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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【ピアニスト慎一シリーズ】What a Wonderful World~scriviamo! 2018参加作品~ 

scriviamo.png

八少女夕さんのscribo ergo sumで毎年恒例となっていますscriviamo! (イタリア語でscrivere「書く」の活用形。一緒に書きましょう!)、今年も参加させて頂きます! と宣言したものの、思った以上に現実の時間(特に創作に没頭できるはずの週末)が忙しくて、夕さんに「待ってください!」とお願いしておりました。
ようやく完成したと思ったら、18000文字ほどあって、何とか短くしようと校正していたら、逆に長くなってしまったという……そうなんです。以前から分かっていたことですが、私には短くする才能は無いみたいです。
scriviamo!の解説には、「どんなに長い大作を書いて頂いてもお返しは長くないわよ」って断り書きをされていますが、思わず私のことかと苦笑いしちゃいました^^; いや、もう大きく締め切り破りなので、逆にお返しなんて気になさらないでってところなのですが、ちょっとばかり4人+2人の姿を書いて欲しかったりして。もちろん、長いのは私の才能のなさの問題なので、気になさらず!

と思ったら、夕さんが先ほど発表された、ユズキさんの素晴らしいイラストへのお返し・【小説】In Zeit und Ewigkeit!のまるで続きみたいな、裏話みたいな、そんな話になっていることにびっくり。
最初は真耶(夕さん、最新作で麻耶、になっていたけれど、こっちが正しい?)と拓人だけにご登場頂く予定だったのです。これか去年のscriviamo!の時に、どっちの話にしようかと迷ったお話で、でもその後、実際にバルセロナを旅したことで構想が膨らみました。
【大道芸人たち Artistas callejeros 】の中では(17)にバルセロナのグエル公園でやっていたという「銀の時計仕掛け人形」のことが出てきています。これをちょっと拝借して使わせて頂きました。
蝶子に怒られるかも。「簡単に書かないでくれる? これ、しんどいのよ!」って。

さて、こちらに登場する相川慎一は、相川真の息子ですが、物語は全く別物。もちろん大河ドラマが「割れても末に会わんとぞおもふ」に行き着くための流れの一部ではあるのですが、慎一の物語は、私のクラシック好きが昂じてできあがったもので、テーマもまたそれに関連したものです。

時間軸の中では、慎一がウィーンでの華々しい時代から落ちぶれてパリ→プラハに行って、丁度、やっぱりピアノから離れられないって戻ってきたところ。この繊細で、かつどこか抜けている、音楽評論家ヴィクトル・ベルナールに言わせると「残酷な無邪気」という表現がぴったりの音楽家の人生は、書いていて楽しいですが……
実はこのシリーズ、書くのに覚悟がいるんです。だって、私のクラシックの知識って、「好きだけれど、自分勝手に好きなだけで、実はよく知らない、ただのファン」の域ですから、本当に大変(>_<) 
何だよ、わかってね~な~とか思われる事も多々あると思いますが、多少の事には目をつぶってくださいね。

以前、通っている楽器屋さんの「ピアノの中を見てみよう!」ってイベントに出て、ピアノの構造に俄然興味を持ち、結局、三味線ついでにピアノを再開したのですが、調律にも俄然興味が湧いて折しも『羊と鋼の森』を読んだところ。
再開したピアノは、ただいまショパンの『ノクターン20番(遺作)』(『戦場のピアニスト』で有名だけれど、私の中では緒形拳最終作品となった中井貴一の『風のガーデン』)と格闘中。いつかはベートーヴェンの『悲愴』……でもとっても大変(>_<)
そんなこんなを盛り込むから長くなってるんですね……

慎一のプラハ時代の恋の相手は、劇場の歌姫、だったのですが、この歌姫は片腕を無くした元ヴァイオリニストの奥さん。盛り込みすぎたら収拾がつかないので、『死と乙女』が終わったらプラハ時代の話にも触れるつもりなので、いつかまた、ということで。
こちらのお話は「悩めるピアニスト、再始動の時」に出会ったある老夫婦の物語として読んで頂いてもいいかなぁ、でも欲張りすぎたので長いなぁ……
前後編に分けようかとも思ったのですが、間延びするとイマイチなので、一気にアップしてしまいます。20000文字を少し越えているので、途中で飽きたら、挟んである写真をブックマークにして、休憩しながら、分割でゆっくりお読んでいただけると嬉しいです。
(写真はサムネイルですので、クリックすると大きくなります)
なお、登場する音楽は『続きを読む』にのせています。

*追記:アップしてから、あちこち手直ししていたら、ますます長くなっちゃった! ごめんなさい!

ところで、以前、稔が、慎一の父親である真と三味線の共演をしているんですよ(【真シリーズ掌編】じゃわめぐ・三味線バトル)。
ほんとに、時間軸無茶苦茶ですが、局所で流行の?タイムパラドックス?ということで^^;
とういうよりも、以前、夕さんに、『樋水龍神縁起』のシリーズで瑠水の話は実は結構未来になるってことを聞いたことがあったような気がして。で、拓人の年齢からすると、実は慎一との方が時間軸は合っている(もしくは慎一の方がまだ年上)かもしれないと思うのでした。
でも何より、これはscriviamo! ですから、細かいことは気にしない!

さ、皆様のところにコメを書きに行こう! と思ったら、ピアノと三味線に行く時間です(o^^o)
また後で。それから、サキさん、この勢いでサキさんの30000Hitへのお祝いの物語を書こうとしているのですが、何しろ、時間軸が無茶苦茶で……実は本当の時間軸では、ミクが活躍する頃って、慎一はもうじいちゃんじゃないかと^^; 孫の真が(つまりレイナの息子)が頑張っている時代じゃないかとおもったりして。
それはまたいずれ。



【ピアニスト・慎一シリーズ】 What a Wonderful World

音楽堂外観1
 シューベルトは歌が聞こえるから苦手なんだよ。
 辛口音楽評論家のヴィクトル・ベルナールが、珍しく視線を逸らして言った言葉が不意に蘇った。
 慎一は、ピアノの音を追いかけるように始まったヴィオラの深い嘶きに目を閉じた。

 ヴァイオリンやヴィオラといった弦楽器の音を聞くと、いつも北海道の牧場を思う。自分の根っこには、幼い頃に亡くなった父の故郷の風景がある。それが、弦を震わせる弓の原材料に関係しているというのは、ちょっと子どもっぽい発想かも知れないが、彼らが座る二階のバルコニー席のはす向かいに見える、見事な馬たちの彫刻を見ると、もしかすると同じように感じている人が居たのかもしれない、と思う。

 隣には上品な面持ちの小柄な老婦人が座っている。ブロンドの気配が残る明るい白髪だったが、皮膚にはまだ艶があり、薄化粧の中に、年齢にしては少し赤が濃いと思える口紅が一瞬目を引いた。それが少しも嫌みではなく、彼女の小柄な身体と小さめの顔の中で、丁度彼女の中心地点であるように魅力的なのだった。
 彼女は、初めて音楽というものに触れた少女のように、はしばみ色の瞳を輝かせている。
 実は、慎一はこの老婦人の名前さえまだ知らない。つい先ほど、コンサートが始まる五分前、この音楽堂の前で出会ったばかりなのだ。

 長い冬も終わろうとしていて、春の日差しが暖かく降り注ぐようになると、ヨーロッパの国々の音楽のシーズンもほぼ終わりにさしかかろうとしていた。ただでさえ多いこの街の観光客がさらに増え始める前に、音楽愛好家たちは静かに音楽を楽しむ夜をそろそろ手放さなければならいことを惜しむように、着飾ってホールへ出かけていく。
 意外にもアジア人、会話から察するに日本人の姿がやたらと目についた。それも、クラシックファンにしては客層がずいぶんと若い。観光客にしては、皆ちゃんと正装だし、着物姿の若い女性も複数見かけた。

