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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】31.愛媛松山・白石の鼻~ 海に龍を呼ぶ巨石~ 

斎灘と三ツ石
『熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』
これは万葉集にある、額田王が詠んだと伝えられる歌です。
「熟田津(にきたつ)で、船を出そうと月を待っていると、いよいよ潮の流れも良くなってきた。さあ、いまこそ船出しよう」……という意味の歌。斉明7年(661)、朝鮮半島の百済が新羅と唐に侵略され、日本に支援を求めてきたので、斉明天皇は出陣。
額田王は斉明天皇に従って、中大兄皇子らと一緒に熟田津に滞在していました。どうやら、奈良の都を出立して1週間ほどで熟田津に達したのにもかかわらず、2か月もこの土地に滞在。良い潮時を待っていたというのです。
熟田津はこの近くの三津浜あたりという説もあります(他にも有明海の諸富町あたり=佐賀県など、諸説あり)。この辺り、潮の流れは荒く、とても船を出せるような港ではないから熟田津ではないという話もありますし、逆に、だからこそ出航には「潮時」を待つことが必要だったのだからここだ、とも言われている。

何故いきなり熟田津?
松山に来たので、やはりこの古代の出来事に興味を感じずにはいられませんよね。
斉明天皇というのは謎も多き古代の女性天皇。天智・天武天皇の母親ですが、古代の巨石巡りをしていると、時折名前が出てきます。有間皇子の変に際して、蘇我赤兄は斉明天皇の3つの失政を挙げています。 「大いに倉を建てて民の財を積み集めた」、「長く溝を掘って公糧を損費した」、そして「船に石を載せて運び積んで丘にした」というのです。

この頃、古墳時代は既に終焉を迎えており、作られる古墳・墳墓も小さくなっていったと考えられます。
 古墳時代最盛期は5世紀初頭で、大型前方後円墳が作られた時代。6世紀前半の古墳時代後期には主に横穴式石室となり、6世紀の末には終焉を迎えたとされています。斉明天皇は594年生まれの661年没、皇極天皇として642-645年、斉明天皇として655-661年に在位。
しかし斉明天皇は「船に石を載せて運び積んで丘にした」! これはまさに古墳のことですね。

実は彼女は巨石を明日香の都に運ばせ、古墳時代のような巨大な墳墓を復活させたいと願っていたという話があるのです。
 中大兄皇子が造ったとされる斉明天皇の墳墓として、現在有力なのは、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)=奈良明日香村です。斉明天皇は娘の間人皇女と合葬されたと『日本書紀』に記されいてるので、大きな石をくりぬいて作った2つの石室があるこの墳墓が有力とされます。ちなみに亡くなったのは九州。巨大とは言いませんが、八角形のピラミッド型墳墓……満足いただけたのでしょうか。

以前ご紹介した、あの兵庫県高砂の『石の寶殿』(【石紀行】15.兵庫高砂・生石神社~石が浮いている!~)。
あれも、斉明天皇が切り出そうとした痕である、という説があります。
彼女は自分の墳墓のために、日本中の「素晴らしい石」「珍しい石」「巨大な石」を集めようとしていたのかもしれません。墳墓なのか、権力を示すための要塞だったのか、あるいは古代の天文観測所だったのか。古代には今のようなカレンダーがありませんから、まさに「暦を制するものが国を統べる」時代でした。

何しろ古代の情報網、侮れません。そもそも大陸とも距離をものともせずに、現代よりもある意味では深い関係で行き来があったのですし、「いい石がある」なんて情報は簡単に都に流れてきたのでは……
また、凝灰岩などは、丸太を括りつけたなら、結構水(海)に浮くと言います。あんな巨大なものを運べたのか? えぇ、多分、運べたのです。でもあの石の寶殿は欲張り過ぎましたでしょうかね。
 石の寶殿の謎については他に諸説あり、よろしかったら検索してみてくださいね。

今、日本の考古学世界の常識として、「日本には巨石文明は無かった」とされています。
でも、そもそも巨石文明って何なの? ってことですが、例えばピラミッドやストーンヘンジや、大きな石を組み合わせて何かを作り上げた文明を巨石文明というのなら、古墳や巨大石室は十分立派な巨石文明です。明日香村の石舞台を見たら、石室ではあろうけれど、いわゆる巨大なドルメンですよね。
また、それよりはるか古代から、大きな岩を目印にして、農耕や狩猟・漁猟のためのカレンダーとしての役割を与えたり、また神様が降りる依代としての磐座、あるいは神様そのものとして崇めたりもしてきました。大きな石はそれだけで信仰の対象となっています。
これって、腹を括って、巨石文明と言って欲しい……いえ、ある時代にだけ存在した特別な文明ではなくて、日本人的宗教感覚からすれば、実は現代までも脈々と続いているのかもしれませんね。

