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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨64] 第12章 絵と女の来歴(3) 

カント オロワ ヤクサクノ アランケプ シネプ カ イサム
真が辛い時にはいつも呪文のように唱えていた言葉。
子どもの頃の唯一の友人であったアイヌ人の老人が真に遺した言葉です。
【清明の雪】からもったいぶってずっと意味を書かずに来ておりました。
いえ、もったいぶっていたわけではないのですが、結果的に今になってしまったのですね。

この回はギュッと、あれこれ絡んでいる人間たちの横顔のシルエットくらいが並んでいそうです。
そしてまたいささかセンチメンタルな真にお付き合いください。
この人、実際にセンチメンタルかどうかは不明ですが。




 何年何月頃、どういう人物が尋ねてきたかを、後から聞いてまとめた調書のようだった。真は刑事を一応睨んでおいてから、書類に目を向けた。
 一行目から、真は驚かされた。表情に出なかったかと思って、思わず間を置いてから刑事の顔を見たが、向こうは気が付かなかったようだった。

『昭和五十一年五月頃、男、外国人、身長百八十センチ、くすんだ金髪、年齢三十歳から三十五歳、保険の調査員』

 たったこれだけの説明で竹流だと決め付けるのもどうかと思ったが、この事件に似たような外国人がそうそう絡むわけがなかった。どれほど前のことであったとしても、彼の痕跡を見つけて、少しだけ落ち着いたのも事実だった。
 真は調書を取り上げて目を通した。

『昭和五十一年六月頃、男、日本人、身長百八十センチ、年齢三十歳から三十五歳、質実剛健、保険の調査員』

 竹流と似たようなイメージで日本人の男となると、今行方が知れないという寺崎のことだろうか。竹流と別々に来たということは、やはり何か複雑な事情があったのだろうか。

『昭和五十二年三月頃、女、日本人、身長百六十センチ、年齢三十歳前後、両親を探していると説明』

 こうしてわずかな単語の羅列の中に、自分と関りのある人物の表情や気配が浮かび上がると、意外にも自分が何かの真実に近づいているような気がしてきた。そうという確信はないはずなのに、深雪の顔が浮かんでいた。

『昭和五十二年十月頃、女、日本人、身長百六十五センチ、年齢二十台後半、新聞記者、両親は糸魚川の出身で自殺しているはずだと説明』

 人間は、完全な嘘をなかなかつき通せない。あの気の強そうな気配の楢崎志穂も、記者という部分ではいい加減なことを言えなかったのだろう。それともそれが彼女の誇りだったのか。新津圭一を尊敬していた、というのは、恐らく心からそう思っていたのだろう。
 だが、彼女はどうやって自分の過去を知ったのだろう。

『昭和五十三年四月、女、日本人、身長百六十センチ、年齢三十歳から三十五歳、法律事務所調査員、依頼人の両親について調べていると説明』

 この辺りから、かなり怪しいと思い始めたのか、似顔絵がついていた。知らない顔つきの女だった。しかし、かなりの美人で、右目の下の黒子が妙な色気を醸し出しているように見える。強い印象を残したのか、モンタージュ写真にあるような曖昧なムードはどこにもなく、似顔絵は妙にはっきりとした顔つきに仕上がっていた。

『昭和五十三年五月、男、日本人、身長百六十五センチ、年齢四十歳前後、公務員、義理の娘の両親とその祖父母について調べていると説明』

 これも知らない顔だった。曖昧な印象が伝わってくる、特徴の少ない顔だが、どこか気配を消したがっている人間たちに共通のムードを感じる。目つきだろうか、あるいはわずかな口元の気配なのだろうか。似顔絵を作成した誰かが、顔の特徴よりもそういった気配を写し取る技法に慣れているのだとして、だが。

 だが、確かにこれだけの数の人間が来ていれば、警察にも知らせたくもなるだろう。
「どうだ。知ってる人間はいるべ」
「いえ、これだけでは何とも言えません。それより」
 話を二十二年前に向けようとすると、刑事は机をばん、と叩いた。
「ちゃんと見るべ」
「見ました。しかし、はっきりと私が知っていると思われる人物はおりません」
「あんたの依頼人は、いるんじゃないのか」
「ですから、依頼人の事は言えません」

