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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨62] 第12章 絵と女の来歴(1) 

さて、12章『絵と女の来歴』をお届けいたします。
女とは、ここでは表向きは真の恋人である、銀座のバーのママ・深雪のことになります。
しかし、問題となっている「贋作と烙印を押された絵」に絡む女たちがいまして、ひとりはすでに登場の上蓮上家の女主、そしてもう一人は、まだ出てきていませんが少しだけ片鱗がちらちらでている女です。
絵の方は……どうやら遠いソ連からやって来たようですが。
さて、多分絶対怪しい男、新潟の弥彦の村役場に勤める、昔フランスに留学して画家を目指していたこともあるらしい、しかし挫折してるらしい江田島という男を訪ねてみましょう。

*失踪した同居人・大和竹流の行方を探す調査事務所所長の相川真。彼の残した新聞記事には新津圭一という雑誌記者が自殺した件が書かれていた。調べてみると、その自殺はどうやら怪しいらしく、殺されたという疑惑もある。一方、彼が誰かを脅迫していたという後追い記事があり、その脅迫の内容は「IVMの件で」
それが企業の名前ではなく、フェルメールのことだと分かった真は、やはり同居人(修復師)の竹流の関与を確信するのだが……


*切り処がなくて、少し長いです。しかも長々と贋作云々話をしています。ご容赦ください。ご興味のある方はじっくりと、あまり贋作話に興味のない方は読み流してくださって、江田島の怪しさを探っていただければと思います(^^)





 翌朝、顔を洗った後、美和がまだ起き出さないのを確認して、サイドテーブルにロビーにいるというメモを置いて、そっと部屋を出た。煙草を吸いたかったし、何となく二人きりの部屋で美和と顔を合わせる気持ちになれなかった。
 少しは眠ったのかどうか、自分でもわからなかった。このところ、ほとんどずっと夢を見ている気がする。中学生や高校生の頃の夢だ。自分の感情はあの頃からずっと止まったままのような気もした。

 新聞を読みながらコーヒー一杯を、たっぶり時間をかけて飲んで、それから二本目の煙草を吸い終わる頃、美和が降りてきた。
 向かいに座ると、美和はちょっと躊躇ってから言った。
「先生、眠れた?」
 そう言われて彼女を見ると、本当に心配そうな視線にぶつかった。単純で真っ直ぐな彼女の感情には、嘘や演技ではなく、本当に心配している色合いがあった。
 そういう表情を見ていると、やはり女の子は愛おしいと思える。
「大丈夫だよ。何か食べるか?」
 美和は一呼吸置いてから、うん、と頷いた。

 ホテルを出ると、予め連絡を入れてあった弥彦の江田島という男に会いに出掛けた。
 電話での対応は真面目な印象だった。新潟に着いてからずっと心が現実と過去と夢の間を行き来しているのは、漠然と、不安の対象がそこにあるからだと思っていた。
 もしかするとその根源がこの江田島という男ではないかと感じていたので、電話の声を聞いて意外な気がしたのだ。勿論、ここにきてようやく例の絵に直接関わり、知識を持った人間が初めて現れた、というただそれだけのことかもしれない。

 弥彦までは国道四〇二号線を走った。
 海岸沿いの越後七浦シーサイドラインとも呼ばれる道で、日本海の荒波が作り出す様々の景観を楽しみながら走ることができる。
 美和はずっと海の景色を気にしていて、いちいち車を止めて、とはしゃいでみせる。奇岩も港も個性的で飽きさせず、美和のカメラの腕も鳴るのかもしれない。
 それでも、真は、美和が必要以上にはしゃいで見せていることを感じないではいられなかった。カメラを構える後姿の裏側で、彼女がどんな表情をしているのかは見えない。