文明をある時代で区切って話をすると「巨石文明時代」はなかったということになるかもしれません。「消えた○○文明」とか「忽然と姿を消した○○人」なんて話になるのですが、そもそも文明も民族も、そんなふうに「消失」するものではありませんよね。
時代は連綿と連なり、次へ移っていくのです。インディアンの記した渦巻紋様は「移動」を表すものだと言われています。移動、すなわち永遠。停留することなく、次の時代へ、次の居住地へと流れていっただけなのですよね。
そう考えると、巨大な磐座を見上げて思わず手を合わせてしまう私たち日本人は、もしかすると、今も「巨石文明」の中を漂っているのかもしれません……(「巨石文化」というべきなのかな。文明とは言わない、と識者に怒られそうだし)

熟田津から飛躍しすぎてしまいました。
(一説による)「熟田津」の近くに、この『白石の鼻』があります。
白石の鼻地図
松山から車で半時間ほど。矢印のところですが、なぜ「鼻」なのかというと、岬の突端が突き出しているのです。で、この白石の鼻の海の中に、今回の主役・『三ツ石』があります。
海の中なのですが、干潮の小潮なら渡れるのだとか。今回行ってみて、ぜひとも登りたい! とまた目標を新たにしました。
白石の鼻神社
これが突き出したところ。龍神社という小さなお社があります。
三ツ石
その真正面にあるのが三ツ石です。手前に小さな石が3つ見えます。これは『夏至の三ツ石』と言って、この3つの石の丁度間を夏至の太陽が沈むそうです。そしてその先に石が組み合わされたようなものが見えると思います。あれが『三ツ石』なのです。
『三ツ石』と言っても、石は3つではなく、正確には5つ(+α)の石の組み合わせのようです。
三ツ石x2
丁度、『夏至の三ツ石』の間を合わせてみました。この隙間を夏至の太陽が沈むそうです……そう、巨石ファンの正月と言われている夏至。来年の夏至は年休を取るぞ!(そして尾道の向島に行く!)と決意を新たにして……今はこの景色を楽しみましょう。
三ツ石夕陽を待つ
少し回り込んでいくと、石が3つに見えます。鳥がとまっていますね。この鳥、結局ず~っとそこにいました。でも、時々向きが変わっていたので、オブジェじゃない^_^; 上に乗っかった大きな石の下に少し隙間があるのが分かるでしょうか。
白石の鼻岩場
龍神社の方から観測ポイントに行くには、少し危ない岩場を降りて行かなくてはなりません。崖と岩の塊の間を抜けて観測ポイントに行くのですが、足場を渡してもらわなければ降りていくのは少し大変かもしれません。
さて、この岩の塊、ですが、『亀石』と呼ばれています。こちら側からはあんまり亀に見えませんが、龍神社側から見てみるとこんなふうになります。
亀石2
ちょっと寸足らずにも見えますが、一応「亀」かな。この石の組み立てを見ると、間に岩が崩れないように石が挟まれているのが分かります。そして、調査委員会の方によると、この亀石にも空洞があって、そこを冬至の日の入り1時間前、つまり夏至の日の出1時間後の太陽光線が通過するそうです。
三ツ石待ち遠しい夕陽
こちらが観測ポイント側から見た三ツ石です。あの隙間に、春分と秋分の太陽が沈むというのです(正確には、秋分までの約1週間、春分からの約1週間)。ちょっと雲が気になりますね。アップにしてみます。
白石の鼻1
そう、3つじゃなくて、最低でも5つの石ですね。『三ツ石』という通称のようですが、『白龍石』とも言われてます。白い龍? なぜ、これが龍? と思われるかもしれません。上手く見えたら、きっと海に龍が泳ぐんですよ!
白石の鼻3
先ほどの龍神社側から見るとこのような組み立てになっています。こちらの石については調査委員会さん(後述)が頑張って研究をなさっています。夏至・秋分・冬至・春分……研究のチャンスは年にそれぞれ1回ずつ、しかも天気とは限らないので、何年にもわたる調査が必要なんですね。応援したいと思います。
それにしても見れば見るほど味わい深い造形ですよね。この形自体がすでに芸術です。
白石の鼻夕陽3
ほら、光りが貯まってきましたね! ぼわんと空洞の周りが光を纏っています。あの逆三角形の隙間の上の方に向こう側の石が少し顔を出していますよね。その横に線状の隙間がありますが、太陽はそこに沈むそうです。
三ツ石と夕陽3
先に謝っておきます。引っ張るだけ引っ張って「今回この謎は解かれませんでした。しかし我々は謎に迫る鍵を手にしているのかもしれません」的なアナウンスで終わる番組みたいな展開になっていきますけれど、お許しあれ。
上の写真、空洞を通る光が帯になって、少しだけ海面に伸びているのが分かるでしょうか。えっと……ここを光がまともに通過したらどうなるか! それは皆様の頭の中で想像再生していただけると嬉しいです(>_<)
三ツ石と夕陽2
惜しかったですね。あと少しだったのです。でも今光を放っている夕陽の下には結構厚そうな雲が鎮座していまして、結局この後、あとちょっとで感動的なシーン!の前に、太陽は雲に沈んでしまいました。
白石の鼻夕陽1
上手く光の帯が伸びたら、まるで白い龍が海に横たわるように見えたことでしょう。
少し残念ですが、十分に夕陽と巨石の素晴らしいコラボレーションを楽しませていただきました!
ちなみに、あの空洞に太陽が入っているシーンを真正面から見るには少し低い位置から見るのが良いそうです(ということは海中に入るのね)。縄文海進までは地面に直接落ちる光が見えていたのではないかとも……でも、海に落ちるほうが素敵ですけれど。
そうそう。ね、鳥。ずっといたでしょう? でもちょっと向きが変わっているのですよ。
名残の三ツ石2
名残惜しいですが、そろそろ暗くなってきますので戻ることにします。龍神社の方まで戻ると、波がずいぶん引いていて、ほら、もう少し小潮になったら渡れそうですよね。
三ツ石に渡れるかな?
そうそう、この三ツ石、自然の造形だと思いますか? それとも人工的に組み合わされたもの?
参考に周囲の石たちの様子を見てみましょう。
白石の鼻駐車場側から
これは道路からみた白石の鼻。少し柔らかい岩(茶色っぽい部分)が波で削られていって、コア石(白っぽい)が残されいてくのが分かります。大きなコア石もありますね。
三ツ石もまた、このように残されたコア石でしょう。でも始めから自然にこの形に残されたか?
周囲の景観からはこの部分の岩の残り方は少し唐突ですね。荒い波の中で上段の岩が流されずに残るのは難しそうです。