 結局は堂々巡りだった。真のほうもだんだん腹が立ってきて、刑事もいらいらしてきたのか、いささか小競り合いのようになり、ちょっとした言葉のやり取りが胸倉を掴まれた途端に不意に身体の接触になり、まるで待っていたようにいちゃもんをつけられた。
 いわく、公務執行妨害、らしい。険悪なムードのまま、留置場泊りが決定した。
 逃げる気もないので、どこかホテルにでも泊まらせろと言ったが、そのうち、そこまで言うならこっちから泊まってやる、くらいの気分になっていた。
 いや、どうあっても帰すつもりがないのはありありと伝わってきていた。
 
 明日こそ突き止めてやる、とどっちが刑事かわからないような決心をして、取調室よりも狭い留置場の、文字通り煎餅のような布団に横になった。文字通りのものを見るのは久しぶりだった。幸い、食事にはありつけた。あまりにもありがちなことに、ただの丼だったが、カツは入っていなかった。

 不自由なのは煙草だけだな、と思いながら天井を見つめていると、その隅の黒いシミが気になった。古い建物なのだろう。
 美和は今夜のうちに夜行で九州に行くと言っていた。
 別れ際に彼女は、先生、ちゃんと来たから安心してね、と言った。生理の話だった。

 確かに、安心したというのが本音だった。責任をとる能力の問題よりも、やはり自信がないのだろうと思った。
 彼女には親になる自信がないと言ったが、それは格好良すぎる言い訳だった。本当はもっと単純なことに、北条仁と決闘する自信がないのだ。勝てる、勝てないというよりも、可能不可能の問題であるような気がした。
 そういう意味では、一時の気の迷いとしてお互い忘れてしまうことができる、という状況が、彼女の生理と一緒にやってきたというのは、好ましいことのようだった。

 俺は、実際のところ、卑怯な男だと思った。経済的にそれほど裕福でないにしても、女と子どもくらい養っていけないわけではない。だから、恐らくは女を幸せにするつもりがないのだろう。
 それでも、このあまり清潔でない布団の上では、最後に触れた彼女の髪の匂いや感触が、まだ手や鼻に残っているような気がして、それはそれで悪い気はしなかった。

 そう思いながら天井のシミを見つめた。だんだん薄暗くなっていく時間の闇に、そのままシミも消えるように溶け入っていく。子供の頃から、自然の闇が訪れるこの時間に、ある一点を見つめているのは、好きだった。小さな頃は、それはいつも牧場の厩舎の藁の中から見る天井だった。

 草食動物である馬たちは、立ったまま極めて短いスパンの睡眠を繰り返している。彼らと一緒にいる時間が長かったからか、真もいつの間にかそういう睡眠のくせがついていた。
 いつも彼らは自分を守ってくれていて、時々その鼻先で真のいのちの気配を確かめてくれているような気がしていた。夏であれば祖父母はそのまま放っておいてくれることもあったが、大概は真夜中に起こされて部屋に連れ戻された。

 祖父の背中に負われて厩舎から出た瞬間に見上げていた、更に高い天井に散りばめられた大天界の星。
 あの星々を思い起こすと、どうして自分はあの穏やかな世界を捨ててきてしまったのだろうと思う。最後にあそこへ帰るチャンスを捨てたあの時を、今もどこかで後悔しているのだろうか。

 ふと、小さな頃に曽祖父の残した蔵書のアンデルセンの物語をこっそり読んだ日の、言われもない恐怖を思い出した。
 真を育ててくれた祖父母は、格調高い海外の文学などは異次元の物語と思っていたのか、真への子守唄代わりは、あくまでも民話と民謡だった。