 だが、慎一は、たまたま空いてしまった時間に計画などあるわけがなく、この街に音楽堂があると聞いてふらりと立ち寄っただけだった。だからもちろん、チケットを持っていたわけでは無いし、音楽堂に入るような格好もしていなかった。
 有り難いことに、開演時間が迫っていたこともあって、誰も、慎一に注目する人などいなかった。柱の陰に、慎一と同じようにこの場にそぐわない服装と雰囲気の老人が立っていたが、彼もきっとここに来てみて、アイドルのコンサートのような周囲の様子に気圧されてしまったのだろう。

 入り口に少し近づいて本日のコンサートのポスターを見ると、客層の謎が半分解けた。そこには日本人の男女の演奏家が並んで写っていた。二人とも、音楽家と言うよりもモデルのように艶やかで、その優雅で自信に満ちた(すくなくとも慎一にはそう見えた)微笑みは、バルセロナの街並みの中で際立った外観を持つ音楽堂の入り口に一段と華を添えていた。
 ポスターにはsold outと書かれた赤いステッカーが貼られている。

 ぼんやりと眺めていたら、突然英語で話しかけられた。慎一を日本人と思ったからだろう。
「あなた、興味がおあり? もしかしてどなたかとお約束があるのかしら」
 振り返ると、小柄な婦人が立っていた。春にしては少し地味な灰色のコートだったが、スカーフは水色と薄紫の絵の具をふわりと混ぜたような色合いで、彼女の小ぶりな顔によく似合っていた。おそらく「老婦人」と言ってよい年齢だ。
 いいえ、と答えると、老婦人は一度周囲を見回し、ほっとしたような顔をして言った。
「お時間があるのなら、私に少しつきあってくださらないかしら」
 あら、もう時間だわ、と時計を見た婦人が言い、まだ何も返事をしないうちにチケットを握らされ、音楽堂の中へ吸い込まれていた。

 華やかな外観を持つ音楽堂は、内部の装飾も夢の国のように幸福な色に満ちていた。
 ホールの中に入ったときに目を奪われた天井の巨大なシャンデリアも、今では静かに光と色を落として、音楽に満たされた宇宙を柔らかく包み込んでいる。この演奏に聞き耳を立てている音楽の女神たち、幸運な聴衆を包み込む光に満ちた深い森、疾走する馬たちは生命あることの歓びを歌い、その傍らでは楽聖たちも、穏やかに充ち満ちた音に身をゆだねていた。

 確かに、歌が聞えていた。
 シューベルトの『アルペジョーネとピアノのためのソナタ』を奏でているのは、ポスター通りにモデルのように美しい日本人のヴィオラ奏者と、まさに似合いのカップルといった風情の端整な顔立ちのピアニストだった。

 歌は語るように、語りは歌のように。そして、楽器は歌わせなくては。つまりこの世界は歌と語りに満ちているのよ。
 三年間勤めてきたプラハの小さな劇場で出会った歌姫が、彼女に歌を授けてくれた祖母の言葉だといって教えてくれた。
 残念ながら、歌なんて聞えない演奏もあるのだ。
 だが、彼女のヴィオラは歌っていた。そして、ピアノも共に歌い、完全な調和を生むのだった。

音楽堂天井
 慎一自身はこの三年の間、いや、それ以上の長い時間、演奏家としてピアノに触れることはなかった。
 音楽院の学生であったとき、何を間違えてか、すでに楽壇にデビューして人気を博していたひとつ年上の魅力的な若手ピアニストの相手役に選ばれて、伝統ある演奏旅行に同行したときから、彼のピアニストとしての将来は約束されたように見えていたに違いない。後付けのようにいくつかのコンクールに出て、ひとつの優勝といくつかの入賞を手に入れたが、実際にはコンサートピアニストとしての実績が先走った。
 
 実質上音楽のパートナーとなっていたテオドール・ニーチェとのデュオ・リサイタルのチケットは全て発売即日完売となったし、ソロリサイタルも成功したと言っていい。実際にあの頃は、彼自身の戸惑いは置き去りにされて、未来がどこまでも開けているように見え、わざわざ細い小径を探さなければならないなんてことはなかった。

 だが、歯車が狂って積み上げたものが崩れ落ちるためには、ほんの一本のピンがあれば済むことだった。
 常日頃から、これは自分の実力ではなく、テオドールの偉功のおこぼれに預かっているのではないかという考えが、幾度も脳裏をかすめていた。実際にそのような陰口をたたく者もいることは知っていた。その背景にあるのは、ほとんど嫉妬なのだろうが、この世界には同じくらいの実力でチャンスが与えられない者は、いくらでも転がっていて、嫉妬のネタには事欠かなかった。
 慎一には、自分が逆の立場になり得た可能性は、いくらでも想像できたのだ。
 だが、当のテオドールが、無口で何も言わないけれど、自分のピアノを信じてくれていることはよく分かっていた。
 それに、慎一にはこの道を歩き続けなければならない理由があった。人知れず心に秘めた誓いが、揺れ動く気持ちを支えていた。
 
 だが、この人のためにとピアノを弾いてきた、その人が亡くなった後、突然闇がおそってきた。闇はこの時を、今か今かと待ち構えていたのだった。闇に呑み込まれないためには、ただひたすら闇の中で弾き続けなければならなかった。弾き続けていると、突然糸が切れたように左手の小指が動かなくなった。
 診察を受けても骨や腱には異常はなく、スポーツで言うところにイップスのようなものかも知れない、気持ちの問題だろうと言われた。程なく指の機能は回復したが、以前と力の入れ方がどこか変わってしまったのか、まるで赤ん坊が最初の歩き方を探っているように、小指だけがタイミングを外すようになった。

 慎一がそう言っても、誰一人、天才的に耳のいいテオドールまでも、一体何が問題なのか分からないと言った。不幸なことに、慎一の耳はテオドール以上に厳しい耳だった。いや、テオドールの耳は始めから調和とバランスを探し当て受け入れる耳だったが、慎一の耳はいつの頃からか、高みの一点を目指す耳となっていた。絶対音感というものとは少し違っていると思うのだが、全ての音を音楽として捉えて、さらにその先にある音を求め続けてしまう耳には、自分自身が奏でる音楽に耐えられなかったのだ。
 そこからは、周囲の音をただ煩わしい騒音と感じる地獄の中を彷徨わなければならなくなった。
 結局、ウィーンを出て、生活上のパートナーとなった女性のパリのアパートに転がり込んだ。

 パリにいる頃、ピアノは生活のための道具であり、彼の名前が決して表に出ることのない曲を書き続け、何百というフレーズや楽曲をアレンジするための媒体でしかなかった。プラハの小さなオペラ劇場でも、歌手たちの練習のための伴奏をし続け、そしてやはり曲を書き続けるために、その黒い相棒はいつもそこにいてくれたのだが、お互いを満足させる何かを共有することはなかった。

 だが、慎一自身の諦念とは裏腹に、経営困難で売り払われるはずだった劇場は、最初の一年で、少なくとも赤字からは脱した。前任者の音楽監督は事故で片腕を失った元ヴァイオリニストだったが、誰にも、おそらく自分自身にも認められないまま、スラブの神話や伝説を元にした音楽劇を書いていた。
 それは慎一にとっては素晴らしい音と言葉の世界だった。監督室の片隅に他の書類の束と一緒に捨て置かれていたスコアを見つけ、面に被っていた埃を払いのけたとき、スラヴの広大な景色が目の前に広がったのだ。

 生活のため、劇場経営のためということもあったが、寝る間も惜しんで編曲に取りかかった。劇場経営復活のきっかけは、その序曲をたまたま耳にして気に入ったというテレビ局のプロデューサーがコマーシャルに起用してくれたことだった。
 その序曲については、一度でも耳に触れたならば人々を惹き付けるという確信はあった。皮肉なことにパリでの生活の糧となっていた音楽商売は、彼に「売れる音楽とは何か」ということを教えていた。だから、そのぎりぎりのところ、つまり自分自身やオリジナルの作曲者の矜持を傷つけない境界で踏みとどまれる範囲で、より印象的な冒頭に編曲することができたのだ。コマーシャルで使われたのは、まさにその冒頭部分だった。

