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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・小説】視点と人称~物書きブログテーマ(1)~ 

少し出遅れちゃったけれど、小説ブログ「DOOR」のlimeさんが打ち上げられた「物書きブログテーマ」に参加してみようと思います。

limeさんが掲げられた最初のテーマは「視点・人称」。
ブログのお友だちが其々皆さんの方法論を記事にアップされていたので、コメントを残したものの……はて、私って1つの記事が書けるほどの内容がないわ、と気が付きました。
だって、私の場合はもう基本的に決まっていて……「三人称のふりをした一人称もどき」で書く形式なんです。何故って、単に書きやすいから。自分が一番親しみやすい形式で書かないと、途中からおかしなことになったりしてしまうのです。

でもこれだけでは身も蓋もないので、ちょっと掘り下げてみます。
実際には、もともと「視点」とか「人称」とか考えずに書いていた頃があったのですが、諸事情で(あ、決して作家になろうなんて思ったわけではありません)ほんの少しの間「文章教室」なるものに参加してみたことがあり、初めて自分の書いていた「小説もどき」が体を成していないことを知りました。

いわゆる「神様視点崩れ」だったわけです。多分、テレビドラマや漫画・アニメなどの影響かもしれません。絵やドラマでは、台詞が無くても表情などから各登場人物の感情が読み取れるようになっていますよね。自然に「多視点の交差型」になっているのです。で、これをそのまま小説で書くと、本来なら「神様視点」という形になるわけですが……

本来、神様視点って難しいんだと思います。視点があっちこっちに飛んでいると、実は読むほうは振り回されてしまって、誰にも感情移入できない間に終わってしまった、ってことになりかねません。
小説では表情が見えないので、読者に「読み取ってもらう」ことが必要なんですよね。文章教室で言われて記憶に残っている「教え」は「読者は親切ではない。読者に労力を科すと、読んでもらえない」というものでした。始めから「ブンガクに向かい合うという気合を持って机の前に坐して小説を読む」なんて人は昨今滅多にいないでしょう。だから何よりも「苦労を掛けずに読んでいただける」ことが大事なのだと。

そういう意味では、一番書きやすくて感情移入してもらいやすいのは一人称、でしょうけれど……
これは好き嫌いがありますよね。一人称小説って、読み始めて1ページ目で「あ、この『私(あたし、俺、僕)』、あんまり好きじゃないわ」と思った途端に読むのをやめちゃうことがあります。内容はもしかしたらすごくいいのかもしれませんが、何となく語り口が嫌いとか、必要以上に多い心の声が面倒くさかったり……

実は私、オフ会話とかのお遊びはともかくとして、真面目に(?)書いた一人称小説がひとつだけあります。
あ、【名探偵マコトの事件簿】も大真面目の一人称かもしれませんが、あれはまぁ……ネコなので……ちょっと置いといて。
【学園七不思議シリーズ】図書館の手紙です。「ねらい」というほどの高尚なものはありませんが、これは単に享志視点で「彼=真」を描写するというのをやってみたかったからなのです。それに、真視点だと、彼は「ホームズ役」なのでネタバレしちゃいますから、「ワトソン君」=享志に語ってもらったというだけ。あ、ネタってほど大したものはありませんでしたけれど。
だからこれは「一人称のふりをした」だけかもしれません。それに、享志だったら、まぁ読んでくださる方に嫌われないか、とタカをくくって(ウザくない程度の天然ボケですから)……

でも書いてみて分かったことがあります。一人称だと、余計な描写や説明をしなくて済む点は楽だということ。心象風景とか、あまりくどく書かなくてもいいんだなぁ、とか、本人が知らないことは知らないまま通せるし、なんて、ちょっと味を占めたことは内緒です。

それはともかく、結局一番「自分が書きやすく」、「読んでくださる方を混乱させない」パターンとして、「三人称をよそおった一人称っぽい書き方」に落ち着いたわけです。これだと、物語が多次元で進む場合には、視点が変わっても違和感がありません。視点が一次元であっても、それはそれで問題は無い。自分も惑わない。

例えば【清明の雪】は三人称で書いていますが、視点は一次元です。視点は真に固定してあって、竹流の視点は出てきません。
でも、このお話、実は最初に書いた時はもっと長くて、竹流視点のシーンがずいぶんと入っていたのです。それを全部切ったら、3分の2くらいの長さになって、すっきりしました。でも、そのあと少し描写を足したら元の長さに戻ったんですけれど^^;

