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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【8888Hitリクエスト・短編】人喰い屋敷の少年・(3)人を喰らう屋敷 

limeさん
連休もあと1日。10月と11月に大会やら仕事の集会があるため、三味線三昧(練習場所が遠くて、帰ってきたらばたんきゅう)+お仕事+庭掃除の週末です。
さて、『人喰い屋敷の少年』(3)です。ついに、飲み屋の常連たちと共に屋敷に侵入した真が見たものは?
寄り道ついでに、唐沢所長まで登場しちゃいました。お楽しみくださいませ(*^_^*)
ちなみに第1・2話はこちら→(1)カグラの店(2)夫の死を願う女

登場人物
相川真>大学を中退し、唐沢調査事務所に勤めている私立探偵見習。子どもの頃の遊び相手はコロボックルという不思議青年。3年ほど前に崖から落ちて生死の境をさまよってから、ますます霊感に磨きがかかっているという噂もあり。
カグラ>真の上司・唐沢が出入りする三畳酒場の女主人。本人がホラーのような存在。
作家>カグラの店の常連。本当に小説家かどうかは不明。真を観察して小説のネタにしようとしているらしい。
教授>カグラの店の常連。何の教授か、本当に教授か不明。おっとりとした声で理屈を言うのでそう呼ばれている。
窓さん>カグラの店の常連。いつも酔っ払っているサラリーマン。
松岡綾>真の依頼人。夫・松岡圭吾の生死を知りたいという。
ルカ>「人を喰らう屋敷」で真が出会う、猫を抱いた少年。(なかなか会わないなぁ^^;)
唐沢>真の勤め先『唐沢調査事務所』の所長。戦時中は十代、その後アメリカにも長く住んでいた、傭兵あがりのおっちゃん。ギャンブルと酒と女が好き。ちゃらんぽらんだが、どこか憎めない。



【人喰い屋敷の少年】(3)人を喰らう屋敷

 人喰い屋敷、あるいは幽霊屋敷と呼ばれるのだから、もう少しそれらしいものを予想していた。少し傾いた木造の古い日本家屋か、蔦の絡まる鱗屋根の洋館か、映画のセットになりそうなそんな屋敷だとムードがあっていい。
 だが、実際に今、目の前にあるのはそこそこ立派な一軒家ではあるが、洒落た洋館でもなければ、料亭のような日本家屋でもない。建て替えの時期を逸した古い家、というだけのようだ。

 周囲の家屋とのバランスが特に悪いと言うようにも見えない。この辺りは少し裕福な層の人間が暮らしているようだ。両隣の家には灯りがともっているので、この家だけが暗く沈んで見えた。
 敷地は二百坪ばかりありそうで、道路に面した側には大人の背丈ほどの門柱と、車が入る幅のすっかり黒ずんだ木の扉があった。扉はぴたりと閉められている。その先には短いアプローチがあるようで、建物までは少し先に見えている。手入れをされていないためか、庭の木々の枝が暗い空を背景に無造作に伸びていた。
 噂通りの『人喰い屋敷』なら、あの枝が伸びて人を掴み上げるのだろう。

「作家」の手招きで人喰い屋敷を通り過ぎ、一本先の道を曲がり、更に曲がって細い路地に入る。路地にも家が並んでいるが、こちらは表通りよりも幾分か小さ目の家ばかりだった。
 やがて「作家」は、その家と家の僅か六十~七十センチメートルあまりの幅の中に入っていった。

 道のような道でないような隙間の両側には、柵も塀もない。両側の家の壁があるだけだ。他人様の家の敷地ではないのかもしれないが、何のための道だろう。いや、人間のための道と言うよりも猫のための道に見える。隙間に入ってすぐのところに、左手の家の壁に凭れかけるようにして、自転車が停めてあった。

 確かに「作家」の言う通りだ。この東京という町は、いつも見ている風景に溶け込んでいるが、中身の分からないブラックボックスに満ち溢れている。外からは違和感はないが、閉じられた箱のように見える普通の民家も、きっちりと閉められ何の表記もない、誰が使うのか分からないビルや地下街の扉も、見慣れた風景だが、その中身を誰も知らない。
 この家と家の間の隙間は、閉じられた場所に繋がる小さな綻びのようなものかもしれない。普段は誰も入ろうとしない。他人様の土地かも知れないし、昼間にこんなところを見咎められたら、警察に報告されるかもしれない。

