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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】37.福島飯野町・UFOの里の巨石(1)~留石公園の巨石群~ 

千貫森
見るからに素敵な形の山が向こうに見えています。こういう丸いお椀を伏せたような形の山といえば、そう、UFOです!(ほんと?)
でも、いかにもUFOが出てきそうな山ですよね。千貫森です。
実は本当に複数のUFO目撃談があるという場所なのですが、空から見たら特別な形に見えるのでしょうか? と思って上空からの地図を確かめたらやはり真ん丸でした。

この山(千貫森)の中ほどに『UFOふれあい館』という町おこし的施設があり、ちょっと怪しい展示などもされていますが、食事処には家族連れなど、結構人が集まっていました。お休みの日だったからかな。ゆるきゃら的な石の宇宙人たちも山の中に点在しているようでした。
そのふれあい館の売店では『飯野町 巨石探訪』という冊子を売っています。
巨石探訪1巨石探訪2
そう、ここはUFOの里というだけではなく、巨石の里でもあるのです。さすがに全ての巨石を巡るだけの時間がなかったので、その一部をご紹介したいと思います。今回はその1回目で留石公園周辺の巨石を巡ります。
留石公園案内板
冒頭の写真はこの留石公園から千貫森を見たところです。車道を挟んで、一方に4つ、もう一方に1つ、巨石があるようですが、行灯石の方は少し離れていたので断念。
留石公園へ上がる
車道から車でも上がれそうですが、何しろ先が見えないので降りれなくなったら大変と、徒歩で上がりました。写真では分かりにくいですが、ちょっとハードな登りです。舗装はされていませんが、後から考えると車で上がれるよう。もっとも、相当急な斜面なので、車でも降りるときは結構怖そうな気がします。舗装された車道の道端に車を停めておける小さなスペースがありましたので、そこに車を停めました。
留石公園1
綺麗に草が刈られて整備もされていましたが、誰にも出会わず……でも綺麗な景色を堪能しました。
留石1
こちらが公園の名前の元となった留石(とめいし)。米沢藩の所有地から幕府直轄領となり、代官が1671年から約3年半かけて検地をおこない、この石の場所で検地を終えたため、ここで「留る」という意味でこの名前が付いたそうです。最近の調査で、この場所が館跡ではないかということも分かってきたようです。周囲の山林にも昔の遺構が残っているそうです。
留石2
確かに見晴らしがよく、いかにも山城や館が置かれていても良さそうな場所です。
留石公園からの眺め
留石を背にして、さらに奥へと進んでいきます。
留石公園歩く
山の上は綺麗に切り拓かれていて、公園になっています。広場もあって、お弁当を食べるのに良さそう。後の方に小さく留石が見えています。
少し歩くとすぐに分かれ道が見えてきて、その脇に小さく『モアイ石』と書かれた道しるべがありました。
モアイ石立て看板
看板通りに進みます。竹林の奥を抜けていくと、斜面が下りになっていて、その下り斜面の途中に唐突にこの石が現れます。
そう言えば写真って斜面がかなり緩く写りますね。実際にはすべり落ちそうなんですけれど。
モアイ石上から見る
横に回ってこの巨石を見ます。
モアイ石横
なるほど、モアイ石と呼ばれる所以が分かります。傍の立て看板によると。
『「これはまさにイースター島にあるモアイの石に似ている」ということから、昭和末期ごろから「モアイ石」と呼ぶようになりました。以前は「大石」と呼んでいて、子どもたちの恰好の遊び場だったそうです。モアイ石の頭部に当たる部分には星座らしき穴が数か所あるのが確認できます。
モアイ石のある山林は、大桂寺の所有となっていて、大桂寺が現在の場所(大久保字普門)に移る以前は、このモアイ石のある山裾にあったと言われています。
また、モアイ石の近くには一段低い凹みがありますが、そこは大桂寺の和尚が修行した場所と言われています。』
モアイ石正面
顔を正面? から見ると、こんな感じです。確かに、目が2つあって眉毛つき。もうひとつおまけ。
モアイ石正面2
石って少し立つ位置を変えると、まるで表情が全然変わるんですよ。このちょっとした変化が面白いので、できる限り360度、1周しても見るようにしています。しかし、時にはとんでもない斜面だったりして足場も悪いので、無理はできませんけれど。
モアイ石斜め前
一番大きな石が比較的大きく傾いて、後の石にもたれかかるような形になっています。分かりやすい石で3つ、さらに後ろに2つほどは半分地面に埋もれているみたいです。
モアイ石祠2
一番表にある大きな石と二番目の石の間には祠が見えています。
モアイ石祠
顔の左側に登っていくと……(足場は悪い)。ちょっと顎の尖った猪木さんちっくなお顔に。
モアイ石左横
ぐるっと祠の反対に出てみると(ますます足場要注意)、こんなふうに顔には見えないのですけれど(ちょっとごつい感じ)、味わい深い石ですね。
モアイ石左横2
この辺りで標高は230mくらいだそうで、多くの巨石と同じように、周辺の岩(山)が割れて崩れて風化する中で、コアストーンが残った形になっています。それにしても、このコアストーン(石の中の特別に硬い部分)の形のバリエーションって、本当に面白いですよね。地球に何か意図があったわけでもないのに、もしかして自然の意志がそこに見え隠れしているかのように感じてしまう。石に意志……(すみません^^;)
次は高石へ
周囲はこんな道。一応は巨石までの道の草は払われているので、難なく歩けます。
分岐点まで戻って別の道に入り、高石(たかいし)に向かいます。
高石看板
看板発見。え? ここを行くの? って感じの向きに看板が立っていて、すぐ下に結構大きな石が見えていたので、それかと思って降り始めると、更に下の方に相当巨大な石が見えてきました。
高石へ降りる
ちょうど最初に見えた石たちの隙間を抜けたところ、下方に矢印のついた巨石が。
何度も書きますが、こうして写真でみると大したことのない斜面ですよね。でも、枯葉の積もった相当な斜面で、結構滑って危ないんですよ(何度も杖生活を強いられたのはこういう斜面を侮っていたから、ですね。油断禁物の巨石巡り。でも止められない^^; なぜなら、そこに巨石があるから……)。もっとも今回の到達目標までの困難さは、これまでに比べると全然ふつう。

