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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

❄15 汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり 

 住職はしばらく竹流の言葉を聞いていたが、やがて自分でも地図を熱心に見つめ、それから徐に口を開いた。
「それらしい印はありませんがの」
 竹流も黙っていたが、真は小さな声で言った。
「印は三つあるんです。不動明王と、水の湧き出るところ」竹流が自分の顔を見た気配を感じながら、真は続けた。「地蔵堂のほうは途中に新しい建物が建って、水の道が変わってしまっている。もしかしてどちらも入口だったかもしれないけれど、今は無理では?」
「残っているのは水盤か」
 竹流は呟くように言って、住職の顔を見つめた。
「水盤の下、という意味ですかな?」
 住職もしばらく考えていた。
「確かに、高いほうから低いほうへ流れる水の摂理からは、上方へ水が湧き出すには、それなりの理由があるのでしょうな」
「動かしたことは?」
「無論、ございません」
 皆で水盤のところまで行ってみた。
 水盤は縁側のすぐ傍、庇が丁度途切れる辺りにあった。角度によっては鏡のように光を跳ね返し、風の揺らめきによっては、いくつもの光の輪を縁側と広間の床の間の辺りに投げ掛けた。
 大きさは昔の餅つきの石臼をひと回りほど大きくしたような程度で、ほぼ円に近い形をしていて、緩やかな斜面のためかやや斜めに傾いていた。その日は、昨夜の雨のせいか、水盤にはいっぱいの水が溜まっていた。よく見ると、水面は風のせいだけではなく揺らめいているようだった。下から湧き出す水のために、緩やかに揺れているように見えるのだろう。
 試しに水盤が動くかどうか力を入れてみると、確かに固定されているわけではないようだった。
 彼らはしばらく、水盤がどう動くものか、押したり廻したりしていたが、ずらすように左右に廻すたびに、土中に埋まっている部分の土との間に、隙間がうまく作られることに気がついた。
 丁度、大きな昔の挽き臼のような状態に思えた。
 住職に断って水盤の周りを掘ってみると、三十センチほど掘ったところで大体の輪郭が掴めた。水盤は土に埋まった部分から底へ向かってはやや小さくなっていて、底は丸く、ぴったりと合わされた受け皿の役目をする石が、南側の多少低くなった半周だけに認められた。
 住職と彼らはしばらく相談していたが、若者たちを呼んで、結局水盤の周りを掘った。水盤を持ち上げるのは大概骨が折れたが、北側は何とか隙間ができたので、梃子のように板を挟んで浮き上がらせることができた。水盤を除け、人の身長のほぼ半分まで掘り進むと、受け皿になった石の下の方は四角くなっていて、その下方にまだ石が見えていた。
 水は、北側の土から染み出していて、土を除けると大小の石や岩が土中に見られた。
 若者たちは、綺麗に削り込まれ形を整えられた、靴を入れる箱ほどの大きさの石、または小さなみかん箱ほどの大きさの石を、いくつか土中から掘り出していった。みかん箱になるとさすがに普通には持ち上げられず、皆が手を貸し、てこの原理などを相談しながら持ち上げた。石は古い時代の石工の見事な技術で、隙間もないほどにぴったりと合わされ、水はそのままでは土中を南へ流れていかないようになっていた。一旦水盤に湧き上がり溢れ出た水が、その石の南側、地面の低いほうへ落ちて土中に染み込み、そこからさらに下方へ流れていっているようだ。
 力仕事を始めると、得手不得手もあるようだが、若者たちは一様に汗を掻きながら目の前の艱難を克服していくように見えた。ばらばらに見えていた彼らの顔が、紙漉きの工房で仕事をしていた親父の顔、そして仏具を直していた竹流の横顔に重なっていく。
 真も手伝おうと近付くと、あの一番目つきの鋭い若者が、石にかけた真の手を摑んだ。思わずその顔を見ると、若者はにっと笑った。若者は何も言わなかったが、言葉よりもよほど正確に真に伝わった。