ただし、多次元で進むお話の時も、シーンの中では視点は変えないようにします。
いえ、今はこんなふうにカッコよく言ってみていますが、もともとひとつのシーンの中でも視点が定まらないまま書いていて、本当に読みにくかったのです。この「神様視点」で書いても読みにくくないお話を書ける人もおられますが、これはきっとセンスなんだろうなぁと思います。私の場合はダメダメでした。う~ん、物書きとしてはあんまりセンスはないことは自覚していますので……

【海に落ちる雨】は多次元構造ですが、真と美和が一緒にいても、美和の視点からのシーンと、真の視点からのシーンを混在させないようにしています。竹流が怒涛のように語っても、それと真視点のシーンが混在することはありません(多分)。

「三人称のふりをした一人称もどき」なので、(八少女夕さんが書かれていたように)「真は」という文章の中に「俺は」という文章がさらりと混じることはしょっちゅうです。これは違和感がなく、感情ダダ漏れになってウザく思われない範囲でやっています(つもりです)。
一方で、気が付かれている方もあるかもしれませんが、竹流のシーンは「俺は」ではなく「彼は」と突き放した書き方をしています(まれに「俺」がでてくるかもしれませんが、それは文章の流れを重視する場合です)。真視点のシーンなら「彼は」はやりません。真の感情は丸裸になってもいいや、と思っているからです。というのか、この人、「実は結構わかりにくい人」なので、少々ダダ漏れにしないと「ヘンな子」に拍車をかけちゃうんです……
【海に落ちる雨】は次回から竹流の怒涛の独白になりますが、真視点のシーンに比べると三人称感が強いと思います。彼はやはり「下々の人」ではありませんので、例えDV男になっちゃっても、たとえひどい扱いを受けてボロボロになっていても、「神々しさ」を保っていて欲しいという作者の気持ちが籠もっているのかもしれません。

……あ、ちょっと気を付けていることがあります。
それは「私はこれはAの視点から書いている」と思って描写しても、「Aにはそれを感じることはできない・見えない」ってことに気がついていなかったり、あるいは「A視点とは言えない文章が混じる」ことがあるんですよね。これは単に言葉遣いの問題でもあるのですけれど、実はそれが一番難しいと思ったりします。
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Category: 小説・バトン

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コメント


ふり

昔、友人たちとリレー小説をやっていまして、このときは断然、三人称神の視点が便利だと思いました。

なぜなら、行き詰ったら視点チェンジ!! 場面転換。
というええ加減なことをやっていたからなのですね。

栗本薫さんの小説はこの、三人称神の視点が多いですよね。
私の小説の書き方は栗本さんとちょっと似ているかと思わなくもないのですが、三人称ひとりの視点ならともかく、大勢になると頭が混乱するのでむずかしいです。

一人称がいちばん書きやすいとは思ってますが、たしかに、その一人称の人物を「あ、こいつ嫌い」と思われたらそこでアウトですね。
うーむ、そうですよねぇ。

そうそう、私も三人称で書いているときは、「三人称のふり」かもしれません。だからつい」「俺は」に変わってしまったりします。
「三人称のふりした一人称小説」って面白いですね。

この記事はいろいろと気づかせてもらえてためになりました。
ありがとうございました。

あかね #- | URL | 2015/10/03 01:53 [edit]


ううむ、勉強になるなあ

こんばんは。

そうか。三人称で書くと言っても、視点がどこにあるかも大事なんですね。
(とことん何も考えていない)

最後の氣をつけていらっしゃる点としての「A視点とは言えない文章が混じる」のくだりですけれど、それを私のところで拾ったらきっと「おいおい」がいっぱい転がっているんだろうなと思いました。

でも、なんか、私があまり視点を固定しない理由が、これですっきりしたかも。
ミステリーだと、最後までいろいろ隠すのはありですけれど、私の書いているような題材だと、隠すのも変なので、途中でいろいろな題材を提示したいじゃないですか。そうするとAは知らないのに、Aの視点固定では違和感なく提示できないってことになりますよね。上手な方だと、会話の中にさりげなく挟んだりするんでしょうけれど。それで、私は勝手に次の人のところに視点を移して、そこで提示しているんだろうなって。

それと、このテーマとは関係ないですが「読者は親切ではない」は真理ですね。これは、書く時もそうですけれど、発表のし方を考えるときも、常に意識しています。たぶん、私自身が全然親切ではないからよけい氣になると思うんですけれど、読者の「面倒くさい」をいかに省くか、大事だなと思います。

