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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・小説】自作を語るのはまだ早い?(1)~『死と乙女』 

なかなか日常の仕事が落ち着かないので(いや、多分永遠に落ち着かない……)、続きをアップできないままになっている小説たちの救済記事を書こうとしています。
ブログにアップすることを考えなければ適当に書き散らかしていてもいいのだけれど、数少ない読者さんが対象とは言え、公の場に出すとなると、いくらか考え込んじゃう部分があったりします。そして紆余曲折するうちに、ちょっと後ろ向きになってしまったり。
こんなことを繰り返すうちに、一歩だけでも前に進んだらいいな。


さて、今回はその第1弾として相川慎一にスポットライトを当ててみたいと思います。

ちなみに、ただ今のBGMはポリーニのショパンノクターン集です。
このごろ、久しぶりに一生懸命にクラシックを聴いているのです。もちろん、『死と乙女』を前に進めるためです。
カテゴリでは【ピアニスト・慎一シリーズ】となっていますが、彼がピアニストでいるのは、長い音楽人生の中の前半部分だけなのです。後半はむしろ指揮者としての道を進むことになるのですが、それでもピアノは彼の夫唱婦随の相棒であり続けたと思います。

そんな彼の最初のピアノとの出会いは、1人目の育ての親というべき、叔母の相川(富山)葉子。
葉子は音大を出ていますが、プロの演奏家になったわけではなく、富山享志と離婚した後はピアノの先生として子どもたちを教えていたのです(ちなみに葉子はその後享志と寄りを戻して、事実婚として人生を共にします。で、その後姑とのわだかまりが取れて再入籍)。
だから、慎一にとってはピアノは特別に身近な楽器。
本当は、彼が『アンパンマンのマーチ』を弾き歌うシーンを書こうと思っていたら、アンパンマンの放映が1988年。慎一は1983年生まれ。ローマに来たのが5歳。日本で見ていたかどうか微妙な感じ。
でもきっと、そんなふうな(どんな?)愛される曲を、叔母から刷り込まれていると思うのです。もちろん、バッハやモーツァルトやショパンと一緒に。え? 一緒にしちゃいけない? でも『アンパンマンのマーチ』は名曲ですから(きっぱり)。

ローマのヴォルテラ家に引き取られてからは、他に自分の心を表現する手段がなかった彼は、変に勘違いした育て親(ジョルジョ・ヴォルテラ=大和竹流)とスパルタピアノ教師に相当に鍛えられたわけですが、いつの間にか音楽に関してだけは妙に頑固な子どもになっちゃったので、5人も教師を替え、最後に出会ったのがマルチェロ・トスカニーニという伝説の神童。

マルチェロはナポリの貧しい家庭の出身で、母親の犠牲によって15歳にして既に名演奏家として名を馳せ、数年の間ヨーロッパを席巻した後、コンクールの出場権を得る年齢になる前に唐突に姿を消したピアニスト。実は極左翼の闘士になっちゃっていたのですが、場末のバーでピアノを弾いていて、慎一坊ちゃんに見初められちゃったのです。
その時、マルチェロが弾いていた曲は、ベートーヴェンの『熱情』。

(こちらは第3楽章)
既にピアニストとしては活動できなくなっていた祖父・慎一に、あれこれあって落ち込んでいた松葉杖状態のロック歌手の孫・真がピアノを弾いて欲しいと強請るシーンがあります。
「他人に聴かせるようなものはもう弾けないんだ」
「俺しか聴いてないからいいじゃん。ベートーヴェンの『熱情』……好きなんだ。苦労人だから」

実は、今、慎一の面倒を見ている(という表現でいいのかな?)高等遊民?ヴィクトル・ベルナールが、慎一を見初めた理由が、このマルチェロ・トスカニーニだったのです。
ヴィクトルが音楽評論家としてのスタートを切ったきっかけとなったのは、マルチェロのピアノだったのですが、ヴィクトルの心を射ぬいたそのピアニストは、ある時忽然と姿を消してしまった。
ヴィクトルはその影を追い求めていて、ある日、自分がかつて心奪われたベートーヴェンをそのままに弾く東洋人の青年に出会ったというわけなのです。