 だが、夜に紛れた酔っぱらいの「冒険者」たちの逡巡は、一瞬のうちに風に飛ばされてしまったようだ。
 一旦足を止めて奥を窺った「教授」も、「作家」の後に続いて隙間に入っていく。こんな盗人まがいの行動をとる時にも、まっすぐ伸ばした背中は変わらなかった。何か思うところでもあるのか、「作家」の行動を見張っているかのようにぴったりと離れない。

 真は「窓さん」と顔を見合わせた。「窓さん」の顔は暗がりの中ではよく見えなかったが、白い歯が浮かび上がってへらへら笑っているように見えた。危機感も恐怖感も消してくれる、何とも有難い酔っぱらいの顔だ。
 結局先に「窓さん」が細い道に入っていった。酔っぱらっていたためか、自転車に軽く接触して音を立てる。小さな音だったが、真は思わず両脇の家の二階の窓を見上げた。
 明かりはついているが、家人が動く気配はなかった。

 三人の背中は既に見えなくなっていた。
 まるで、秘密基地への近道を知っている仲間について行く子どものようだと思った。
 子どもの頃の真にも、秘密の場所は幾つもあった。春の始め、北海道の凍てついた大地から花が初めに小さな芽を出す場所、氷の下の水の音が最初に聞こえる場所、秋に初めに赤くなる木も、コロボックルたちがいつも呼び止めてくれる繁みも、友達だったアイヌの老人と真だけの秘密だった。

 だが、ここは東京の町の中だ。そして相手は自然でも幻の小人でもなく、人間という更に不可解な生き物なのだ。
 松岡綾の夫の行方不明と、噂の人喰い屋敷の関係は確かなものではない。ただ綾の口から『人喰い屋敷』と言う言葉が出たことと、真がこの言葉を聞いた記憶とが結びついただけだ。
 幽霊屋敷と噂される家屋敷がこの都内にどれくらいあるのかは定かではないが、ひき逃げ車両を追跡する場合よりは件数は格段に少ないことは確かだろうし、綾自身が確かな場所を知らないと言うのなら、ひとつずつ当たってみるしかない。

 真が三人を追って隙間を入っていくと、真っ暗な先は行き止まりになっていた。左右に「道」が分かれている。道と言っても、家と家の裏側同士が向かい合った、さらに細い隙間のようなものだ。隣接する建物との距離に関係しているのか、何か元々の土地の形によるのか、あるいは建築法や消防法に関係する理由なのかもしれない。
 先を行った三人は、左側の狭い通路に立っていた。ここが丁度『人喰い屋敷』の裏手になるのだろう。

 もともとしっかりとした塀があったようだが、壊しかけて何かの事情でやめたのか、塀の一部が崩されていて、代わりにその部分にだけ味気ない緑色の金網のフェンスが設えてあった。
 いや、色に気が付いたのは「作家」が手にした小さな懐中電灯のお蔭だった。闇の中で、緑色の金網だけが現実のものとして浮かび上がる。

「作家」は「教授」に懐中電灯を預けて、フェンスの前に屈み、何か作業を始めた。すぐに「教授」から懐中電灯を受け取り、身を屈めてフェンスの先に入っていく。フェンスの一部は始めから切られていたのか、捲れあがって、人一人通れるようになっていた。
「教授」は躊躇う様子もなく、そのまま身を屈めて隙間を潜り、「作家」について行く。「窓さん」も、何かを確かめるように真を振り返ったが、そのまま続いた。

 真は一旦辺りを見回した。と言っても、背中側には少し小さな民家の壁があるだけで、真の左右に伸びる狭い通路の先は、暗がりに塞がれていてどこへ続いているとも知れない。できれば昼間に来たかったと思ったが、案内人である飲み屋の常連が活動できる時間は、夜に限られているのだろう。
 結局、真も『人喰い屋敷』の敷地へ足を踏み入れた。

 敷地内は自発的な明かりはひとつもなく、暗闇の中で建物の位置が分かる程度で、背が高く、手入れされずに繁った木々で覆われていた。空と木々は黒の色合いの差だけで境界が示される。先に入った「作家」と「教授」の姿は見えなかったが、「窓さん」が何かにぶつかっているような気配だけが伝わってきた。
「作家」が持つ懐中電灯の明かりが微かに揺らめいて遠ざかっていく。

