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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・旅】会津の旅(2)目指せ、ぴんぴんころり!~ころり観音巡り~ 

福島駅のわらじ
福島駅ではこんな巨大な草鞋が迎えてくれました。福島わらじ祭りは、1970年に始まった福島市羽黒神社のお祭り。人々の健脚を祈ります。比較的新しいお祭りみたいですが、この信仰には原型があって、信夫三山暁まいりという江戸時代からの民間信仰に根があるそうです。

ところで。世界宗教用語辞典(中経出版)によると、「わらじ」ってのが宗教用語で載っています。いわく、
『藁で作った履物。神社や村境などに大きなのを下げておく風習があるが、そのわけは、悪霊がこれを見て、こんな大きなものをはく者がいると思って逃げていく、というのと、遠方から来る神を歓待するとの、二つの意味があるという。他所からの移転者が、保証人として頼む家を草鞋親といった。またとりあえず最初に働かせてもらうのを「草鞋脱ぎ」という。これは旅で汚れた濡草鞋を脱ぐの意。寺の仁王門には祈願のために草鞋を掛けておく風があるので、仁王を草鞋大王ともいう。山伏がはくのは「八つめの草鞋」といい、八葉.華を踏むの意がある。』
鳥追観音仁王門わらじ
ありました。仁王門に大わらじ。実はひとつではありません。
鳥追観音山門
鳥追観音さんの仁王門は巨大な草鞋だらけ。
中田観音山門
中田観音さんの仁王門にも巨大な草鞋。
立木観音仁王門
立木観音さんは? 雨がすごくて、しかもその時には草鞋のことに意識が行っていなかったので、後からの写真では、ちょっと発見できず。
草鞋との因果関係はともかくとして、この3つの観音様、会津の「ころり観音」として知られているのです。3つとも巡ったら、長患いをせずにぽっくりとあの世に逝けるというので、この歳になると妙に有難さを感じる……(え?)

世の中には時々他分野の人から見たらちょっと不思議な学会・研究会・シンポジウムがありますよね(先日アップした【しあせわについて~懺悔の値打ちもない】にも『幸福論シンポジウム』なんてのを書いたけれど、いや、そんなん無いやろと思っているけれど、あったりして)。私は先日「イワクラ学会」に入会しましたが、他の人に言ったら「なにそれ?」って不思議がられました。
医学分野では『日本抗加齢医学会』(2001年~)、別名、アンチエイジング学会というのがあり、そのテーマは「ぴんぴんころり」(私は学会員ではありません)。……あれ? ちょっと違うのかな?(曲解? でも会員さんがそう言ってたんだけれど)
つまりは加齢関連疾患の発症確率を下げ健康長寿をめざす、いや、たとえ病気があっても精神的には健康で、寝付いたりせずに人生を希望を持って生き抜いて、大往生を遂げよう、というのがテーマっぽい。顧問の重鎮はかの聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生でいらっしゃいます。

今、要介護の高齢者が増え、社会が様々な問題を抱えるようになっていますが、やはり昔から人々は病と死への恐怖を克服するために腐心してきたのですね。そんな中、お参りしたらぽっくり死ぬことができる、という信仰の形は全国あちこちに見られます。
でもこんなふうに、3つの観音さんを巡ったら満願成就ってのは、会津だけではないでしょうか。
というわけで(?)、雨の中、満願成就目指してお参りしてきました。