下の段の石は自然のものであった可能性はありそうです。でも、上の段はどうでしょうか。
夏至の三ツ石については自然のままのものを利用したような気がします。いえ、逆にこの3つを残すために、他の石を取り除いたかもしれません。
その間をある季節に太陽光が通るような石の組み合わせは、自然に存在する可能性もあると思います。私がとても好きな岩、向島の岩屋巨石の割れ目にも夏至と冬至の太陽が通過しますが、あれも自然に割れたものでしょうか、割ったものでしょうか。

もしそれが自然の位置関係だったとしても、そのことを知った人々が暦代わりに(あるいは祭祀のために?)これを使ったことは間違いがないでしょう。そして、その時に、少し人工的に手を加えたかもしれません。
この石の組み立てでは、特に上段の石は不自然な組み立てに見えるので、この2つには人の手が加わっているような気がします。下の段は……う~ん、ぜひとも傍に近づいて、上に登って、見て触れて確かめたいですね。
つまり、自然の姿を利用して、それがより効果的に見えるように・使えるように手を加える。これが日本の巨石文明・巨石信仰によく見られる手法かな?
夏至の三ツ石と夕陽
謎を解き明かしたいような、このまま謎で置いておきたいような。
でも、海と石と太陽。いずれにしても、とても魅惑的な組み合わせです。
またいつか。

最後に、この松山・白石の鼻巨石群を調査し、人々に広めようと頑張っておられる調査委員会さんのHPはこちら→松山・白石の鼻巨石群調査委員会。私が見られなかった太陽光が通過する写真もフォトギャラリーに入っています(^^)

あ、実は今回はこの【石紀行】定番の?地域の美味しいご飯と素敵なお宿のコーナーはお休みです。何しろシルバーウィークの宿探し、混迷を極めまして、道後温泉とは言え、何とか泊まった!という感じでしたので……でも、11月始めの福島の旅では乞う御期待ですよ! テレビでもしばしば取り上げられている向瀧さんにも泊まる予定(*^_^*)
さて、次回は高知・足摺岬の唐人駄馬にご案内いたします。巨石の使い方は暦だけではない……次回は灯台です。

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Category: 石の紀行文(写真つき)

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コメント


こんにちは!
篠澤@松山・白石の鼻巨石群調査委員会といいます。

ご紹介いただき有難うございます。
シンポジウム来られていた人ですか?