登場人物にあだ名を付けるのも実はその一環だったり。ほら、憶えにくいあたり前の名前だと、しばらく空いてから出てきたりすると「だれだっけ」となったりするじゃないですか。でも変なあだ名がついていると「ああ、こいつか」と思い出してもらえるかなって。あと、脇役に強烈な個性の人物を持ってくるとかもします。

はじめて知ったのは、【雨】の視点チェンジにも、そういう人物による違いがあったこと。へえ〜、そうだったのですね。
同じ小説でも、こういう裏話を聴いてから読むと、違った目で読めそうです。

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2015/10/03 02:46 [edit]


うんうん

私のリンク仲間さんは皆さんそうなんですが、大海さんの書き方ももう、理屈抜きで安心して読めるし、三人称の書き方も、「三人称のふりをした一人称もどき」の手法も、わたしのものと凄く似ているので、しっくりきます。

ここでハッとしたのが、「神視点」ということ。
私が普段使っている三人称と、神視点とはまた別なんですよね。

最近処女作「ラビット」の冒頭を読んで愕然。これ、神視点と三人称多視点が混在してる~(笑)
初心者というものは、本当におそろしいです。(少し修正しておきましたが、もうむり)

【清明の雪】は、初めて真と出会った物語ですが、そうか、真の一視点だったのですね。でも「俺」の一人称ではなくて、本当に良かったです。
神視点ではないにしろ、少し俯瞰で見た視点が、真を客観的にとらえられるから。

そうだ、書くのも読むのも、一人称が苦手な訳は、その本人が客観的に見えてこないからなんですよね。時々その本人の名前も忘れてしまうし。
最近の著書は本当に一人称が多くて、文章は読みやすいんだけど、すんなりと感情移入が出来なかったりします。
その一人称のひとが、自分の波長に合えばいいんだけど、ちょっと苦手な感覚の人だったりすると、その人の感覚を通して、これからの物語を体験する覚悟が、なかなかできなくて。
でも、自作の「カエルヒ」なんて、一人称の少女は性格破たんギリギリの変な人でしたね(笑)(だめじゃん)

最後の、視点を持つ人が分かりえない事を書いてしまう・・・というのは、私も時々やってしまって、反省します。
視点を持つAに背を向けているのに、Bはふっと笑った・・・とか、うっかり書いてしまうんですよ。
ドラマや映像ではおかしくないんだけど、気をつけなければ・・・><

lime #GCA3nAmE | URL | 2015/10/03 08:45 [edit]


あかねさん、ありがとうございます(^^)

> 昔、友人たちとリレー小説をやっていまして、このときは断然、三人称神の視点が便利だと思いました。
うん、リレー小説を一人称で書くことはありませんよね。というのか、書くとしたら書き手がそれぞれ別の人物を一人称で書くということになりますよね。もしも一人の「私」について書いたとしたら、そのキャラクターが多重人格に^^; 
で、三人称で書くってことになるし、それぞれの書き手の興味も散らばるので(だからこそ楽しいわけですが)、神視点になるってことですね。うんうん、行き詰ったら視点チェンジ、場面転換! いい加減というよりも、このどこへ向かうか分からないってのがだいご味ですから(*^_^*)

栗本薫さんの小説は、かの大作は拝読したことがないのですが、他の古い小説は結構読んだかもしれません。神視点・三人称だったかどうかあまり記憶にないのですが、あの頃の古い小説ってそれが多かったような気がします。登場人物が多くなって、構造が複雑になると、すべての人物を上手く動かすのって大変ですよね。これはやっぱり作家の才能とかセンスなのかなぁ~
どの視点・人称がその物語に合うか、どんな視点が書きやすいか、きっと書き手の好みや癖があるんだと思うのですが、読んでいる人に違和感が無いように書けていたらいいなぁと思います。

一人称は書くのは比較的書きやすいと言われていますが、読む人に受け入れられるかどうかについては少しハードルがあるのかなぁ~。読むほうの立場からすると……すっと入って行けるキャラかどうか、好みが分かれちゃったりするし、時々心の声が鬱陶しい時もあるし。
でもしっかりその人を描こうと思うと一人称要素は必要になったりしますよね。神視点だとどうしてもその辺りが「読み取ってね」状態になってしまって、あまりにも違う方向へ行ってしまったり。だから上手く、適度にその人物の心の動きを書くために「三人称のふりした一人称」で書いているのかもしれません。物語の幅という意味では、やっぱり三人称がいいような気もするし。
でも結局、自分が一番扱いやすい形で書くもの、なのかもしれませんね。
コメントありがとうございました!!