 相川の一族は、歴史を辿ると高知の坂本龍馬の甥である直寛が北海道の地に入植した際には主従関係であったようだった。その後どういう事情か行動を別にして、今の浦河に落ち着いた。
 曽祖父は直寛と同じクリスチャンだったが、その子供たち三人は、真の祖父の長一郎を含めて誰も洗礼を受けなかった。特に祖父は、若い頃に蝦夷の歴史やアイヌの風俗に傾倒し、東北や北海道の風土をこよなく愛した。
 三男の弘志がアイヌ人の娘を嫁にしたいと言ったとき、長一郎が周囲の反対を理解しながらもその結婚を受け入れたのは、彼自身の思想や理想に感情が横槍を入れることをよしとしなかったからなのだろう。

『あなたは先住民族との共存という理想を語りながらも、いざ結婚となると、それは話が違う、というわけか』
 そのアイヌ人の長老の言葉に、祖父は意地でも応えたかったに違いない。

 ただ、真が混血といういうことで受けてきた孤立感を傍で見ていた祖父母が、それなりに苦しんでいたことは、真も、弘志もよくわかっていた。
 それでも、真は弘志の嫁になった女性を好きだったし、側で見ていて彼らが幸せになろうと懸命に闘っている姿には憧れの気持ちを抱いていた。
 だが、一方では、自分の両親が何故、叔父夫婦のように、息子も含めた幸せに対して貪欲に希望を抱いてくれなかったのか、それを思うと孤独感が募ることも事実だった。
 祖父は、三男夫婦が真を養子にしたいと望んでいると聞いたとき、真に決めさせろ、と言ったという。

 複雑な祖父の感情は、とりあえず海外の文学などもってのほか、というような教育方針となって幼少期の真に降りかかっていた。真自身も、近くに住むアイヌ人の老人のところが唯一の遊び場となり、今自分が生きている周囲の世界をありのままに受け入れること、そして生物にも無生物にも、この世にある全てのものには神が宿っていることを学んだ。

 だがその一方で、曽祖父の蔵書の背表紙の格調高い香りは、ほんの少し憧れにも似た気分を起こさせた。
 あの時、自分は一体いくつだったのだろう。あの本は絵本ではなかったから、それが読めたということは、小学生にはなっていたはずだ。だが、イメージの中に浮き上がった自分自身は、随分幼かった。

 明らかに子供向けの本ではなかったので、内容をよく理解できていたわけではなかった。
 しかし、人魚姫の物語を読んだ時、恐ろしくて震えてしまい、その日は出された食事まで吐き出してしまった。
 愛する者の為、美しい声と穏やかな海の底での暮らしを捨てて、人間の姿となりながら、やがては愛を成就できずに海の泡となってしまう物語の、哀しい残虐性を、真は敏感すぎるほど敏感に汲み取った。
 その本には挿絵があって、最後のページには、泡となって消えていく妹を、哀しげに見遣る人魚たちの儚い後姿が海に浮かんでいた。

 幾晩もその物語が頭の中を巡って眠れず、怯えて夢の中でも泣きじゃくっている子供を、祖父母はどうしたものか持て余していたのだろう。彼らが呼んでくれたのか、アイヌ人の老人が訪ねてきてくれた。それから彼とどんな話をしたのか、真自身は覚えていないが、彼は暫くの間真の側にいてくれた。

 だが、彼が帰っていく日に言った言葉だけは、今も耳の奥に残っている。
 カント オロワ ヤクサクノ アランケプ シネプ カ イサム

 彼は、飛龍がお前を守ってくれる、とそう言った。彼が亡くなったのはそれから間もなくのことだった。
 それなのに、飛龍が迎えに来てくれた時、真はついていかなかった。自分を守ってくれると予言されたものを拒み、別の手を取ったのだ。
 あの瞬間から、運命は人魚姫の物語のように残虐な結末へ向かって転がり始めたのかもしれない。今更、どうしても元には戻れない。

 そして今は、その別の手さえ、ここから失われようとしている。
 三年半前。竹流はこの新潟で何をしていたのだろう。その前の年、確かに彼はソ連に出掛けていた、そしてイコンを追いかけて、ウクライナで何かがあって、彼は新潟にやって来た。

