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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

NEWS 2013/7/3 ごんぎつね 

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大好きな絵本のこと。
実は、先日新聞に、新美南吉の『ごんぎつね』のオリジナルテキストがあって、私たちが読んできたのは雑誌『赤い鳥』主宰者・鈴木三重吉が添削したものだということが書いてありました。

え? そんなことがあるんだ、と驚いたり、確かに作家が書いたものを、より読者に受け入れられるような形に編集者、あるいは雑誌の主宰者が添削を入れるってのは、あるとも聞くしなぁと納得したり。
もちろん筋立てが変わるわけではないけれど、表現が変わると微妙なニュアンスが変わることもある。

そこで、ある学校の先生が、オリジナルのテキストと流通している『赤い鳥』版を両方使って比較しながら授業をされているのだとか。実際に、両方を読んだ子供たちの反応は豊か。
どちらがいい・悪いではなく、違いからどんなふうに感じるか、ということが大事なようで。

特に最後の場面は、ちょっとした言葉の違いで結構印象が異なっています。

オリジナルは以下。

権狐(オリジナルではこう表記)は、ばったり倒れました。兵十はかけよって来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのを眼にとめました。
「おや――――――――――――。」
兵十は権狐に眼を落しました。
「権、お前だったのか……。いつも栗をくれたのは――――――。」
権狐は、ぐったりなったままうれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出てゐました。


赤い鳥版は以下。

ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と兵十は、びっくりしてごんに眼を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。


ごんの「うれしくなりました」について、子どもは「気持ちが届いてごんが嬉しくなったとはっきり書いてあって、自分も嬉しくなる」「兵十の『おや――――――――――』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」などと感想を述べたとのこと(小学校4年生だそうです)。

確かに、通して読んでみると、ごんの気持ちの流れがずっと書いてあるのに、最後だけ『ぐったりと目をつぶったままうなずいて」終わるので、何だか「ごんぎつね」は悲しい話という読後感が残ってしまっていました。
間違いで撃たれてしまったごんが、実は『嬉しかった』、という言葉を新美南吉が残していたんですね。
そして、撃ってしまった兵十は「おや」じゃなくて「おや――――――――」だったんですね。

読みようによっては子どもたちに「罪を償う話」にとられてしまいがちだったものが、この言葉で、「ごんが自分と同じように孤独な兵十に、つながりを求め続けた思い」が子供たちによりわかりやすく伝わるようになったと。

たった一つの言葉で印象や読後感が変わる。
これって結構怖い話だと思いけれど、物語というものの広がりも感じさせるなぁ、と思いました。

この黒井健さんの絵、本当に素敵ですよね。ほわんとした優しい絵。
お母さんのお葬式のシーンの彼岸花の赤、そのあとずっと兵十のあとをついていって様子をみているごんの姿。

分かって欲しくて、でも償いのためにやっていることをわざわざ言うこともないし、というよりも言えないし、ずっと後ろをついていっている。栗をくれたのは神様だという会話を聞いてがっかりしてみたり。
特に、兵十のお母さんのお葬式を見て、穴の中でひとり反省している(文字通り、省みている/顧みている)ごんの絵がとても好きなんです(アップで……)。
そのあと、ちょっと離れたところから精一杯のことをしているごん。
(黒井さんの絵は、暗がりの中のその黄金の狐の毛が、とても印象的。)
ごんの色々な気持ちが集約して、「うれしかった」という言葉なんだなぁ。


同じ新美南吉さんの『手ぶくろを買いに』……昔はハッピーエンドのこっちのほうが好きだったけれど、最近、『ごんぎつね』のほうが気になっていました。
そこにこの新聞記事だったので、物語の中の悲哀とか、そこから生まれる人の心の深さとかを改めて感じさせられた次第です。

南吉の15歳の時の日記。
ストーリィには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る
と書いてあったそうです。15歳の言葉! 驚きますよね。
しかも29歳で亡くなっている。

私は、彼の目指したものが「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」というのを、『手ぶくろを買いに』の表紙の裏で読んで、この言葉を何回もノートの隅に書いていました。

今あらためて、南吉の求めたものがしみじみと伝わる記事を書いてくださった記者さんに感謝します。
(朝日新聞2013/6/19)


