の建物が建ち、その分地下は掘り下げられ、あるいは地下鉄が掘られ、地下に伏流していた水の道は断たれていった。
 あの寺の地蔵堂の湧き水も同じだ。新しい建物のために、本来の水の道を断ち切られていた。あるいは杉山の向こうに見えていた道路も。
 この町の水は、竹流の言った通り、本当に危機に瀕しているのだろうか。
「さて、我々はどこへいくのでございましょう」
 そう言って、若い僧は軽く頭を下げるようにして、根本中院の脇道をさらに山中へと登っていった。ここは修験道の霊峰であり、この奥にもまだ行場があるので、彼はそこへ向かったのだろう。一般の人間は登ることを赦されていない山である。
「弘法大師が呼び寄せた善女龍王はあの神泉苑の池に棲みついて、その後あの苑は歴史上長く祈雨所として祀られた。ここも、やはり弘法大師が入山したとき、この岩屋山の守護神が龍に姿を変えて滝壷に入ったと伝えられている」
 竹流はしばらく若い僧が登っていった道を見つめていた。
「ところで、生きている人だったか?」
 唐突に竹流が聞いた。
「え?」
 真は竹流の顔を見た。
「あの僧侶、今はもう存在しない西寺の僧の名前には、大徳と立派な敬称をつけたのに、東寺の僧の名前は空海、と呼び捨てた」
 そう言われて少しの間呆然とした。もしも誰かの名前を呼び捨てにするとすれば、憎い敵か、あるいは極めて親しい者か、あるいは。
「空海が弘法大師の称号を与えられるのは、死後八十年以上経ってからだし、生きている間はずっと空海という名前だ。だが、現代の人間なら普通、尊敬の気持ちを込めて弘法大師と呼びそうなものだが」
 それから細い鉄の手すりを頼りに舞台の上に登り、根本中院にも手を合わせ、神降窟の前に立った。ここには菅原道真作と伝えられる眼力不動明王が祀られている。目を閉じても、それとわかる水音は聞こえない。それでもどこか岩の奥で水が湧き出している気配が、足元から湿度として上ってきていた。
 やはりふと気を緩めると引き込まれそうな異界だった。半分は恐ろしく、半分は懐かしいような、尊い気配が漂っている。
 振り返り舞台の端まで行くと、高い木々の枝が間近だった。ここは京都の随分北になるのでまだ木の芽は堅そうに見えたが、近づいて見ると、拓く時を待つ新しい命の迸りを感じる。
 数日前まで降り続いた雨が、まだ匂いを残している。目を閉じると、高い空、低い枝のどこかで鳥の声が横切り、水の流れる音がその声を支えていた。地の表を流れる水の音と一緒に、深い地中を下る穏やかな振動が足元から体に伝わってくる。風はまだ冷たいが、冬にはない様々な匂いを孕んでいる。
 彼らはそれからゆっくりと岩場を降り始めた。気を抜くと滑り落ちてしまいそうな石段を降りながら、真はずっと黙っていたが、本堂の裏まで戻ってくると、やっと何かから解放された気がして竹流に言った。
「俺に、現実か幻か区別がつくと思うか? 第一、あんたがしゃべってたんだから、生きている人だろう?」
 真の言葉をしばらく考えていたのか、少し間を置いてから竹流は真の顔を見た。
「俺も、だいぶとち狂ってきてるな」
 真は、ちょっとばかり疲れたような顔をした彼を見つめ返した。
 それから彼らはもう一度飛龍権現のところまで戻ってきて、あらゆる岩や土から湧き出して、やがては束となり、ここで勢いよく流れ出す水を見つめた。
 真はまた長い間黙っていたが、少し言葉を考えてから、話し始めた。
「俺、物心ついたときには北海道にいて、親戚やおじいちゃんもおばあちゃんもいて、俺のことを可愛がってくれていた、と思う。でも俺は捻くれた子どもで、何か上手くいかないことがあったら、自分だけに親がいないからだと思うようになっていた。おじいちゃんたちが俺を大事にしてくれているのは、俺には親がいないし、目も髪も日本人離れしてて変だし、可哀想だと思っているからだと考えた。アイヌの伝説の『蕗の下の人』が見えるのは、世の中で自分だけが可哀想だからだと思っていた。時々落ち着いて考えてみたら、ただ寂しい気持ちが形になって見えるはずのないものがいるように思い込んでいるだけだと分かっていたような気がする。馬や犬たちの言葉がわかるのも、寂しさを紛らわせるためにひとり遊びをしているのだと、早く目が覚めた方がいいと、自分に言いきかせたこともあった」
 竹流は、何も返事をせずにそれを聞いてくれていた。
 もしかすると、こんなふうに自分から自分自身の事を話すのは初めてかもしれない。自分でも分かっていたが、他人からすればもどかしいくらいに言葉数の少ない真は、大概それで人に誤解を与えていたし、ましてや、他人に解ってもらおうとして自分の事を誰かに説明するなどということは、不可能に近かった。
 美沙子があなたは分からないと言ったのも、無理はないと思える。
「あんたも知っている通り、精神科医に診てもらった時にも、そういうものが見えるのは、寂しい気持ちがあり得ないものを形にしてしまうからだと言われた。その通りだと思っていたから、だんだんおかしなものが見えることはなくなっていった」
