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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・あれこれ】三味線の楽譜の話 

scribo ergo sumの八少女夕さんが、自習にて練習中のギターの話を記事にされていた(『ギターの話』)ので、トラックバックしてみました。

「楽譜が読めない」……私も多分、一般人としては楽譜が読めるけれど、音楽人としては楽譜が読めないです。つまり、たとえばピアノなら、楽譜を見ながら指をその音の鍵盤の上に正しく置くことはできるわけですが、楽譜を見ただけですでに頭の中で曲が鳴っているようなことはありません。
指揮を勉強しているある人が、楽譜を見たらオーケストラが鳴っていなければならない、と言っていたけれど、それはその曲を何度も聴いていて知っているだけじゃないのって思っていた不届きものです。
はい、本当に初見で楽譜を見る=音楽が頭の中に聞こえる、ってことなんですよね。えぇ、分かっています。

でも、楽譜を見て、何はともあれ一音一音鍵盤の上に指を置くことができて、それがフレーズとして繋がって、やがて繰り返しているうちに暗譜をして、楽譜を見なくても曲を奏でることができるようになる、ってことは、努力さえすれば大多数の人ができることなんじゃないかと思うのです。
する気があるかどうか、という部分では大きなバイアスがかかりますが。
これだけでは音楽家にはなれませんけど、音を楽しむことはできるようになる、かな。
多分、この曲が弾きたい、こんなふうに弾きたいというイメージさえあれば、結構頑張れるのかも、と思ったりします。

さて。
楽譜を読む話が出たので、便乗して三味線の楽譜について。
そもそも三味線は唄の伴奏をする楽器ですから、唄に合わせて弾くわけですね。
まずは、唄の方の楽譜から。
民謡の楽譜ってすごいんですよ。……何も書いてない。
黒田節楽譜
便宜上、五線紙に書いてあるだけで、その音の高さを歌うというわけではありません。この5本の線を消してもいいくらいです。お経と一緒で、上がるとか下がるとか、前の音より低いとか延ばすとか、こぶし回すとか、そのくらいしかわかりません。あとは先生次第ですね。教える人が変われば、唄い方は変わります。
右上にこっそり、男3~4本、とか書いてあるのが、伴奏する三味線などの調弦の高さ(3本の糸をどの高さに合わせるか)で、これも唄い手によってはもっと低かったり高かったりします。
要するに、絶対音感は何の役にも立ちません(いや、何かの役には立つかもしれませんが、少なくとも要りません)。

こんな民謡の伴奏の楽器ですから、三味線も自由です。要するに「唄い手の声に合っていたらいい」わけです。
御存じのように三味線は、古くは目の見えない人が生活の生業として覚えたものですから、楽譜などなかったのですね。耳で聞いて覚えて、自分なりにその音を出す。
唄う人に合わせて呼吸を数えながら、唄い手が「あ~~~」とかやたら延ばしたら、それに合わせて三味線もアドリブで「あ~~~」の部分を長く弾かないといけない。と思ったら、唄い手は急にぶちっと延ばすのを辞めたりするし。

前弾き、つまり唄の前奏の部分が長くなって、ついに三味線が独立し、曲として発展したのが曲弾きです。
吉田兄弟さんとかが三味線だけでやっているのは、さらに時代が進んで発展させた現代的な曲弾きです。
全ての(多くの)三味線弾きが自分の曲弾きを持っています。同じ曲は一つとしてありません。
ギターも同じだと思いますが、三味線には色んな技があって、技を組み合わせて曲を作っていくのです。
もちろん「節」なので、調子とリズム、そしておよその流れには決まりがありますけれど。
だから、結果として無数の「じょんから節」があるのです。