まずは鳥追観音さま。徳一大師が平安初期大同2年(807)に、会津の西方浄土として御開創された観音霊場・如法寺です。
ここでクイズです。猿を探してください。
かくれさる
のがれさる (2)
あんねいにくらしさる
上から順番に『難より隠れ去る(襲ってくる難=鷹から身を隠す猿)』、『難より逃れ去る(鷹が猿を見失って、猿は難を逃れた)』、『安寧に暮らし去る(手枕で丸くなって心安らかに眠っている)』。左甚五郎(日光東照宮『眠り猫』で有名)作と伝えられる『隠れ三猿』です。
鳥追い観音堂の高い軒の梁のところにあるので、かなり見にくくて、知らなかったら通り過ぎてしまいます。3つとも見つけることができたらハッピーになれるかも? 牡丹の蕾が花開くように幸運が開き「福マサル」といわれています。お寺の方が解説してくださいます。
上2つは簡単ですね。でも、三匹目の猿はなかなか見つけられませんね。「心が曇っている(迷いがある)と見つけられない」という噂。……曇りすぎて「あれかな?」と思った後でも「猿に見えない、騙されてる」とか思う自分が一番曇っている……
そもそもこのサルたち、すごく高いところにあるので、写真だからアップにしていますが、実際に見るともっと小さい感じ……
(クリックすると答え画像がアップになります)
かくれさるAのがれさる (2)AあんねいにくらしさるA
鳥追観音境内
門から観音堂まで歩きます。途中で可愛らしい小僧たちが迎えてくれます。
鳥追観音小僧
(大きさが色々になってしまってすみません)
鳥追観音本堂
こちらが観音堂。雨に濡れた屋根もちょっと風情がありますね……写真で見ていたら(..)(結構な雨だったのです……)
堂内の写真を撮ってもいいですよと言われたので、撮らせていただきました。
鳥追観音堂内
こちらの観音堂、なんだかちょっと違和感があると思って、後から解説をじっくり読んだら……そうなんですよ、正面が門を向いていないのです。つまり門を入って歩いていると、観音堂の側面に着く、という。
これは東西向拝口という構造で、「東口から入り、参拝したら戻らずに西口から出る」→「観音様の導きで人生を全うし、やがて西方浄土へ安楽往生が叶う」という鳥追観音の御誓願を示しているそうです。全国でも珍しい形だとのこと。そう言えば、さざえ堂も、上がったら別の道から降りる構造、ですよね。
鳥追観音抱きつき柱
堂内を鳥追観音様正面から拝ませていただきます。
この両脇の2本の柱は、それぞれ「善女柱(向かって右)」と「善男柱(向かって左)」。信心を持って抱きついたら、死の床に際しても苦しまずに成仏できると言われています。
Wikiには面白いことが書かれていました。「「ころり」とは心臓疾患や脳疾患などの突然死を意味するものではない。」ま、そうですね。要するに長患いしない、苦痛を味わうことなく、家族にも迷惑をかけずに極楽往生できるという信仰。
この抱きつき柱は、3つの観音様の全て、堂内にありました。写真が撮れたのはこちらだけだったのですが、しっかり抱きついておきましたよ。
鳥追観音
行基作と伝えられる正観音像。大変柔和なお顔で、心穏やかになることができます。
鳥追観音なで観音
で。こちらは? 何だか不思議なこの仏さまは「身代わりなで仏」。撫でて病苦なく過ごせるように祈ります。

さて、次は立木千手観音さま(金塔山恵隆寺)。雨の中を歩いて行きます。
立木観音境内
こちらはもう、行ってみてください、と書き記すことにします。ご本尊の立木千手観世音菩薩立像は国指定重要文化財。その迫力はその場に立ってみないと分からないかもしれません。
この「立木」ってのはどういう意味かというと、床下にちゃんと根があるという、まさに立ったままの木で仏像を彫ったということなのです。こちらの立木千手観音の身丈は8.5メートル。
立木観音
撮影は禁止なのですが、パンフレットの写真から掲載させていただきました。実はこちらの観音様がどんな形でお堂に納まっているのかというと……頭の上はすぐに天井なのです。観音像の大きさに対して建物が小さすぎるという感じ。そして仏像があまりにも大きいので厨子や宮殿の中に祀って扉をつけることができなかったので、扉ではなく斗帳という大きな垂れ幕が掛けられているのです。まずは仏様を彫って、それからお堂を作ったということなのですね。
御堂の中に入ると狭い空間だなぁと感じますし、斗帳のために観音様は見えないのです。そこで少し拝観料を払いますと、「じゃあ」という感じで、いきなり斗帳を揚げてくださるのですが……すごい演出効果です。自分と観音様、そして観音様の周りの二十八部衆との距離と言ったら、まさに触れる距離なんです。もちろん触っちゃダメですよ!
二十八部衆
立木観音様の周りには左右14体ずつ、かなりよく色が残っていました。何回もうろうろして拝ませていただきました。会津のお寺ではこうした斗帳が多くみられるそうで、そのおかげで時代を経ても比較的良い状態で仏像が守られていたとされます。
立木千手観音
これが観音様・二十八部衆がいらっしゃる立木観音堂。やはり国重要文化財で、この見事な茅葺屋根に感動しますよね。