 もちろん、「たまたま耳にして気に入った」なんて偶然は簡単に降っては来ない。おそらく、スーパーモデルで女優としても活躍している、しかも最近では自分でプロデューサーの仕事までやりはじめた妹の結依が何かを仕組んでくれたのだ。
 そんな情けは受けたくないと突っぱねる猶予もなく、プラハの毎日は戦場になった。公演の準備をし、当初はやる気があるのかないのか分からなかった歌手たちやオーケストラのメンバーを焚き付け、焚き付けたからには夜遅くまで練習に付き合い、さらにその後で、時には夜通し曲を書き、すぐさまオーケストラ用に編曲し、幕が開いたなら指揮棒を振り、どうしようもない時は彼自身まで舞台に立ったこともあった。

 やりがいがあったのか、その時生きがいに感じていたか、と聞かれたら、何とも答えられない。だが、何も考えられないくらい忙しいというのは幸せだったのかもしれない。
 心から望んでいた音楽とは、ある意味では対局のところにあったのかもしれないが、シューベルトの死後、部屋の中で埃を被っていた大ハ長調の楽譜を見いだしたシューマンの興奮と同じものを味わった感動が、あのプラハの三年間の活動を支えていたのは確かだ。

音楽堂ステージ
 今日、この音楽堂の前に来たのは偶然だった。バルセロナで落ち合うはずだった結依の乗る飛行機が、なにがしかの事情で飛ばなかったのだ。もっとも彼女が撮影とキャンペーンのために出かけている国にはよくあることのようで、事情を確認するのは無駄な作業だった。
 落ち合う約束が先延ばしになったために、突然何もすることがなくなった。

 ずっと昔、ウィーンで学生をしていた頃なら、こういう時間はもったいないくらい有り難いひとときだった。
 予定のない時間、異国の町をぼんやり歩いて、公園で木々を渡る風の音を聴き、靴が踏んだ枯れ葉の音を楽しみ、鳥たちを日がな一日眺めていたり、偶然出会った猫が迷惑そうに振り返るのも構わずに後をついていったり、流れる川の水面で跳ねる光の踊りをずっと見ていたり、一日中でも飽きることはなく、観るもの聴くもの全てが音楽に変わっていくのだった。

 だが、今は一人で知らない町にいることが苦痛だった。苦痛、とは少し違う。不意にたまらなく不安になるのだった。スペイン語は話せないが、彼がもっとも馴染んでいる別の言語のおかげで、言葉ゆえの疎外感がなかったにも関わらず、何もすることのない時間を異国でもてあましている、そういう自分自身を持て余しているのだ。

 プラハの小さな劇場の音楽監督の仕事は傍目には大成功だったろう。
 プラハでは誰一人彼の名前を知るものなど居なかったはずだが(いや、もしかするとピアニストの彼のことを少しは覚えている音楽愛好家がいたかもしれないが)、その無名の音楽家の手によって盛り返した劇場経営は、劇場の改装をする余裕まで生み、契約期限の三年が過ぎようとした頃にはさらに三年間の契約更新を打診された。
 同時に有名オペラ劇場から、次年度の公演の舞台監督とオーケストラの練習の指揮を任せたいという誘いを受けた。夢のような話だと、仲間たちは喜んでくれた。
 そう、その時には、劇場の関係者は全て、家族のような、仲間のような存在になっていたのだ。

 オペラや舞台芸術は、慎一にとってピアノと同じように人生の友人だった。それもピアノとの関係が上手くいかないときに、そっと手を貸してくれるかけがえのない友人だった。
 そう考えると、ピアノは友人というようなものではなかったかもしれない。あれは関係を切ることが簡単にはいかない肉親のようなものだった。ピアノとの関係はいつも果てしなく深く甘く、絡まり合うとほどけなくなり、苦痛にもがき、もがけばもがくほどに離れられない、愛情が深いだけに複雑でどうしようもないものだったが、そういうとき、オペラは一歩距離を置いたところから、まるで精神科医のようにじっくりと話を聞き、語ってくれるのだった。

 だが、どうやっても指がピアノを求め続けていることは、ずっと身体の芯のところで知っていた。生活のための活動の中で何かの拍子に動かす指が、いつの間にか鍵盤の上にあるのと同じ動きをする。意識をしようとしまいと、それがピアニストの宿命だった。それは理屈ではなく、すでに脳の一部がそこに移動して、彼に何かを命じているようなものだった。
 彼は弾かなければならなかった。そう誓ったのだから、途中でこの道を降りることは許されないはずだった。だが、またあの黒い相棒とどこまでも苦しく甘く、辛く輝かしい時を共にすることを思うと、身体がばらばらになりそうに感じることもあった。それほどまでにピアノを愛していることを知っていた。そして、同時にたたき壊してしまいそうなほど憎むべき対象にもなり得るのだった。

 一度逃げ出したその場所に戻る期限を先延ばしにしてきて、この上まだ三年逃げ惑うのか、そうなるともう修復不可能なレベルになってしまわないか、いや、もうすでに取り返しがつかないことになっているじゃないか、おまえは一度弾けないと言ってしまったのだから。
 契約更新の期限が近づくにつれて、歩いている足下が不如意になっていくのがわかった。そんな迷いの中でも、スケジュールは待ってくれなかった。

 だが、人気を博してロングランとなっていた自作オペレッタの公演がはねた後、一人練習室に戻ったあの夜、ほとんど何も考えられないくらい疲れ切っていて、そのまま床に崩れ落ちそうになりながら、灯りを消して扉を閉めようとしたとき、不意に黒い相棒から、ぽーんと音が響いてきたような気がして、振り返った。
 暗い部屋の奥、沈んだ闇の中にいっそう黒く、しかしそこだけ重力が、あるいは空気の密度が違ったように揺らめいていたピアノ。窓からうっすらと忍び込んだ月明かりの中で、その連れ合いは、お互いに沈黙してきた時間について話す時が来たのじゃないかと話しかけてきた。

 引き寄せられるように、ピアノの側に戻り、深い闇の中で蓋を開けた。
 八十八鍵、撫でるように触れたとき、毎日仕事のために十時間以上も弾いていたピアノとは思えない、別の感触が指先を刺激し、震えがこみ上げてきた。
 衝動が湧き起こった。
 ぽん、と始まりのラの音を鳴らすと、彼自身が調律したばかりのピアノが、座ってくれ、歌わせてくれと求めてきた。

 指を置いた瞬間、勝手に走り出したのはベートーヴェンのパルティーク第三楽章だった。
 気持ちは走っていたが、大屋根を閉めたままだったので、音は中途半端だった。それでも全ての音が確かに、一音も違えずにそこにあった。

 百分の一秒の音の隙間を苦しみ最高の音を作り上げていたはずのあの頃に比べたら、その音は稚拙で恥ずべき音だったかも知れない。だが、今、ここには彼とピアノしか存在していなかった。誰に言い訳する必要もなかった。
 そこに生まれ出る音は、自分自身の今を写す正確で完璧な鏡だった。その鏡に写っていた自分は、コンサートピアニストとしては低い位置におとしめられていたかもしれないが、あの頃よりもずっと深く厳しく、時に冷たく冴え渡り、そして同時に暖かい温度を湛えた森の中に木霊するひとつひとつの音を、拾い上げることができるようになっていた。

 いや、そのことに気がついたのは、もっとずっと後のことだった。
 ただ、その時、ピアノと彼だけがそこにいて、彷徨ってきた時間の想いを語り合っていたのだ。
 後から、その演奏を隣の部屋で聴いていた人がいたことを知ったが、彼が慎一にかけた言葉が、闇の中で行く先を示した。
 お前はここにいてはいけない。自分が求める最高の演奏にたどり着くためには、人生はあまりにも短い。
 その元ヴァイオリニストは、事故で片腕を失っていた。