 そのまま弥彦スカイラインに入り、弥彦山へ登った。急なカーブがいくつも続き、二輪車の乗り入れは禁じられている危険な道は、そのうち山頂に至る。
「晴れててよかったですね」
 別に観光に来ているわけではないので、天気などどうでもいいのだが、これで雨でも降っていたら、気分は余計に滅入っていたかもしれない。美和は真の横で、カメラを構えながら、とってつけたように言った。
「佐渡が見えるんだ」

 改めて言うほどのことでもないのに、敢えて美和は言ったようだった。彼女がその後黙ってしまったので、真は眼下の町や向こうの佐渡から、思わず美和のほうを見た。
 美和は遠い佐渡を見つめたままだった。彼女が泣いているのではないかと思ったが、何も聞けなかった。
「昨日は、ごめんなさい」
 不意に、美和は小さな声で言った。
「何が?」
「だだをこねたでしょ」
 別に美和に非があるとは思わなかった。混乱しているのは真の方だった。
「いや、俺のほうが悪かった」
 こうして互いに謝ることで、その関係は却って恋人という範疇から外れていくような気がした。

 車だと遠回りになるので、山頂の駐車場に車を置いて、ロープウェイで弥彦の町に降りた。
 山麓駅で降りて三百メートルも行くと、弥彦神社に着く。周囲は鬱そうと木々が生い茂り、背後には今下りてきた弥彦山がそびえる。
 広い境内を、時間を持て余しているようにゆっくりと歩いた。美和は真の少し前を歩きながら、時々大きな樹にファインダーを向けている。途中で、赤い袴姿の巫女さんが通りかかった。古い社に不釣合いなほどの鮮やかな朱は、美和の気持ちをひきつけたようだった。

 若くて健康的な笑顔を向けられて、美和は彼女の方に寄っていくと、写真を撮っていいかと交渉していたようだった。巫女の若い女性は快く承諾して、さりげなく歩いている風景となった。
 何枚か写真を撮ってから、美和は女性に礼を言って暫く何かを話していたが、女性は笑顔で首を横に振って、会釈をして向こうへ去っていった。
 笑顔の口元は美人にありがちな形なのかもしれないが、誰かに似ているようも思った。印象的で、はっきりと美人と言える顔立ちだった。

「越後って美人が多いわね」
 美和が、カメラのレンズに蓋をしながら、まだ彼女を視線で見送っていた真に話しかけてきた。
「うん、そうだな」
「先生でも見惚れることがあるんだ」
「いや、どこかで見た顔だと思って」
「あ、そう。女を口説くときに男の人がよく使う台詞よね」
 そう言われて美和を見ると、いつもの彼女だった。何かほっとして、真は何となく頷いて、そのまま本殿のほうに足を向けた。


 弥彦村役場を尋ねると、直ぐに狭い応接室に案内されて、程なく江田島が現れた。
 真は、例の『歴史紀行』の名刺を差し出した。江田島はじっと名刺を見て、声に出して真の名前を読んだ。それから自分のほうも名刺を差し出した。
 弥彦村役場経理課課長 江田島道比古
「お話は県庁の時政さんから伺っています」

 真は、半分拍子抜けしたような気分だった。江田島は特に印象深い顔でもなく、格別に美男子というわけではないが、真面目で人の良さそうな人物で、一見して好印象を与える男だった。背も日本人としては平均的で、威圧感もなく、穏やかそうに見える。話し方ははきはきとしているが、きつい感じではなく、頭の良さそうな落ち着いた印象だった。
「例の、絵のことでお見えだとか」
「はい、贋作について、色々と教えていただけないかと思ってやってまいりました」
 江田島は真と美和に、ソファに座るようにと手で促した。

「絵をご覧になられましたか?」
「はい」
「あれらが贋作であっても、初めてあの絵を見たときには、大変感動したのを覚えています。何と言うのか、そこにこめられた作家の感動が、明確に伝わってくるのですね。ですから、あれらは贋作であっても価値のあるものだと、蓮生さんにはお話いたしました」
 江田島の言葉はほとんど標準語だった。若い頃から絵の勉強をしたくて苦労をしていたというこの男は、長い年月故郷を離れて、自分の生まれた土地の言葉をぬりかえてしまったのだろう。