彩洋→あかねさん #nLQskDKw | URL | 2015/10/03 15:03 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

> そうか。三人称で書くと言っても、視点がどこにあるかも大事なんですね。
> (とことん何も考えていない)
あ、いえいえ、こういうのはいろんなスタイルがあると思うんですよ。三人称で素直に神視点で書いている人もいて、それがいいとか悪いとかじゃなくて、書いている物語にぴったりはまっていたらそれでいいんじゃないかと思うのです。
私も最初はワンシーンの中でいろんな視点を混在させていたのですが、自分でも読みにくいなぁと思っていたんです。それがあるラノベをたまたま読んだとき、それはちょっとわざとらしいほどのシーンごと視点変換でしたが、ただ分かりやすくて読みやすかった。あ、こうすればいいのか、これは私にも使えるし、自分の書くものにはこれがあっているみたい、と思ったのでした。
自然に神視点で混在させて書いていても、まるで気にならない作品を書いておられる人もいますよね。私の中では夕さんの『大道芸人たち』はまさにその域です。

> 最後の氣をつけていらっしゃる点としての「A視点とは言えない文章が混じる」のくだりですけれど、それを私のところで拾ったらきっと「おいおい」がいっぱい転がっているんだろうなと思いました。
うん。これは視点を固定して書く(シーンにしても物語全体にしても)場合には気をつけなくてはならない点なのかなぁと思います。神視点の時はある程度はいいと思うのですけれど、それでも一文の中であれこれ入り混じると、古文みたいに括弧で主語を書かなくちゃならなくなってしまいますよね。ただ、意外に気が付かないでやっちゃっていることがあるんですよね。読み手を混乱させないことってほんと、大事だけれど、結構難しい……気をつけなくちゃと思っています。

多分、物語の内容に合った視点や人称があるんでしょうね。そう言えば、以前、ミステリーとかハードボイルドは一人称が臨場感があっていい、なんてのも聞いたことがあります。もっとも、怒っている事件の内容が、一人称の本人に降りかかる危険じゃない場合には、危機に陥っている人と、助けに行こうとする(おそらく)関係者とか警察官とかのシーンと、交互に書くのがいいんだろうし、ケースバイケースですよね。
大河ドラマ系は絶対に多視点が必要だし(一人称だと飽きちゃう)、恋愛小説は……ケースバイケースかな。視点固定の方がドキドキするかもしれないし(相手の気持ちが分からない方がいいという、マイアと23みたいな感じ)、視点が両方にあった方がいい場合もあるし(想い合っているのに、障害があってくっつかない場合なんかは……)。こういうのって、センスでぴったりのを選んで書いているのかもしれませんね。

> それと、このテーマとは関係ないですが「読者は親切ではない」は真理ですね。これは、書く時もそうですけれど、発表のし方を考えるときも、常に意識しています。
うん……本当にそうです。あ、発表の仕方を考える時、ってのは私はちょっと反省しなくちゃ。予約投稿している分を確認していないことが多くて、今回もまたやっちゃった^_^; と言っても、小説は重ならないように考えている(はず)なのですけれど。雑記・旅行記と小説は続いちゃうことがあるなぁ。これも迷惑かなぁ。
ま、読んでくださる方は皆さん、親切ですけれど。読むか読まないかはその人の自由ですものね。

登場人物の「しばらくたって出てきたけど、こいつ誰だっけ?」っての、悩みますよね。もう一回説明するか、それはちょっとしつこいか……いつも悩みます。でもこれはもう、普通の本を読んでいる時にも私なんてしょっちゅうでして、特に海外の小説は「登場人物紹介」のページを何回も繰ります。そのキャラに何か特徴をひも付けしておいて、いつもそれと一緒に出す、というのは大事かもしれませんね。

> はじめて知ったのは、【雨】の視点チェンジにも、そういう人物による違いがあったこと。へえ〜、そうだったのですね。
> 同じ小説でも、こういう裏話を聴いてから読むと、違った目で読めそうです。
あ、これはまぁ、すごい意識してやっていたわけでもないのですけれど、この二人の場合はものすごくはっきりしているなぁと自分でも思っていたのです。竹流視点の時は、少し離れた位置から見て書いている感じ、真視点の時は真自身にかなり近いところで書いている感じ、なので、自然に表現も変わってくるのかもしれません。
でも、そんな風に感じながら読んでいただけると、ちょっと面白いかなぁ、なんて。
美和視点の時はものすごく自由かもしれない(*^_^*)
引き続き『設定のこだわり』も書こうと思いますが、実は皆さんの書かれたのを拝読して、う、私、何にもこだわってないわ~と焦っているのでした。
コメントありがとうございました!!