ところで、いつも不思議に思っていること。
帽子屋さんは、こぎつねの持ってきたお金が本物なので、手袋を売ってあげたんですよね。
でももし、木の葉っぱだったらどうなっていたんだろう?
しかも、この本物の白銅貨、親狐はどこで手に入れたんだろう?
いくら人間が怖いからって、何かあったらどうするの~、子どもについていってやれよ~(いや、初めてのお使い、か?)
とかあれこれ、悩んじゃっていたのでした(あまのじゃく~~^m^)。
そこは読み流せよ、と自分でも思うけれど^m^
いえ、大好きな話なんですけれどね。
特に好きなのは「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」~きゃわいい(*^_^*)


大人になってしみじみ味わう『ごんぎつね』……悲しい話のようだけれど、そこに込められた愛の深さ。ここに作家の心が強く表れているのだと思いました。





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# |  | 2013/07/03 07:17 [edit]


オリジナル!

そうだったんですか!ぜったいオリジナルの方がいいのに!
「赤い鳥」は、なんて余計なことを・・・。
>権狐は、ぐったりなったままうれしくなりました。
この1行があるのとないのとでは、作品の世界観や読後感が全く違うことに、気づかなかったんでしょうか。

私は物語を書くとき、ラスト近くの1行にものすごく情熱を注ぐことがあります。それをなくしてしまったら、全体が骨なしになってしまう1行。短い物語だったら、その一行の重要性は計り知れないのに。

「ごんぎつね」は、どうにも救われない悲しい物語として染み込んでいるので、私の好きな童話ランキングには入らなかったのですが、気になる作品ランキングでは1位でした。
でも、そのオリジナルだったら、大好きな作品になりそうです。ああ、もったいない・・・。

今も昔も、私の大好きな童話ランキング1位は「手袋を買いに」です。
あの、繊細な描写、親子の愛情、異種のさりげない心の通い合い。何とも愛おしい気持ちになります。
お金が本物じゃなかったら・・・は、考えませんでした^^;
(どうなんだろう。売り物にならない、片っぽの手袋をあげたのかな。←世知辛い)

>「ストーリィには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る」

これはほんとうにビビッときました。改めて考えると、自分が書くものも、好んで読むものも、全てこの感覚が根底にあります。悲哀は愛に変わる。15歳で、それを語るとは・・・。
なんとも、嬉しくなります。

lime #GCA3nAmE | URL | 2013/07/03 07:55 [edit]


私は・・
「権狐は、ぐったりなったままうれしくなりました」
このいち文に
この物語の愛がぎゅぅっと詰まってる気がしてならないです(>_<)

ako #- | URL | 2013/07/03 16:40 [edit]


確かに、オリジナルのほうがずうっと良い。
「土間」よりも「背戸口」のほうが良いし、
「びっくり」は余計だし、
火縄銃は「ばったり」落として欲しい。
やっぱ「おや―――――――――」だよね。

しのぶもじずり #- | URL | 2013/07/03 19:13 [edit]


今晩は。

感想は皆様と一緒です。
この記事に出会えてよかったー!

ぴゃす~ #- | URL | 2013/07/03 20:09 [edit]


悲哀とセンチメンタル

だいぶ前に友人たちとの会話で「ごんぎつね」が話題になりまして、私も改めて読んでみました。
そして、「パラレルごんぎつね」を書きました。

「あかねさん、甘い、甘すぎる!! この物語はこういう結末だからいいんだ」
と断固として言われましたけどね。

>「ストーリィには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る」

なのですねぇ。
私が書いたほうには「悲哀」はありませんでしたから。

悲哀とセンチメンタルって別ものなのでしょうね。
センチなストーリィはわりと書きやすくて、日本人はそういうのが好きですけど、「悲哀」となるとむずかしい。
勉強になりました。

あかね #- | URL | 2013/07/04 00:51 [edit]


こんなに変えちゃったんですね

自分が書く事を考えると、誤字脱字を指摘してもらうのは嬉しいですが、こんなに変えられるのは悲しいですね。
「ここは譲れません」とは言えない立場だったのでしょうか。

「手ぶくろを買いに」は確かにとても好きでした。狐のおててを出しちゃっても、売ってくれたおじさん(でしたっけ?)の優しさに嬉しくなりました。でも、そういえば、お母さん狐、確かに自分は行きませんね。

子供の頃から大好きな絵本はいくつもありましたが、特別に好きだったのは、宮沢賢治の「雪わたり」と作者はわかりませんが「しろいうさぎとくろいうさぎ」です。

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2013/07/04 03:06 [edit]