「贋作とわかったのは、顔料が幾つか、その時代にないものと判明したからだと、時政さんからお伺いしました」
「その通りです。東京の大学にフランス留学中に知り合った教授がおられたので、最終的に科学的検査を依頼しました。私は、贋作者が実に巧妙にこの仕事をやり遂げたことを確信しています。素材はフェルメールのものに近く、印象的な女性が描かれています。実際、絵を見るときに最も大切なことは、全体の印象です。私たちは何も始めから科学的分析に頼るわけではありません。勿論、描かれている素材が、その時代や場所に適切なものであり、またその当時実際に使われていた技術が用いられているか、そういうことは確認の上でのことです。その後に、絵から迫ってくるものは、全体の印象であって、それはある意味では科学的分析に勝っているかもしれません。例えば、フェルメールの絵の場合、光に溢れていますが、同時に光と微妙に分けられた影も存在している。つまり影の気配を描くことによって光を、光を描くことによって影を描いているのです。基本的に彼の絵にはポワンティエと呼ばれる点々、つまり色彩を光に置き換えた点が散りばめられている。しかし、誰か別の画家がただその点々を同じように描いても、それはフェルメールにはならない。画家が、自分の技巧や素材に対して何らかの確信を持たなければ、それらのものが『本物』として見えてこないのです。だから、どれほど上手く真似たとしても、そこに画家本人が盲目的な確信を持って描いた何かが感じられなければ、私たちはそれを本物と感じることができないのです。しかし、あの絵にはその確信のようなものがありました。その絵がフェルメールであることに迷いがないように感じられたのです。贋作者がつい一筆塗ってしまったような不要な部分、贋作者の一瞬の迷いから生じた彼自身の内なるもの、フェルメールであることを迷った跡がありません。ただ、あまりにも完璧に過ぎて、却って疑いを感じてしまった。つまり」
 江田島はやっと一旦息をついて、言葉を捜したようだった。
「絵には、出所というものが大切です」

「たかが新潟の豪農の分家から出たものでは、話にならないということですか」
江田島は穏やかで真剣な視線を、真に向けた。
「そういうことです」
「逆に言えば、新潟の豪農の分家などから、フェルメールが出るような事情があってはいけなかった。そこから出たものを、本物と証明するわけにはいかなかったと、そういうことですか」

 さすがに江田島は、複雑な表情をした。真自身、この一瞬、自分が何を言っているのか、冷静でいるのかどうかもわからなくなっていた。美和が真の腕をつつかなかったら、このまま不可解な突っ込みを続けて、江田島の警戒心を更に煽っていたかもしれない。
「あなたは、あれが本物ではなかったのか、と、そう思っているのですか?」
「いや、つまり、そういう可能性もあったのではないかと」

 真は自分が何を焦っているのかと思った。江田島の第一印象に対する意外な感じを拭えないまま、どこかでこの男の怪しさを引き出そうと躍起になっていたのか。だが、どう見ても、江田島は紳士に思えた。

「まぁ、聞いてください。あの絵にはかなり巧妙な技巧がこらされていました。いえ、つまり一見のところ、本物といってもいいような証拠がちらついていました。しかし、実際のところ、意外なところから意外な有名画家の絵が見つかるケースはあって、そうした場合むしろ、あなたが仰るように、絵が『本物ではあり得ない、本物らしくない』故に、否定されたり、誤って贋作という鑑定をされていたこともあるのです。画家によっては、ある時期に大変素晴らしい絵を描いていても、また別の時期には信じられない駄作を生み出していることもある。実際、フェルメール自身の絵も、晩年の作品などは最盛期の絵とは比べ物にならない雑な印象を受けます。現在ではあまり高く評価されていない同時代の作家の作品のほうが、遥かに完成度の高いものもある。そういった全ての真贋を定めるのは大変困難で、特にフェルメールのように神話になってしまったような画家の場合、駄作を生み出したなどということを認めるには忍びないという、評論家や一般人の気持ちが誤った歴史を作り出してきたことは多いのです。だから、あれらの絵が、新潟などから出たとして、もっとまずい絵なら却って本物らしく見えたかもしれない。しかし、実際はあまりにも素晴らしい絵だったので、却って疑う余地ができてしまったのかもしれません。皆が、慎重になり得たということです」