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2015/10/03 15:57 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

> 私のリンク仲間さんは皆さんそうなんですが、大海さんの書き方ももう、理屈抜きで安心して読めるし、三人称の書き方も、「三人称のふりをした一人称もどき」の手法も、わたしのものと凄く似ているので、しっくりきます。
うん、きっとこれはそれぞれ皆さん、自分の書きやすいスタイルを持っていて、それを読んでいる・くださる方も慣れて来つつあるのかも? 文学的にはスタイルを変えたりして表現の仕方に斬新さが求められるかもしれませんが、読むほうとしては少し安心して読めるほうが、つまりそのスタイルについていくのに必死なんてならなくてよいように読みたいかもなぁ。そのほうが物語の世界自体に深く入り込めるような気がします。
「三人称のふりをした一人称もどき」がやっぱり書きやすいような気がしますよね~(って、勝手に思っている)。

> ここでハッとしたのが、「神視点」ということ。
> 私が普段使っている三人称と、神視点とはまた別なんですよね。
あ、これは何でもありじゃないでしょうか。三人称はただ「私(僕)は……」って一人称ではないってだけの意味で、視点はまた別ですよね。三人称を使って視点を固定するって書き方のほうが、多分主語をいちいち書かなくてもいいので、文章の流れがいいように思うのです。もしも神視点だったら、誰がそれをしたのか、一文ごとに(あるいは一文の中でも変化することもあるし)書かなくてはならなくて、でなければ古文みたいに「読解力を要求する」ってことになりますもんね。
でも、神視点小説でもすごく上手く書いている人もいるし、昔の文豪の作品って結構このパターンが多いし、これはもう読み易かったら何でもありで。漫画とかドラマ、アニメだったら、顔の表情があるからその辺、神視点で何の問題もないんですけれど、小説はちょっと混乱する場合もあるから、上手くやらないといけませんけれど。
私はもう、何より自分が混乱しないように「三人称で書くけれど、このシーンは美和視点、このシーンは真視点」と決めて書くようにしています。

> 【清明の雪】は、初めて真と出会った物語ですが、そうか、真の一視点だったのですね。でも「俺」の一人称ではなくて、本当に良かったです。
> 神視点ではないにしろ、少し俯瞰で見た視点が、真を客観的にとらえられるから。
うん。その節は?ありがとうございました。そして今も真を可愛がっていただいて、本当にありがとうございます。そうそう、真の一視点でした。あのお話、竹流視点が入ったらもうすごい混乱の極みになってしまって。ただ情報が減らないように「タヌキ寝入り手法」が必要になったのは反省です。
真がもし一人称で書かれてあったら……ウザくないですか?(って、作者が自分で言うのもなんですけれど)彼の心の声が表にガンガン出てきたら、ちょっとね、この人頭大丈夫?って感じになりそう^^; そうそう、ちょっと俯瞰していただく、そのほうがきっと読みやすいですよね。ハードボイルドの「オレ」は嫌いじゃないけれど、それでも三人称の方が少し読みやすい気がします。
あ、でも真もひとつだけ一人称がありました→お誕生日掌編:http://oomisayo.blog.fc2.com/blog-entry-534.html
今見ると、ちょっと微妙にコミカルですよね。う~ん、真の一人称はイメージが変わりそうなので、もうやらんとこうっと。

> 最近の著書は本当に一人称が多くて、文章は読みやすいんだけど、すんなりと感情移入が出来なかったりします。
> その一人称のひとが、自分の波長に合えばいいんだけど、ちょっと苦手な感覚の人だったりすると、その人の感覚を通して、これからの物語を体験する覚悟が、なかなかできなくて。
そうそう、それなんですよね。一人称の怖いところ。読み始めて、何だかこの人と付き合いたくないと思ったら読まなくなっちゃう。あ、でも、「カエルヒ」は、そうか、言われるまで一人称だったという記憶がありませんでした。そんなに違和感なく読ませていただいていたし。う~ん、これはもしかすると、「一人称のふりをした三人称小説」(うちの享志みたいに)だったかも?

