【石紀行】36.福島本宮市・岩角山(2)~巨石街道を往く~
前回に引き続き、福島県本宮市岩角山の巨石の森を歩きます。
その前に前回のかぼちゃ、というよりもひよこちゃん? な石を比べてみましょう。


絶対似てる……郵便局で袋入りチキンラーメンをもらったので、写真撮ってみました。

さて、気を取り直して、巨石の森を再び歩いていきましょう。
こうして木々の生える様子を見ていると、岩なのか地面なのか分からなくなりますね。そもそも日本の山は花崗岩系の岩山なんだから、まぁ、当然と言えば当然なのですけれど、この石が割れて崩れて土になって、そこに木が生える……でもこうして石から木が生えているように見えると、木々の力強さを感じますね。

でもこの辺り、顔を出している部分より土の下の大きさが想像できるように思いませんか?

上3枚は順番に17~19番の観音様が彫られた石たちです。思えば、このような石たちもいつかは土になっていくのですね。それでも私たちが住む町よりもずっと長くこの姿を保ってきているのですから、地球の歴史、深いですね。

少し順番が入れ替わっているかもしれません。前回ご覧いただきましたかぼちゃ、もしくはチキ●ラーメンっぽい石を少し上がっていくと、どうやらこの山のほぼ頂上らしきところに出てきます。ここに遥拝所があるのです。


この遥拝所は二本松城主が万民豊楽を祈念した場所です。眺めも大変よく、お天気なら安達太良山も綺麗に見えるだんそうですが、この日のお天気はちょっと微妙。でもこの景色を楽しみながらお昼ごはんにしました。

あ、巨石紀行中のお昼ご飯は道の駅とかで買ったちょっとしたもの(果物とかお饅頭とかおにぎりとか)程度。朝ご飯もばっちり旅館で食べているし、夕ご飯がまたどっさりなので、お昼を食べたら大変なことになっちゃうからなのです。

遥拝中の城主ならぬ母ちゃん。
さて、この辺りからは道は比較的平たんになりました。木々と一緒に巨石が地面から生えているとでもいうような、穏やかな散歩道になります。そこにもうひとつ胎内くぐりがありました。

木の根が石の隙間から這い出しています。イメージは少し違いますが、カンボジアのタ・プローム遺跡みたいですね。

こちらは天井は低めですが、比較的通り抜けしやすい胎内くぐり。

入口は低めなのですが、出口の方は結構広かったりして。

反対から見ると、上の石がちょっと怖いけれど、いいバランスで止まっているようです。

24番の観音様……やっぱり彫られたお姿は見えませんね。でもこの木々との競演をお楽しみください。

この辺りは少し平坦になっていて、まるで巨石街道です。

こんなふうに鎮座されていると、何も彫られていなくても手を合わせたくなるような、不思議にまろやかな石。でも、こちらは名もなき石なんですけれどね。この森の中じゃなかったら、磐座になってもいい石なのに。

ここの近くは奥ノ院となっていて、阿弥陀堂があります。雪除けの囲いの中の阿弥陀堂です。近くに鐘楼もあります。

周囲にはゴロゴロと岩が集まっていました。

27番辺りは山肌自体が岩の塊でした。こんな形で寄り集まると迫力があります。

まさに巨石街道ですよね。これでも背丈より全然高い石たちです。

素敵な石組ですね。名前がついていたわけではないのですけれど、近くに六地蔵、って場所があって、私はこれがお地蔵様の集まりなのかと一瞬思ってしまったのです。神々、いえ、ここでは仏様たちが寄り集まっている感じですよね。
六地蔵さんはこちら。やっぱり彫られていたんですね。石そのものを磐座とするのはより古い祈りの姿で、仏教となるとそこに仏様や観音様を彫り出しているんですね。でも、そこに神々しいもの、聖なるもの、何かパワーのあるものを見出す心のあり方は共通しています。

この辺りは石たちが色々な顔をして点在しているのですけれど、こんな意味ありげな石もあります。

写真に全体像が入らないのですけれど、座禅石です。左手の方に上に登る踏み石があって、上はまるでテーブルのようになっています。

ここで座禅を組むんですね。さらに古い神様に対してなら、舞を奉納したいところです。

でもちょっと斜めなんですけれどね……

この表情豊かな石たちの顔を見ながら、そろそろ巨石街道も後半、あと少しです。

こうして石組になっているのを見ると、自然の造形なのかどうか考えちゃいますが、この山の中にある石たちを見ていると、まず人工的に組み上げたところはないようです。周囲が崩壊してコアだけが残ったのですね。