 真は目を閉じた。開けていても閉じていても、闇の気配は同じだったが、見ようと思わない分だけ聴覚が冴え渡る。そして、いわゆる第六感というやつも。
 湿気を含んだ風の声。足元で小さく渦を巻いている。建物の方からは何の気配も感じない。ただ隣家の家から水音が聞こえる。それから微かに赤ん坊がむずかるような声。遠くを行く車の音。じりじりと、虫か何かが唸っているような声もする。

 先を行った三人の足音は湿った地面に吸収されているらしく、気配さえはっきりしない。
 時々、カタカタと何かを揺するような音が混じるので、その音だけが自分の他にも誰かがこの空間にいることを確認する手段だった。彼らのうちの誰かが建物への侵入を考えているのかもしれない。

 真は目を開けた。すでに懐中電灯の明かりは視界から消えていた。
 そして一歩を踏み出そうとしたその時。
 微かにではあるが、はっきりとした声が聞こえた。
 はっきりと、というのは語弊がある。声が壁や何かに遮られていない、というだけのことだった。何を言っているのかは聞き取れない。だが確かに人の声だった。
 しかも複数の。
 先を行った三人が会話をしていると思わなかったのは、その一方の声が聴き覚えのない声だったからだ。いや、声と言うよりも気配、かもしれない。

 思わず足音を忍ばせていた。地面には枯れて落ちた葉が腐葉土としてクッションの役割を果たしていた。枝でも踏まない限り、音は吸収されてしまう。まるで自分の存在さえ危うい暗がりの中を、真っ黒な建物へ向かって歩いていく。家屋は巨大な壁にしか見えなかった。
「……えから……抜け出したんだ?」

 確かにそう聞こえた。低く押さえ込んだ声が、自分の知っている誰かの声かどうか、判別はできなかった。だが、その瞬間、真の足が枝を踏み割った。
 息を呑む気配は自分のものだったのか、会話をしている誰かのものだったのか、ぱたりと声が止み、がさがさと何かを掻き分けるような音がした。この闇の中に紛れ込んで初めて聞く、大きな音だった。それにしても一瞬先には闇に吸い込まれてしまい、逃げ去るような湿った足音もすぐに静寂に飲み込まれた。

 追いかけようとした訳でもないが、真は会話の聞こえていた方に歩いた。速く歩こうにも足元が不安で探りながらしか進めない。家屋の角を曲がろうとして、誰かにぶつかりかけた。
「おや、これは探偵さん」

 声は「作家」のものだった。いつもの少し神経に触る高めの声を、幾分か押さえている。手に懐中電灯を持っているはずだったが、明かりを消していた。
「建物はどこも施錠されているみたいですね。しかも暗すぎて、肝試しにもならないようだ」
「作家」は辺りを気にするような素振りを示した。
「あの二人はどこに行ってしまったんでしょうね。下手にうろうろすると食われるかもしれないのに」

 真は闇に慣れ始めた目で「作家」の横顔を確かめた。ふと見やると、隣家の二階の窓がここから見えている。カーテンを通して微かに漏れる光だけでも、暗がりでは道しるべのようだった。
 その時、確かに何かに気を取られた、あるいは何か大事なことを感じ取ったのだが、真の思考と言葉を止めたのは、唐突に目に入った二つの光だった。いや、「作家」の目がその方を向いているような気がして、その暗闇の方を見たのだ。
 黄金に光るような二つの光。じっとこちらを窺っている。

 シャーロック。
 囁くような声が、微かに聞こえた。
 若い、いや、まだ子どもの声だ。
 瞬間に、二つの光は、がさりという枝をかき分けるような音と共に、闇の中へ掻き消えた。

「聞きましたか? どうやら、少年と猫が出たようだ」
「作家」が真の耳に囁きかける。耳にかかった息が湿っぽく、耳の中の細かな産毛まで逆立った。さっき誰かと一緒でしたかと聞きかけて、真は少し考え、言葉を呑み込んだ。


「人喰い屋敷ぃ? 行ってみたのか? 出たのか?」
 唐沢は昨夜のギャンブルが好調だったのか、機嫌がよかった。
 朝まで事務所で飲んでいたらしく、真が出勤した時にはテーブルには焼酎の瓶、倒れたグラス、床にもゴミが散らかっていて、当の唐沢は接客用のソファから落ちそうになりながらも、器用な格好で高いびきをかいていた。
 はっきりとした歳は知らないが、戦争中に十代だったというから、四十代の半ばは過ぎているかどうかというところだろう。とはいえ、外観からは全く年齢不詳で、若くも見えるし、こうして酔っ払って寝ていると、より歳をとっているようにも見えた。