そして最後に、中田観音様(普門山弘安寺)。
こちらは全体的に少し地味な印象だったのですが、会津の偉人・野口英世のお母様のシカさんが大変信仰されていた観音様なのです。
中田観音
結構な雨の中で写真を撮っていたらちょっと斜めになっちゃった。
中田観音2
金銅造十一面観音立像のお顔は見えませんが、静かな落ち付いた印象でした。
この三観音様、どちらにも抱きつき柱があって、抱きついて心願すれば望みは叶うとされています。もちろん、ちゃんと抱きついておきました(^^)
さて、シカさんですが。
息子の清作の火傷は自分のせいだと、必死に働いて、学校に行かせたシカさん(ちなみに夫は酒と博打で働かず)。清作が苛められたりして勉強が嫌になって逃げ帰ってくると、心を鬼にして追い返していたシカさん。結局、偉くなった野口英世はアメリカに行っちゃって、青い目のお嫁さんが出来ちゃって、日本にはほとんど戻ってこれませんでした。シカさんの中田観音様への信仰は強く、毎月17日午前1時頃になるとはるばる猪苗代から歩いてきて月詣りをして、英世の無事を祈っていたと言います。
このシカさん、畑仕事や荷運びの仕事をしていましたが、村の産婆のクマさんが年老いて跡を継いでくれないかと言ってきたとき、すでに三十代(後半?)だったでしょうか、後を継ぐ決心をします。息子が医師として立派に働いているのだから、その母親として恥ずかしい人間にはなりたくないと考えたのです。でもその頃から、産婆さんには資格が必要になって検定試験を受けなければなりませんでした。シカさんは文字が書けなかったのですが、一生懸命勉強して、試験に合格し、生涯に二千人以上の赤ちゃんを取り上げたと言います。そのほとんどが安産で、これもすべてお産の時に観音様にお祈りしているからだと言っていたそうです。
一生懸命、灰に書いて勉強した文字で書いた英世への手紙。「ドカはやくきてくたされ」という有名な手紙からは、強い気持ちで息子を育て、そして自らも立派に人のために働き、それでも息子に会いたい母親の弱く切ない想いがひしひしと伝わってきますね。
大正4年9月15日、ようやく故郷に帰ってきた英世がシカさんと小林先生と3人でお礼参りをされた時の写真が堂内に残されていました。

さて、ころり三観音、巡ってきました。無事にころりと逝けることになったかなぁ? その割にはマイコプラズマで恐ろしくしんどい今日この頃。あ、まだころりまでは時間があるのかな? いやその前に、庚申の虫が何か閻魔大王にチクったのかしら?
最後に。
いや、季節が良かったのか(秋、新米シーズン!)、コメが異常に美味しくて! 福島のお米が美味しいのは分かっていたのですが、泊まったいずれのお宿で食べたご飯も美味しかったです。コメだけでも食べ続けられそうな……
というわけで、石紀行でご紹介したお宿(会津東山温泉向瀧さん)以外のお宿もご紹介。
まずは土湯温泉のはるみや旅館さん。
はるみや旅館部屋
10月の末、少し肌寒くなった季節、暖かい炬燵スペース付き、左手の障子の向こうは半露天風呂です。こちらの貸切渓流露天風呂がなかなか良かったです(^^)
はるみや晩御飯2
コメと酒。本当に全てが素朴ながらも美味い!
はるみや旅館朝ごはん
朝ご飯もこの充実感でした。

そしてもう一つ泊まったお宿が、磐梯熱海温泉の守田屋旅館さん。
守田屋さん1
こちらはちょっと現代風の洒落たお宿で、公共スペースも充実していました。小さな図書室から好きなハーブティーを選んで持って行けたり、コーヒーをゆったりと飲めるスペースがあったり。
守田屋さん2
お部屋はこじんまりでしたがやはり半露天風呂付き。この蜜がいっぱい入った林檎も美味しそうでしょ(^^) そして何よりも飛露喜! しっかりと酒の味がしながらも飲み口がものすごくいい。是非とも福島に赴いた際にはお試しください(あれば)。
守田屋さん4
いや、決して八少女夕さん向けにやたら目ったらご飯写真を載せているわけではありませんよ(^^) でもね、本当に美味しかったです(晩御飯と、下の写真の右下だけ朝ご飯)。
守田屋さん3
さて、福島の旅、まだ石紀行が残っています。しかも、ついこの3月にまた福島に行って、前回見残してきた石をいくつか見てきましたので、そちらも引き続きご報告いたします(^^) 乞う御期待!
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Category: 旅(あの日、あの街で)

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