ウィーンに留学する時にはもう必死でしたから(親元を離れる、という意味で。あの超過保護な保護者との親子葛藤が凄まじかったのです)、あれこれ手をまわして推薦状を貰い、何とか自力で留学。とは言え、いくらなんでも丸腰では難しく、金銭援助をしてくれたのは、ヴォルテラのお抱え医師・普段はただの酔っぱらいのドットーレ・ヴィテルリ。
それでも、奨学金をもらうためには必死になったり、生活費も稼がなければならなかったり。
ただ、音楽教育を受けるという意味では、ようやく落ち着いた環境になったわけです。
そこで出会ったのが、天才が服を着て歩いている、もちろん育ちも立派なテオドール・ニーチェ。そして、彼を慕っているアネット・ブレヴァル。恋と友情と、そして生きること、死んでゆくこと。
これは、芸術の神に愛された若き楽聖たちの戦いの物語……かな?

というわけで、この先の慎一は、外見からは想像できないほどの情熱的な演奏をするベートーヴェン弾きとして名を馳せ、活躍することになります。彼の誠実そうな優しげな外見からは想像もできないダイナミズムとAppassionata。その真実が明らかになるのはもう少し先になります。
実はこの先(『死と乙女』の後)、天才・テオドール・ニーチェの指揮で慎一が『皇帝』を弾くというのが自分の中でのひとつの山場。本当はオーソドックスにラフマニノフの2番やチャイコフスキーの1番を、とも思ったけれど、ここはどうしてもベートーヴェンでなくちゃならないシーンだったのです。

その一方でものすごく繊細で抒情的なピアノも弾く。実は、慎一をベートーヴェンで語るのは間違っていると、後にヴィクトルが評していますが、多分性質的にはチャイコフスキーやラフマニノフのロマンチシズムがものすごく合っているピアニストなのです。
でもやはり、ピアノと言えばショパン。実は先日、ショパンコンクールの動画を見ていたら、朝4時になっちゃっていました(もちろん、休みの日)^^; いや、コンクールの番組って本当に面白いですね。

で、この先、慎一とアネットが2人でピアノを弾く回想シーンが出てきますが、そこはやはりショパンになってしまいますね。
バラードの1番。ふるさとへの望郷の念と取り戻せないものへの回顧と途絶感と、優しさと残酷さが入り混じったようなこの曲は、2人のためにはぴったりの曲でした。

ちなみに人生の後半はほとんどオペラの音楽監督としての仕事が多くなる慎一。実はこっそり歌うのも嫌いじゃなくて、シューベルトの歌曲は彼のお得意でありました。慎一がアネットのために歌ったセレナーデは、実は(こっそりだけど)彼の十八番だったりもするのです。


ところで、ショパンのノクターン。
私は特別に造詣が深いわけではないので、お詳しい人に「何言ってんの」と言われそうですが、いや……No.1とNo.2(浅田真央ちゃん…・)、No.20はともかく、その間の曲を聴いてもNo.○と頭に浮かんでこないし、実際の演奏会での演奏頻度ってどのくらいなんだろう…・・と思いながら聴いているわけです(でも、No.17は結構好き)。
これってきっと、私たちが『黒田節』と『ソーラン節』と『花笠音頭』と『斎太郎節』と『俵積み唄』は登場頻度が高いから弾けるようになっておかなくちゃ、でも『ドンパン節』と『伊勢音頭』と『河内音頭』はまぁいいか、って思うのと似ている? 全然違う?(いや、ちゃんと覚えろって怒られそう^^;)

長くなったので、また次回。
本編はこちらです。よろしければご覧ください⇒『死と乙女』
西洋のクラシックもいいけれど、日本のクラシック・民謡はやっぱりいいなぁ。追記では『南部俵積み唄』をお楽しみください。