> 最後の、視点を持つ人が分かりえない事を書いてしまう・・・というのは、私も時々やってしまって、反省します。
> 視点を持つAに背を向けているのに、Bはふっと笑った・・・とか、うっかり書いてしまうんですよ。
> ドラマや映像ではおかしくないんだけど、気をつけなければ・・・><
そうそう、そうなんですよね。ちょっとした表現でも、その人の視点からはあり得ないことがあったりするので、本当に気を付けて書いていないと、混ざってしまうのですよね。しかも気が付いたらまだいいのですけれど、気が付かないことも多々あって。こういうのは作家さんだったら編集者さんとかが指摘してくださるんでしょうかね。いや、そもそも作家さんだったらそんなヘマはしないのかな。
視点ひとつとっても、本当に奥深いものですね。
コメントありがとうございました!!

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2015/10/03 16:38 [edit]


次作は三人称でと願っているので、大海さんや皆さんのお話がとても参考になります。
そうそう。「三人称のふりをした一人称もどき」という大海さんのお話がはじめは意味わからず、あまり意識もせずに、これはすごい文だなあという印象だけで読んでいました。ここにきてようやく理解し始めたのかもしれないですけれど、人称うんぬんよりも表現のすごさに持っていかれる感じで読ませていただいているかも(イミフですみません><)

【海に落ちる雨】は、登場人物も多いですし、事情も複雑に絡み合っているので、読み手である自分の脳も鍛えられます。一人一人に感情移入できるのは、「三人称のふりをした一人称もどき」の醍醐味で、抜群の効果を放っていると思います。

自分が三人称に初挑戦したお話は、書いていて最初はわからなかったのですが、途中から人称の乱れに気付くようになり、気になりつつも全く対処できなくて、人称については大いに反省を残しています。ま、初めてだったので(^^;)

一人称について意識したのは、主人公視点で本編が進んだある場面を、番外でその友人視点で同じ場面を書いたとき。同じ時間、同じシチュエーションだったのに、視点違いでかなり異なった流れになったのが自分的に妙に面白かったのを思い出します。

視点については、まだまだ難しく感じることの方が多いのですが、気に留めながら書いたり読んだりするとまたお話の楽しみ方が広がりますね。

けい #- | URL | 2015/10/03 17:24 [edit]


ふむふむ

三人称もどきの一人称、この視点って、書きやすいですよね。
私もそうですが、多くの方が意識するにせよしないにせよ。自然に使っている視点ではないかと思います。
純粋な三人称、いわゆる神様視点というのは、いちばんオールマイティなはずですが、いちばん高度なテクニックですよね。使いこなすのは難しそうです。
三人称もどきで視点が変わるのは、章などできちんと管理されていれば、まず問題ないだろうと思います。これも、多くの方がそうされていますよね。
地の文に心の声が混じるやりかたは、ほんとうはお行儀が悪いのかもしれませんけど、私もよく使います。ちょっとしたスパイスというか、アクセントという感じですね。
その際に、「俺は」「わたしは」ではなく、「彼は」となると、たしかに三人称っぽくなりますね。ふむふむ、そうか。そういう書き分けも、御作を読む時の楽しみにさせていただきますね。

TOM-F #V5TnqLKM | URL | 2015/10/04 00:09 [edit]


けいさん、ありがとうございます(^^)

あれ? 『夢叶』は「三人称のふりをした一人称もどき」って枠のものかなと思って読んでいました。多分その形式がぴったり合っていて、みんな田島くんに気持ちを合わせながら物語を読んでいたんじゃないかなと思うのです。
人称や視点なんて、あまり意識していなくてもみんなちゃんとやっておられて、私などは全然体をなしていなかったのに、皆さんセンスがおありなんだなって思ったりします。でも、うん、これはきっと「これが伝えたい」って思いがあって、それがあるから自然に「伝える方法」が決まって来たのかな、と思います。一番は「伝えたい!」ってことなんですよね。
うん。いつだったか何かの新人賞の評を読んでいて、人称とかめちゃくちゃだけれど勢いを感じるってことがかいてあったことがありました。そうか、やっぱりこれを伝えたいって思いなんだなって思いました。
けいさんが次の作品で何を私たちに伝えてくださるのか、それを楽しみに待ちたいと思います(*^_^*)