 ここは、俺らに任せとけよ。力を持て余してたんだ。
 ふと住職を見ると、長く白い眉毛の向こうの目が、静かに微笑んでいる気がした。
 そして、土中の石の壁をいくつか取り除くと、人が体を滑り込ませることのできる下方への穴が開いた。
 ついに、異界への入口が口を開けた。
 彼らは、竹流と真も、住職も若者たちも、無言で視線を交しあった。若者たちの顔を見ると、期待と不安が窺われた。彼らの表情からは、ただ純粋にこの出来事への興味だけではなく、やはりあの鈴の音に秘められた、今では理解不能の古い時代の出来事に対する畏れの感情が窺われた。それでも、皆がそれぞれに自分自身のうちの暗い部分と向き合い、そして闘っているのだろう。
 真は彼らから竹流のほうへ視線を移した。竹流は穴の奥を覗き込んでいた。
 穴の向こうから水滴の落ちる音が、間断の長い音楽のように響いてきた。穴の向こうは全くの暗闇で、音と湿った空気以外は何も伝わってこなかった。
 今、ここに長い時を経て、外界との気の交わりを得、この暗闇の向こうではどのような異変が起こったのだろう。
 その古い時代の気、人の心が何かを閉じこめていた念が穴の奥から湧き上がってくるように感じると、真は強い力に呑み込まれそうになっていた。昔、嫌なことや怖いことがあるとしばしば気を失っていたが、その前兆でいつも指先が痺れていた。気が付くと今もまた、あの時と同じように指先が冷たくなっている。
 竹流が住職に頼んだので、若者の一人が強力な照明を持ってきてくれた。電気コードが広間の奥から引っ張られて、その明りが入口に準備される。
「嫌なら、ここにいろ」
 竹流にそう言われて、真は思わず住職の顔を見た。住職は真をあの小さな目で見つめ、そして少し微笑んだ。何も言わなかったが、その目は、あなただけが決めることができると、もう一度語っているような気がした。
「一緒に行く」
 真は珍しくはっきりと意思表示をした。それには竹流は何も言わなかった。
 竹流は人間一人がやっと身体を滑り込ませることのできる穴に、照明を入れた。少なくとも、この通路の下が足もつくことのできない落し穴のようになっていないかどうかだけは、確かめておこうと思ったのだろう。覗き込んだ真にもよく分からなかったが、とりあえず斜めに何メートルか通路が下っていることは確かのようだった。
 それ以上は分からなかった。覚悟を決めたのか、竹流は足から通路に入った。彼の頭が斜め方向に見えなくなると、直ぐに思ったより近いところから、地面に降り立ったような音がした。
 照明を降ろしてくれ、と竹流の声がした。向こうは思ったよりも大きな空洞なのか、竹流の声は反響して幾重にも重なるように聞こえた。その後暫くは何の気配もなかった。通路の向こうがかすかに明るい。
「降りてこい。和尚さんも御一緒に」
 やがて竹流の声がもう一度穴の奥から響いて、真はその深い井戸の底から聞こえてくるような声に住職の顔を見た。真が何かを躊躇っていると思ったのか、住職は先に小さな体を簡単に穴に滑り込ませた。とても年齢相応の行動とは思えない、軽い身のこなしだった。
 真は住職が下に着いた気配を聞いて、自分も覚悟を決めてその穴に滑り込んだ。入り込む前に、一番幼そうな若者と目が合った。その視線の中にはどんな種類の悪意も、全く感じられなかった。


 足が地面についたとき、真は自分が外界からの明りが届かない大きな窟の隅に立っているらしいことを知った。
 重い、古い空気がぴったりと身体にまとわりついた。
 強力な照明だったが、それでも窟全体を照らし出すまではいかなかった。足下はごつごつした岩場で、所々小さな水溜まりになっていた。窟の中央の地面は大きく窪んで、ちょっとした池のようだ。窟のあちこちから水が湧き出ているのか、水の落ちる気配が響き渡る。
 縁の下で地面に耳をつけて聞いていたのは、この空気の気配、水の気配だったのだ。