斜面に顔を出した石たち、また平地に残った石たちも、全てものすごく力がありました。石のサイズ、数の多さ、石たちの表情のバラエティ、多分どこをとっても、ここは日本の中でも特別な石の聖地ではないかと思います。

終着点にはいくつかの祠が並んでいました。こちらは養蚕観音堂。

祠の中には大きな石に彫られた観音様がいらっしゃいました。

岩に映る紅葉の美しい影を見ながら、福島県の最大級の石の聖地・岩角山からお別れです。あ、ところで何て読むのか、今更ですけれど「いわつのやま」です。
最後に。
前回記事のトップの写真は、山に入っていくまでの車道の入り口に立っている看板なのですが、その車道に面して大きな石があります。

蛇舐石。ちょっとおどろおどろしい名前ですが……

こちらの石にはこの地域の伝説が関係しているようです。

少し悲しい伝説ですが、最後に載せておきましょう。
『玉絹物語』
今から700年ほど昔、正覚という若い僧が岩角山に草庵を結び、里人に信仰を説き養蚕と機織りを教えて貧しい人々に生きる喜びを伝え救済に務めておりました。
当時の地頭、和田宗基は妻に先立たれた後、酒池肉林にふけり重税を課しましたので、貧困の中に亡くなった人たちの怨霊は白蛇となり館の岩に群がって崩してしまいました。これが蛇舐石です。
宗基の娘、玉絹は、秘かに貧しい里人に金品を施し、機織りを手伝い父の罪を償っておりました。その玉絹に正覚は心魅かれ、二人に愛が芽生えました。また、玉絹の教えた草木染の織物はすばらしく、暮らしは次第に楽になっていきました。
しかし、宗基が更に重税を課したので、正覚は税の軽減を訴えましたが、悪僧として死刑を宣告されてしまいました。その夜、玉絹は正覚を救うために牢を開きましたが、正覚は「私一人の死で里人を救えるなら」と断り、
『恋しくば 南無阿弥陀仏と 唱うべし 我も六字のなかにこそあれ』
と書き残し、刑場の露と消えました。玉絹もまた池に身を沈めてしまいました。さすがの宗基も目が覚めたと伝えられています。

次回は福島市に戻りましょう。市内にも大変魅力的な石たちが点在しているのです。
その前に前回のかぼちゃ、というよりもひよこちゃん? な石を比べてみましょう。


絶対似てる……郵便局で袋入りチキンラーメンをもらったので、写真撮ってみました。

さて、気を取り直して、巨石の森を再び歩いていきましょう。
こうして木々の生える様子を見ていると、岩なのか地面なのか分からなくなりますね。そもそも日本の山は花崗岩系の岩山なんだから、まぁ、当然と言えば当然なのですけれど、この石が割れて崩れて土になって、そこに木が生える……でもこうして石から木が生えているように見えると、木々の力強さを感じますね。

でもこの辺り、顔を出している部分より土の下の大きさが想像できるように思いませんか?

上3枚は順番に17~19番の観音様が彫られた石たちです。思えば、このような石たちもいつかは土になっていくのですね。それでも私たちが住む町よりもずっと長くこの姿を保ってきているのですから、地球の歴史、深いですね。

少し順番が入れ替わっているかもしれません。前回ご覧いただきましたかぼちゃ、もしくはチキ●ラーメンっぽい石を少し上がっていくと、どうやらこの山のほぼ頂上らしきところに出てきます。ここに遥拝所があるのです。


この遥拝所は二本松城主が万民豊楽を祈念した場所です。眺めも大変よく、お天気なら安達太良山も綺麗に見えるだんそうですが、この日のお天気はちょっと微妙。でもこの景色を楽しみながらお昼ごはんにしました。

あ、巨石紀行中のお昼ご飯は道の駅とかで買ったちょっとしたもの(果物とかお饅頭とかおにぎりとか)程度。朝ご飯もばっちり旅館で食べているし、夕ご飯がまたどっさりなので、お昼を食べたら大変なことになっちゃうからなのです。

遥拝中の城主ならぬ母ちゃん。
さて、この辺りからは道は比較的平たんになりました。木々と一緒に巨石が地面から生えているとでもいうような、穏やかな散歩道になります。そこにもうひとつ胎内くぐりがありました。