「三人称のふりをした一人称もどき」というのは、多分正式名称があるんだと思うのです。ちゃんと勉強していないのですみません(>_<) 多分これは皆さんが一番使っている方法なんじゃないかな~と思います。「ふり」とか「もどき」とか言う表現は私の語彙の少なさのために使わざるを得なかった言葉で^_^;

> 【海に落ちる雨】は、登場人物も多いですし、事情も複雑に絡み合っているので、読み手である自分の脳も鍛えられます。一人一人に感情移入できるのは、「三人称のふりをした一人称もどき」の醍醐味で、抜群の効果を放っていると思います。
ありがとうございます。うん、登場人物、相当に多いですよね。もうほとんど『源氏物語』に喧嘩を売っている感じの数です。数えたことはないけれど。でも書いているシーンごとには一生懸命肩入れしている人物がいて、その人物がこの形式で生きているのなら嬉しいなぁと思いました。長いだけに、全部を覚えておいてもらうのは無理だろうなぁと思っているのです。でもそのシーンごとに楽しんでいただける部分があるのなら、それで十分かなぁって。

> 一人称について意識したのは、主人公視点で本編が進んだある場面を、番外でその友人視点で同じ場面を書いたとき。同じ時間、同じシチュエーションだったのに、視点違いでかなり異なった流れになったのが自分的に妙に面白かったのを思い出します。
あ、これは分かります。私も実は文章教室の時にその課題をやらされたことがあって、やってみたら面白かった。でも、結構直されたりしましたけれど。つまりちょっとした表現が「これはこの人の視点じゃないよね」って言われたりして。実はそこで使ったのは、第2節で真が水死体のことで呼び出されシーン。それを海上保安庁のおじちゃん視点と真視点とで書き換えたのです。面白い体験でした。これは表には出ないことだけれど、それを踏まえて色んな形に挑戦できるのはいいですよね。
うん、けいさんの次作もとても楽しみです(*^_^*)
コメントありがとうございます!!

彩洋→けいさん #nLQskDKw | URL | 2015/10/04 15:44 [edit]


TOM-Fさん、ありがとうございます(^^)

> 三人称もどきの一人称、この視点って、書きやすいですよね。
そうそう、これが実は一番使われている手法かなと思ったりします。多分、一人称が少し苦手な人には一番書きやすいんじゃないかと思うし、場面も色んな形で展開できるし、使い方も応用があれこれききますよね。
実際、小説を読んでいていもよく見かけますが、上手く使ってるな~と思う場合とそうでない場合があって、いや、自分が上手く使えているかどうかは微妙だな~って思ったりしてもいるのですけれど。でも自然にこの形になっちゃうので仕方がないんですけれど(^^) 実は、これって違和感を感じさせないで読んでいただけるのが一番うれしいのですよね。

神視点は、確かに高度なテクニックがいると思います。この間『源氏物語』の一部を読み直したのですけれど、うん、これって古典じゃなかったら投げ出してるなって思うほど神視点で、しかも、主語なんて書いてないことはしょっちゅうだし。でも物語のけん引力って、視点や人称とは関係ないって思えるところがすごいんだけれど。
そう、読み手を混乱させない、読解に努力を強いないようにするのは実は大変ですよね。ほんと、イラッとさせたらもうおしまいですし。

地の文に心の声が混じるってのは、あまり多用すると一人称小説になっちゃうし、あまりにも意識しすぎて避けていると「○○は~と思った」って文章が多くなりすぎるし。流れを大事にしながらうまく使えたらいいなぁと思います。
「俺は」というところを「彼は」で三人称感を出すのはわざとしていたわけでもなかったのだけれど、後から気が付いたらそういう感じだった、というのが正直なところです。特にあの、きつかった第4節の竹流が追い込まれているシーンを書いている時に気が付いたのです。あ、私はこれを書きながら「少し突き放して書いているな」と感じていたのです。竹流を見捨ていてるわけじゃなくて、辛かったのでわざと突き放した、のかな?
色んな思いを交えながら書いている、そういうことなのかな。
何はともあれ、人称も視点も、想いを伝えるための手段でしかないのですけれど、奥深いものです。
コメントありがとうございました!!

彩洋→TOM-Fさん #nLQskDKw | URL | 2015/10/04 16:07 [edit]

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