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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】22.奈良山添村・岩屋桝形岩~山そのものが聖地~ 

山添長寿岩4
この丸いものはなに? と思われたことでしょう。もしかして地球?
実際には完全な球体ではないのですが、この向きから見ると真ん丸に見えますね。
さて、この見事な球体の巨石が見られる村、それが奈良県山添村です。
山添村は奈良県の北東にあって、奈良市の東、三重県との県境にあります。そして、ここは石の村としてイワクラ学会さんでもしばしば見学ツアーを開かれているようです。その象徴とも言える巨石がこの石なのですね。
でも、この石のことは次回にじっくりお見せするとして、まずは、この山添村の巨石中の巨石、牛ヶ峰岩屋桝形岩へご案内いたします。

名阪道山添インターを降りればそこはもう山添村。西に向かい布目ダムを目指していくと、道の途中でこのような看板が。
山添岩屋枡形入口
ダムの湖には釣り人が沢山やってきていていますので、この少し先に釣り人のための大きな駐車場がありました。でも、この入り口の前に共同墓地があり、その駐車場(と言うほど広くはないのですが数台は停められそう)らしき場所に車を停めさせていただきました。
山添岩屋枡形入口2
この奥……昼間の明るい陽の中でもかなり暗い杉林の中に入っていきます。
山添岩屋枡形参道
「参道」と言っていいようですね。階段がちゃんと作られていて、400段近い階段と山道を登っていきます。
山添岩屋枡形参道2
途中、このように石垣が見えています。また春日神社祠跡、という碑が立っていたりしますので、もとはもしかすると立派な神社あるいは寺社の設えだったのかもしれませんね。さて、先をゆきましょう。
山添岩屋枡形途中の岩
途中には、何か名前を付けてやってくれ! と思うようなこんな巨石が山の斜面に顔を出しています。まるで不時着したUFOのようですね。
山添岩屋枡形参道3
今回は迷うことのない1本道です。途中この分岐道がありますが、ちゃんと道しるべがあります(あと100mと書いてあります。あと300mからは長かった……山道の階段の200mは侮りがたし)。実は道しるべが指している道の上方にも道があるのですが、ここを起点にループになっていることが帰り道で分かりました。
山添岩屋枡形あと100m
いよいよ岩屋が近づくと、このような建物もあります。まだそれほど古くはないように見えますので、もしかすると何かの行事の際には使われるのでしょうか。とは言え、いかにも放置されたあばら屋のようですね。
山添岩屋枡形途中の建物
そのすぐ先に、この迫力のある岩の側面が見えてきます。
山添岩屋側面
正面に回っていきましょう。
山添岩屋
岩屋です。いつものようにうちの母の人物比較で大きさを感じていただければと思います。
巨石の傍の立て看板には……
『牛ヶ峰のこの地には巨石大岩が累積しており、一枚岩の巨石が自然の節理によって分裂したもので、上方に屹立した断崖絶壁には桝の形を切り込み(桝形)、転がり落ちた下方には丈六の大日如来像を線彫し、その底部を岩窟にして護摩壇を設けている(岩屋)。この岩窟をもって岩屋寺とし、入口頭上に本尊とする金剛界大日如来像(室町時代初期)を刻んだものと思われる。』
桝形の方は後でご案内するとしてまずは「岩屋」です。
下の小さいほうの岩で上の大きな岩を支える形となっており、内部に空間ができています。右手の入り口(?)の上あたりに少し平坦になった部分があり、そこに大日如来が線彫されています。
山添岩屋大日如来
大日如来の下に入ってみましょう。背の高い人は分かりませんが、とりあえず立っていられる天井の高さです。
山添岩屋内部2
この空間を寺の内陣に見立てているのですね。内側には護摩壇が設えられています。
山添岩屋内部3A