 ここは湧き出した水の貯留池なのだろう。空洞の高さは所により違っているようで、入口の近くはやっと立てるかどうかくらい、一番高いところでは三、四メートル程はあるのだろうか、暗く陰が折り重なるので、本当のところはわからない。広さは上の広間の倍くらいなのだろうか、やはり全体が見渡せないので、本来の大きさは測りかねたし、実際以上に大きく見えるのかもしれなかった。
 真は自分でも思っていた以上に静かな気持ちで、窪地の中心を見つめた。
 照明が届くぎりぎりのところ、中央の池の真ん中辺りに島のように大きな岩があって、その上に座った人型が明りの中に真っ黒な塊として浮かび上がった。
 彼らはゆっくりと、その像に近づいた。
 これはあの結界の中の夢で見た窟だ。真は引き込まれるように足を進めていた。
 照明を近づけると、そこに照らし出されたのは不動明王ではなく、荒ぶる忿怒の表情を湛えた神像だった。その神の像は、右の手に鞘を被った劔を持っていたが、左の手の平には何もなかった。その掌はもともと上を向いていたのだろうが、朽ちかけて指がそろっておらず、やや斜めに傾いていた。
 住職は黙ってその神の像に手を合わせ、さらに近づいていく。恐らく水が満ちていれば、像に近づくことは叶わないのだろうが、一番深いところでも膝まで濡れる程度で、その神のすぐ側まで近づくことができた。
「大丈夫か?」
 竹流の声が耳のすぐ側で聞こえた。真は頷いた。
 住職、竹流に続いて真も像の正面まで近づいた。半ば朽ちたようになりながらも、目だけは異様に耀いて、その像はこちらをしっかりと睨め付けていた。古の時代から今日まで、この神は怒気をこの空間に満たしてきていたのだろうか。そう思うと、また恐ろしいというよりも哀しい気持ちが込み上げた。
「珠が、ございませんな」
「宝塔、でしたよね?」
 真の引っ掻き回された感情を冷ますような、住職と竹流の穏やかな会話が耳に入った。さっきから踝の真ん中辺りまで水に浸かっている足の周りで、何かつかみ処のない気配が蠕いている気がして、真は思わず竹流の腕をつかみ、もう一方の手で自分たちの足を吸い込んでいる水の面を指した。
 竹流は照明を真に預けて、足下の水の中を探り始めた。
 ほんのしばらくの後、竹流は何かを掴んで水の中から引き上げた。
 それは小さな匳の形をした入れ物だった。宝塔というよりもただの匳に見える。蓋は半開きで、中に水と一緒に入っていたのは、きらきらと光る何かの屑のようだった。竹流はそれを住職に預けて、もう一度水の底を探り、結局いくつかの欠片を集めた。
 その時突然、この窟の中に、水音以外の別の音が木霊するように響いた。
「鈴の音、ですか?」
「そのようですな」
 その音はどこか哀しく、しかし美しく響いた。
「これだな」
 真が見ると、竹流の足の近くに丸い物が浮いていて、彼が屈んでいたときにその玉に触れたようだった。竹流がもう一度玉を動かすと、やはりもう一度鈴の音が響いた。小さく揺れただけでも音は反響して大きくなるようだ。
 地上で若者たちが何か騒いでいるのが聞こえた。
「どうやら彼らを怖がらせたようですね。あるいは面白がらせているのか」
 住職はほっほっと笑った。
 その陶器のようなものでできた薄い玉は、浮き玉のように水に浮かんでいて、細く編んだ革紐が何重にも結びつけてあった。玉は池の中に作られた柵のようなものに囲まれていて、でこぼこの柵の隙間から革紐がどこか闇の中に続いているようだった。
 革紐をたぐっていく竹流にはぐれないように真はついていった。革紐は、朽ちてしまわないようにということなのか、幾重にもよられ、随分と頑丈に作られていた。
 紐の反対の端がある場所は、窟の壁面で、まるで仏像を納める空間のように彫られた小さな凹みになっていた。くぼみは側面も底も丸みを帯び、手前が少し高まっていて、革ひもはその高まりに開けられた穴を通して、くぼみの底に置かれたやはり小さな丸いものに結びつけられていた。
 竹流は、まだ神像の前で立っている住職に呼びかけた。
 住職は水の中をゆっくりと歩いてきた。