篠澤邦彦 #- | URL | 2015/09/26 23:10 [edit]


素敵なパワースポットですね。
夕暮れ時に何時間でもいられそうです。
白龍と対話したい・・・

太陽光が落ちていく夕暮れの時間、空の色が変わり、周りの景色が薄れていく様、大好きなんです。
どちらかというと、海方面。ハマっこなもので(^^;)

けい #- | URL | 2015/09/27 09:12 [edit]


篠澤さん、ありがとうございます(^^)

こんにちは! こちらこそ、素敵な場所を発見し深く調査していただいて、その片りんをこうして巨石ファンだけではなく多くの人たちにに示していただいて、ありがとうございます!!
いつも思うのですけれど、季節ごとにしか見ることのできない景色って、一生の間に、たとえ毎年見れたとしても何十回程度しか体験できない。しかもこうして太陽が絡むとなると、お天気にも左右されるし、それを地道に研究されるのはすごいことだなぁと思います。コンピューターで計算・再現できるとはいえ、やっぱりホンモノからしか得ることのできないものがありますものね。
そんなことを思いながら、篠澤さんたちの活動、少し離れたところからですが、これからも注目して応援していきたいと思います。
あ、えっと……実は、はい、シンポジウムにお邪魔しました。シンポジウムのことを書かせていただこうかと思ったのですが、こっそり(ネットの隅っこで)巨石ファンをしているもので……しかも何か失礼があってはいけないと思い、この素敵な巨石と調査委員会の皆様に、しょぼい援護射撃を送るだけにしました……
今度はあの巨石にもっと近づいてみたい、と思ったりしています。
これからもますますのご活躍、そして御研究、応援しております!
コメント、本当にありがとうございました!!

彩洋→篠澤さん #nLQskDKw | URL | 2015/09/27 14:01 [edit]


けいさん、ありがとうございます(^^)

本当に、夕陽と海ってなんて似合うんでしょう。そう言えば、かのランボーも「太陽と番った海」と言っていました。そこに巨石が加わったら、もうパワーが何十倍にもなりそうです。この季節の夕陽って、まだあのへんだなと思って安心していたら、最後の方は一気に落ちていくんですよね。あ~なのに、どうして最後のところにそんな厚い雲が……でも、十分に楽しませていただきました。
> 白龍と対話したい・・・
うふふ。石とは語れるんですよ。初めて私に語りかけてくれた石は、広島尾道向島の巨石、だったかな。「よく来たな。待ってたよ」って。私はもう「会いたかったよ~」って抱き付いちゃいました。あ、あの巨石も、海が見えるんですよ。瀬戸内海ですけれど。この白龍石は海に龍を浮かべてくれるんですよね。お、そう言えば、『千と千尋の神隠し』にもいましたね、白龍。いや、お相撲さんもか!
それ以降は、石がね、呼ぶんですよ。おいで~って遠くからでも。あ、それじゃあまるで綾斗だ!

そうかぁ、けいさんは浜っ子ですものね。うん、海の近くで見る夕日は素敵ですよね。うちらの界隈では、やっぱり明石海峡大橋と夕陽ですかね~
また引き続き、唐人石もお楽しみください。ここもまた、海の素晴らしい景色が楽しめます。
コメントありがとうございました!!

彩洋→けいさん #nLQskDKw | URL | 2015/09/27 14:18 [edit]


こんにちは!

たまに船を出していますよ。
機会があれば、お越しください。
当会のホームページで告知しています。

篠澤

篠澤邦彦 #- | URL | 2015/09/27 22:09 [edit]


篠澤さん、再びありがとうございます(^^)

わぁ、船ですか! 海から迫る三ツ石もまた素敵なんでしょうね。
素晴らしい企画がいっぱいですね。あぁ、近かったらよかったのに……
でも、機会があればぜひまたお伺いしたいと思います。そう、出だしの途中で止まっている八十八箇所巡礼も行かなくちゃ、ですし。またホームページを覗きに行きます! ありがとうございます(*^_^*)

彩洋→篠澤さん #nLQskDKw | URL | 2015/09/28 00:11 [edit]

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