 そう、あのピアノでは到底たどり着けない場所があった。
 かつて求めていた「その先」だ。

ピアノ
 劇場の経営が破綻しかかっていたので、調律師など雇う余裕はなかったから、劇場にあるピアノを調律するのは慎一自身の仕事だった。もともと十代の頃に壊れたピアノを鳴るように修理したこともあって、長い間自分のピアノの面倒は自分で見ていたし、そもそも調律師を頼んだり、当然のことながら、選べるほどに恵まれた環境にはいなかった。

 だが、初めてコンクールに出たとき、気むずかしく無愛想な、コンテスタントを憎んでいるとしか思えない顔をした調律師に出会った。彼が調律したピアノを一音鳴らした瞬間、世界の色が変わった。こんなにものすごいピアノを弾いたのは初めてだった。吸いつけられるように座り、弾き始めた瞬間から、周囲のことを全て、これがコンクールだということさえも、忘れ去ってしまった。
 最初は、短気な暴れ馬に乗っているような感じだった。振り落とされないように身を任せていると、すぐに指先を介して馬と会話ができるようになった。ペダルの感触も最高だった。踏み心地に戸惑ったのはほんの数小節で、すぐに最高の音を引き出せるポイントが分かった。そのまま、試し弾きということを忘れて一曲分弾き終えてしまった。

 慎一は迷わず、彼のピアノを選んだ。後で気がついたが、彼のピアノを選んだコンテスタントは一人だけだった。
 このピアノを完璧に自分のものにしたいと思ったのに、そのコンクールはファイナルまで残ることはできなかった。結果を知って、珍しく悔しいという思いがこみ上げてきた。とは言え、敗者には居場所はなく、立ち去ろうとした慎一を、その調律師が追いかけてきたのだ。
 おい、お前、次はどのコンクールに出る?
 背の高いオーストリア人の威圧するような声は、頭の上から降ってくるようだった。

 その時は何を言われているのか分からなかったが、結局、その後の慎一のピアニストとしてのキャリアを支えてくれることになったのはこの気難しい調律師、ヨナス・シュナイダーだった。次のコンクールで再会したとき、コンテスタントを憎んでいるような顔はそのままだったが、俺が絶対勝たせてやる、と言われた。
 俺を信じて、お前はただお前の最高の音を出せ。

 どこから見てもただの頑固オヤジとしか思えないその調律師が、幾人かの有名ピアニストが、彼でなくてはだめだとツアーへの同行を指名するような調律師であると知ったのは、実はずっと後のことだった。一方で、彼はコンテスタントには手厳しくて、下手に触れたら切れるような鋭く遊びのない究極の調整をしてしばしばコンテスタントを泣かせていた。俺が調律したピアノが弾けるなら弾いてみせろ、これが弾けない程度ならどうせ一流にはなれない、とでも言いたげに。

 そういえば、あの人は僕の何を認めてくれたのだろう。
 一度聞いたことがあったけれど、目を合わせることなく、分からん、といわれた。言葉で説明するのが面倒くさかったのか、本当に分からなかったのかは確かめていない。
 彼にも、挨拶もないままに、慎一は連絡を絶ってしまっていた。

ステージの彫刻
 やっぱりここに立ち寄るべきではなかったのかもしれない。
 自分はなぜこれほど遠い場所を歩いているのか。あのステージの上、音楽のミューズたちに囲まれているピアニストのいる場所から、ここはどれほど遠いのか。同じ日本人なのに華やかな舞台が似合う彼らは、おそらく年の頃は自分とあまり変わらないのだろう。それなに、どこかで道を外れた者は迷い続けるばかりだ。

 劇場との契約の延長を断ったのは、ピアノに戻るとすっかり決心できたからではなかった。だが、あの時、腹の底に湧き起こった静かな衝動は、明らかに言葉を持っていた。
 もう一度、あの人が調律したピアノを弾きたい。
 だから、プラハから戻ってきた。パリのアパートを引き払ってウィーンに戻りたいと言ったら、結依はすぐにウィーンにアパートを用意してくれた。

 この場所はどう? あなたの親友の姿が見えるでしょ。
 窓から覗くと、ベートーヴェンの銅像が見えた。
 今日からはもっと親しく、ルードヴィヒって呼んであげなさい。
 そう言って結依はにっこり笑った。

 佐渡裕がバーンスタインの鞄持ちとして初めてウィーンに行ったときのエピソードが気に入って、結依に話したことがあった。バーンスタインは「ユタカ、お前、ウィーンに知り合いはいるのか?」と尋ねたという。もちろん、初めてウィーンに来たというのに知り合いなどいるわけがなく、そう答えたら、「じゃあ俺の親友を紹介してやる」と言って連れてこられたのがベートーヴェンの銅像の前だった。
 今日からお前もルードヴィヒって呼んでいいぞ。

 わぁ、それはかっこいい話ね。
 結依もこのエピソードが気に入ったと言った。
 家賃を払うと言ったら鼻であしらわれた。
「私が、一人では使い切れないお金をいくら稼いでると思うの? それに、見ての通り、安くないわよ。あなたに払える? でもまぁ、払えるようになったら、折半にしましょうよ。これは私の投資なんだから、半分は譲らないわ。それに、ウィーンに来たときは、私もここに泊まるから。だいたい、あなたたちのパリのアパートは狭すぎたと思わない?」
 結依には頭が上がらない。

 三年のうちに娘のレイナは九歳になり、去年から一年の半分を日本で過ごすようになっていた。慎一と結依が「京都の母」と呼んでいる、祇園の踊りの師匠でもあり置屋の女将でもある珠恵のところにいるのだ。久しぶりに会った娘から、将来は日本に住むと宣言されてしまった。子どもながらに、自分のルーツを日本に定めたということなのだろう。
 九歳の娘にも取り残された気持ちだった。

 自分と言えば、プラハからウィーンに帰ったというのに、まだ惑っている。でも、あの練習室で静かに息を潜めていた暗闇の中のピアノに触れた瞬間の指の震え、冷たく暖かい鍵盤の感触、密やかに鳴った始まりのラ。
 それを思い出すと、喉が締まるように苦しくなった。甘い苦しさだった。

 想いが昂ぶったのは、第三楽章のAllegretto、ヴィオラのピチカートの合わせたピアノのテーマをヴィオラが引き取る瞬間の軽い興奮に引きずられたからだと気がついた。
 舞台の上の二人は、ほとんどアイコンタクトもしないのに、お互いを完全に把握し合っていた。調和し、時には突き放すように刺激し、また重なり、音は流れるのではなく降りつもっていく。この場所に立つまでに二人が費やしてきた時間が見えるようだった。

「シューベルトは歌が聞えるから苦手なんだよ。『魔王』を初めて聴いたとき、魂を持って行かれると思った。実際にはあの歌が持っていったのは父親の命だったけどな」
「でも、美しい歌もあるよ」
「もちろんだ。お前が歌う『セレナーデ』は俺も好きだ。だけど、美しくても苦しいのは同じだな。『アルペジョーネソナタ』なんて弦楽器が泣いているようにしか聞えない」
「珍しいね。あなたが言葉足らずだなんて」
「お前に言われたくないな。とにかく、俺はシューベルトについては書かない事に決めているんだ。だいたい、たった三十一で死んだって、とんでもない野郎だ」
「でも、モーツァルトは三十五で、メンデルスゾーンは三十八で、ショパンは三十九。あ、ビゼーは三十七。たいして変わらないよ」
「お前は時々無意識で無邪気に残酷だよ」
 ヴィクトルは大げさにひとつ溜息をついた。
「評論家というのは勝手な事ばかり言って、ずいぶん気楽な商売だと思っているかもしれないが、そもそも言葉にできない音を言語に変換するってのは大仕事なんだよ」