「それだけ巧妙な贋作を作るとしたら、その作家はかなり科学の知識にも長けていなければなりませんね」
「その通りです。しかし、逆に本当に古い絵ということもあります。一番われわれを手こずらせる贋作は、その画家の時代に極めて近い時代または同時代に、近い場所で描かれたもので、後の時代に誤って、または故意に作者の名前が書き換えられたものです。実際、フェルメールの活躍していた十七世紀のオランダの社会情勢、当時の画家たちの置かれた環境を考えても、似たような絵があったのは当然で、今でこそもったいぶって美術館に飾られているものも、ある程度の値段でオランダの市民が買うことのできるものだったわけです。フェルメールの絵が、当時の絵画界で極めて独創的だったわけがありません。実際、良く似た構図の絵でフェルメール以前に描かれた作品は幾つか確認されています。つまり、フェルメールもその時代の影響を強く受け、オランダ市民に買ってもらうために当時のブームに乗った絵を描いていたわけです。しかも、高く売るために、作家自身が、他の有名作家の名前を騙ることさえあった。贋物といっても、本物以上の価値のある物だってあるし、逆に本物でも贋物より絵画としての価値が低いものもある」

「つまり、あなたがおっしゃっているのは、あれはいずれも古い時代の贋作だったということでしょうか。発表された当時の話では、十九世紀末となっていましたが、今のお話では、もっと古い、あるいは十七世紀のオランダのものかもしれないということですか」
 江田島は穏やかな表情で真を見つめ返した。

「いいえ、あれは多少の誤差はあっても、科学的に言うと十九世紀の末頃のものでしょう。勿論、科学が証明しうるのは最後の僅かな部分でしかありませんが。一八六六年にフランスのトレ=ビュルガーの論文がフェルメールの名前を二百年ぶりに再発見したなどと言われていますが、実際十九世紀の半ばには既にフランスではフェルメールの名前はかなり知られ始めていたのです。ただ、オランダという国は、いわゆる芸術の擁護者、パトロンは、一般の市民であることが多く、フェルメールの絵は美術館よりも個人の所有になっているものが多かった。だから、多くの人の目に、特に他国の人間の目に触れる機会はなかったのです。しかし、テオフィール・トレ、すなわちトレ=ビュルガーは社会活動のため亡命を余儀なくされていましたので、他のフランス人と違い、実際にオランダ国内で絵の所有者たちに会い、絵を見る機会に恵まれた。彼の言葉を人々が信じた所以です。しかも、彼は画商としての一面も持っていた。わかりますか、絵を高く売るために彼がした『パフォーマンス』が、フェルメール再発見と言われる論文なのです。あの絵は、それ以降に作られた贋作でしょう。実際、二十世紀にフェルメールの名前を世界に押し上げ神話にまでしてしまったのも、有名な贋作事件でした」

「レンブラントの絵のほうもですか?」
「あれは、工房の作品と考えています。レンブラントは生涯に、明らかになっているだけでも三百五十点以上の作品を残しています。彼は工房を持っていましたし、かなりの浪費家で債務を賄わなければならないために、一年に十点は作品を生み出さねばならなかったのでしょう。工房で作られたもので明らかに彼の真筆でないと思われるものにも、彼はサインを入れています」