 エロ本にも煙草のヤニにも慣れたが、酒の臭いだけには慣れることができそうもない。真は直ぐに窓を開けた。
 起き出した唐沢に、コップに入れたあまり冷えていない水を渡す。それから、ソファにぐったりともたれかかって、聞いているのか聞いていないのか分からない唐沢に、昨日の依頼人の報告を済ませた。

「出ませんよ。そもそも何も感じませんでした」
「おぉ、お前さんの妖怪レーダーには何も引っかからなかったってぇわけだな」
「何ですか、妖怪レーダーって」
「出たら、髪の毛がぴぴぴ、って……」

 ゲゲゲの鬼太郎じゃあるまいし、しかも妖怪じゃなくて幽霊屋敷じゃなかったか。どっちでもいいけれど(いや、その道の識者にとっては妖怪と幽霊はまるで別物だろうけれど、真にとってはどうでもいい)、俺は妖怪や幽霊の探知機ではない。それに、人を喰うのなら、幽霊じゃなくて、もしかしたら妖怪が正解かもしれない。
 唐沢は大きな欠伸をして、首の後ろを掻いた。それから立ち上がり、真面目な顔をして立ったままの真に近付いてくる。

「で、どうよ? 美人だったのか、その依頼人」
「所長の好みかどうかは分かりません」
「お前の好みのタイプか?」
「特に好みのタイプはありません」
「お前さ、この間紹介したミサキちゃんとはどうだったのよ。あの子、いいだろ? 胸もむちむちばーんで、如何にもあげまんって感じでよ」
「別にどうもしません」
「ホテルには行ったんだろ? 良かったか?」

 真は返事をせずに、肩を抱こうとする唐沢をするりと躱した。唐沢とはまともに向かい合って話さないほうがいい。そもそも九十パーセントくらいは真をからかっている。
「ミサキちゃんは良かったって言ってたぞ。あっちの相性は悪くないようじゃないか。だがよ、俺はね、お前がどう思ってるかってのが大事なわけよ」

 唐沢の雑言・暴言は完全に無視して、真は書棚から地図の本を取り出した。
 使い込まれてぼろぼろになっているが、この事務所には年代ごとの東京都内の詳細な地図帳が、図書館並みに揃っている。問題はこの乱雑な放り込まれ方だ。
 もっとも、真もそろそろこの無秩序の秩序に慣れ始めていた。乱雑だが、下手に片付けたら余計に場所が分からなくなる。この乱雑な突っ込まれ方の中にも、ちゃんとルールがあるのだ。事務所の人間以外の誰かには、絶対に分からない秩序だ。

「お前はさ、ああいうダイナマイト系の明るい子と付き合うべきなんだよ。けど、お前、薄幸な美人に騙されるタイプだからな」
 時々、唐沢がまともなことを言っているような気がするのだが、大抵は一瞬のことだ。
 しかも、この酒臭くて崩れたおっさんのどこがいいのか、街に集まる女の子たちは唐沢のことを結構頼りにしているようなのだ。唐沢が真に女の子を紹介するのは日常茶飯事のようになっているのだが、いちいち女の子たちは唐沢に結果を報告する。後からあれこれ言われるのが煩わしくて、高校生の時から付き合っていた彼女と別れてからは、何回かに一度は唐沢の言うままに付き合うようになっていた。
 もっとも恋愛に必要不可欠とされる面倒な過程は大概かっ飛ばしているので、大方は直ぐにふられる。女というものは鋭くて、真にその気がないことがすぐに分かるのだ。

「しかし、あのおっかない彼氏に見つかったら、いつか刺されるかもなぁ」
 真は無視した。

 唐沢が「彼氏」と言ったのは、真の元家庭教師で、父親が失踪してから真と妹の親代わりをしてくれている男のことだ。何かを知っているのか、いや、適当に言っているだけだろうが、真の「彼氏」だと勘違いしている。かく言う真の方も、「彼氏」ではないと訂正したのは最初の数回だけだった。大体、唐沢は真の話など全く聞いていないので、何度も訂正するのが面倒臭くなってしまった。
 何より、真のすることにいちいち小うるさい「彼氏」が、唐沢の事務所に勤めていることを、気に入らないにしても止めようとはしない。唐沢は多分、その「彼氏」が唐沢のことをそれほど嫌っていないことを知らないだろう。