内部から外を見ても分かると思うのですが、この巨石を支えているのは、下の小さい方の石です。この辺りの岩は花崗岩のようですが、この石は昨今の災害のニュースでも話題になりましたが、ある一定の期間で「割れて」いくものなのですね。下の岩、どう見ても亀裂があるように見えます。実際に、この「岩屋」は山の少し上方にある巨石「桝形」が割れて落ちたもののようです。
山添岩屋中から外
何百年あるいは何千年か先、この小さいほうの岩が割れたら、岩屋の内部の形は変わってしまうのかも……
先にもお見せしましたように、この山にはあちこちに巨石が少し顔を出していますが、これらの巨石と杉の根によって、山の形が保たれているようです。しかし、岩が大きく割れると、地形も大きく変化することでしょう。
今のこの形がいつまでも残るわけではない。でも少なくとも空海の時代よりも前にこの場所はこの形で残り、だからこそ、この巨石を信仰の対象としてきた古の人々がいたのだと感じます。
山添岩屋中から外2
小さな支柱石を回っていくと、反対側の入り口(出口?)になります。こちらは天井がより低く、屈まなければ通れません。向こうが見えていますが、岩屋の前には少し空間があり広場になっています。
ちなみに正面から入って天井を見ると、石の中にハートの模様みたいなのがあります(*^_^*)
石に残るハート
さて、看板を見て「岩屋はともかく桝形? どれ?」みたいな事になるわけですが、何しろ杉林で山の上の方はよく見えません。桝形岩に登っていく道は、岩屋の少し手前にあります。何も印がないので見落とさないように……
私ったら、岩屋の奥をよじ登ろうとしたけれど、それはやっぱり無理でした……^^;(いや、あわよくば上に出れないかとも思って……)
山添岩屋と桝形の間
登っていく途中にはこんなふうにあちこちに巨石が顔を出しています。
名前はないけれど、たとえばこの巨石の向かいにはお地蔵さまがいらっしゃいます。まるで巨石と1対になっているようです。お地蔵さまが巨石を見守っておられるのか、あるいは巨石を拝しておられるのか。このようなお地蔵さまと巨石の対がいくつかありました。
山添岩屋と桝形の間2
上の写真の左端にお地蔵様、見えますでしょうか。
山添岩屋と桝形の間お地蔵さん
桝形までまた少し登らなければならないのですが、つづら折れのように登る道にこうした巨石があるのを見ていると、まるで神社の境内のようだと思いました。
神社の境内って、拝殿・本殿の他に、時に、山の神様の神社とかお稲荷さんとか、厄除け神社とか天満宮さんとか、時には薬師如来さんまで、其々祠や小さな社殿があったりするじゃないですか。まさにあのイメージだったのです。
そして登った先には、また巨石が。
山添桝形の前の岩
でも、これは何だか違うみたい。何か刻まれています。よく見ると、いわゆる寄進者の名簿でした。
見上げると、真上に巨大な石が……そうなんです。肉眼ではそうでもないのですが、巨石の写真って、木々の幹の色と葉の色、巨石に落ちる影などが一体化して、本当に見えにくいのですよね。
山添桝形
そういえば、オルメカの巨石人頭像なども木々に覆われていて見えなくなっていたわけですし(あれって、最初に発見した時、びっくりしただろうなぁ…・・でっかい顔!)、こういう石たちも祀る人がいなくなったら、あるいは山を整備してくれる人がいなくなったら、山の木々に埋もれて、巨石・磐座ファンを嘆かせることになるのかもしれません。いえ、実際にはそうして埋もれている巨石・磐座はたくさんあるのだろうなぁ……
山添桝形2
その脇の道、岩の隙間を登っていくと……桝形岩にまみえることができました。
山添桝形3
この岩の形のどこが桝? って、頭がはてなになっていたのですが、よくよく解説文を思いだすと、なるほど、桝というのはこの巨石に彫られた「あれ」なのね!
山添桝形の部分
丁度祠の上あたり、巨石の真ん中のあたりに四角い切れ込みがありますよね。あの中に「何か大事なもの」が納められていたわけです。経文? 仏様? ……解説文の続きによりますと。