 観るもの、聴くもの、触れるもの、つまり五感や時には六感まで使って感じるものを言葉に起こすなんて、自分には考えられないことだ。だから、世間では金持ちの道楽だと言われているヴィクトルの「商売」が気楽だなんて思ったことは一度もない。
 彼がその言葉を導き出すために、図書室いっぱいの文献や資料を読み、毎日飽きるほどに音楽を聴き、時には地の果てとも思える場所まで音楽を求めて出かけていく姿を見ていたから、世の中に楽な仕事なんてひとつもないと断言できる。しかも、時には聴きたくない音楽も、修行の様に聴き続けなくてはならないこともあるだろうし、いくら大好きな音楽でも「商売」になってしまったら、単純に好き嫌いで済ますわけにもいかなくなるものだろう。

 そんな時はどうするのかと聞いたら、淡々と粛々としてなすべき事をなすのみ、とまさに修行僧のようなことを言っていたっけ。
 ここ十年ほどは、ヴィクトル・ベルナールの顔を見るのも年に数回ほどになっている。たまに偶然の女神のおかげで顔をつきあわせて話すこともあるが、ほとんど演奏会や公演で見かける程度だった。それでも、彼が書いた評論はほぼ全て目を通していたので(結依が送りつけてくるのだ)、彼が顔を見る回数以上に、自分の手がけた公演を観に来てくれていることは分かっていた。
 まともにピアノを弾けないでいた地獄のような時間の中で、慎一を音楽につなぎ止めていた細い糸の一本が、ヴィクトルの記事だったことは確かだった。

 音楽堂の前で本日の演奏会のポスターを見たとき、足を止めたのは、出演者が日本人のデュオだったからというだけではない。その名前は、ヴィクトル・ベルナールが一度、何かの音楽雑誌に評論を書いていたから、見覚えがあったのだ。
 細かな内容は忘れてしまったけれど、閉じていた目を開けても、そして再び目を閉じても、全く裏切らない世界を作り出している希有な演奏家だと、珍しく褒めていたことだけは覚えている。つまり、大概のところ外見が美しすぎる場合には、演奏にはがっかりさせられるものだが、この二人の場合は、視覚的にも演奏する姿は美しく、さらにその外見の美しさを裏切らない深みのある演奏で魅せてくれるということなのだ。

 こうして実際に聴いていると、この二人が見ている「その先」が理解できるような気がした。
 理解できる故に、苦しい気持ちにもなった。プロフィールに書かれた二人の経歴はしっかり読まなかったけれど、読まなくても分かった。この音楽堂の世界にぴったりと嵌まって華やかであるということも、その華やかさを裏切らない美しい演奏を聴かせるためにどれほどの努力をしているのかということも、すっかり分かるだけに心がざわついた。

 何よりも、辛口評論家のヴィクトル・ベルナールが認めた二人であるということに。
 そして、その努力の結果を未知の人々に認めさせるだけの場所が二人にはあり、今の自分にはないということに。
 どこからまた始めればいいのか分からない。時折、あの時、自分を認めてくれたプラハの劇場で仕事を続けていたなら、と思うことさえあった。

音楽堂の前の店
「アルペジョーネというのは、6弦の弦楽器だったのですってね」
 小柄な老婦人は名をマリアといい、アメリカからやってきたのだと言った。
 お一人で旅行ですか、と尋ねたら、ふふと笑って答えなかった。少し寂しい笑顔だと思った。

 コンサートの後、マリアと一緒に音楽堂前の路地を入った小さなタパスの店に入った。唐突に無理矢理誘ったのだから、お礼をさせて欲しいと言われたのだ。お礼をしなければならないのは慎一の方だった。
 彼女のような年齢の女性には少しテーブルと椅子が高すぎるのではないかと思ったが、彼女はひょいと身軽に木の椅子に座り、ワインでいいかしら、と聞いた。私は白が好きだけれど、あなたは、と尋ねられて、同じものでと答える。

 マリアはもうすぐ七十になるのだと言ったが、信じられなかった。彼女は快活で、人々をすぐにリラックスさせる雰囲気と話術を持っていた。
 チケット代を払おうとしたら、手の仕草ひとつで断られた。
 財布には大した現金が入っていなかったので、正直なところほっとしていた。意地を張って、結依が彼のために用意してくれたクレジットカードをウィーンのアパートに置いてきたことを後悔していたところだったのだ。もっとも、明日彼女と落ち合ったら、支払いは全て彼女に頼ることになるのだが。

 それから二人でカウンターに並ぶタパスを選びに行った。小さなパンに刻んだトマトとオリーブオイルが載せられたパン・コン・トマテ、ジャガイモの入ったオムレツ・トルティージャ、魚介のアヒージョ、それに生ハム。マリアは音楽に目を輝かせていたのと同じ顔で、一生懸命に食べるものをチョイスする。女性は、いくつになっても世界を楽しむ術に長けていると思う。
 とにかくまずは食べましょう、という彼女の掛け声にも、最初は少し遠慮していたが、何しろ今朝ウィーンを発ってからほとんど何も口にしていなかったし、彼女の「食事は素晴らしい時間」というような所作を見ていると、自然に食欲が湧いてきた。

タパスの皿
 一通り、タパスを平らげて、ワインのお替わりを頼んだところで、マリアが先ほどのコンサートのパンフレットを取り出し、アルペジョーネの話を始めたのだった。
「フレットもあるし、まるでギターみたい。でも弓で演奏するのね。チェロよりも少し小ぶりで、ヴィオラよりも重音を出すのが容易ですって」
 パンフレットには、演奏者の略歴と共に、演奏した曲目の紹介、そしてその曲にまつわる蘊蓄やエピソードが比較的細やかに書かれていて、シューベルトの『アルペジョーネソナタ』については、このソナタが今では使われていないアルペジョーネという楽器のために書かれたという紹介と共に、アルペジョーネの写真や解説が添えられていた。確かに、小さいチェロとギターを混ぜて二で割ったみたいな楽器だ。

「不思議ね。今では使われなくなった楽器のための曲が残っている。今はそれを他の楽器で演奏する。でもそれはきっと曲が作られた時と同じ音楽じゃないのね」
「ピアノなんて、鍵盤の数も、音の鳴る仕組みも、まるきり原型とは違ってきていますし」
 半分独り言のように言ったら、いきなり手を捕まれた。そして、納得したように「やっぱり」と言った。
「やっぱり?」
「あなたはピアノを弾くのね」

 思わず手を引っ込めようとしたが、マリアの手はふわりとしていて何の力も入っていないようなのに、慎一の手の動きを封じ込めてしまっていた。
「ピアニストの手はすぐに分かる」
 そう言ってまた、ふふ、と笑った。最初に赤すぎるような気がした唇の色が、少し光度を抑えた店内で小柄で控えめな彼女の存在を相手に印象づけるための演出かも知れないと思ったのはその時だった。

「さっきから少し気になっていたの。もしかしたら、あなたはあんなふうに華やかで素敵なステージに立つことができる才能ある音楽家を見たくなかったのじゃないかしらって」
 マリアはまだ慎一の手を握りしめていた。
「でも、私には分かるわ。この手は一流のピアニストの手だって。そして、きっとあなたは、彼らのような人たちを見なければならなかったのよ」
 慎一はなんとも答えられずにいたが、ようやく彼女の手から逃れた。
「でも、あなたは僕の名前を知らない。たぶん、今この街にいる誰一人として。一流のピアニストならその名前を知られているはずですよ」

 マリアは少し考えるような顔をした。そして確かめるようにゆっくりとひとつの名前を口にする。
「ルイ・アンダーソン」
 慎一が意味が分からずじっと彼女を見つめていると、マリアは少し神妙な顔になっていた。
「ルイ・アームストロングなら知ってるでしょ。でも、ルイ・アンダーソンは誰も知らない。一昔前の私の国の人なら、誰だって彼の名前を知っていたのに。でも今は、もし知っていたとしても、彼はもう終わっていると思うわね。きっとそう」
 そしてふうっと息をつく。