「人喰い屋敷を調べてんのか?」
 地図を机に広げた途端、背中から唐沢に覗き込まれる。
 もちろん、真はこの先の唐沢の言葉に期待していた。これもこの事務所に勤め始めてから真が獲得した処世術、あるいは事務所の秩序だった。
「そんなことはね、俺に聞きゃあいいのよ。歩く辞書と言われるこの俺様に」

 歩く辞書ではなくて、歩く情報網兼ハッタリというのが正解だ。
「幽霊屋敷って東京にどのくらいあるんです?」
「二十三区内では確かに認定されたのは三軒だな。それらしい空き家は随分あるが、幽霊が出たとか人が消えたとか確認されたのは意外に少ないだろ。世田谷の人喰い屋敷は中でもぴか一だ」
 そのあたりは話半分に聞いておく。聞いておいて自分で言うのもなんだが、大体どうやって三軒なんて断定できるんだろう。
 もっともらしい数字なのだが。

「で、その奇妙な依頼をした女は、元刑事の旦那が死んでいるかどうかを知りたいってんだろ。刑事の名前は何だって? 松岡圭吾。そんなのはちょっと調べりゃ分かるのよ。じゃ、行くか」
 また唐沢が大欠伸をした。ぼさぼさの髪をそのままに、よれよれのポロシャツの腰の隙間から手を差しいれて背中を掻き、ベルトを締め直しただけで、真を促して事務所を出る。
 この男の辞書に「身だしなみ」という言葉はないらしい。

 依頼料のことは適当に誤魔化しておいた。唐沢が起きる前に引き出しの奥の方に隠したが、今度は事務員の女の子が見つけてしまうかもしれない。もっとも、この事務所には金銭の価値が本当に分かる人間はいないのだ。貧しい方向へも裕福な方向へも、感覚が麻痺している。

 唐沢が最初に向かったのは江戸川区の警察署だった。いつものように、入口の警察官に知り合いのように手を挙げて、自分の家のようにすたすたと中に入っていく。何故呼び止められないのか、真は何時も不思議なのだが、あまりにも自然で毒気を抜かれるのかもしれない。
 唐沢と真が入口のドアを潜ってから署長室のソファに座るまで、僅かに五分余りだった。受付で唐沢が署員に何を耳打ちしたのか、真は何も知らない。

「松岡圭吾……あぁ、確かに」
 署長は椅子の座りが悪そうに見えた。
 唐沢に確認したところで、なに、いつもちょっと面倒をみてやっているんだと言うに違いない。そら恐ろしい男だと思う面もあるのだが、表面的にはだらしなく人懐こく、そして『脅し』にしても底は浅そうだった。だからこそ、相手も適当にあしらって適当に情報を提供して、さっさと追い払ってしまうのが得策と思っていられるのだろう。
 そのあたりの加減が上手いのだ。本気で脅迫はしない。

 もちろん、こういう場所に来れば、真のほうも、警察はちゃんと失踪人調査をしたのか、などと確認するような、余計な口を挟まない。ここは唐沢に任せるに限る。
「何でもろくな刑事じゃなかったそうだな。あんたたちも大変だよなぁ」
「前の署長の時代の話だ。松岡を捜しているのかね」
 署長の声は幾分か緊迫していた。唐沢が何を言い出すのか、さすがに用心している。

「いや、捜しているんじゃないんだな。そいつの奥さんがね、多分そろそろいい人でもできたんだろうねぇ。ま、あと一年も経たないうちに死んだことにできるんだから放っときゃいいはずなんだが、もしもだよ、新しい男と懇ろに暮らしてて、万が一生きていた元旦那が帰って来たらさ、どんな修羅場になるか分かったもんじゃないだろ。怯えてるんだよ。だからね、知りたいのは生きてるか死んでるかだけなんだ。ま、事件が起こるまでは動けないってのはわかるけどさ、ここは人助けと思って、いや、事件を未然に防ぐ正義の警察官としてだね、ちょっとヒントをくれないかなぁ。可哀相な女なんだよ」

 話を聞きながら真は改めて感心していた。なるほど、そういうことなのかもしれない。唐沢は真から話を聞いただけだが、女の心情を読めない真とは違って、あっさりと松岡綾の本音を言い当てているのかもしれない。
 真は綾の憔悴した化粧っ気のない顔を思い出した。
 いや、憔悴していたのか、あるいは内側では夫とは別の男との恋に身を焼いていたのか。

