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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】16.岡山・楯築遺跡~岡山のストーンサークルと亀石~ 

今回は積み残していた吉備地方(岡山)の石です。
これまでご紹介してきた山の中の巨石とは少し違って、人為的に円を描くように並べられた石たちです。
その石たちはそう、ストーンサークルですね。
以前大分のストーンサークルをご紹介いたしましたが、今度は岡山。
いつものように、難しいお話は無視して、とりあえず石を楽しみに行ってしまいましょう。

実は吉備地方、むやみやたらと古墳や墳丘墓があります。近畿や九州にも負けていません。邪馬台国はこの辺りだったという人もあり、ロマン多き土地です。
「卑弥呼」が統治していた国がどこだったか、それを解明することにもロマンがあるだろうし、古代のあちこちに、大陸から人々がやってきて、日本古来の人々との間に交流があって、そこかしこに邪馬台国のような「国」があったと思うことにもロマンを感じますね。卑弥呼のような女性首長はいっぱいいたのだろうし……
楯築入口
この辺り、公園として整備されていて、周囲は山を切り開いた住宅地になっています。
しかも奈良と一緒で、小高い山はみんな古墳や墳丘墓に見えるので、近づけば近づくほど目的地が分からなくなるという。
ナビで出たのは「鯉喰神社」だったので、とりあえずそこに行ってみて、困ってしまって地元の人に道を尋ねました。
すると自転車で通りかかったおじいちゃんが、「この辺りでよく聞かれる」と仰って、地面にすらすらと地図を書いてくださいました。鯉喰神社とはかなり離れています。
後で確認したら、「楯築遺跡」のある「王墓の丘史跡公園」の管理は「鯉喰神社」になっていました。無人の神社に見えたけれど……
楯築入口2
道を進んでいくと、看板がありました。
楯築遺跡看板
看板説明によると、「直径約50mの主墳に北東・南西側に2つの突出部(団地造営工事のため犠牲になった)を備えており、全長は約72m」。すごく大きな墳丘墓だったのですね。ちなみにこの突出部にも石列、丹塗りの壷型土器が多数並んでいたそうです。
上部の丸のあたりが、かのストーンサークルの部分です。
行ってみましょう。
楯築全体
行ってみたら……何となく拍子抜けするくらいに明るい広場でした。
さて、残された石は、大きなものが5つ。本当はもっとたくさんあったのでしょうか。ここに残されたのは一部なんでしょうか。埴輪みたいに並んで、王の墓を取り巻いていたんでしょうか。あるいは魔除けだったのでしょうか。
温羅の伝説によると、温羅が放った矢から王を守る楯の役目をしていた、まさに「楯」のための石だったのだとも。

そう、大事なのはこの中心部の地下なのです。
楯築中心
ちょうど真ん中には、石で囲まれた祠があります。近づいて見てみましょう。
図2
看板その2によると、この祠がある場所から少し西南にずれた地下はこんなことになっていたんですって。
楯築遺跡看板2
埋葬は2つ、確認されたそうです。
そのひとつが上の写真。墳頂中央部の地下1.5mあたりに埋葬されていた木棺は長さ2m、幅70㎝、棺の底には厚く朱(30kg以上)が敷かれていたとのこと。

朱は、九州の装飾古墳にも多く使われていますし、日本だけではなく海外の同様の遺跡にも赤が使われていますね。
先日、NHKスペシャルでやっていたティオティワカンの太陽のピラミッド・月のピラミッド・ケツアァルコアトルのピラミッド、その周りの主要な建物も、やはり赤く塗られていたそうです。
マルタの地下遺跡も真っ赤に塗られていたというし。
赤は再生の色。当時は不老不死の妙薬とも考えられていた……この色、母親の子宮の色なのですね。

木棺の中には何が? 歯が2つと副葬品(鉄剣1、翡翠製の勾玉、ガラス小玉と管玉)。骨は腐って残っていません。
この木棺はさらに木槨(長さ3.5m、幅1.5m、底板は少なくとも2枚)の中に収められていて、これを取り囲む中心墓壙は南北9m、東西6.25m、底の深さは2.1m、排水設備まで設けられていたんですね。
もう1つの埋葬は、中心埋葬から約9m離れたところにあって、わずかに朱が認められるのみで副葬品は見つかっていないそうです。