 二人はさらに本堂の正面の階段のところまで戻った。竹流に促されて、真も一緒に階段の一番上の段に座る。
 目の前に、彼らが登ってきた山門から本堂までの長い階段がある。石段は苔むしていて、両脇を背の高い杉の木々に挟まれている。この山全体から湧き出る湿った空気、大地から湧き出す目に見えないエネルギーが、時折山門を潜って彼らの意識にまで吹き込むように思えた。この長い階段も、大地のエネルギー、思念が通る道なのだろう。
「だけど、父さんが学会で高知に連れていってくれた時、俺は、何て言うのか、やっぱり自分はおかしいと思った。町の中にいるときは何も感じない。でも山に入っていくと、もうそこから先には家もないし誰もいないはずなのに、たくさんの人が俺のことを見ながら歩いている。時々、一緒に行こうと誘ってくる。他の人には見えていないんだ」真は座ったままの姿勢で、片方の足を抱え込むようにした。「いつだって俺には、生きている人か死んでいる人かの区別はつかなかった。生きているはずの人だって、俺にとっては死んでいるとの同じような時もあったし、死んでいるはずの人や馬が、やっぱり生きているのと同じようなことも」
 竹流は、長い間黙っていたが、やがて諭すような穏やかな口調で言った。
「四国は別名、死の国と書いて死国と言うんだという人がいる。悪い意味じゃない。あそこは、四国は全体が霊地だ。生きているものも亡くなったものも、同じように存在しているんだろう」
 それから、真に聞いた。
「お前はそれが怖いか?」
 真は足元の苔の上で光る水滴を見つめていた。
「わからない」
「怖いという気持ちはとても大切だ。怖いから、畏れ、謙り、称え、大切にもする。生きているものも、死んでいるものたちも、神にも、善いものも悪いものもある。いや、和尚さんの言うとおり、ひとつの心の中に善いところも悪いところも抱えていて、あるいは善いわけでも悪いわけでもないのかもしれない。そういう複雑さは怖くて当然だ。だが、怖れがなくなったときのほうがずっと恐ろしい。怖れがなくなった時、人間は暴走する。そういう遺伝子を抱えている。日本人の宗教感には、良くも悪くも根底に畏れというものがあるし、多少過剰と思わないでもないが、お前がそういう感覚を持っていることは、まともなことだと思うよ」それから、何かに思い当たったように真に言った。「逆打ち、って知ってるか?」
「逆打ち?」
「四国に八十八ヵ所のお寺があるだろう。普通一番から八十八番に向かって廻るじゃないか? それを逆に廻るんだ」
「八十八から一番に向かって?」真が確かめると、竹流は頷いた。「それで、何かいいことがあるのか?」
「お遍路さんの笠に、同行二人って書いてあるだろう? あれは、弘法大師と常に一緒だという意味だ。お遍路として歩いているとき、弘法大師が常に自分の前を歩いてくださっているということだ」
 さっき通ってきた山門は、本堂の方から見下ろすと遥か遠くにあるように見える。この場所に二人きりで現実の世界から切り離されて座っていることが、とても心地よく感じられた。
「だが、それではどれほど行っても弘法大師にお会いすることはできない。だから、ある人が逆に廻ることを思いついたわけだ。いつか弘法大師にお会いできるように」
 真はしばらく、頭の中に描いた四国の地図の中でそれを考えていた。
「それで、会えたのか?」
「さぁ、どうだろうな。でも、お前そこで、もしかして気がつかなかったかもしれないけれど、その人に会っていたかもしれないぞ」
 真は竹流を見つめた。
 その時不意に、さっきの若い僧侶の姿が、いつか遠い昔の山の中で出会った誰かに重なったような気もした。それとも、もっと別の記憶かもしれない。
「弘法大師は日本で最も信仰されている聖だろう。沢山の伝説があって、そのうち水にまつわる伝説だけでも二千以上あると言われている。ほとんどはこういう話だ。旅の途中で、弘法大師は咽が渇いて村人に水を所望する。そうすると老婆が、随分遠くまで行って水を汲んできて差し上げる。弘法大師は水が少ない土地の人に同情して、杖で地面を叩いたら水が湧き出した」
 一瞬、風が階段の下から吹き上げて通り抜けた。大いなるものの意識の風のようだった。
「そういったところから湧き出した水は弘法水と呼ばれて、北海道と沖縄以外の日本全国にある。しかも、ある人が調べると、そういった話は雨量も少なく地下水も十分にない地域に多くて、湧き出す水の量は多くはないけれど、決して涸れないという共通点がある」
「決して、涸れない?」
「これも、どっかで聞いた話だろ?」
 それから、二人ともしばらく黙りあっていた。
 飛龍大権現の小さな滝の水音だけが、この巨大な反響空間に響き渡るようだった。
「あのさ、さっきの話だけど、もし入口があるなら、普通俺だったら地図には入口を書くけど」
 長い沈黙の後、真はずっと考えていたことを言った。竹流はしばらく話の脈絡が飲み込めないという顔で、真を見ていたが、あ、という表情を浮かべた。