「ま、確かに」
 署長は何かを思い出すふうだった。
「松岡圭吾は別の署で私の部下だったこともある。奥さんは美人だったよ」
 唐沢はどこまで知っていてここに来たのか。綾の住所からだけではなかったに違いないと真は思うのだが、唐沢の勘働きというやつはちゃらんぽらんに見えて実に鋭い。これがギャンブルにも活かされているのだろう。

「これは噂だがね、奥さんの浮気を疑って、よく酒を飲んでは暴力をふるっていたようだった。当時松岡が組んでいた真田って奴と奥さんの浮気も、疑っていたことがあるようだ。ヤクザ相手にも恐喝まがいのことをしていたようだから、殺されてドラム缶に詰められて東京湾に沈められていたとしても、誰も驚かんよ」
「松岡が遊びまわっていた場所はわかるか?」
「あぁ、それなら田代に聞きゃ、分かるだろう」

 田代と言うのは、当時、松岡圭吾失踪の調査をした刑事だという。一応の調査はされたようだが、結局所在が掴めず、一方で誰もが「あの男ならヤクザの手で東京湾に沈められていても当然」と思っていたので、ある程度のところで手を打ったのかもしれない。
 田代は刑事を辞めて、新宿で喫茶店をやっていた。

(4)女の事情と猫を抱いた少年、に続く。




遊びすぎちゃった。本題から離れないように、でもちょっぴり唐沢の紹介も兼ねて(本編では刑務所の中なので、あまり登場できないし^^;)、遠回りしています。こんな道草も楽しんでいただければと思っている間に、だんだん長く……(あぁ、いつものことね、と思ってくださってありがとうございます!)←先に言っとく(#^.^#)
でも、一応「承」には入りました。
limeさん、何だか長くなっていてすみません……(@_@)

今の時代なら、臓器を切り出して跡形もなく、ってことなんでしょうけれど、この時代はまだドラム缶で東京湾^^;
書類や本の整理も、PCなどなくて、ね。ワープロはあったかな。

次回は、『人喰い屋敷』の中にまで侵入します(*^_^*)

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Category: ★短編(1)人喰い屋敷の少年

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コメント


こんばんは。

日常の中の非日常、現実の隙間に潜む非現実、こういう裏道や路地、或いは暗渠上の通路なんか、サキはとても好きです。
しかも暗がりの中、人食い屋敷への侵入ですからちょっとドキドキしました。この仲間との行動ですからなんとなくコミカルな雰囲気だったのですが、二つの光あたりから謎がいっぱいです。シャーロックって?少年と猫?
展開を待たなければならないのかな?

唐沢の酸いも甘いも噛み分けたような大人の雰囲気、素敵なんですが、同時に酒と煙草の臭いまで感じられて、サキは少し顔を背けてしまいます。ああ、煙草臭い……。
真のやっていることを黙って見てられないんだろうな。“ちょっと見ていな”という雰囲気で動き出した後の仕事の速さ、いい加減に見えて伊達に経験を積んでないのがよく分ります。
私立探偵!っていう感じがとてもよく出ていました。
大人の悪(ワル)の感じ?
こういうの書いてみたいです。

いよいよ内部に侵入ですね?やっぱり待ちます。

山西 サキ #0t8Ai07g | URL | 2014/09/15 18:56 [edit]


これはどんどん、大掛かりな物語になっていきそうですね。
唐沢が出て来ちゃったらあと一回や2回じゃ終わらなさそう(笑)
いやでも、大海さんが楽しんで書いてらっしゃるのが伝わって、読むほうも楽しいです。
あ、唐沢はちょっと置いておいて、人食い屋敷。
少年と猫の描写が出てきて、ハッとしました。
あ、そうだ、彼らが出てくるお話だったんだ!(すみません><)
でもまだ実態が出てこないですね。
このじわじわ感がいいなあ^^
真っ暗闇の屋敷の潜入調査。頼りにならない(いや、足手まといかもしれない)連中を引き連れれの探索。臨場感がすごいです。
フェンスも出てきて、わくわくしてきました。この場所、なにかあるのかな・・・。
この調査の続きは後日なのですね?またこの面子で探索??
行方不明の不良刑事は、いったいどこで絡んで来るのか。
少年と猫は実体なのか幽霊なのか。
まだ予想がつかないので、続きを待ちますね^^
(あ、唐沢を置いたままだ!)