さて、件の石の方を見ていきましょう。
「5つの立石」と書いてあるのですが、真中の神社の背面にあたる大きな石、周囲にあるものでは、2つの楯の形のものと、棒状のもの、で……え~っと。イスみたいなのと、もうひとつがお皿みたいな形? あれ、6つある? そうか、イスみたいなのは円形から外れていたので、違うのかもしれません。
図1
まずは楯型のもの。前からと横からを並べてみました。
もう一つの楯型の石。
楯築石4
棒状のものをを2方向から。
図3
イスのような、お皿のような不思議な形の石。 
楯築石2
中に小石が入っているからか、ちょっと洒落たお皿にも見える。
この小石は誰かのいたずら、でしょうね。
楯築神社の背面
祠の背面に立っている中心の石が一番大きくて迫力があります。
でも実は、一体、どこまでが「件の石」なのか、ちょっと分かりづらいです。地面にうずもれるような小さめの石もあります。
楯築石6楯築石5
これも立派な石に見えるけれど、5つのひとつには数えられていないようです。ベンチみたいですね。イタリアのデザインの椅子にこんなのもありそうです。
楯築石3
いや、そもそも元の形が分からないのだから、5つと決まったわけでもないんですよね。
でも、周りの4つを東西南北、あるいは背面の山々や曰くのある土地(例えば温羅の本拠地・鬼ノ城)の方角を向いているという話もあるようです。ほんと、ロマンですね(*^_^*)

こうして見ると、ストーンサークルと言っても色々ですね。
明らかに天体観測の跡? つまり暦を表していると思われるものもあるし、こんなふうに聖なるものを守るというのか結界を表しているようなものもあるし。古墳(こちらは正確には墳丘墓)の上にストーンサークルがあって、丁度棺を取り囲んでいるとなると、これはやっぱり邪気を入れないための魔除けなんでしょうか?

この大きな墳丘墓の周りにも「向山古墳群」という小さな古墳が山のように発見されているのです。
王のお墓の周りに、その種族のお墓もあったのでしょうか。
向山古墳群1
向山古墳群2
ごろごろと石が転がっています。

さて、実はまだメインが残っているのです。
楯築神社の石保管庫
何? この無骨な建物は? と思われたことでしょう。
そうなんです。私が見たかった石は、この中に保管されているのです。
実はもともとは上記の遺跡の真ん中にある神社(楯築神社)の祠の中に収められていたもの。
やはりそれでは具合が悪いということで、こちらに保管されたようです。事前に連絡しておけば、見せてもらえるのだとか。
でも今回はこの建物の側面の小さな窓から覗いちゃいましょう。
楯築神社の石
亀石。亀に似ているのかどうか? はちょっと置いておいて、左右約92cm、前後約90cm、厚さ約30cm。
この石に彫られた模様は弧帯文と呼ばれていて、縄をぐるりと回して輪っかを作ったような感じの模様です。これが全面に彫られていて、弥生時代にこれだけ全体に文様が彫られた石は他に例を見ない、そうですが。

これ、どっかで見たよなぁ。
そうなんです。世界のあちこちに見かける渦巻き模様。ケルトの渦巻、インディアンの渦巻、アイヌの渦巻、縄文の土器だって思えば渦巻。これこそシンクロニシティというものでしょうか。
渦巻の意味は、移動(インディアンの渦巻にはこの意味合いが強いと聞きました。彼らは定住ではなく移動していた)、再生(生から死へ、死から生へ、これもまた移動)。
ケルト渦巻
マルタにあるケルト文様の渦巻。

あるいは、日本の歴史がより中国や韓国に近いとすると、こっちじゃないかという説も。
玄武
京都の玄武神社の絵馬から借りました。玄武……そう言えば亀? 亀石とはそういうこと?