『その昔牛ヶ峰は弘法大師が腰越の宝泉寺にとどまり、この山に大日如来を顕し、密法根本の基を開く霊場とされたと伝えられる。弘法大師が岩屋に大日如来を切り付けて、その時使用した鑿と槌を桝形に納めたと言われる。
桝形は本来仏像を安置する石の厨子、すなわち石龕(せきがん)であったと思われ、代々西村総代の手で保管されている木製の鏡形御正躰は、恐らくこの桝形に安置されていたと考えられる。』
と言うことは、この中に「のみ」もしくは「つち」、もしくは「ご神体」が納められていたということのようです。
でも、あまりはっきりとは書かれていないのですよ。
『明治25年に桝形を開扉し、世に示されてより百周年を迎えた平成2年に、偶然の機会から三重県青山町滝仙寺縁起および青山町史を調査したところ、同寺の本尊・須弥壇その他弘法大師空海縁りの宝物が、天正10年(1582)のころまで、この牛ヶ峰岩屋(岩屋寺)の所蔵であったことが判明した。』
で、明治25年には何が出てきたの?? と私の頭は今でも「はてな」でいっぱいです。多分、何もなかったのですね。どちらかのお宅で保管されているのか……少し巨石探偵の物語を書きたくなってきました。
山添桝形5
横から見ると、見事に綺麗に「割れた」形です。つまり、解説によると、この割れた半分の一部が下にあったあの岩屋だったわけですね。辺りにはほかにももう少し小さな、しかし巨石と言っていいくらいの石が転がっていました。
山添桝形4
ところでこの巨石、どう見ても浮いていますよね……
山添桝形祠の裏
祠の裏を覗かせていただきました。確かに、土との間には隙間があるのです。……いつかまた形が変わることもあるのかも……地球を感じる巨石の側面です。
山添桝形6
こうしてみると、まさに下の岩屋は拝殿、そしてこの巨石が本殿と言うのか、御神体にも思えます。
仏教伝来のずっと前から、こうした巨石は地元の人々の信仰の対象であったと思われますし、仏教や神道はこの原始的な信仰の上に聖地を作ってきたと考えると、やはり巨石や山など、地球そのものの存在を感じさせるものへの信仰は古くから確かにあって、そして時代と共に姿を変えてきたのだと思われます。
山添桝形前の広場
桝形の巨石の前は岩屋の前と同様に開かれた広場のようなになっていて、こちらは陽も当たって明るく清浄な空気が漂っていました。
さて、ここから元来た道を引き返しても良かったのですが、何故かすっかり巨石探索の山道に慣れたわが母は、さらに上へと進んでいきます。後で聞いたら、あの「あと100m」の道しるべの横にあったもう一つの道につながる道があるはずだと思っていたようで、いや、昔の人間、侮れません。
しかし、倒れ掛かる木の枝を払い除けて、少しばかり道なき道をいかなければならないのですが……
山添桝形の裏の石たち
桝形の巨石の上にも、こんなふうに石がゴロゴロ……って、この写真、一体いくつの石が写っているか分かりますか? もう「〇ォーリーを探せ」状態になっていますが、最低でも4つ、もしかすると5つの石を肉眼では確認しています。
山添桝形裏2
陽の加減によっては少しわかりやすいかも。
こんなところを進んで少し登ったら、少しだけ見晴らしがよくなり、下る道が見えました。とはいえ、こちらはあまり人が通っていない様子。ただ、木々には道しるべの黄色いテープ。
山添桝形帰り道
やがてあの100m看板のあった分岐点に戻ってきました。帰りの階段を降りるのが一番辛かった……すっかり捻挫慣れした私の右足は、何度も危機的な痛みに襲われながらも山を下りたのでした。だらだらコースで1時間半くらい。岩屋までは30分くらいでしょうか。
今回は誰にも出会わなかったのですが、降りてきたら、丁度これから登る2人連れの方(年配の女性と息子さん?)に出会いました。「(2つの石の間に)ゼロ磁場のある石」を探しておられるとか……巨石ファン、あれこれと楽しみ方があるようで、奥が深いですね。