本当に、目出度い。こんなに目出度くて景気のいい曲は他になく、とても愛されている民謡です。
北前船の時代? 日本海側が華やかなりし時代の唄です。この唄、じつはこっそり真が呟いていたことが……「いろは蔵」のことで……(彼、民謡っ子ですから)
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Category: 小説・バトン

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コメント


こんばんは

書き進められていない作品でも、こうやって少しずつ語ってもらえると、親しみがより湧いてきますよね。
真シリーズは大海さんが昔書かれていたものを推敲されているのだと思いますが、この「死と乙女」は、まだ執筆途中なのですね。でもきっとラストの展望はあるのでしょう。
あれだけ深く音楽や心理描写を書き出されている作品だから、なかなか片手間には薦められませんよね。
どうぞ、じわじわと進めていってください。

私はピアノを少し習っていたにもかかわらず、クラシックの方には気持ちがそそられず。これもやっぱり資質なのでしょうね。大海さんは幼少の頃に、クラシックや古典音楽に親しむ環境にあったのでしょうか。
身内に音楽をされる方がいらっしゃったとか。
才能と血、という関係性の不思議を最近よく思います。
慎一の中にも、音楽家の血があったんでしょうね。そういえば真も三味線がうまかったし、おじいちゃんも・・・。葉子もピアノ・・・。
(え!葉子は離婚してたんですね!そこ、驚いちゃった)

最近は大好きなバンドの曲をガンガン聴いてテンション上がりまくっているんですが、ジャンルは違えど、やっぱり音楽っていいですよね。
出来れば自分にも奏でる才能が欲しかった(それが言いたかったらしいです><)

『死と乙女』の続き、ゆっくりと待っています。
時間をかけても、納得するものを書いて行きたいですもんね。

lime #GCA3nAmE | URL | 2015/04/28 18:40 [edit]


セリフのチラ見せ、ありがとうございます。
お話が前に進む感じ、良いですね。わくわくします。
じいちゃんと孫の会話、結構好きなんです(←なぜポイントそこ?)
お話につながる音楽を聴くの、良いですよね。
シーンとつながると、盛り上がりますよね。
大海さんの中で登場人物の人生が音楽と共に流れているのかと思うと壮大だなあと思います。

そうかあ、ピアノ曲、良いですよね。
私もピアノは指がパタパタ動くのが好きです(わからんね)
ベートーベンものはさすがですね。
あれが脳内にあって、譜に落とすってすごいすごい。
ショパン・・・叙情、すご・・・
ピアニストさんも度量も表現力もなくては弾けませんね。
クラッシックも良いわあ~
私は夜な夜なギター物を聴いては夜更かししております~いかんのお(^^;)

香西かおりさま~歌うまいっ!
民謡も良いわ、コラ。
けど、太鼓ガン見でごめんなさいね~^^

けい #- | URL | 2015/04/28 20:59 [edit]


あ「死と乙女」だ

こんばんは。

「彩洋さんにリクエストする時は、氣軽に適当なことを書くと、大変なことになる」というのを学んだ作品です。ううう、すみません。

クラッシック音楽(だけじゃなくて三味線もだ)が絡む話を書くのは似ているけれど、似ているのはそこだけで、その本質に迫ろうとする意氣込みが全然違うんだよなあ、と本文を読んでも思うし、こうしたメイキングというのか雑記を読んでもしみじみと思いますよね。魂が入っているというのかなあ。

私は、好きだけれどクラッシック音楽は(言うまでもなく三味線も)詳しくないので、そこまで立ち入らないようにしている(逃げているとも言う)のが、如実に現れていますよね。

ショパンやリストは、もちろんピアノを語る時には外せませんけれど、でも、私の子供の時にはオーケストレーションにしか想いのいかなかったベートーヴェン、彼もピアノの偉大なヴィルトゥオーソであり、彼の作曲したピアノ曲には特別な想いが隠っていると感じるようになりました。しかも「Infante 323 黄金の枷」のラストシーンのBGMを勝手に「皇帝」の二楽章にしちゃったので、余計思い入れが強くて、つい先日わざわざチューリヒ日帰りで聴きにいってしまいました。