「渦巻」には果てしなくロマンを感じ、心惹かれるのでした。

そう言えば……この『石紀行』、最近くどくなってきました。薀蓄など無視して(いや、薀蓄は他のブログさんにお願いして)、石の魅力のみをお伝えするのが目的だったのに……
次回からは、宮城と山形の巨石です。あっさりと、しかしダイナミックにご紹介したいと思います。

と、その前に。
続きを読むから、吉備地方の魅力的な古墳を少しお見せいたしまする。
古墳に興味がある方はぜひ続きを。

先ほどから少し引っかかっている方のために。
「古墳」と「墳丘墓」はどう違うのか?
3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを「古墳」、それ以前につくられた墳丘をもつ墓は「墳丘墓」と呼ばれています。墳丘墓は造成されたというよりも自然の地形のままが生かされている感じなんでしょうか。
でも、下にご紹介する「こうもり塚古墳」はほぼ自然の形状を生かしています。
楯築遺跡は墳丘墓です。
う~ん。時代の違いだけ? 古墳にも色々あるよね。

私が一番好きな古墳は、山陰地方に多くみられる四隅突出型古墳。下は模型ですが、文字通り何故か四隅が突出している。この古墳の上で祭祀などが行われたとされています。
よすみ
で、こちらは、ゆるきゃらのよすみちゃん。体の部分がちゃんと「四隅」の古墳形になってるでしょ! そして島根の「水」をイメージした顔(って、ほんと、どうでもいい情報?)。
よすみちゃん
またこちらの古墳につていはゆっくりご紹介する日が来るかも。

そもそも私、古墳にしても巨石にしても、上に登るのが好きなんです。
高所恐怖症なのに……巨石なら登りたい。
四隅突出型古墳は「古墳の上に登りたい」という気持ちをそもそも100%叶えてくれそうな形の古墳ですもの(^^)
ただし、聖なる岩には「登ってはいけません」という但し書きが付くことは多いです。大和朝廷の古墳も、宮内庁管理は登るなんて滅相もないのですが、それ以前に立ち入りもできないことが多いですよね。
ものすごく聖なる岩なのに、それを叶えてくれるのは、あの山形県の……(語るなかれ、聞くなかれ)

なんて前置きはさておき、吉備の古墳、今回は時間の都合で2つしか回れなかったのです。
でも、まだ見損ねている石があるので、必ずリベンジに参りますから、その時にゆっくり。

造山古墳(つくりやまこふん)
造山古墳登り口
こんなところに登り口があります。えぇ、簡単に言うと、「普通車でも通り抜けは出来ません」ってことよね。
軽も微妙なんじゃないかしら?
造山古墳1
何で民家の写真? いえいえ、もうすでに、古墳を歩いているのです。
造山古墳登る
もう少し登れば上に立てますね。
造山2
登ったら神社があって(この脇に出土した棺が置いてある)、さらに古墳の上を歩いて丸い方へ。
造山3
丸から見た四角。
って、何の話かというと……こちら、前方後円墳なのです。
全体像はこんな形(駐車場にある看板より)。
造山古墳
実はこちらの造山古墳、全国第4位の規模(全長350m、高さ31m、平面積約7.8ha)をもつ前方後円墳。上・中・下の三段から成っていて、円筒埴輪列を巡らせていた跡が確認されているそうです。5世紀前半の吉備を支配した「王」の墓と言われています。
しかも、古墳の上に登れるという点では、全国でも唯一の大型前方後円墳なんですよ!
見晴らしもこの通り。
向こうに見える丘も、周囲にある古墳群のひとつです。
造山6
造山5

こうもり塚古墳
もうひとつは、国分寺の傍にある古墳。何でこんな名前かというと、中に蝙蝠がいっぱい住んでいたからなんですって。
こうもり塚古墳4
横穴式ですよ。本当に、無防備に、扉のひとつもなく、中に入れます。
こうもり塚古墳3
さすがに、棺の前には扉が。
こうもり塚古墳2
古の昔にはどんな感じだったのでしょうね。
さて、総社市の観光案内によると……
「吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳で、後円部には棺を納めた横穴式石室があります。
この横穴式石室は、全長19.4mで巨大な石を組み合わせて造られており、岡山県下三大巨石墳の一つに数えられています。また、全国でも、確認されている横穴式石室の中では第4位の規模を誇ります。
玉砂利を敷き詰めた石室には、井原市産出の貝殻石灰岩で造られた家形石棺、土を焼いて作った陶棺、そして木の棺が安置されていました。盗掘を受けていましたが、須恵器や土師器などの土器のほか、大刀や馬具をはじめとした鉄器などが多数出土しています。」
では、振り返って、その石室の巨石を。
こうもり塚古墳1
玄室の天井には巨大な3枚の巨石が……ってのはボロカメラでは暗くて写りませんが、こちらの入り口近くだけでもすごさが伝わると思います。