 真はいよいよ決心をして一番核心に触れた質問へ移っていった。
「他にも絵が、蓮生さんの家から見つかったようですね」
 江田島はゆったりと頷いた。
「そうですね。色々です。非常に価値のあるものから、そうでないものまで。日本画でないものは、贋作か、あまり有名でない作家のものばかりでしたが」
「入手経路については、どうお考えですか」
「さぁ、どうでしょうか」
 江田島は、先程出所が大事、と言ったことを忘れたかのように、興味なさそうに曖昧な表情をした。

 真は続けて質問した。
「あなたは、蓮生家とは縁戚のご関係ですか」
「いいえ」
 一体何の話か、というように江田島は真を見た。
「では、このようなことをお聞きしても失礼にはならないかと思いますが、日露戦争もしくは第一次大戦の頃にでも、ロシア皇帝の縁戚に当るある貴族の元から略奪された絵画が存在しているというような話を、お聞きになったことはありませんか」

 江田島は、感情のはっきりしない、落ち着いた、というよりも無関心と思われるような表情で真を見つめていた。それからゆっくりと、真をたしなめ、諭すような口調で言った。
「そういう噂が、どこかで流れているということですか」
「えぇ、そうだとしたら?」
「それで、貴方は、あれの出所を気にしておられるのですか」
 真が頷くと、江田島は少しの間目を閉じて何か考えていた。

「相川さん、でしたね。そんなことは、今のこの時点で追求するべきことではありません。それが貴方の取材の目的ならば、私はお答えするべきではなかった」
「何故です?」
「そうした古い歴史の中で行われたことに対して、今更私たちが何かを暴いて、誰かを攻撃することは決して良いことではありません」
「そうでしょうか。自分たちの先達が、それに引き続いて今自分たちが、犯しているかもしれない略奪行為に対しては、過ちと気づいた時点でそれを認めて謝罪するべきではないでしょうか」

「相川さん、それを言い出しては、現在大国が大きな美術館に所有している作品の多くについて、どこも謝罪をしなくてはならないことになる。例えばヒットラーの時代はその顕著な例でしょう。中には過去の過ちとして戻されたものもありますが、行方不明になっている美術品もあります。こういうことはお互い言いっこなし、という面があります。それがあるいはその時代の略奪行為であったとしても、もう今更、誰も元の持ち主に返したりはしません」
「それではまるで貴方が、あれらの絵を、あるいはそのどれかを本物と知りながら、故意に戻さないために偽った声明をしたように聞こえます」

 美和が、びっくりしたように自分のほうを見たのを、真は身体の左側で感じた。自分でも、そんなつもりはなかったのに、ついに突っ掛かってしまった。
「あれらは本物ではありません。それは私が、いや東京の名誉ある大学の科学的分析能力にかけて、証明いたします。世界のどこに持っていっても間違いがありません。それに、蓮生家が分家して、古い時代に荒川から村上に出たのは、交易のためです。昔は、大きな百姓の次男や三男を、その家の更なる発展のために、特に当時は北海道の松前などへ出したといいます。われわれが知っている以上に、古い時代から、鎖国の時代でさえ、日本海は大国へ開かれていた。略奪ではなく交易だとはお考えにはなれませんか」

 そう語っている江田島の目は、田舎の村役場の経理課課長の持つべき従順で善良な目ではないように思えた。まるで無知な人間を絶対的な弁論で説得し窘めるように見えた。

「ありがとうございます。もう十分です」
 美和が急に真の腕を掴み、江田島に言った。それから、彼女は真に、もう帰ろう、と小さな声で言った。その様子を見ながら、江田島がゆっくりとした口調で話しかけてきた。
「貴方がこの事を調べているのは、何か特殊な事情があるからではありませんか。取材でも、正義のためでもないでしょう」
「では、貴方が弁明する理由は?」
「弁明しているわけではありません。事実を曲げられるのは困る」
「貴方が納得のいかない事実だってあるでしょう」
 江田島は悠然とした、しかし真摯な態度で真の疑問に答えるように、言った。
「そうかもしれません。実際、私は絵画のこと以外には暗い人間です」