というわけで、(どういうわけで?)続き、氣長にお待ちしています。

P.S. 私は、いい加減にニューヨークから離れるために、ずっとBGMにしていたワーグナーを聴くのをやめて、「黄金の枷」シリーズに必要なベートーヴェンやモーツァルトや、ファドやその他の音楽にしようとしているんだけれど……切り換えが上手くいかないし、進まない〜。

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2015/04/29 04:48 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

あ、やっぱりばれてしましたね^^; 書き進められていないものを「弁解」もしくは「忘れないでね」作戦。こうして書いておくと、自分でもやる気になるかなぁ、と^^;
えっと、実はですね。『死と乙女』もすでに書き終えたものがあるのです。だから筋立てや内容、ラストシーンを始めとするシーンはそのままなのですが、何が大変かというと、物語中に出てくる音楽の扱いなのです。まさかこんなに1曲1曲に自分が拘ることになるとは思わなくて、精神的にと時間的に余裕がないと音楽の内容をかみ砕いて文字に起こすという作業ができないという、大きな壁にぶち当たっていまして。
音楽の勉強をしながら書いている、そんな感じなのです。いや、これが三味線の話なら、今まさに付き合っているのでそんなに困らないけれど、クラシックは昔取った杵柄で、今は木が腐ってて掴めないので、知識を新調しなくてはならなくて……あわわ、という感じであります^^;
でも、また少し充電したら書き進めたいと思います。

私も実はピアノを少し習っていた程度で、中学でやめてしまいました。と同時に竹宮恵子さんの『変奏曲』に出会い、今度は聴くほうで楽しむようになったのかもしれません。
洋楽もそれなりに聴いたのですけれど、あの頃はサイモン&ガーファンクルとクィーン……だったかな。和ものは村下孝蔵さんに、少し遅れてチェッカーズだったかも。邦楽や古典に興味を持ったのはもっと後だったのでした。あ、でもですね、父が演歌好きで、演歌はかなりよく知っています。お祖母ちゃんが民謡の踊りをやっていたので、民謡もそこそこ……こっそり黒田節の踊りも知っていたり。あら、何だか無茶苦茶ですね……
うちの家では誰も特別に音楽をやっていたわけではなかったのですが、学校や予備校で仲の良かった友人は、音楽部だったりオケをやっていたり……
でもまぁ、才能も知識もないので、せいぜい楽しむのが精一杯です。
そうそう、ジャンルなんて何でもいいのです! 音を楽しむ。それだけですよね(*^_^*)
才能は、まあ……楽しめたらいいかってことで……(~_~;)

慎一の音楽の才能は、血縁もあったかもしれませんが、どちらかというと、それしか自分の心を表す術を持たなかったからなのかなと思ったりします。真は単に天性のものとして(才能という意味じゃなくて、人間の体にある土着のリズムみたいなもの?)津軽のリズムが合っていたらしく……^^; あれはきっと縄文のリズムなんだわ……? でもこれはじいちゃんから受け継がれたものかしら。えっと、やっぱり民謡かぁ。

> (え!葉子は離婚してたんですね!そこ、驚いちゃった)
わはは。えと、ちら見せですみません。そうそう、兄の真、誤認逮捕されていますから、葉子も富山家のお姑さんと折り合いが悪くなってまして。それでなくても、お姑さんは「相川家なんて蝦夷の蛮民」と思ってるし、もとよりこの結婚は認めないって気持ちが大きかったでしょうから。もちろん享志と舅は全然平気だったのですが、葉子がいたたまれない中で生きていくよりはって決心したわけです。
でも、葉子は「転んでも転んでもただでは起きない」設定なので、逞しかったのと、享志はこの兄妹に骨抜きにされていますから、再婚もせずに「籍が入っていようがいまいが、一緒」って感じでして。

はい。こちらも続きをまたいずれ。でもまずは『人喰い屋敷』と『雨』の再開ですね。
頑張ります(^^♪
コメントありがとうございました!!