周りは長閑な景色です。かなり雨が降っていたので写真を撮り損ねましたが、田んぼの中に森(丘というほどの盛り上がりがなくて)があるって感じの景色。
近くにある備中国分寺の五重塔は有名です。
五重塔国分寺
そうなんですよ。塀の向こうにある景色じゃなくて、登れる、入れる、ガラス越しじゃない、という手に触れ得る場所にある古墳という感じがしませんか? しかも、かなり大きな古墳がここにはゴロゴロ。
大和の王たちの国、出雲の王たちの国、その狭間か、やや出雲よりか。

学校では大和朝廷の歴史は詳しく教えてくれるけれど、その時のこの国を見渡せば、実はたくさんの国があって、本当は吉備の国も、東北も、まるで違う歴史を持っているのですよね。
ちなみに私、「東北学」の愛読者。
古代史は結構身近に学び直せる切っ掛けがあるのですけれど、気が付かないまま通り過ぎているような気がします。

あら、今回は力作ですね。すみません。長くなりました。
次回は、山形県の立石寺、つまり山寺のお隣のお寺の裏の山を登ります。圧倒的なパワーを感じさせる岩の聖地、垂水遺跡をご紹介します。
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コメント


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# |  | 2014/11/03 08:57 [edit]


すごーい。力作です。
大海さんの愛と気合をひしひしと感じます。
そして、たくさん学びがあります。
日本て、どこまで大きくてどんだけ深い国なのだろうと改めて。

けい #- | URL | 2014/11/03 13:07 [edit]


おお~

本当に力作です。
巨石、そして古墳・墳丘墓に関する知識がまるでないので、感想も間の抜けたものになってしまうのが申し訳ないけれど、大海さんの想いや、昔の人の想いが伝わってきます。
昔の人のお墓(古墳)に対する想いってすごいものがあるんですよね。
そこに巨石を使うというのも、敬意の現れなんでしょうね。
これ、運ぶの大変だったろうな(そこ?)
それにしても、大海さんの行くところ、高い場所が本当に多いですよね。
高所恐怖症なのに、登らせてしまう巨石の魅力。
並々ならぬものを感じます。

lime #GCA3nAmE | URL | 2014/11/03 19:06 [edit]


これは、ストーンサークルというより、庭園のように見えますね。ここに葬られた人を慰める、あるいは楽しませるためのしつらいなのかも、と思ってしまいました。いかんせん、知識不足の門外漢なもので(笑)
渦巻き模様、これも不思議ですね。洋の東西を問わず、あるんですね。そういや、ナスカの地上絵のサルだったかの尾っぽも渦巻いてましたね……って、さすがに関係ないか(笑)

造山古墳、で、でかいですね。しかも、登れるんですね。民家が食い込んでいるところをみると、この古墳も果樹園とかに「有効活用」されていたのかもしれませんね。これだけ眺めが良いなら、登ってみたくもなりますよね。
どうでもいいことですけど、私はいまでも前方後円墳は、前円後方墳に見えてしまいます。なんか、海を渡る船みたいに見えるんですよね。なんでだろ?

TOM-F #V5TnqLKM | URL | 2014/11/04 00:42 [edit]


 こんばんは。
今回は ほんとに力作ですねーーー 語りが熱を帯びていますね。

奈良県民にとっては古墳は… 邪魔で… 古墳があるが為に道が真直ぐにひけなくて遠回りだったり…
古墳の前の道の部分だけ 色々な許可の関係で難しくて何時までも舗装されなかったり 下水関係や光回線やらがひいてもらえなかったり 一番後回しにされたりだったり…
渦巻きの文様も面白いですよね。
古代では 首飾りとして取り入れられて 其れがネックレスや指輪に変化していったり。
そーいえば… 僕の住んでいる辺り 色々と出ていたなぁ…
今度 庭先掘ってみようかな。 

ウゾ #- | URL | 2014/11/04 18:52 [edit]


鍵コメH様、ありがとうございます(^^)