「私の夫よ。ジャズ・ピアニストなの。正確には、ジャズ・ピアニストだったというべきかしら。十代の頃まではクラシックをやっていたのだけれど、黒人の血が混じっていて、外見からお前にクラシックなんて理解できない、お前の音楽はデタラメだって言われて挫折して、二十歳を越えてからジャズに転向した。馬鹿げているでしょ。民族や生きてきた環境は、それはもちろんその人の音楽に影響を与えるものでしょうけれど、外観や他人の好みで、誰かの音楽が正しくないなんて言われたら、あなた、どう思う?」

 マリアは、慎一の人種的差異についても意識して言ったのだろう。慎一自身、謂われない差別を感じたことは一度や二度ではなかった。だが、それを言っても何も始まらない。腹の内側で、自分は日本人の遺伝子を持っているが、自分以上のベートーヴェンを弾けるピアニストはそういるまいと信じている自分がいる。

「でも、結果的にジャズに転向したのは正解だった。少なくともその時はね。それからは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。そうね、たぶん、ニューオーリンズでも彼の名を知らない人はいなかったと思うわ。素晴らしいピアニストだった。幾人もの著名な歌い手が彼との共演を求めたし、ライブや公演のない日なんてなかった。レコードも出したし、ヨーロッパにも何度も遠征した。そう、日本にも行ったことがあったわね。それにね、見た目もなかなかいい男だったのよ。そして私も一目惚れ、じゃなくて、一耳惚れ? どっちかしら」
 彼女の唇がふふとまた笑ったけれど、今度はさらに寂しい唇だった。

「彼は私の先生でもあったのよ。私は歌だけれど、ちっとも芽が出なくて。才能ないんだから止めちまえってよく言われたわ。だからもちろん、プロになんてなれなかったし、子どもたちも少しだけ音楽をかじったけれど、結局誰も音楽家にはならなかった。夫は忙しくてあまり家に寄りつかなかったし、きっと外に女性もいたと思うのよ。でもね、ある時」
 マリアはワイングラスの縁をそっとなでた。ワイングラスの面で彼女の顔が光に歪んだ。
「それは、そう、きっとほんのちょっとしたボタンの掛け違えだったと思うのよ。ピアノがね、鳴らなかったの」

「鳴らない? 調律がうまくなかったってことですか」
 マリアは頷いたような、首を横に振ったような、曖昧な感じで首を動かした。そうだ、ジャズに調律は、あるようなないような話だ。
「あなたなら分かると思うけれど、そもそもジャズの演奏では、ピアノもクラシックのようにきちんとした調律なんてなされていないでしょ。たとえば高音部の鍵盤の三本の弦は、クラシックならずれているなんてあり得ないけれど、ジャズはあり。音のずれ、タイミングのずれを楽しむものなのだから。もちろん、あの人だってそんなことはちゃんと分かっているのよ」
 マリアは声を少し潜めた。
「頭ではね」

ピアノ2
 ピアノの鍵盤にはそれぞれ弦が張ってある。鍵盤を押さえると、羊毛を固く巻いたハンマーがこの弦を叩くことによって音が鳴る。そういう意味ではピアノは弦楽器でもあり打楽器でもある。最低音部ではひとつの鍵盤について太い弦が一本。低音部では少し細めの弦が二本、そして中音部から高音部には更に細い弦が三本。
 複数の弦が張られている鍵盤で、その張り方が一律でなかったら、ひとつの鍵盤から複数の音が聞えてくることになる。

 クラシックの曲を弾くならば、ひとつの鍵盤から複数の音などということはあり得ない。調律の際に万が一ごく微妙にずらすことがあっても、人間の耳に複数の音が聞こえるなんてことにはならないし、せいぜい音の印象を少し変える程度のずれだ。だが、ジャズでは敢えて音程をずらすことがある。たとえば一つの鍵盤に張られた三本の弦のうち、左側は少し低め、中央は正規の音程、右側は少し高めというように。こうすることでより明るくポップな音を引き出せる。
 これが極端になって、ひとつの鍵盤から三つの音が聞えるような調子外れのピアノはホンキートンクと呼ぶんだ、とアメリカから来た音楽院の学生が教えてくれたことがあった。

 気持ち悪くないのか、と聞いたら、お前の耳には気持ち悪いだろうなぁ、と笑われた。
 でも、これがまた、場末のバーに似合っちゃうんだよな。もっともわざとそんな調律をするってことになると、下品な音とのぎりぎりのラインを考えなくちゃならないから、難しいよ。でも、そもそもジャズって貧しい奴らが何とか生きていこうって場所で生まれた音楽じゃないか。一流の調律師に百分の一の狂いもなく調律してもらえるなんて発想が始めからないんだよ。ちなみに、ホンキートンクミュージックというのは、カントリーミュージックの系列で、ホンキートンクってバーから生まれた音楽なんだ。メロディやハーモニーよりリズムが大事、ピアノはろくに調律されていない、時に鍵盤が上手く動かない、それで普通だったのさ。お前、絶対気持ち悪いだろ?

 あの頃は確かに気持ち悪いと思っていた。思えば、アップライトとはいえ(そもそもアップライト自体は珍しいのだが)、ベーゼンドルファーの憧れのウィンナ・トーンを手に入れた時から、常にひとつ上の音を探し求めていたのだから。
 だが、今となっては、そんな音楽もあるのだと自然に納得できる。

 パリにいる頃は、出会うピアノのほとんどは調律とは無縁だったので、時には鍵盤が波打っているなんてものまであった。あまりにも可哀想で、金にもならないのに幾日もかかって修理したこともある。もちろん、慎一は調律師ではなかったから、あくまでもちゃんとした調律師を雇って欲しいと思ったが、全てのピアノが大事にされているわけではないし、例え大事にされていたとしても、ヴァイオリンのような弦楽器と違って、古い楽器に値打ちがあるというものではなかった。製造された時が最高の状態で、そこから劣化していく運命にある楽器には、それなりの逃れられない宿運というものがあるのだろう。

 そしてその運命は決して否定的な面ばかりでもないのだ。置かれた場所の湿度や温度、周囲の壁や布地、室内に置かれたあらゆるものに影響されて音は変わる。さらに、弾く人によっても。
 最高の環境でなくても、それぞれのピアノに、それぞれの宿命の音がある。

「でも、結局、あの人の耳は『ずれ』を楽しむようにはできていなかったの。本当のところ、ピアノはいつも心地よい『ずれ』を計算して調整してあった。ジャズピアニストとしてデビューしたけれど、二十年近くもクラシックのピアノを弾いてきた人なのよ。彼の中に『正しい音』というものがあって、どうしてもそこを求めてしまう。あの人の音は綺麗だった。歌も乗せやすくて、安心して任せることができるピアノだった。でも、初めから、即興的な音の遊び、音程やタイミングのずれ、ジャズに最も必要な何かが欠けていると批評している人たちもいたわ。それがあの日、あの人の頑なさが人々を失望させてしまったの」

タパスの店の犬
 誰かの視線を感じると思ったら、少し離れたテーブル席の椅子の上に、犬がいた。あれは確か日本の犬だ。シバ犬っていったか。何かを訴えかけるように目でマリアと慎一のほうを見つめている。飼い主は中年の男で、時々犬の背を撫でながら、携帯電話の向こうの誰かに大きな声でしゃべっていた。