基本的に私も今は自分の作品も編集してやっているので、あまり言えたことではないのですが。
多分、この作品単品で見るから、評価が割れるのであって、雑誌トータルで見たときにこの作品がどうなのか、というところまで考えて編集が考えて添削したんだと思います。
個人的には添削した後のほうが読みやすいので好きですけど。

LandM #- | URL | 2013/07/04 06:41 [edit]


鍵コメH様、ありがとうございます(^^)

そうですね。直接向き合って話をしていれば、まだ相手の顔を見たりして、その反応から、少し自分の言葉を振り返ってみることもできるし、会話のピンポンの中で修正もできるとは思うのですが、手紙やメール、ブログの記事は出してしまったあとはもう自分の手を離れてしまいますものね。タイムラグって、結構怖い気がします。
いえ、会話も、言ってしまったらダメな言葉もあるし、同じことなのかなぁ。ちょっとした言葉のニュアンスは、人によって取り方も違うし、本当に難しくて怖いですよね。
でも、だからこそ、一生懸命伝えたいと思うのかもしれません。
上手く言葉を選べていなかったり、伝えたいことを書くのに、少し不適切なテーマや題材を使ってしまったり、願うほどには言葉に想いを載せることができていなかったりしますが、気持ちが少しでも伝わったらいいなぁと思います。
コメント、ありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。
私もまた、癒されに(?)遊びに行かせてください(^^)

彩洋→鍵コメH様 #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 01:11 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

昨日、あまりの腹痛にひっくり返っていました……そして復活したら朝。今日はまたあまりにも忙しく、それなのに走りに行ってしまいました……^^;
お返事が遅くなりましてすみませんm(__)m

この新聞記事は、オリジナルのほうが良いかどうかということについては比較的中立の立場での書き方をしていました。ただ、ふたつを比べることで対話が生まれて、子どもたちがより深く物語を理解する手助けになったということを書いていたのですね。
確かに、「悲しい」とインプットされてしまうよりも、こうやって物語の世界を楽しむ、味わう道しるべを教えるという素敵な授業されている先生が素晴らしいと思いました。

私は、これは良し悪しではなくて好き嫌いの話だな、と思いながら読んでいたのですが、個人的にはオリジナルの文章を知って、納得がいった気がしたのです。
改めて権狐の独白などを読み返してみたら、なるほど本当に手に取るように彼(ですよね…)の感情が分かる。反省したり、拗ねてみたり、思い遣ったり。ごんにとって兵十は、同じように天涯孤独の心の友だったのかなぁ、と思います。だから兵十に自分のことが伝わった時、命のことより、嬉しいという気持ちのほうが強かったんだなぁと。
少なくとも、私が挑んでいる『人魚姫』よりはいいラストですよね……それに、ごんが嬉しかったと思ってくれていることで、勘違いして撃ってしまった兵十も救われるんじゃないのかなぁ(知りようはないのだけれど)。
ここに南吉の言わんとする魂の流通共鳴があるんですよね。この撃つのと撃たれるのの関係の緊張感の中にこそ異種の者同士の間に共鳴が降ってわくというのか(^^)

私も、最後の言葉や最後のシーンにはかなり力が入ります。
以前にも書いた『ドクトル・ジバゴ』の「誰に(バラライカを)教わったの?」「誰にも教わっていないんです(でも弾ける)」「じゃあ血かな」……・いつかこの台詞に負けない言葉を書きたいと思っているのですが…
なかなか到達できません。でも、【海に落ちる雨】は、2回(いや、回想も含めると3回かな)のラストシーンに気合が入っております。

> お金が本物じゃなかったら・・・は、考えませんでした^^;
> (どうなんだろう。売り物にならない、片っぽの手袋をあげたのかな。←世知辛い)
これ、いいですね! なるほど、いただきです。
右ばっかり余っていて、とか。狐の手には、右右でも左左でも関係なさそうですものね。

「ストーリィには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る」
私はこれを読んでほっとしたのです。なんだか悲哀は沢山書いてしまうのですが、愛に変ればいいんだ、それでちゃんと受け入れてもらえるんだな、と納得。
limeさんのお話にもたくさんの悲哀と愛がありますよね。
これからも沢山のファンのために、頑張ってい素敵なお話を書いてくださいね(^^)
コメントありがとうございました(^^)

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 01:38 [edit]


akoさん、ありがとうございます(^^)

akoさんはいつも短い言葉にぎゅうっと気持ちを詰め込んでおられるので、感性でこのオリジナルの言葉を理解したり納得されたりするんだろうな、と思っていましたよ(^^)
「うれしくなりました」という言葉は私を安心させてくれたような気がします。
ごんが、最後に、命よりも分かり合えたことに喜びを見出していたことが分かって、安心したというのか。