ありがとうございます。実は私、もともと古墳好きから始まったんです。
と言っても、知識があるわけじゃなくて、古墳っぽい丘を見ると萌えるという程度だったのですけれど。
それがいつの間にか、石へ石へと草木も靡く~~~って感じになり。
なので、旅行の時は石と一緒に古墳もちゃんとチェックして、登れる古墳には登る、というスタンスでおります(^^)
こちら、造山古墳は感動的でした。こんな大きな古墳に登れるなんて、ほんと、素敵ですよね。
ぜひ、岡山総社を訪ねてみてください。岡山、果物も美味しいですしね!
そうそう、地方の古墳には結構無防備なところもあったり、また近くの博物館などが管理していて、中に入れたりするところもあります。あまり訪れる人がいないので、入れてくれるのかも……
そして、よすみちゃん! やっぱり目をつけて下さいましたね!
これ、かなりかわいいんですよ。思わずぬいぐるみ、買っちゃっいました。
ゆるきゃらはほんと、奥深いですね(^^)
コメントありがとうございました!!

彩洋→鍵コメH様 #nLQskDKw | URL | 2014/11/04 23:41 [edit]


けいさん、ありがとうございます(^^)

はい。何だかいつの間にか力作になっちゃいました^^;
実は、石の話も止まらないのですが、古墳も止まらないんですね。
いえ、実は知識的には全然なのです。でも、やはり古墳と言えば古代ロマンの基本ですものね。古墳ある場所にロマンあり、で、何だか小高い丘があるだけでワクワクしてしまっておりました。
それがいつの間にか、さらにわけの分からない石へと……
日本の石を世界に発信できたらいいなぁ……いつか。
今度は東北のパワーあふれる石、お楽しみに!
コメントありがとうございました!!

彩洋→けいさん #nLQskDKw | URL | 2014/11/04 23:56 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

えへ……みなさんに力作と言われて妙に照れちゃっています。
実は私も古墳や墳丘墓、そんなに詳しいわけじゃないのです。
でも実物は結構見ているかも。旅行に行くときは、まず古墳と石を検索していく、という。

昔から人間は、エジプトや南米の文明などでよく取り上げられるように、死を恐れていたんですよね。だから死後の世界を思い、蘇りへの願いを込めて死者を祀った。そしてもうひとつが、自然への畏敬。太陽と季節、つまり暦は農耕をおこなう民族にとってはとても大切だったんですよね。
古墳とかお墓は、死者と語らう場所だったんですね。あるいは墓と思われているものでも、いわゆる暦を表すカレンダー、なんてものもある。
で、こんなでっかい墓作ってどうするんだ、って話ですけれど、もちろん権力を誇示するためのものでもあったかもしれませんが、これってやっぱり祭りを(祀り、かもしれないけれど)する場所だったはず。だから古墳の上はみんなで登って儀式をするって感じだったんじゃないかと(死者もそのほうが寂しくないし)。
なんて、あれこれ思うのでした。

> これ、運ぶの大変だったろうな(そこ?)
そうそう、この間アップした高砂の浮石なんて、本当は墓の石棺として近畿圏に運ぶつもりが大きすぎて途中で断念したとかなんとか^^;
でも、それはちょっと無計画すぎるから、ないんじゃないかな、と覆うけれど。

でも、怪我をしないように登らなくちゃね、と思っています(^^)
以前、石に気を取られすぎて、滑り落ちてしまって……大変なことになったので。
でも皆様にまた石の魅力をお伝えできたらば、と思います。
コメント、ありがとうございました!!

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2014/11/05 06:54 [edit]


TOM-Fさん、ありがとうございます(^^)

> これは、ストーンサークルというより、庭園のように見えますね。ここに葬られた人を慰める、あるいは楽しませるためのしつらいなのかも、と思ってしまいました。いかんせん、知識不足の門外漢なもので(笑)
いえ、これは当たりですよ、TOM-Fさん。
って言っても、私が当たりです~と言っても、信ぴょう性はないのですけれど^^;
私もね、タダの墓ならこんなでっかいものを作る必要はないはずだと思うのです。
きっと大昔から「死」とか「死後の世界」とかは人間の大きな関心事だったと思うのです。それに東北の死後の世界観を見て思ったのです。きっと、死は怖れるものでもあるけれど、生と死はもっと近しいものだったんじゃないかと。だからきっと、死者とは語らったり、酒酌み交わしたり、遊んだりしたはず。
そんな気がするんですよね。
そう、お祭りです。だからみんなで遊べる場所が必要だったんですよ!
……なんて、私も勝手に思っているのです。だからこそ、古墳は登らなくちゃ!