でもそれでは教える時にあまりにも不自由なので、楽譜に起こしたのがこれ。
三味線スコア
要するに、3本の線が3本の糸を表しています。上から三の糸(一番細い)、二の糸(二番目)、一の糸(一番太い)です。線の上に書いてある数字はツボ(左手の指で糸を押さえる所、いわゆる勘所……そう、勘所、なんですよ。「勘」^^;)の位置を表しています。
三味線ツボ
「ハ」ははじく=左手の指で糸をはじく、「ス」はすくう=右手に持った撥で叩いた後糸をすくう。他にもスリ(糸の上で指を滑らす)などの印があります。
そしてここには表れないのが、三味線の微妙な「間」。
例えばじょんからは叩く時、後の方で2回、前で2回(すくいが入ることが多い)、4拍子みたいなリズムです。
この後ろから前に撥を動かすときに、独特の間ができます。
この間が……難しい。この間が……命です。間がないと、のぺっとした曲になります。「津軽民謡」にはなりません。津軽っぽい「間」……それは方言を話すようなリズムらしいのですが……

コメントでの夕さんとの会話にお応えするべく……三味線の楽譜の紹介でした。
ほんとに、どんな楽器にも独特の歴史や世界観があり、奥深いですよね。

ところで、この記事は夕さんの記事へのトラックバックなので、ついでに、先日ちょっと有名になっていたらしいハプニングの映像を。
これを見て、蝶子を思いだしちゃいました。いえ、単にフルートと蝶、というだけのことなのですけど。

ついでに、すごい三味線奏者さんのじょんから節(旧節)。木下さんは茨城の人で、お前の三味線は茨城くさいと(青森県人に)言われたと本に書いておられた。

掛け合いもどうぞ。
 
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Category: あれこれ

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コメント


わあ〜

こんばんは。

ありがとうございます。
貴重なお時間なのに、懇切丁寧に解説までしてくださって!

そうか。これが楽譜なんですね。
最初、黒田節の方、西洋音楽で言う「ドレミファソ」みたいな音の名称の日本語版かと思ったら、「もしかして、これは歌詞か!」 これじゃ確かに正確にどの音かはわかりませんよね。でも、生演奏で耳でおぼえていくんですね。へえ〜、本当に生まれて始めて見ましたよ。

そして、「じょんがら節」の方はギターのTAB譜に近い感じなんでしょうかね。その弦のどこの位置で押さえるか? でも、ギターと違って楽器に横線は入っていないから、ツボとおっしゃっているその位置そのものはご自分で位置を憶えるわけですね。ほお〜。

稔も、こういうのを見たり、これで子供たちに教えたりしたわけだ。へえ〜。(超ひとごと……まずい)

それと、「音を楽しむ」の話、全く同感です。私の父は、もう亡くなりましたが「やるなら日本のトップ、いや、世界のレベルでないと意味はない」という人でしたので、子供の頃に音楽をやるのは嫌だったのです。でも、聴くのはずっと好きで。この歳になって、「絶対にプロにはならない」とはっきりしている氣楽さで、単に自分が楽しむために始められたのは嬉しいですね。というわけでこれからも「ちんたら」する宣言でした。

あ、このフルートの動画、facebookで見ました! 「フルートと蝶(笑)」という感想をどこにも言えなかったので、ここで彩洋さんに反応していただいて、すごく嬉しかったです。

さ、稔の方に肉付けするために、「じょんがら節」の動画もちゃんと観ようっと。

いつも貴重な情報をどうもありがとうございます!

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2014/10/09 04:28 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

唄の方も三味線の方も、もともと楽譜ってものはなかったのを、それでは勉強がしにくい、ということで後から便宜上作ったもののようです。ま、これで事足りているといえばそうなのですが……
まさに「絶対の音」ってのがないので、西洋の音楽をやっていた人は戸惑うみたいです。
しかもツボも、先生によってちょっと違ったりします。同じ系統の曲でも、ある先生はそのフレーズに13のツボを使うけれど、他の先生は同じフレーズのところで12を使う、とかで、先生を変えた人が戸惑ったりもするようで。
で、このツボってのがまた難しい。
いつも同じところでその音が出るとは限らないんです。湿気とか気温で皮の状況が変わったら、駒の位置を変えたりするので、それでずれちゃう。絶対ここっていう場所じゃなくて、今日はここ、っていう感じ。それどころか、演奏中にも変わってくることもあるので(照明の温度とかで皮の状態が変わったり、弾いているうちに糸の状態が変わって)、で、ときどき演奏中にきゅって糸巻を締めたりしてるんですね。とはいえ、これは難しいので、素人はしません。だって、またとんでもない音に変わっていることもあるので……
プロの人たちは、伴奏などの時には間奏でこれをやって、糸合わせ(音合わせ)をもう一回していたり。