さて、後篇では……山添村の天の川?鍋倉渓といくつかの石たちをご紹介します。
お楽しみに!

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Category: 石の紀行文(写真つき)

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コメント


枕上溶岩?

それとも人の手によって創られた石なのでしょうか。たしか何処かには鮫の歯を核として丸く形成される石もあったとか思いましたが、何と言うのか忘れました。それにしても山の中にそんな大きな岩がごろごろしてるとしたら神秘的ですね。

miss.key #eRuZ.D2c | URL | 2015/02/22 23:42 [edit]


miss.keyさん、ありがとうございます(^^)

ここらあたりの岩の種類は、花崗岩のようです。花崗岩はおよそ1億年前に地下深く(10~20km)でマグマが固まったものとされますから、溶岩の地中版? 石の多くは花崗岩ですよね。
また次回ご紹介する予定の鍋倉渓などは、角閃斑糲岩と言われていますが、う~ん、実はどちらがどうなのか、よく分かりません。割れる時はぱか~ん、と気持ちよく割れることは確かのようですが……
多分、山自体が岩でできているのではないかと思うのです。花崗岩であれば風化しやすいので、土自体が花崗岩の崩れたものである可能性は高くて、残っている巨石は硬い部分が残ったということなのかもしれません。いつかは崩れていくのでしょうか……
岩石……奥深いです(^^)
コメントありがとうございました!

彩洋→miss.keyさん #nLQskDKw | URL | 2015/02/23 00:29 [edit]


でかい

今回の巨石の旅も、本当に険しい山登りだったのですね。
まさに、山全体が一つの神社のようで、神がかり的な何か、そんなものを感じます。
でもその先にあるのは岩屋寺・・・。
おお、岩肌に大日如来が彫られている。
仏教や元々あった神道が自然な形で巨石を拠り所として混ざり合ってるんだなあ。
そう言う意味でもこういう山にはきっと、ある種のパワーがあるのでしょうね。
大海さんをひきつけるのは、歴史的価値云々よりも、そのパワーなのかも。
そういえば、逆の話になるんですが、うちの姉は昔霊山に登山に行くと途中で絶対に苦しくなって引き返していたそうで・・・。
そういう体質だったのかなあ。
(私はどんな山でも単に体力無くて引き返してたんですが><)

lime #GCA3nAmE | URL | 2015/02/23 07:48 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

> 今回の巨石の旅も、本当に険しい山登りだったのですね。
そうなんですよ。本格的な登山をしなければならないわけではないのですけれど、少なくともしっかりハイキング……1月の初詣以来、足が痛くてあまり運動ができなかったので、久しぶりに頑張ってみようと思ったのですが、階段はきつかったです。段差が結構大きいので、降りるときにかなり足首にきまして……
でも、石を見るため、と思ったら乗り越えられる^^;

このような巨石がいつからこの形なのかは分かりませんが、少なくとも、書かれていることが本当なら空海の時代にはこの形でそこにあったということなのですね。その時代、山岳仏教という形で修行僧たちは山に入っていっていましたから、その中で、実は地元で古い時代から自然発生的にそこにあった土着の原始的な宗教……というよりもアニミズム的な祈りの対象であった巨石を仏教の聖地に変えていったのかもしれません。
イタリアなどでも、エトルリアの遺跡の上にローマの遺跡が、なんてのは普通ですし、前にあったものを破壊するのじゃなくて迎合する(というよりも乗っかっちゃう?)って感じなんですね。
> 仏教や元々あった神道が自然な形で巨石を拠り所として混ざり合ってるんだなあ。
うん。まさにそういうことです!
イワクラといわれている多くのものは、神社のお社が建てられたのは後になってからだと思うのですが、時には、岩に注連縄だけという場所もあります。お社がなくても、ずっと前からその石は地元の人の大事なものだったのでしょうね。
limeさんの仰る通り、仏教や神道という形をとる前からそこにあったはずの祈りの場、このパワーに人々が引きつけられてきたという気配、それが巨石ファンを惹きつけているのですね。ただでっかい岩が見たい、んじゃなくて、そこに誰かが手を合わせてきた、そこに私を惹きつけるものがあるような気がします(*^_^*)