木の根が石の隙間から這い出しています。イメージは少し違いますが、カンボジアのタ・プローム遺跡みたいですね。

こちらは天井は低めですが、比較的通り抜けしやすい胎内くぐり。

入口は低めなのですが、出口の方は結構広かったりして。

反対から見ると、上の石がちょっと怖いけれど、いいバランスで止まっているようです。

24番の観音様……やっぱり彫られたお姿は見えませんね。でもこの木々との競演をお楽しみください。

この辺りは少し平坦になっていて、まるで巨石街道です。

こんなふうに鎮座されていると、何も彫られていなくても手を合わせたくなるような、不思議にまろやかな石。でも、こちらは名もなき石なんですけれどね。この森の中じゃなかったら、磐座になってもいい石なのに。

ここの近くは奥ノ院となっていて、阿弥陀堂があります。雪除けの囲いの中の阿弥陀堂です。近くに鐘楼もあります。

周囲にはゴロゴロと岩が集まっていました。

27番辺りは山肌自体が岩の塊でした。こんな形で寄り集まると迫力があります。

まさに巨石街道ですよね。これでも背丈より全然高い石たちです。

素敵な石組ですね。名前がついていたわけではないのですけれど、近くに六地蔵、って場所があって、私はこれがお地蔵様の集まりなのかと一瞬思ってしまったのです。神々、いえ、ここでは仏様たちが寄り集まっている感じですよね。
六地蔵さんはこちら。やっぱり彫られていたんですね。石そのものを磐座とするのはより古い祈りの姿で、仏教となるとそこに仏様や観音様を彫り出しているんですね。でも、そこに神々しいもの、聖なるもの、何かパワーのあるものを見出す心のあり方は共通しています。

この辺りは石たちが色々な顔をして点在しているのですけれど、こんな意味ありげな石もあります。

写真に全体像が入らないのですけれど、座禅石です。左手の方に上に登る踏み石があって、上はまるでテーブルのようになっています。

ここで座禅を組むんですね。さらに古い神様に対してなら、舞を奉納したいところです。

でもちょっと斜めなんですけれどね……

この表情豊かな石たちの顔を見ながら、そろそろ巨石街道も後半、あと少しです。

こうして石組になっているのを見ると、自然の造形なのかどうか考えちゃいますが、この山の中にある石たちを見ていると、まず人工的に組み上げたところはないようです。周囲が崩壊してコアだけが残ったのですね。

斜面に顔を出した石たち、また平地に残った石たちも、全てものすごく力がありました。石のサイズ、数の多さ、石たちの表情のバラエティ、多分どこをとっても、ここは日本の中でも特別な石の聖地ではないかと思います。

終着点にはいくつかの祠が並んでいました。こちらは養蚕観音堂。

祠の中には大きな石に彫られた観音様がいらっしゃいました。

岩に映る紅葉の美しい影を見ながら、福島県の最大級の石の聖地・岩角山からお別れです。あ、ところで何て読むのか、今更ですけれど「いわつのやま」です。
最後に。
前回記事のトップの写真は、山に入っていくまでの車道の入り口に立っている看板なのですが、その車道に面して大きな石があります。

蛇舐石。ちょっとおどろおどろしい名前ですが……

こちらの石にはこの地域の伝説が関係しているようです。

少し悲しい伝説ですが、最後に載せておきましょう。
『玉絹物語』
今から700年ほど昔、正覚という若い僧が岩角山に草庵を結び、里人に信仰を説き養蚕と機織りを教えて貧しい人々に生きる喜びを伝え救済に務めておりました。
当時の地頭、和田宗基は妻に先立たれた後、酒池肉林にふけり重税を課しましたので、貧困の中に亡くなった人たちの怨霊は白蛇となり館の岩に群がって崩してしまいました。これが蛇舐石です。
宗基の娘、玉絹は、秘かに貧しい里人に金品を施し、機織りを手伝い父の罪を償っておりました。その玉絹に正覚は心魅かれ、二人に愛が芽生えました。また、玉絹の教えた草木染の織物はすばらしく、暮らしは次第に楽になっていきました。
しかし、宗基が更に重税を課したので、正覚は税の軽減を訴えましたが、悪僧として死刑を宣告されてしまいました。その夜、玉絹は正覚を救うために牢を開きましたが、正覚は「私一人の死で里人を救えるなら」と断り、
『恋しくば 南無阿弥陀仏と 唱うべし 我も六字のなかにこそあれ』
と書き残し、刑場の露と消えました。玉絹もまた池に身を沈めてしまいました。さすがの宗基も目が覚めたと伝えられています。
次回は福島市に戻りましょう。市内にも大変魅力的な石たちが点在しているのです。
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