「岩盤を割らなくても、どっか入口があるんなら、だけど。だいたい地図にたどり着くまでにあんなにまわりくどい、しかも多分あんたと福井の親父さんじゃなければ剥すこともできなかったと思われる難しいことをしておいたら、知恵比べにしても後世の人間を試すにしても、もう十分だろう? これ以上小難しいことを要求されるとは思わないけど。それに本当のところ、その時代の人たちは、紙に対する知識も技術も今よりずっとすごかったかもしれないって、剥ぐのも再利用するのも珍しいことじゃないって、あんたが言ってたんじゃなかったっけ? 相手はそんなに特別なことをしたつもりじゃなかったのかもしれないし」
 自分でも珍しいと思うくらい長々としゃべってから、真はちょっと言葉を切って、しばらく山門の後ろ姿を見つめた。そして、改めて竹流の方を見てその先を言いかけたが、結局何も言わなかった。
 本当にその絵師が子どもを愛していたのなら、きっと意地悪をしたりはしないだろうと、そう言いかけたのだ。
 竹流の言う通り、日本人は祟りや呪いを恐れ、それらを鎮めるための社や寺を建て、祀るという宗教感を持っているのは確かだろう。その人が幽霊の下に大事な地図を貼り付けたのは、幽霊なら後世の人間も皆祟りを畏れて、捨てたり燃やしたりせずに、大事にこの寺に置いて鎮めようとするのではないかと、そう思ったからではないのだろうか。そしていつまでも彼の子どもと妻の魂を、後世の誰かが慰めて祈りを捧げてくれるだろうと、そう信じていたからではないのだろうか。
 父親である絵師の想いが、その子どもに対して、事件が起こるまでと同じような優しい愛情に満ちているものなら、きっとそう考えただろうと信じたかった。
 けれども確信のない話だった。
 それに、それを口にするのは、自分自身の儚い願望をむやみに表に出すようで軽々しく思えたし、あるいは、口に出すことで願いは効力を失ってしまうのではないかと、そうも思えた。
 第一、自分の身に置き換えてみても、『父親』というものがその子どもに対して、本当にどれくらい、後の世にまでその想いが伝わるくらいに愛情をもっているのか、やはり信じられないような気持ちだった。
 何より、もしも洞窟で見た光景が幻ではないなら、子どもは実の父親の手で成敗されたかもしれないのだ。それは儀式を穢し、多くの民を旱魃の被害に晒し続ける結果を招いた子どもの不注意への怒りだったのか、あるいは時の為政者の誰かの命令、あるいは儀式の決まりとしての成敗だったのか、いずれにしても子どもの目に最後に残ったのは、父親の怒りと絶望に満ちた暗い目だった。子どもは父に愛されていないと思い、今も魂は彷徨っているのかもしれない。父親は自分の憤怒を、あの天井の龍の内に畳み込み、鎮めようとしたのかもしれない。
 あの寺に預けられていた若者たちも、家族からも社会からも憎まれ、放り出されたのだ。幼く可愛いらしい少年なら多少の罪も我が儘も受け入れられたのかもしれないが、もう半分いい大人なのに、今でも社会に出て行くための服がない。
 真も、実の父親に、そして次には信じていた二人目の父親にも捨てられた。彼らの事情は知らない。子どもには分からない大変な訳があったのかもしれない。だが、住職の言うような『許されてある』という言葉は、やはり理解できない。
 二人目の父親だった功の失踪のショックは、七年経った今でも、真にあらゆる物事を自分の感情にとって良い方向へ考える余裕を失わせている。功が自分たちを捨ててしまったのは、やはり自分が彼にとって実の子どもではないからだと、心のどこかでは憎んでいたからだと、そう思えてしまった。
 だから真には、この絵師が父親としてどのような人だったのか、その感情をただ良いほうへと考えることはできなかった。いつまでも子どものことを愛してくれていたのならいいと思ったが、それは叶わない願いのようで、もしも裏切られたなら、きっと願った分だけ哀しく辛いだろうと思った。少なくともこれまでのところ、その絵師が残したものから感じるのは怒りのエネルギーだけだった。それは自分の子どもを殺した相手に対してだけではなく、遥かな時間の中ですっかり歪められ、この世に生きる全ての生命に対して向けられているかのように思えた。
 あの子どもも、寺の若者たちも、自分も、親たちから置き去りにされ否定されて、一歩も前に歩けないでいるような気がした。
 そして今、もしここで心の内の願いを口にしたら、想いは霊力を失い、もう一人の父親までも姿を消してしまうのではないかと、怯えた。
 竹流は真の言葉よりも表情から何かを察したのか、それともただいつもの癖で何となくそうしたのか、真の頭に手を置いて一瞬慰めるような仕草をした。
「寺に帰ろうか」
 彼らは立ち上がって階段を下り、奥さんに礼を言って、待たせているタクシーに戻った。

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