> そういえば、逆の話になるんですが、うちの姉は昔霊山に登山に行くと途中で絶対に苦しくなって引き返していたそうで・・・。
> そういう体質だったのかなあ。
あ、これは何だか分かります。石のある場所もそうなんですよ。私は幸い「自分に合わない(自分にとってマイナス)」石にはまだ出会っていないのですが、石のパワーが大きすぎて圧倒されて、何だか吸い取られるような感じになったことはあります。以前ご紹介した垂水遺跡などはまさにそんな感じで、湯殿山のご神体(「語るなかれ、聞くなかれ」なのでご紹介できないのですけれど)もでした。こうしたパワーが大きすぎる石たちは、自分がしっかりしている時はいいけれど、弱っていると石のパワーに負けてしまうことはあるような気がします。癒されるというよりも、持って行かれる感じ……すべて見るほうの心次第なのですけれど。
逆に、ものすごく癒される石もあるのです。きっとその時の自分に合う石、相性があるのでしょうね。
次回の石は、体力のないと仰るlimeさんにも簡単に見ることができる石たちをご紹介しますので、お楽しみに!
コメントありがとうございました!!

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2015/02/24 05:49 [edit]


 こんばんは。
ああっーー 山添村かぁ… 何というか 少し神話に近い場所って感じですね。
丸い石 此れって 確か 縦とか横とかに線が描かれていて 太陽信仰と結びついているのではといったあれですか。
天の川を模っていたのは また別だったかなぁ…

山添村かぁ…じいちゃんの友達が なんか凄く貴重なモノ持っていた…
博物館とか美術館が展覧会する時に 借りに来るって言っていたなぁ。

ウゾ #- | URL | 2015/02/24 21:45 [edit]


ウゾさん、ありがとうございます(^^)

そうそう、ウゾさんはどの辺りのお住まいなのかなぁなんて思いながら走っていましたよ。
そうか……神話に近い、って感じの場所なのですね。山添村って12000年前まで歴史を遡れるそうですね。埋もれた歴史があるんだ……
> 丸い石 此れって 確か 縦とか横とかに線が描かれていて 太陽信仰と結びついているのではといったあれですか。
おぉ、そうです。さすがウゾさん。なんか赤道っぽい線があるのだとか。確かに線はあるのですけれど、う~ん??というかんじ。そのあたりのことはまた次回に書きたいと思います(^^)
天の川はまた別の場所。こちらもまた不思議と言えば不思議ですが、やはり自然のものかなぁ。こちらもまた次回にご紹介したいと思います。

> 山添村かぁ…じいちゃんの友達が なんか凄く貴重なモノ持っていた…
> 博物館とか美術館が展覧会する時に 借りに来るって言っていたなぁ。
え? え? え? なんと、そんなことが……ウゾさんのおじいさまの身近に……
「山を見たら古墳」「掘ったら遺跡」の奈良ならではのエピソードですね。
そう言えば、昨日新聞を読んでいたら、京都の地下鉄が赤字で、その理由が建設費。掘り進めば進むほど遺跡に当たって、調査費が莫大だったからだと。う~ん。
コメントありがとうございました!

彩洋→ウゾさん #nLQskDKw | URL | 2015/02/25 05:51 [edit]

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