そして、akoさんの素敵な言葉の数々は、やはり感性で呼び出された言葉なんだなぁとしみじみ思います。
そんなakoさんの気持ちを掴めるような言葉が書けていたらいいのですけれど……

お返事が遅くなってすみません。昨夜は苦しんでいたので^^; さらに今日は修羅場でなかなか仕事が落ち着かなくて。何はともあれ、コメントありがとうございます(*^_^*)

彩洋→akoさん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 01:48 [edit]


しのぶさん、ありがとうございます(^^)

しのぶさんの書いておられる世界観から感じるに、しのぶさんはオリジナルごんぎつね風の言葉回しのほうがお好きなんだろうな、と思ったりします。言葉使いや節回しも、気持ちが入り込みやすいように書いてある。
(しのぶさんのお話はずっと長いけれど、毎回節回し?を楽しませていただいています(^^))
私自身はオリジナル版のほうが気持ちが分かりやすくていいな、と思ったのですが、実際に書いていたらあれこれ悩むだろうな、と思いながらこの新聞記事を読んでいました。自分で添削していても、迷走しそうだというのは、自分がしっかりしていないからなのかもしれませんね……反省。
でも……やっぱ「おや―――――――――」ですね。

彩洋→しのぶさん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 05:45 [edit]


ぴゃす~さん、ありがとうございます(^^)

> この記事に出会えてよかったー!
わ~、ありがとうございます(^^)
私もよかったです、この新聞記事を見て、何だかとっても良かったなぁと思ったのです。
ひとつは、自分にもごんの気持ちがちゃんと伝わってよかったと思えたこと(新美南吉がどんなふうに思っていたかがはっきり伝わったこと)、もう一つはこういう授業をしておられる先生がいるというのが素敵、と思ったこと。先生の立場はいい・悪いの話ではなくて、比較することで物語への理解が広がるってことみたいなので、それはそれでとても素晴らしいと思いました。
書く時、こういう小さな言葉にも気をつけなければならないなと思いながら……
コメント、ありがとうございます(^^)

彩洋→ぴゃす~さん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 05:50 [edit]


あかねさん、ありがとうございます(^^)

> だいぶ前に友人たちとの会話で「ごんぎつね」が話題になりまして、私も改めて読んでみました。
> そして、「パラレルごんぎつね」を書きました。
おお、そんなことをされていたんですね!
パラレルごんぎつね…気になります(^^)
ご友人の反応から察するに、結構ハッピーなお話だったんですね。
私もあれこれ考えたのです。実は兵十は銃の腕が悪くて、うまく当たらなくて、ごんはびっくりして倒れただけだったりして、とか。昔の銃って、命中率悪いって書いてるのを読んだことがあるし……^^;
でも、悲哀から生まれる愛の話じゃなくて、単なるギャグになってしまいますけれど……
センチメンタルと悲哀、確かに別なんでしょうね。
そこにある違いはなんだろうな。感情的ではなく、事実を見つめる心、なんでしょうか。
私も物語(お伽噺)の焼き直しをいつも考えているのですが、ごんぎつねはこういうお話だからいいのかもしれませんね……その中でどうやって言葉を選んでいくか、本当に難しいと思いました。
あかねさんちにコメントを残そうと思いながら、日々に忙殺されていました。
また、残しに行きますね(^^)
コメント、本当にありがとうございます。

彩洋→あかねさん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 05:57 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

文章の推敲って、自分自身でも難しいし、悩んでしまいますよね。
私も昔出した仕事の文書が上司に真っ赤にされて、ちっとも自分の書いたものが残っていないくらいになってた時、自分が悪いのか、それとも上司のやりすぎか、よく分からなくなったことがあります^^;
南吉がごんぎつねを書いたのは18歳の時と言いますから、きっとまだまだ悩める若者で、上の人の言うことに逆らえない、というよりも、どう逆らうべきなのかまだ分からない時期だったのかもしれませんね……
自分の書くスタイルもまだ定まっていない時期だったのかもしれないと思います。
でも良いものを残す年齢なんて、若すぎるってことはないのかもしれませんけれど……