「久しぶりのライブバーでの仕事だったの。いつものように演奏前にピアノの音は仕上がっていた。もちろん、他の楽器の音、店内に入る多くの人々の立てる音や体温、湿度はちゃんと計算に入っていたのよ。でも、その日、突然の大雨で、とても外に出かけるような天気ではなくなってしまって、お客さんの足を止めてしまった。調整したはずの『いい具合に調子の狂った』ピアノは、多分その突然の湿気と半分しか埋まらなかった客席によって、本当に『狂って』しまった。少なくとも、彼の耳には。でも、そんな天気でも半分の客は集まってきていて、キャンセルなんて雰囲気ではなかったの。その頃、あの人の人気はほんの少しだけ翳りが出てきていて、時々マネージャーやプロデューサーと喧嘩を、そう、それもかなり音楽の根本に触れるようなところで喧嘩をするようになっていた。あの日もあの人は何かで腹を立てていて、ピアノを弾き始めてから、突然、こんな壊れたピアノは弾けないと言い出して途中で放り出してしまったの」
 ステージを途中で捨てるということは、それがどんな悪条件であっても、プロにとっては命を絶つことと同じだということは理解できた。しかも、そこにジャズを聴きに集まっていた人々は、その『壊れた』ピアノが奏でる不調和の調和を求めてきていたのだ。

「そこに、まだ駆け出しの若い、でもジャズマンとしては才能溢れるピアニストがいたの。彼がステージを引き取って、しかも大成功を収めてしまった」
 その椅子が空いたなら、いつでもそこに座るべく準備して構えているものがいる。それはこうした世界の常道だった。慎一がウィーンを去った後も、誰も彼の不在を嘆くことはなかっただろう。それほどに厳しい世界に生きているのだ。

 どんなピアノも鳴らすことができる、それを不協和音から音楽に変えることができる、そのぎりぎりのところを楽しむことができる、少しばかり鈍感な耳を持つ一方で、指には溢れんばかりの才能を持てる者は、おそらくその懐の広い演奏を見事に示すことができたのだ。そして、マリアの夫は、残念ながら、自分が求める音の残酷なまでの鋭敏さと、人々が求める音の寛容さと遊びの狭間で、折り合いを付けることができなくなってしまったのだろう。
 自分自身の理想の音に忠実であればあるほど居場所がなくなる、この世界はやはり苦しい。

「あの人の苦しさをその時受け止めてあげることができていたら、少しは違っていたのかもしれないわね。でも私も、その時は、今より少しばかり若くて思慮も浅くて、あの人のちょっとした裏切りに我慢がならなくなっていたこともあって、心の内に飼っている意地悪な虫が騒いでしまったの。あの人は家に閉じこもるようになって酒ばかり飲んでいた。一方で、私は、あの人が何度もダメだって言った歌で、少しばかりお金を稼ぐことができるようになっていたの。音楽教室の講師、ちょっとしたコンサート、仲間との打ち合わせ。誰も私の名前なんて、しかもルイ・アンダーソンの妻だなんて知らなかったけれど、一緒に音楽を楽しむ仲間が大勢いて、それが私に幸運と幸福をもたらしてくれていた」

 マリアは言葉を探すように、店内に視線を彷徨わせ、まだこちらを探るような目で見ていた柴犬に視線を止めた。柴犬はすっと視線を外して、電話を終えた主人の手に甘えた。
「ねぇ、あなた、正しい音ってものが世の中にあるのかしら。正しい音、正しい音楽、正しい音色。あると言えば、他の正しさを否定することになるし、無いと言えば、何を求めて何にすがっていけばいいのか分からなくなるのね。私は残念ながらそんな一流の腕も耳もなかったら、逆に幸せだったのかもしれない。でも、あの人はただ肌の色が少し違うと言うだけで、信じていた音楽に見放され、救いを見いだしたはずの音楽には嵌まりきれなかった。そして、あの人は家を出て行ったのよ」

 時計をふと見やって、もう遅いわね、とこれまでになく神妙な面持ちでマリアはつぶやいた。丁度椅子から抱き上げられた柴犬が、去り際に名残惜しそうにこちらを見ていたので、マリアが小さく手を振ったら、犬は恥ずかしそうに視線を逸らして主人の腕に凭れた。
 その手を見ていると、彼女にも長い時間とその後の苦労があったのだろうと容易に想像できる。

「十年ぶり」
「え?」
「あの人の居場所が分かったの。それでね、私、手紙を書いたのよ。あの人に届いたのかどうか分からないけれど。あなたさえよければ、思い出の場所で会いましょうって。私たちがまだ幸せだった頃、この街に来たのは三十年ほども前の事だったかしら。少し記憶が曖昧な部分もあったけれど、街に着いてみたら、どんな順番でこの街を巡ったのか、どんな話をして過ごしたのか、その時どういう気持ちだったのか、みんな思い出してきたの」

「じゃあ、あの……このコンサートも」
「三十年前、この音楽堂で一緒にコンサートを楽しんだのよ。その頃、あの人はジャズピアニストとして成功し始めたところで、ようやくクラシックに踏ん切りを付けるところに来ていたから。あの夜、私たちは、自分たちが愛し楽しんできた音楽について、夜が明けるのも忘れて語り合っていたわ。本当に幸せな時間だった。だから、今日、あの人もあの日のことを思い出してくれているかしらって、ぎりぎりまで待ったけれど、あの人は来なかった。お友達が、きっと私たちが気に入ると思うと言って、用意してきれたチケットだったの。でも、まさか売り切れになるようなコンサートとは知らなくて、あの人が来なくて私ひとり、空いた席の隣に座っているのって、演奏家にも観客にも申し訳ないような気がして。いいえ、そうじゃなくて、ただ自分が心細かったのよ。それに何だか、あなたの後ろ姿が、若い頃のあの人に似ているような気がしたの。どこか所在なさげで、それでも、まだ遠くの何かを探して、重力という、言われなきどうしようもない暴力に逆らって立っている、そんな後ろ姿」

 でもそろそろ、思い出の旅も終わりね、と彼女は言った。
 明日、グエル公園に行って、バルセロナの海を見て、ニューオーリンズに帰るわ。
 そう言って、彼女は椅子から降りた。

 せめてこの店の支払いは、と言ったら、彼女は少し考えてから答えた。
「それはだめよ。あなたの時間を私が買ったのだから。でももしかしてお礼がしたいと思ってくれているのなら、明日、グエル公園で待ち合わせをしてもらえるかしら。初めのうちは思い出に浸って楽しく過ごしていたけれど、実のところ、一人で、ついに現われないかも知れないあの人を待つのが、本当は怖いの」
 ごめんなさい、今日会ったばかりの人にこんなお願いするなんて、と彼女はうつむいた。
「もちろん、先約があるなら断ってね」
 結依が着くのは明日の夕刻だった。ここまでしてもらって断る理由はなかったし、事情を知ったからには、マリアの明日、彼女のこの旅の行く末が気になっていた。
 慎一は思わず、必ず行きます、と答えていた。

グエル公園3
 もしかすると、彼女の夫はこの街には来ていないかもしれない。
 だが、慎一は、彼がこの街にいるような気がしてならなかった。コンサートの始まる五分前、期待に満ちた周囲の雰囲気に気圧されたひとりぼっちのマリアが慎一に声をかけなかったら、その一分後に彼女の夫がマリアに声をかけていたかもしれない。
 その男の気持ちが、慎一にはよく分かるような気がしたのだ。
 だから、今、待ち合わせたグエル公園でマリアの姿を少し離れた場所から見守りながら、慎一は声をかけることができないままだった。もしかして、自分が今、彼女に声をかけてしまったら、一歩を踏み出そうとしていた彼の足を止めてしまわないかと思った。

 およその時間だけは聞いていたものの、どこで待ち合わせと具体的に決めていたわけではなかったが、彼女のいる場所はすぐに分かった。音楽が聞えてきていたからだ。
 グエル公園の立体的に組み合わされた散歩道の上から、慎一は下の小さな広場を見つめていた。広場を取り囲む回廊は、岩を組み合わせて(貼り合わせて?)人工的に造られていたが、敢えて自然の造形を人工で模すことによって、かえって自然と人為の共生について思索を迫られるという効果を生んでいた。だが、今ここに集まる人々は、そんな製作者の意図の事など忘れているだろう。