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2015/04/29 15:05 [edit]


けいさん、ありがとうございます(^^)

台詞のちら見せに反応してくださってありがとうございます(^^)
こちらは、例のノート書きの方から抜粋したセリフです(多分こんなせりふだった^^;)。この孫(真)、本当にベートーヴェンの扱いとか酷いですよね。歴史的大作曲家を「苦労人」の一言で片づけちゃいますから。その辺は感性で生きている二代目真ならでは、です。
この子、ロック(というのかポピュラー、なのか? ポピュラー寄りのロックなのか、う~ん、でもロック)の舞台で平気でオペラの曲、歌っちまう子で。しかもロックファンの誰が知ってるねん、というような『トスカ』の曲とかを……これは実は、村下孝蔵さんがよくコンサートで、ギターで『運命』とか弾いてくださったのを思いだして。独学でピアノも弾くのですよ、この子。何せすごいおじいちゃんっ子で。逆にギターは初心者レベル。

でも、精神的にロックなので、どうも性格的にはかなり破綻したところもある子でして。娘に対しては完全にただの頑固おやじだったり。それなのに自分はもう勝手ばかりしてるし。かと思ったら海より深く悩んでるし。
そんな子なので、いつまでもおじいちゃんは心配だったようですね。何でも言うこと聞いてあげちゃうんですよ。
音楽でご飯を食べているのは、慎一と二代目真だけですが、他の登場人物も音楽と共に生きていてくれているとなれば、何だか嬉しいですね。慎一は、特に、相川家にとってもヴォルテラ家のとっても、特別な存在ですから、彼の音楽はどこかでいつも流れているのかもしれません。いや、その点、さすがに一代目真の三味線が流れていることはないようだ^^;
ベートーヴェン以降になるともう音楽に人生を重ねて、なんて感じで音楽家の人生を「解釈」しなくちゃならなくなって結構面倒な点もあって。ショパンなんてやっぱりポーランドのものって感じで、その歴史まで考えなくちゃならないのかと思うといささか面倒くさい気もするけれど、でも、ショパンが弾けてこそピアニストって感じもするし。その点、モーツァルトのあの底抜けの天才さは一体なんだろうと思ったり。
あれこれ思うけれど、慎一の場合はレインボーカラーもしくはカメレオンカラーですから、何にでも化ける。ただ根底には『熱情』が潜んでいるのですね。
しかし、ノートに手書き時代のようにさらりと流せなくなっちゃって、書くのも大変だわ、と思う今日この頃です。

いや、やっぱり民謡の歌える演歌歌手はいいですね。民謡はもう日本人の腹の中のリズムと思っておりますから……盆踊りになるとハイテンションなったり、若者がよさこいやソーラン節で踊るものも、やっぱり日本人のルーツなのかもしれませんね。
あ、そうそうけいさんはやっぱり太鼓ですね。太鼓、いいですね。民謡の世界じゃ、唄い手、太鼓、三味線、で三味線は一番下ですから^^; でもこういうのはやっぱりみんな集まっているのがいいのですね。
コメントありがとうございました!!

彩洋→けいさん #nLQskDKw | URL | 2015/04/29 16:24 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

> 「彩洋さんにリクエストする時は、氣軽に適当なことを書くと、大変なことになる」というのを学んだ作品です。ううう、すみません。
あ、いえいえいえ。いいんですよ。違うんです。これはですね、私の方が夕さんのリクエストを理由にして、慎一を世に出してやっちゃった、という渡りに船状態だったってのが問題で、決して夕さんのせいではないのです。私の方こそ、500Hitの(確か)リクエストなのに、まだまだ追いついていなくてごめんなさい!!!
でも、思ったより嵌ってしまって本当に申し訳ないです(>_<)
ただですね、これだけは確かです。えぇ、結構楽しんでおります! だから余計に簡単に行かなくなってもいるのですけれど。ストーリーだけを進めるなら、一度書いてある作品なので簡単なのですが、肉付けと曲付け?をすると、長くなるし、ある程度調べものもしなければならないしで、遅くなってて本当にごめんなさい。
でも、肉付けと曲付け、やっぱり必要なんですよ。うん。でないとペラペラのお話になってしまうし……
だからゆっくり待ってやってくださいね。