> 渦巻き模様、これも不思議ですね。洋の東西を問わず、あるんですね。そういや、ナスカの地上絵のサルだったかの尾っぽも渦巻いてましたね……って、さすがに関係ないか(笑)
そして、これも、私も思っていました!
あの猿のしっぽも渦巻だ~と。
でもあの地上絵は、全てが謎ですよね。滑走路にしては形がいびつだし(って、何の?)。
渦巻論、いつかもっと熱く語りたいです。

> 造山古墳、で、でかいですね。しかも、登れるんですね。民家が食い込んでいるところをみると、この古墳も果樹園とかに「有効活用」されていたのかもしれませんね。これだけ眺めが良いなら、登ってみたくもなりますよね。
きっと、古墳だって気が付かずに生活していた時代ってあったと思うのですよね。
あるいは「この辺りに昔の遺跡がある」ってことは分かっていたけれど、ま、そんなことはともかく、なんて時代もあっただろうし。そうそう、畑になっていたり。
だから、こういうところに家がある風景って、逆にいいと思うんですよね。仁徳天皇陵ではこういうわけには……^^;
吉備地方に行かれたら、ぜひ、登ってみてください!

> どうでもいいことですけど、私はいまでも前方後円墳は、前円後方墳に見えてしまいます。なんか、海を渡る船みたいに見えるんですよね。なんでだろ?
おぉ~~~~。これ私も思っていました。そうですよね。丸が前ですよね!
実はいつかの時代に考古学者のどなたかがこういう名前を付けて、それが踏襲されているだけで、前とか後とかにあんまり意味はないって感じなんですよ。単に形を表す言葉で。
しかもお墓(石室)は大抵丸の方にあって、四角いほうが祭祀をする場所だったらしく、それを聞いても丸が前なんじゃないの?って思うんですよね。
でも……「ぜんえんこうほうふん」……言いにくいんですよ。実は語呂の問題じゃないかと、真面目に思っています^^;
コメントありがとうございました!!

彩洋→TOM-Fさん #nLQskDKw | URL | 2014/11/05 07:11 [edit]


ウゾさん、ありがとうございます(^^)

はい、ほんと、力が入っちゃいました。
そう、その奈良県民さんにとって邪魔な「奈良の古墳」が私のルーツかも……
もともと小学生の時は文集に将来の夢は「考古学者・天文学者・小説家」と書いていた私。出発地点はありふれたことにツタンカーメンだったのですが、大学で京都に住んでからは奈良と京都はお庭状態でした。
奈良の山を見ては、これも古墳かなぁ、これもかなぁ、とわくわく(邪魔な古墳にワクワクしてごめんなさい!)。その頃に古墳好き魂が点火していたのかもしれません。
でもまだ燃えるところまではいかなくて……
海外旅行がしんどくなって(病気もあって)、日本国内を旅するようになってから改めて自分の旅のテーマを考えてみたら……古代遺跡、といえば古墳だと。そして古墳からずるずると石の方へ……

でもわかります。
京都も、掘ったら出てくるから、建築許可が大変。みんな掘りたくない……という感じで。
うちの大学も地下道で向かいの校舎まで地面の下掘ろうとしたら……という開かずの扉がどこかにあったらしいという噂が。
そうそう、遺跡って行く手を阻みますよね^^; 奈良と京都の宿命ですね。
結構「遺跡を守ろう!」なんて話がありますが、私はこの造山古墳みたいに遺跡に現在の人が住んでいる住宅が「食い込んでいる(TOM-Fさん曰く)」様子なんて、とてもいいと思ったりしています。
ローマやナポリなんて、遺跡の上に街自体が建っていますものね。
マルタの遺跡なんて、自分ちの地下室をゴミ捨て場にしていたら、そこが遺跡だったらしいし。
「いや~、何となく遺跡だと思ってたけど~、ゴミ捨てるのに便利だったから~」みたいな。
ウゾさんちもぜひ、庭を掘ってみてください!(って、どんだけ掘るんだ?)

渦巻はほんと、あれこれ発想が広がりますよね!
直線じゃなくて、輪っか。そう言えば、南アメリカのマヤやアステカの暦も、円だったと言いますし。
コメントありがとうございました!!

彩洋→ウゾさん #nLQskDKw | URL | 2014/11/05 23:18 [edit]

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