私は、時代が時代だったので、ピアノをやっていた時期が(短いながら)あるのですが、ずっと続けていたわけじゃなくて、音楽の楽譜というものに久しぶりに出会って、おや、これは面白い、とあっさりと馴染んじゃいました。
もちろん、馴染むのと「楽譜が読める」のは別の話ですけれど^^;
でも、1フレーズをスムーズに弾けるように練習して、それがもう一つのフレーズと繋がって、だんだん長くなっていく、新しい曲を覚える時のこの単純な作業をしている時って、曲が滑らかに弾けるようになった時と同じくらいの、あるいはまた別の種類の満足とかドキドキがあるような気がします。
あ、こんなふうに繋がっていくんだと。

でも、そもそも自分の曲を持っている人などは楽譜に書いていることはないでしょうから(始めは書くかな)、要は教えるためになりますよね。
それでも教える時には、先生と向かい合って手を盗むってのが本来のスタイルのようで、耳で覚えて自分で技を探っていくという感じで、皆さん、他の人たちの手を「盗んで」自分の曲の中にアレンジしていったりしておられます。
唄の楽譜を始めて見た時、私は、これお経と一緒だと思ったのですけれど……^^; ま、和ものですから、似たようなものになるんですね。

でも、何よりも弾こうとしているその音楽を愛していること、これが大事ですよね!
そうそう、プロになるとすると、別の苦しみがあるでしょうけれど、気楽な人間は純粋に楽しいので良いんじゃないかと思います。
私も共にちんたらする同盟に加わりたいと思います(*^_^*)

あ、やっぱりフルートと蝶の動画、見ておられましたか!
そのうち夕さんが記事に書かれるかなぁと思いつつ、でもなかなか登場しないので、思わずアップしちゃいました。一人で受けていても面白くないなぁと^^;
木下さんの演奏もぜひ、楽しんでください。稔のためにも(^^)
コメントありがとうございました!!

彩洋→夕さん #- | URL | 2014/10/09 07:37 [edit]


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# |  | 2014/10/10 18:41 [edit]


鍵コメH様、あrがとうございます(^^)

和ものの音楽って本当にまさに口承なので、どんどん音が変わっていくので、曲というよりも節とよばれるのかもしれません。西洋音楽をやっている人が、この「決め所がない」ことが和もの音楽が広まらない理由だと言っていましたが、同感です。私など、どうしても西洋音楽の教育を受けてきたので、楽譜がないと不安なのですが、先生の世代の方などはまるで楽譜を持っておられません。教えるために仕方なく作っておられる、という感じです。確かに、とっつきが悪いですよね。
やり始めたら面白いのですけれど。
以前も書いたのですが、何だかフィギュアスケートなんかと似ているなぁと。技を繋げて行って曲を仕上げるという感じです。
私も聴くだけだったのですけれど、歳をとっても続けられる娯楽としてで始めました。始めてみたら結構楽しいものですね、何でも。プロを目指す人は本当に大変だろうけれど、楽しんいられる立場であることを最大限に味わいたいと思います。小説も音楽も。
「フルートと蝶」、ご覧になられましたか!
こういうのって、いいですよね。音楽ファンじゃなくても音楽の世界に注目するきっかけになりますものね。
コメントありがとうございました!!!

彩洋→鍵コメH様 #nLQskDKw | URL | 2014/10/11 12:50 [edit]

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