> 「手ぶくろを買いに」は確かにとても好きでした。狐のおててを出しちゃっても、売ってくれたおじさん(でしたっけ?)の優しさに嬉しくなりました。でも、そういえば、お母さん狐、確かに自分は行きませんね。
そうねんですよ。可愛い優しいお話で、私もとても好きなんですけれど、いや、お母ちゃん、そこはついていってやった方が……とか思ったものでした^^;
ただ、初めてのお使い……こぎつねの独立への一歩だったのかもしれませんね……(^^)
なにより、狐の手を見て、うろたえなかった帽子屋のおじさん(はい、おじさんです(^^))は素敵ですよね。
というより、この時代、まだまだ人と自然の生き物の距離は近かったんでしょうね……

あぁ、夕さんちにもコメントをゆっくり書きたいのに、ちょっと日々に忙殺されています。
また、必ず、参りますね!
> 子供の頃から大好きな絵本はいくつもありましたが、特別に好きだったのは、宮沢賢治の「雪わたり」と作者はわかりませんが「しろいうさぎとくろいうさぎ」です。
そう、絵本は自分の大事なものって、ありますよね。
私の一番大事な絵本は、昔も今もこれからも、『モチモチの木』なんです。ラストにあんなふうに光が灯るお話が書きたい。そして、最後には落とす(面白いところへ?)という。
これからも少しでも気持ちが届くようなお話が書きたいですね。

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 06:07 [edit]


LandMさん、ありがとうございます(^^)

はい、この新聞記事の中では、もちろんオリジナルの作品に対して好意的に書いてはありましたが、良し悪しよりも、こういう比較しながら授業をしている、そうした中で子供たちの作品への理解が深まったということに主要なポイントが置かれて書かれています。
私も、自分の好き嫌いとか、理解への手助け、納得、という意味でオリジナルの原稿には南吉のストレートな気持ちが表れていて良いな、と思いましたが、当時の世相や考え方というのは今とは違っていたでしょうし、実際に出版となった時に選択される言葉には、またそれなりの意味があったのだろうとも思います。
実際に、オリジナルのほうは草稿段階で、訂正が編集者と作家の間の話し合いがあったのかどうかもわかりませんしね……

LandMさんはいつもシンプルな言葉を選んで行っておられますもよね。
言葉の使い方、ちょっとしたニュアンスで、色々と違いがあるのだなぁと思って、この記事を書いておりました。実際に書く時にどこまで気を遣っているだろうという反省も含めて(^^)
読者によりストレートに伝わりやすい言葉、いつもそれを考えないとだめだなぁと思います。

彩洋→LandMさん #nLQskDKw | URL | 2013/07/05 06:15 [edit]


なんと――――――――――――。
そうだったとは――――――――――――。
(初コメがこれで、ホントすみません)

うちに画像と同じ偕成社の『ごんぎつね』絵本があり、いま目の前に出しました。たしか、『手ぶくろを買いに』と一緒に2冊買おうか1冊にしようかで迷って、結局ごんだけを買ったように覚えています。両方買っておけば・・・ちっ。

オリジナルと編集とどっちが良いかなんて野暮な議論は無しですね。

作家さんの言葉は染み入るものが多い・・・

けい #- | URL | 2013/07/06 17:33 [edit]


けいさん、ようこそ(*^_^*)

> なんと――――――――――――。
> そうだったとは――――――――――――。
> (初コメがこれで、ホントすみません)
いえいえ、とても嬉しいです。
この――――――――――――の間がありがたいです。色々なものが籠もっている…のですね(*^_^*)
そして、同じ本がお手元にあるというので、何だかとても嬉しいです。
黒井健さんの絵がとても好きで、これを買ったのですが、2冊とも、とても好きな絵本です。
買ったときは、『手ぶくろを買いに』びいきだったのですが、今は『ごんぎつね』びいきかも。
でも、どちらも裏表のような作品で、まるで二つで一つのテーマを掘り下げているような気がします。

> オリジナルと編集とどっちが良いかなんて野暮な議論は無しですね。
そうですね(*^_^*)
良し悪しはないと思うのです。好き嫌い、合う合わないあると思うのですが。
でも、表に出るときに、言葉一つで読む人に違う印象を与える(それも人による)というのは、大事なことだなぁと思ったりしました。

> 作家さんの言葉は染み入るものが多い・・・
はい、言葉を聞くと、なるほど、そういうことを考えて書いておられたのか、としみじみ感じいるものがありますね。

また、出張が終わったらゆっくりお話も読ませていただきますね(*^_^*)

彩洋→けいさん #nLQskDKw | URL | 2013/07/07 20:00 [edit]

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