話半分に聞いていたほうがいい唐沢の忠告ですが、カラッとした明るい女を選んだ方がいいよっていう意見は、ちょっと聞いてもいいかも!真!

lime #GCA3nAmE | URL | 2014/09/15 21:29 [edit]


サキさん、ありがとうございます(^^)

> 日常の中の非日常、現実の隙間に潜む非現実、こういう裏道や路地、或いは暗渠上の通路なんか、サキはとても好きです。
そうそう、サキさんは確かにそんな不思議を愛する人だと思っていました!
私は友人とよく東京散歩をするのですけれど、東京ってすごい新しくてでかいビルの横に古い民家の並ぶ町があったりするじゃないですか。あれはもう、その状況だけで「隣は未知なる世界」ですよね。
実は異世界もののファンタジーはとても書けないのですけれど(状況設定が面倒くさくて^^; 昔はしてたのに……多分若いころはもうちょっと頭が柔らかかった)、こういう現実の中の非現実、真シリーズはそれが散りばめられた話かもしれません。なにせ、ふざけたミステリー、真剣じゃない探偵小説、でも物語としてはとてもシリアスで心に迫るものを、と思って書いております。

この連中も、本当に当てになりませんよね。真はあれこれ確認しながら侵入したのですが、いつの間にかおいていかれてるし。二つの光は、ねこちゃんの黄金の目、なのですが、何でシャーロック?? 
えぇ、もう単純に、ミステリーっぽい名前を付けてみました。
え、と、ネタバレでも何でもないので、普通に猫ちゃんの名前。でも聞き違いなのですけれど。

そして。
私の話にはこういうどうしようもないおっちゃんが沢山出てきます。総じて主人公以外は年齢層がやたらと高い。あ、若者もいるけれど、どちらかというと、私がおっちゃんを書くのが楽しすぎて、こんなことになっています。その中でも唐沢の造形は自分でも一番かな。どうしようもないのに憎めない、ちゃらんぽらんで、でも色気のあるおっちゃんです。
そうそう、そもそもは真を詐欺のネタにしようとしてたみたいですけど(真の父親のことで)、いつの間にか妙に可愛がっちゃってるんですよね。真の方は有難迷惑ってところでしょうけれど、それでも、本編にも出てきますけれど、真は唐沢はぶれない、だから信用できると思っているんですね。
煙草クサいし酒臭いし……多分昭和のあの時代にはそんなおじちゃん、いっぱいいましたけれど、最近はみんな小奇麗になりましたよね。人も、町も。
> 真のやっていることを黙って見てられないんだろうな。“ちょっと見ていな”という雰囲気で動き出した後の仕事の速さ、いい加減に見えて伊達に経験を積んでないのがよく分ります。
> 私立探偵!っていう感じがとてもよく出ていました。
> 大人の悪(ワル)の感じ?
> こういうの書いてみたいです。
ありがとうございます! やっぱり寄り道して良かった。サキさんにそう言っていただくととても有難いです。
可愛い女の子が一人も出てこない今回のお話。でも、見捨てないでくださいね^^;

> いよいよ内部に侵入ですね?やっぱり待ちます。
はい。待っててくださいね(*^_^*) 今度こそ、少年の登場です(*^_^*)
コメント、ありがとうございました!!

彩洋→サキさん #nLQskDKw | URL | 2014/09/16 00:22 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

> これはどんどん、大掛かりな物語になっていきそうですね。
あはは~^^; 本当に、またやっちゃったよ。
そう、分かったんです、私!(って大袈裟な)
リクエストで真シリーズ書いちゃいかんわぁ。
やたらとあれこれ説明したくなっちゃうので、ひたすら長い。
思い起こせばあれは『幻の猫』……(遠い目)
あれもいつまでたっても終わらなかった……(すこぶる遠い目)
そしてまた今回も……でも今回はあれよりはすっきりしたお話なので、そんなには引っ張りません。
比較的あっさりと、先へ進むはず!
ただね……
> 唐沢が出て来ちゃったらあと一回や2回じゃ終わらなさそう(笑)
そうそう、そうなんですよ。唐沢がね……絡むんですよ、話の筋とは関係のないことで……(笑)

> 少年と猫の描写が出てきて、ハッとしました。
> あ、そうだ、彼らが出てくるお話だったんだ!(すみません><)
そうそう、そのために書いているんですよ!
あぁ、せっかくのlimeさんのイラストが~~~いつまでたっても登場できない!
でも大丈夫。次回こそ、そんなシーンです(*^_^*)
フェンスも出てきます^^; そしてねこちゃんも。でもこの猫ちゃん、シャーロックって感じじゃありませんね。さて、どんなことになるかしら……
はい、行方不明刑事の話でしたね。うんうん。(と、自分でも改めて思いだす^^;)
いえ、もう流されるままに読んでください。多分、あまり大したお話じゃないので、そんなに捻っていませんし、そもそも登場人物で遊ぼう的なお話。次回もお楽しみに!!