 そう言って、江田島は真の名刺をもう一度見つめた。
「しかし、何か新しい発見があればお話いたしましょう。この編集社の電話でよろしいのですか」
「えぇ、結構です。しかし、私が直ぐには捕まらないこともありますので」
 真が言いかけると、江田島は穏やかに笑んだ。
「本当の名刺を」
 このまま白をきり通す事もできた。井出の計らいで、その編集社に真宛の連絡があれば、回してもらえるように話はついている。しかし、既に蓮生千草のところにも素性はばれている。

 真は調査事務所の名刺を差し出した。
「新宿ですか。一体、何の調査を?」
「行方不明の人間を捜しています」
「行方不明? それがあの絵とどういう関係が?」
「一人は銀座でギャラリーを経営している私の友人です。修復師としても名を知られている。あの絵か、さもなければその周辺の絵のことを調べていたようですが、今は行方がわかりません。もう一人は十歳くらいの女の子です。父親が三年半ほど前に、『IVM』のことで誰かに脅迫文を残して自殺しました」

 一瞬たりとも、真は江田島から目を逸らさなかった。しかし、江田島は特殊な反応を見せなかった。
「IVMというとフェルメールの署名ですね。それで貴方はあれが本物ではないかと疑われたわけだ」
 納得したように江田島は真のほうを見つめた。

「大和竹流、行方不明というのは彼ですか」
 真は素直に頷いた。同じ世界に生きているのだ、名前を知っている可能性は十分にあるし、大体あの雑誌以来、誰が彼の名前を口にしてもおかしくはないわけだ。
「そうですか。随分、怪しげなお仕事もされているのではないかと、この世界でも有名な方です。貴方がどれほどその方の事を理解されているかはわかりませんが、ある意味、誰かの恨みを買ってもおかしくはないお仕事ですよ。確かに、日本画や仏像、仏具の修復では右に出るものがいないとも言われています。正教の聖画、すなわちイコンについては、世界中捜しても彼ほど造詣の深い人間はいないとも言われている。彼の師匠がイタリアでは屈指の修復師で、ルネサンス期の絵画についても、恐らくは誰にもできない修復の技法と材料を持っているとも聞いています。しかし、十七世紀のオランダとは、意外ですね。彼は、むしろダイナミズムを作品に求めるタイプの芸術家だと思っていましたが、十七世紀のオランダの作品は、彼には小さすぎるでしょう」

「でも、イコンも十分小さな宇宙です」
 美術など全く自分の範疇にない真の、呟きにも近い言葉に、ふと江田島が顔を上げた。
「宇宙?」
「彼はいつも、宇宙を蘇らせるのだと言っていました。作品の大きさなど、関係はないと思います。彼が日本画に、特に障壁画に魅せられたのは、確かにあれらは作品としては小さくはありませんが、実際の大きさ以上の宇宙があったからだと、雨の音や鳥の声、梅の香り、そういったものまで感じるからだと、そう話していました。フェルメールの絵の宇宙に、彼がそれを見たとしても、不思議ではありません」
「フェルメールの宇宙ですか。多少、誇張が過ぎる気もしますね。彼の絵は、王家や教会が金を出せなかったオランダという国の社会情勢から出ています。市民の生活という、小さすぎる宇宙ですよ。大和さんの得意とする世界は、もう少し物語性の、あるいは自然界のダイナミズムに支えられているように思えますが」






あぁ、長かったですね。お疲れ様でした。多分、全編で二番目に長い解説シーン。一番があるのかって?
はい、あるんですね。謎解きあたりに。いえ、別に謎解きというほどでもないのですが、一応「犯人」の言い訳は聞かないとね。
え? 犯人がいるのかって?
それはもう、うじゃうじゃと……(あ、言ってはいけない????)

次回は、真、糸魚川でセンチメンタルに浸る、です。
まるで浅見〇彦氏のように警察に捕まるおバカなシーンを……^^;
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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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