「ほう、これは珍しいものですな」
「土鈴、しかも縄文時代の球形土鈴みたいに見えますが?」
「鈴の音にしては、あまり金属的ではないとは思っておりましたが」
「縄文時代の土鈴?」
 真は確かめるように竹流に問い返した。
 返事をする代わりに、竹流はその丸いものを振ってみせた。シャラシャラともコロコロともつかない、低いが美しい音が響いた。
「鈴なのか?」
「うん、縄文中期の土鈴はこういう密閉構造で、中に土玉や小石が複数個入っていて、振ると音がする。現代の鈴のように開放構造でつまみの部分があって紐を通す穴が開けられるのは、古墳時代以降だと言われている。祭礼に使われていたという説もあるが、出土する数も少ないし、よくはわかっていないようだ。しかし、まぁ、これは土の質からしても、その縄文時代の土鈴を模して作ったものなんだろうな。本当に縄文時代のものなら、もっと土を焼く温度も低いから、脆くて、こんなに湿気のあるところでは鈴の役割を果たせない。もっと鈍い音がするだけだろうからな」
 住職も珍しそうにその土鈴を見つめていた。
「それに、何よりもすごいのはこの共鳴装置だな。湿気が多いので多少効果はいまいちだが、マルタ島の遺跡に、これと同じような古代のマイクロフォンがある。壁の窪みに向かって小さな声で囁いても、空洞全体に声が響き渡るような仕組みだ」
 試しに竹流がその窪みに向かって囁くと、その声は窟全体に響き渡るようになった。
「これって、水面が下がると紐が引っ張られて、鈴が鳴るようになっているのか」
 真は竹流に問いかけた。
「そのようだな。ある程度の水面を保っていれば、向こうの浮き玉がこの紐を引っ張ることはない。ある程度以下になると紐が引っ張られて、鳴るんだろう。単純な装置だが、面白い仕掛けだ」
「持っていきますか?」
 住職が問うと、竹流が答えた。
「いや、この土鈴はこのままにしましょう。原因がわかれば、若い者たちも納得するのでは? せっかく古の人が我々に遺したメッセージの音だ。ここに置いておくのがいいでしょう。朽ちる時も、運命のままに任せるのがいいのかもしれません」
 彼らは神像のところに戻り、しばらく話し合っていたが、やはり御神体は検めようということになって、その荒ぶる神に手を合わせ、手から劔を預かった。
 真が空洞の中から手を上げて上にいる若者の手を借りたとき、ふと振り返ると、竹流がもう一度神像に手を合わせていた。


 三人が地上に戻ると、待っていた若者たちは一様にほっとした顔をした。そして、鈴のわけを聞くと、それぞれの顔で頷いた。
「それで、お不動様はいたのか?」
 教えられた丁寧な言葉で話す若者もいれば、以前のまま乱暴な言葉を話すものもいる。それでも『お不動様』と言うんだな、と真は不思議な気持ちで、尋ねた若者の顔を見た。みな一様に頭を剃っているが、その中でもこの若者の髪の毛は長いほうだ。
「いらっしゃいましたよ」
「怒っていたんですか」
 そう尋ねたのは、酒と煙草を隠していた若者だ。
「さて、怒っておられたのか、そうでもないのか、祟ろうとなさっていたのか、あるいは守ろうとなさっていたのか。そのどれでもあり、どれでもありませんな」
 それに不動明王ではなく、神の像なのだ。だが、どうでもいいことなのかもしれない。住職の言うように、全て許されてあるのだとしたら、神でも仏でも構わないはずだった。決めているのは人間のほうだ。
 縁側に、小匳と水の底から集めてきた破片と、そして鞘に納められた劔を置いて、竹流はそれをしばらく見つめていた。修復にかかる前に、いつも彼はこうやって相手をじっと長い時間見つめている。まるで対話をするように、ただ相手からの言葉を聞きだすかのように、そして時にはそれが数日になることもある。
 真は不安と期待が半分ずつの気持ちで竹流を見つめた。だが、砕けた珠の欠片を見る限りでは、期待など持てそうになかった。
「その匳の中に水晶の珠が入っていたのか?」
「そのようだな」
「つまり、その、割れてるのか?」
「そういうことだな」