それよりも、もうすぐ5年経つという今でも、福島という地名に付きまとう風評による心理的距離の方が障害だったかもしれません。行ってみて、そこに住む人々と話をしてようやく分かった色々なことがあり、こうして山に入ることが自然への畏敬の気持ちの表れであり、そういうものを前にしては人智の限界を改めて感じざるを得ない、そういうことを自分なりにしみじみと噛みしめる時間ともなりました。
改めて、今回の旅の機会を与えてくださった福島の人たちに感謝しながら(そして、その地で闘い抜こうとする姿に敬意を表しながら)、さて、用心しながら竹林の斜面を降りましょう。
だって、私にできることは、この地域の素晴らしい石たちをご紹介することくらいしかないのですから。
高石裏側
この時点では、大きな石だなぁ、と思うだけなのですが……この巨石の表に下っていくと……
高石へ降りる2
遠近感が多少ありますので、石は人物のイメージよりもさらに大きな印象です。
高石正面2
こちらの留石公園の最大の見せ場といってもいい、素晴らしい巨石です。→のついていた石の部分は、こちら正面から見ると上半分の石のさらに一部分の裏側、なんですね。その部分だけでも人の背丈をはるかに越えており、表から見るとおそらく10mはありそうな高さ。
高石正面
中央にはまるで棚のような平面があります。ここには稲荷神社が鎮座しており、久能家(?)の氏神として祀られています(と『巨石探訪』に書かれていました。久能家? こちらの地方の古い有力者のお家でしょうか)。胎内くぐりもできるし、と書かれていましたが、いや、斜面が厳しくて、どうしたものやら。
高石左横
確かに竹林の中の、意味ありげな巨石の姿には圧倒され、しばし見入ってしまいます。周囲にも相当石が埋もれていると思われ、その昔にはどんな姿だったのだろうと偲ばれます。
高石右横
右横裏側にはこのように重なる巨石があり、こうしたどこかで胎内くぐりとかもできたのかもしれません。割れ目から孟宗竹が生えだしていたり、なかなか魅力的な石たちですが、足場はあまりよくありません。
高石祭壇?
巨石の真ん前の斜面に大きな岩がありました。写真撮影にもってこいだわ、と思って近づいたら、「危険」の文字。確かにここでボンヤリと巨石に気を取られて写真を撮っていたら、落っこちる人もいたのでしょう(経験者)。
しかし、この石、本当に巨石に向かっていい位置にあるのです。ということは、写真を撮るための石ではなくて……
更に下に降りてこの石の全貌を見てみましょう。
高石祭壇2?
下から見ると、平板のような表になっています。ひとつ上の写真はその上面だけが写っていたわけです。
高石全体
それを一歩下がって全体を写るようにすると、まるでひとつの神社のように見えませんか。
この手前の石は拝殿もしくは祭壇石、奥の高石は本殿、つまり磐座です。もしここの竹林が払われて、少し整備されて、他の石たちもちゃんと顔を出していたら……ここはまさに巨石信仰の重要な場所だったのではないかと思われる荘厳なムードを醸し出しています。
これらの石はもともと一塊のものだったのかもしれません。割れて、落ちてきたのでしょう。背面にある石たちも、割れて今の形になったように思われます。だから意識してこの形に置いたわけではないのでしょうけれど、結果的にこうなった。これはやっぱり石の意志……(..)
すぐ下に廃屋
しかし、下を見ると、そこには廃屋が。少し離れてみると巨石自体も竹林に埋もれてしまいます。
竹林の巨石
道らしい平坦な部分もあるのですが、集落に抜ける道がその先途切れているように見えました。留石公園から見ると丁度裏側になるのですが、昔はこちらの方からも参道があったのかもしれません。竹林の中ですが、明るくて雰囲気の良い場所でしたので、ちょっと勿体ないなぁと思ったのでした。こちらの磐座は今でも所縁の人が大事されているのだろうと思いますが、色んな事情で周辺を整えるのは難しい状況なのでしょう。