> 話半分に聞いていたほうがいい唐沢の忠告ですが、カラッとした明るい女を選んだ方がいいよっていう意見は、ちょっと聞いてもいいかも!真!
そうそう。ほんとに、どうして美和ちゃんと……(と、また繰り返す)
でも、ままならぬのが人生なんですよね。
コメント、そしてイラスト、ありがとうございました!!

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2014/09/16 01:06 [edit]


やっぱり昭和万歳!(笑)

彩洋さん、こんばんは♪

今回も昭和の香り漂う……ってか酒とタバコの香り漂う?(笑)……素敵な小説を読ませていただきありがとうございました(*^_^*)

冒頭の『人喰い屋敷』への侵入シーンですが、本当にワクワクさせられました。
暗くて細い路地を辿っていく辺りの写実的な描写と、真のどこか不思議さを感じさせる内面の描写とが実にいいコントラストをなしていて、やはり映画を観ているような臨場感に心が躍りました。

謎の焦点となっていくような少年と猫が束の間登場したすぐ後、場面が切り替わっていくのも映画的で実に巧妙だなと感じました。

で、我らが唐沢さん登場!(笑)
おっさんだけど以外に花のあるこの人が登場してくると、物語全体に活気が出てくるから不思議です。依頼人の夫である不良刑事の顛末については、このおっさんについていけばわかっていくのでしょうか?
少年と猫、不良刑事、人喰い屋敷と、今のところ点でしかないキーワードが今後どのような形で線を描き、どのようなディテールを見せてくれるようになるのか、今からとても楽しみです♪

色々と妄想を膨らませながら、次回の更新を待たせていただきますね。
いつも魅力溢れる作品を読ませてくださり本当に嬉しいです。ありがとうございます(*^_^*)

三宅千鶴 #- | URL | 2014/09/19 23:15 [edit]


千鶴さん、ありがとうございます(^^)

あぁ、昭和同盟(?)に同意してくださってありがとうございます!
よかったぁ。この想いに?同意してくださるひとがいてうれしいです。
そうなんですよ、きっと私、あの昭和を再現したくて書いているかも、と思う時があります。古い昭和じゃなくて、少し新しい、平成になる前の過渡期の昭和。懐かしいというよりも、いつもそこにあるって感じ。
やっぱり、酒と煙草の香り、漂いますよね^^;
都会の片隅にある不思議な隙間、誰が使っているのか分からないドア、これどこに繋がるの?っていう場所、その場所に入り込んだらいきなりタイムスリップするような感覚。素敵な部分もあるけれど、ちょっと怖い感じ。これを上手く使ってお話を書けたら、といつも思っています。
まだ『人喰い屋敷』には入っていませんが、この屋敷の中にも昭和を再現したいです(*^_^*)

長編ならじっくり書くのですけれど、短編なのでさっさと画面切り替えをさせていただきました^^;
いや、突然、唐沢の声を聞きたくなった、ってのが本音です。
時々物語が行き詰ると、勢いのある人物を出したい!って思ってしまうのですね。で、美和ちゃんとか仁さんとか唐沢氏が大活躍! 私の話って、主人公よりも周りがかじ取りをしていますね……^^;
でも唐沢が事件解決をしてくれるわけじゃないので(笑)、真、自分で頑張れ!
唐沢は、ほんと、どうしようもない男ですけれど(そもそも本編では今、刑務所の中^^;)、真にとってはいい雇い主だったんじゃないかしら。そもそも探偵業のノウハウを全て教えてくれたんですから。しかも、マコトを、じゃない、真を可愛がってどこへでも連れて行っていたというあたり、ほんと、有難いおっさんです。

> 少年と猫、不良刑事、人喰い屋敷と、今のところ点でしかないキーワードが今後どのような形で線を描き、どのようなディテールを見せてくれるようになるのか、今からとても楽しみです♪
ディテール……にはっとしました。あ、あんまり深みはないかもしれません^^; でも、チラ見だけでも人生を感じられるような描写や世界を書けたらいいなぁ。めざせ、池波先生。
コメントありがとうございます。いつも力を貰っています(*^_^*)

彩洋→千鶴さん #nLQskDKw | URL | 2014/09/20 09:09 [edit]

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