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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

☂[2] 第1章 同居人の留守 (2)(改) 

 煙草、どこに置いたっけ。

 月の光が真の前に影を作り、柔らかく婉曲したくの字の先へ伸びている。
 素足に廊下の板は冷たいはずだが、あまり現実味を帯びた温度ではなかった。影の伸びた先にダイニングの扉がある。イメージの中では五角形の優雅な弯曲を既に追いながら、煙草のことを考えていると、そう言えば夕食の後でダイニングのテーブルの上に残してきたような気がした。

 イメージを追いかけるように廊下を曲がりダイニングの扉を開け、薄明かりに照らされたテーブルの上に煙草の箱を見つけた。横に置いてあったライターも一緒に手にとり、真はもう一度廊下に出て、そのはす向いにあるテラスへ繋がる扉を開けた。
 
 室内にかかった圧力を解き放つように、空気の流れが変わる。
 テラスに置かれた雪駄を履いて外界に開けた五角形の一角まで行くと、今日は潮の香りがここまで吹き込んでいることに気がついた。
 湿気を含んだ風からライターの灯を守って煙草に火をつけると、真はパジャマのポケットに煙草の箱とライターを突っ込んで、大きくひとつ吹かした。

 同居人は基本的には煙草を吸わないので、部屋の中で吸うことは憚られた。
 駄目だと言われたわけではないが、煙草を吸うときは極力テラスに出て吸うようにしている。それに本数を減らすようにと常に意見されていて、同居してからは、いつの間にか数は減っていた。

 三度ばかり、有毒であるはずの煙を肺に送り込むと、強張っていた身体中の筋肉が弛緩したような気がした。
 目を閉じると、潮の香りの中で、微かにレーズンとオレンジの香りが混じったような刺激が鼻の奥をくすぐった。寝る前に少しだけ舐めたグレンドロナックの甘い匂いを、鼻粘膜が覚えていたのかもしれない。

 ウィスキーなど、銘柄を覚えられるほど精通しているわけでもないし、そもそも気分の勝れないときに匂いなど嗅いだら、それだけで酔っ払ってしまいそうな時もある。
 だが、真の眠りの習性を心配した同居人は、ナイト・キャップを勧めるし、それによって少しはよく眠れるようになったのも事実だった。たまには水で割ったほうが芳香が強くなる品種もあるようだが、少しだけストレートで舐めると、気分が落ち着いて、少なくとも睡眠導入には極めて効果的であるということ知ったのも、同居を始めてからだった。

 もっとも、同居人の好みは、アクア・ヴィテ『生命の水』すなわちブランディの方で、気分に応じては飲み分けているようだが、デラマンという名前のついたデカンターボトルに入ったコニャックが彼のお気に入りのようだった。
 ウィスキーとどこが違うのか、全くわからない真に、本来の同居人なら『原料が違う』に始まる長い薀蓄を垂れるはずだが、その時彼は上品で優しく色気のある表情で、女を抱くような甘い気分に浸れる、と言った。真には全く理解の及ばない感想だった。

 真は、もうひとつ煙を吸い込んだ。
 北海道の澄んだ空気の中では煙草を吸う必要もないのに、都会の空気では何かを消し去りたくて煙草を好むようになった。
 真が高校生の頃から、もちろんその頃はたまのことだったが、吸っているのを同居人はずっと知っていて、時々くどくどとニコチンの悪徳について説教を垂れてくる。
 そういう同居人がたまに吸っている葉巻の方がよほど身体に悪いと真は思っている。もっとも、同居人が葉巻を吸っているのはよほど何かに気分を害している時だけで、彼の実家の誰かがブレンドしているという、眩暈を覚えるほどの強い香りで、神経を麻痺させて何かを鎮めようとしているように見えた。

 目が覚めたのは熟睡できていなかったからだと思った。草食動物並みの本能で身を守っている真は、あまり眠りの深いほうではなかった。子供のときから馬たちと過ごす時間が長かったので、彼らの眠りの習性が染み込んでいるのかもしれない。

 熟睡できない理由は、数日前から食事の内容の手が込んできたからだった。
 一緒に住み始めてから間もなく、それが何の合図かわかった。

 真の同居人は、時々数日、時によっては一週間あまり、家を空けた。
 同居人の本当の仕事が何であるのか、真には未だによく分からない。銀座にビルを持ち、一階にギャラリーを開いていて、その筋では相当有名な修復師だった。有名無名問わず気に入った作家がいるとかなりの援助もしているようで、彼を頼る芸術家がいくらもいるということを、ある時他人の噂話で知った。

 そのビルの二階にはアトリエ兼事務所が、三階には会員制のかなり怪しげなクラブが入っていて、四・五階には半端でなく美味しいものが食べられる、食通の間では知る人ぞ知るイタリアンレストランを、六階には都会の隠れ家としてこれもまた噂になっているらしいバーを経営していた。

 一度だけ同居人の仕事に引っ付いてアラビア半島の小国まで行ったことがある。真が高校生のときで、ただ修学旅行に行きたくないばかりに、大した考えもなく同居人を脅すようにしてついていったのだが、全てが真の理解を超えていて、その上どこかの映画で見たようなシーンが目の前に展開される事態が『三分に一度のクライマックス!』とばかりに襲い掛かった。一緒に行動していたアラブ人のトレジャーハンターは彼を『同業』と言っていた。同居人は自分の職業を泥棒と詐欺だと話していたことがある。

 レストランを所有していただけではなく、本人自身相当の料理の腕前だった。
 というよりも何に対しても中途半端の大嫌いな男で、その徹底振りには真も泣かされたことがある。
 中学高校のとき、真と妹の葉子の勉強の面倒を見てくれていたのは、当時彼らの父親の秘書のような仕事をしていたこの男で、その徹底的なスパルタには、上手く逃げていた妹はともかく、真のほうは完全に捕まってしまっていた。
 そういう男と同居してから、一人では決して食事を作ることのない真の食生活は、結婚した世間の男性に比べても数段勝ったものになった。
 その食事内容の手が込んでくるのは、同居人がまた仕事に出掛けるサインだった。

 始めの一年はそれでも何とも思わなかった。それが前年の秋くらいから、どういうわけか妙に堪えるようになってきた。いや、そのきっかけが何だったのか、真は不思議なことにはっきりと覚えていた。




オオカミ
今日のおまけ映像は、札幌円山動物園のシンリンオオカミくんです。
この精悍な横顔。
それにしても、動物の写真撮るのって難しいですね。
あたりまえだけど、じっとしていない。

もと野生児真くんにはなじみ深い友だったことでしょう。

真は酒がほとんど飲めません。うわばみの竹流と同居して、何とかやっと少し飲めるようになった程度。
ちなみに、このお話、1979年なので、ちょっとしたものがその時あったかどうか調べるのが大変。
このころ、ビールなんて『キリンビール』『アサヒビール』しかなかったわけで。

畠中恵さんが、時代小説を書くときに大事なことは? と聞かれて『その時代になかったものを書かないこと』とおっしゃっていましたが、まさにその通り。

その時の自分自身の記憶は曖昧なので。
携帯がない、というのはこの話の醍醐味でもあります。
携帯がなかったころ、切ないすれ違いや、距離感がたまらなかったんですけどね。

だから成立する、電話のラブラブシーンです。


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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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