もっとも、巨石のあるところって、基本的にこういう感じなのです。今でも磐座として大きな神社で祀られている石たちもありますが、半数以上は山に埋もれ、歴史に埋もれ、既にその正体も分からなくなっている。ただ、地元の人は何世代も前から「何となくご先祖様が崇めていた」ということを知っておられて、今も通りかかれば手を合わせる。子どもたちはこういった場所を遊び場所にしているのですね。

結局、別ルートを諦め、斜面を登って、元来た道に戻りました。
留石公園頂上に戻ります。そこからまた別の分岐を行くと(約80m)、ほどなく巨石が見えてきます。公園の中心部分からは見通せないので、ちょっと見落としてしまいそうですが、すぐそこに在るので行ってみましょう。
ドンドン山大石道側1
ドンドン山大石です。歩道から見ると2.6mほど、でもこの石は山の斜面に少し斜めに突き出して立っているようなので、この草むらの中に入って行くと(やはり、巨石は出来れば360度見たいですからね!)、やはり斜面下方からは巨石感満載でした。
ドンドン山大石側面
側面から見ると、実はかなり迫力がある。
ドンドン大石下から
斜面下に降りていって見上げると、こんな感じです。細い、ようやく通れる道なき道があるだけなので、離れて全景を撮ることはできませんが、こちらからは3.5mほどもあるでしょうか。
どうやら、この公園になっている山全体がもとは大きなお館だったのかもしれませんね。あの高石などは、そのお館の祭祀場だったかもしれません。そう言えば、モアイ石のところにはあるお寺の所有地と書かれていました。次にこの町に行く時は、ぜひ由緒をお聞きしたいものです。

考えてみれば、古代にはこの南東北から北はまつろわぬ人々(大和朝廷にとって)の住む場所でした。坂上田村麻呂が遠征にやってきたのもこの辺りから北。大和朝廷の政策が届かぬ地方ですが、縄文時代の人口は西日本よりも東日本の方が多かったと言いますから、集落をまとめる長がいて、国家でなくても大きな文化が息づいていたと思われます。あるいはそんな古代ではなくても、中世などにはここは豪族の館だったかもしれませんね。私たちが歴史について知っていることって、本当にわずかなのです。

私が全集を持っているたった2人の執筆家のひとりが歴史学者の網野善彦先生ですが(もう一人は夏目漱石)、その著作を拝読して学んだこと……歴史を権力者から見ているから我々はとぎれとぎれの時代しか読めない。歴史はひとつの流れとして見るべきで、民俗学や地方の人々の視点から見れば、歴史を見る目が変わり、もっと歴史は開ける。
そう思いながら、地域でひっそりと祀られている巨石を探し求め、その横顔を見つめているのです。
ドンドン山大石見上げる
石たちは言葉を持ちませんし、ここには文字が刻まれていませんが、歴史と時間は刻まれています。
私たちが感じる心を失わないこと、それが一番大切なのかもしれません。

次回は飯野町の巨石その2です。今回、美味しいお料理と旅館のご紹介が遅れていますが、近々乞う御期待。
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Category: 石の紀行文(写真つき)

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