 深雪の過去だけではなく、竹流自身の過去も、真はすっかりは知らなかった。一緒に住んでいる今も、彼の生業の半分も知らないのではないかと思う。確かに、竹流の実家に連れて行かれたことはある。田安から彼の実家の事情を教えてもらったこともある。しかし、実感のない話だった。
 どれほど竹流の実家が複雑な事情を抱えた立派な家であろうとも、それが今の彼をどのように定義づけているのか、彼にとってそういった事情や仕事と、そして沢山の仲間や女たちはどういう意味を持っていて、その中で自分は、一体彼にとってどういう存在なのか、言葉で確かめたことは一度もない。

 せめて、背中の火傷のことくらい、知っていてもよかった。

 天井のシミはもう闇の中へ消え入っていた。
 真も短い眠りに落ち込んでいった。

 カント オロワ ヤクサクノ アランケプ シネプ カ イサム
 それは、天から役目なしに降ろされたものはひとつもない、というアイヌの言葉だった。






言ってしまえば簡単な言葉ですが、大切な大切なアイヌの教えです。
だから彼らはイヨマンテでクマを天に送り、自然のもの全てに神を見出し、自分たちもまたその一部であると考えるのでしょう。
全ての生きとし生けるもの、あるいは物であっても、意味があってこの世に天から降ろされたのです。
アイヌの老人は真に、お前もそのひとり(ひとつ)であると告げていたのです。

次回は、竹流の恋人(のひとり)、添島麻子刑事と真のやり取りです。
お楽しみに。
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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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コメント


拍手コメントK様、ありがとうございます!!

拍手のページを見ておらず、今、頂いたコメントに気が付きましたm(__)mm(__)m
すみません、そして、ありがとうございます!!

小説にコメントを頂けるのは、本当に嬉しいです。
ここのところ、また迷っていて、悩んでいて、これはやっぱりブログで公開する小説ではないのかも、とか、下手な文章だし、勢いで書いてるから設定もあれこれ甘いし、突っ込みどころ満載だし、とかあれこれ。
でも、気持ちを込めたところに引っかかって頂けたコメントを頂けると、本当に励みになります。

この物語の主人公は、都会に馴染めない、というよりもニンゲンに馴染めないくせに無理しちゃっている人で、その背景にあるのがアイヌの人たちの自然観や人生観で、これが表に出てくるのはもう少し先なのですが、彼の人生の中では現実のこの世界は大きな違和感なのです。彼の叔父さんがアイヌの女性と結婚しているという設定は、何度か北海道を訪れているうちに自然に湧き上がってきたものでした。いえ、彼が浦河の出身と決まっていた時…つまり始めからそういう背景があったように思っています。
本当は、そのおじさんの娘を主人公にした話も書きたいくらいなのですが、まだ勉強不足です。

アメリカンインディアンの遺跡や村を訪ねた時も、彼らの今生きている場所(それは決して後から来た民族とは切り離せない)と過去の歴史を知るにつけ、考え込んでしまいました。でも、彼らが立っている大地は大きい。この地球の息吹をそのまま彼らが感じているからかもしれません。
今、日本の中の先住民族である人たちはいわゆる倭人(と彼らは言う。倭人・日本人が何かと言うことを言い始めるともう泥沼になるので、一応区切ります)との共存の中でどういう思いを抱いておられるのか、もうそんなに気にしなくてもいいんじゃないの、と思っているのは倭人のほうで、やっぱり彼らには彼らのアイデンティティがあって、そこは踏み込めない世界なのだろうと思います。
でも、たぶんこの真は、血管を巡る血は日本人と西洋人の混血ではありますが、思考を巡る血はアイヌの人たちの教えを受け継いでいるのではないかと思いながら書いています。

ありがとうございます。
ブログにあるまじき長さと、勢いなくだらだらと続く重い話……自分自身は何年も前に書きあげたものなので、少し離れているのですが、想いは変わらずで……もうちょっと頑張ろうかな、と思えました。
これからもよろしくお願いいたしますm(__)m

彩洋→K様 #nLQskDKw | URL | 2013/07/13 10:43 [edit]

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