> クラッシック音楽(だけじゃなくて三味線もだ)が絡む話を書くのは似ているけれど、似ているのはそこだけで、その本質に迫ろうとする意氣込みが全然違うんだよなあ、と本文を読んでも思うし、こうしたメイキングというのか雑記を読んでもしみじみと思いますよね。魂が入っているというのかなあ。

うにゃうにゃ、とんでもありません! 夕さんの物語は、音楽が絡んだ上でストーリーもよどみなく進んでいて、しかも読みやすくって、本当に羨ましいです。あんなふうにするすると曲を絡めながら進めたいと私も思うのですけれど、泥沼になりやすくて、いつも「うぅ」と唸っております。
まぁ、でも慎一の話がこうなっている理由はちゃんとあるのですね。それはまた次回のメイキング(?)でお伝えしたいと思います。でも、言うなればこの子の話、「悩んでなんぼ」ですから……(それに比べると、詩織の話の軽いこと……^^;)
ただ、三味線はある程度分かって書いているので、コントロールが効くのですけれど(あえて危険区域には踏み込まないという知恵が働く)、クラシックはちっともわからんで書いているので、時々恐ろしいことが書いてあって(いや、自分が書いたのだけれど)、後で読んでびっくりすることも……^^; 書いている時はほんとに知らぬが仏、です。

チューリヒといえば、昔、ソ連に行った時、ソ連からの脱出?経路にチューリヒを選んだのですけれど、その理由は「トーンハレに行く!」。以前、若杉弘さんが指揮者を務めておられた、というだけで^^;
たまたま行ったらミッシャ・マイスキー氏のチェロを生で聴けて、大感動したのを思いだします。その時まで私の中で、チェリストと言えばロストロポーヴィチだったのですけれど……マイスキー氏のキリストみたいな風貌に、ちょびっと感動しました。あ、もちろんチェロにも。
ベートーヴェンは、とある理由で慎一の人生には外せないのですけれど、私も学生のころは第五と第九の人、って感じの印象しかなかったです……でも、第九を一度歌ってみて(実は一度合唱団に加わって歌ったことが)、う~む、なんと奥深いというのか、なんと厳しい曲なんだろうと思いました。歓喜の歌、どころか、「甘えちゃいかん、ちゃんとやることやらないと歓喜の時は訪れないんだぞ」って言っている曲に聞えて……
夕さんの仰る通り、ベートーヴェンのピアノ曲、まさに「物申す」という感じがします。

やっぱり偉大な音楽家の曲は、偉大なのですね(って、よく分からんことを言っていますが…・・)。モーツァルトも然り。
「Infante 323 黄金の枷」のラストシーンのBGMもなんと「皇帝」なのですね。どんなラストシーンなんだろ。わくわく。楽しみです(*^_^*)
そして、はい、こちらも気長にお待ちくださいませ(^^)

ワーグナー。思えば私が惚れに惚れたヤン・ウェンリーが登場する『銀河英雄伝説』は思い切りワーグナーでしたが、思えば、体力がないと聞き続けられない、見続けられないあの長大な楽劇を一日中聴き続ける、もしくは見続けることができたのも、若かったからか……今はもうそんな体力がないなぁ。
でも、私のレコード(当時、レコードだったのですね^^;)、『神々の黄昏』の4枚目、ブリュンヒルデの自己犠牲の部分だけ、擦り切れています。
「黄金の枷」シリーズのBGM etcがベートーヴェンやモーツァルトや、ファドなどなど、というのはものすごく親近感がわきます。ショパンやリスト、ラフマニノフもいいけれど、やっぱり掘り尽くしてみたらベートーヴェンとモーツァルト。そして民族の音楽。どこか腹の奥に自然発生的に存在するビートに近いものがあるのかもしれません。
音楽と物語、どこかで繋がっているものなのですね(*^_^*)
コメントありがとうございました!!

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2015/04/29 17:00 [edit]

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