 竹流の声は、冷たいほどに淡々としていた。
「水が減ったことと、何か関係があるのか?」
「さぁ、それはよくわからない。像が朽ちてきたのでその手から落ちたのかも知れないし、地震のせいかもしれないし、ただの偶然かもしれない」
「あんたなら何だって直せるんだろう?」
 竹流の深い青灰色の瞳は真っ直ぐに真を見つめていた。どう見ても元に戻せそうにないことは、真にも解っていたが、何かにすがりたいような気持ちだった。
 だが返ってきた竹流の声は、冷たいとも思える響きを伴っていた。
「壊れたものを元に戻すことはできない。修復と修理は違うものだ。いや、古い時代に作られたもの、描かれた絵を修復するということは、それを元に戻すことでもない。どんなものでも、全く元に戻すことはできないんだ。だが、せめてそれが作られた時代の何かを、例えば色や形や、それを大事にしていた人の心を蘇らせることができれば、それだけで大変素晴らしいことだ。だが、この『壊れた』珠を修復することはできない」
 いつものように、分かりきったことを淡々と竹流は口にした。
「じゃあ、子どもはもう龍を呼べないのか?」
 小さな声で真は呟いた。分かっていても、慰めてくれたらいいと、そう思っていた。
「もしも、そのために『この』珠が必要なら、そういうことだな」
 真は黙って俯いた。さらに重々しい音が耳に届く。真が顔を上げると、竹流がもう一つの御神体、いわゆる雨降劔を手に取っていた。
 竹流はしばらく剣の鞘を調べていたが、どうしようもないと思ったのか、多少力を入れて剣を鞘から抜こうとした。だが、それが困難だとわかったようで、今度は鞘を左手に握り、何度も場所を変えて左手の手首を右の拳で叩いた。
 かなりの時間をかけて、ようやく剣は鞘から抜けた。
 一瞬、高いところを鳥か何かが横切ったのか、影とも光ともつかないものが視覚中枢の描いた世界に瞬いた。真は自分の頭の後ろのほうで、何かが叫びを上げたような気がした。
 錆の屑は光ることもなく、縁側と白い地面に細かくばら撒かれた。
 竹流の手に残った剣は、細長いという以外刀や剣の類との共通点はなく、とても御神体とは思えなかった。もちろん、伝承のように、鞘から抜けば忽ち水が迸るような立派なものには見えなかった。
 真は錆びて朽ち果てようとするような劔を見て、今度こそ、もう駄目なのだと思った。
「真、御神体と言えども、伝承というのはこういうものだ。本当に霊験あらたかなら、今でも錆びてなどいないはずだろう? これは、神から賜ったものでも、神代の時代から伝わるものでも、あるいは龍の尾から出てきたものでも何でもない。人間が作り、神に捧げたものだ。錆びることも壊れることもある。そうなれば、誰の手でも元に戻すことなどできない」
 真は俯いたまま返事をしなかった。竹流は慰めてくれる気配もない。
 会話の少なかった中学生の頃はともかく、高校生の頃は、竹流は真が混乱しているとどう気配を察知するのか、子どもをあやすように慰めてくれていた。自分を貶めてまでも手に入れた金で義理の母親の手術代を払った日も、入院していたサナトリウムで彼女が亡くなった日も、模試の教室の異様な空気に久しくおさまっていた解離性障害を起こしかけた日も、いつもこの大きな手が真を支えてくれた。もっとも、勉強の面倒をみてくれているときは、半端ではないくらいスパルタで、あまりの厳しさに泣きそうになったこともある。幼い頃襟裳岬の近くで海に落ちて溺れて以来、水が苦手だった真に、無理矢理泳ぎを教えてくれた時もそうだった。それでも、その手が最後の最後に助けてくれる。そう信じて疑っていなかった。
 不意に腕を捕まれて真は顔を上げた。泣いていたつもりはなかったが、竹流の顔はよく見えなかった。息もできず、唇が震えた。指先が痺れてくるのがわかった。身体は硬直して、温度が失われていく。耳の奥で何かを引っ掻くような音が頭を半分に割るように響き、一瞬にして視力が奪われた。

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