 広場の隅には四人組の大道芸人がいた。
 観光客たちの足が、大階段よりも、音楽の聞えるこの場所へ向いているのも納得ができた。観客たちは、ただ通り過ぎたり遠巻きに見ているだけではなく、もうすっかり座り込んで、次の芸の瞬間を見逃すまいとしているようだ。
 バルセロナの別の広場でも、あんなふうに身体に銀を塗って動かない彫刻のふりをしながら、コインを入れてもらったら動き出すというパフォーマンスをしているところを見かけたが、彼ら四人の場合は、ただちょっと動いてみせるという程度ではなく、音楽を奏でたりパントマイムをしたり、おそらく入れられたコインや紙幣の額によっては四人が一緒に音楽劇を一曲やってみせるという高度な芸までも披露しているのだった。先ほどから、ひっきりなしに音楽が聞えているのは、コインや紙幣を入れる観客が後を絶たないからだ。

 上から見ただけでは表情まで分からないが、マリアもおそらく目を輝かせてその様子を見ているに違いなかった。慎一もしばらく彼らの芸に引き込まれていたが、時々マリアが周囲を見回すのに気がついて、自分もまた、会ったこともないマリアの夫の姿を探しているのだった。
 まだ日は落ちていなかったが、春の風は遅い午後ともなればすぐに冷たくなる。それに夏だったなら、バルセロナの太陽の下とてもあの格好でパフォーマンスなどできはしまいという重労働をしている大道芸人たちの体力もそろそろ限界だろう。このパフォーマンスが終わったら、マリアは夫に会えないままこの街を去ることになるのかもしれない。

 そうして見ているうちに、最前列から動かないまま彼らの芸を楽しんでいる二人組を認めて、慎一は驚いた。
 昨夜、あの音楽堂のステージの上にいた二人だ。見ていたら、ピアニストの男性の方が、クールビューティーという言葉がぴったりのヴィオラ奏者に軽く目配せをしたと思ったら、財布ごとギターケースに放り込んだ。
 さすがの四人もぎょっとしたように、一気に二人の方を見た。観客から大きな拍手が湧き起こる。こうなったら最後に出し惜しみのない最高の芸を見せてくれ、という期待が満ちあふれる。

 慎一も思わず期待して彼らの次の動きを見守っていた。
 彼らは片隅にアンプに繋いだ電子ピアノを置いていた。背の高い男性がピアノに近づいたと思ったら、すとんとパントマイムの様子で椅子に座った。そして、始めは機械仕掛けのように、数小節の後にはすっかりコンサートピアニストのように、昨夜、あの音楽堂で聴いたばかりのシューベルトの『アルペジョーネソナタ』を弾き始めた。ヴィオラは、と思ったら、九小節後に、銀髪の鬘を被っている女性の大道芸人がフルートでアルペジョーネのパートを奏で始めた。

 ヴィクトル・ベルナールが弦が泣いていると言っていた、アルペジョーネのパートが、フルートで聴くとただ美しく甘く聞えた。幾分かテンポを調節して、明るく聞えるようにアレンジしているのだ。ピアノとフルートは恋人同士の囁き合いのように絡まり合う。
 残りの二人は、待ち合わせた恋人同士、男が遅れてきて、女が怒る、というパントマイム風コントをやっていた。音楽とのギャップが観客に大受けで、最後は二人が甘く抱き合うという設定だった。コントの中身が盛り上がってくると、曲調はどんどん変わっていき、とてもシューベルトとは思えなくなった。
 少なくとも、これなら泣かなくて済む、と慎一も思った。
 財布を放り込んだ二人も大喜びだった。その時、彼らは知り合いなのだと分かった。昨日あの音楽堂に彼ら四人もいたのかもしれない。

 マリアを見ると、胸に手を当てて何かを祈っているように見えた。
 正しい音ってなにかしら。正しい音色、正しい音楽。
 昨夜の彼女の問いかけが蘇る。

 華やかで美しい音楽堂で、演奏前には湿度や温度、観客の数、時にピアノの脚の向きまで気にしながら調律された音を頼りに、演奏中には息を潜めて聴くような天上の響き。こうして周囲の観客や風のざわめきの中で、時には走り回る子供たちの素っ頓狂な歓声や放り込まれるコインの音に重なりながら奏でられる、この世界を写し取ったような地上の響き。場末のライブバーでひとつの鍵盤から三つも音を出す壊れかけのホンキートンクピアノが作り出す、人生の響き。
 おそらく本当の音楽には正しさなど無いのだろう。そこには、自分にとって大切な音を求める演奏者と、その音を楽しむ人々がいるだけなのだ。

 シンイチ、演奏家が決して許されない演奏がたったひとつだけある。それは、聴く人を絶望させる演奏だ。たとえ、苦悩する魂が重力に引き込まれて深い地球の底にまで落ちていったとしても、そこから一筋の希望の光を見つけることができるような、そしてその暗い場所から浮き上がってくることができるような、そんな演奏をする音楽家になりなさい。そして、いつも、まだ会ったことのない人たちのことを思って弾きなさい。
 音楽院の恩師が卒業の時に授けてくれた言葉だった。
 正しい音楽というものは無いのかも知れない。だが、幸福な音楽というものが、確かに在るのだ。

 マリアが不安そうにまた辺りを見回している。約束したはずの慎一を探しているのか、それとも待ち焦がれた夫の姿を探しているのか。楽しげな観客たちの中で一人きりの彼女の不安が哀れだったし、せめてもう一度だけ彼女に礼と別れの挨拶を述べるべきかとも思い、迷いながら、慎一は下の広場へ降りようと歩き始めた。
 その時、下の層の柱の陰にひっそりと立っている老人の姿に気がついた。

 そして不意に理解した。それは、昨日、音楽堂の入り口近くの柱の陰に隠れるように立っていた、慎一と同じように場違いな雰囲気の老人だった。
 だが、老人は息を潜めるように動かなかった。マリアの場所からは無骨な柱しか見えない位置で、ただ黙って立っている。
 昨夜の音楽堂の前でも、そしておそらく、これまでマリアが巡ってきた街のあらゆる場所でも、彼はマリアに声をかけることなく立っていたのだろう。

 慎一は息をひとつ、ついた。
 彼がマリアに声をかけるかどうか、それは分からなかった。かけて欲しいとも思ったが、簡単にはそうできない彼の気持ちも理解できた。旅の終わりが近づいていることは彼も知っているだろう。その彼の決心を、二人の運命の行き先を知りたいような、やはり知りたくないような、複雑な気持ちで、慎一は視線を逸らした。
 その時。

「おい、俺の壊れたルードヴィヒ、いつまでその中途半端な場所からただ見ている気だ?」
 突然の声に慎一は驚いて振り返った。
「ヨナス……」
 そこに立っていたのは、十年の間にさらに頭の毛が少なくなった懐かしい調律師、ヨナス・シュナイダーだった。大きな身体で、上からピアニストを憎んでいるような視線で見下しているような顔つきはそのままだったから、十年たっても忘れるはずもなかった。もちろん、それは外からうかがい知れる視線だけのことで、彼のピアノへの愛情、ピアニストへの想いの深さは、慎一が一番よく知っていた。

 大体、慎一のことを、形容詞をくっつけたルードヴィヒなどと呼ぶのは、彼くらいだった。機嫌の良いときは「小さいルードヴィヒ」で済んだが、ちょっと怒ると「本物よりも始末に負えない耳をもったルードヴィヒ、いっそ聞えない方がずっといい」と悪態をついていたっけ。今日の機嫌はまだましだと言うことだ。
 ただ、二人とも、ベートーヴェンを、そしてこの世界に生まれ出ようとする全ての音を、愛していた。

 それにしても、一体なぜ突然ここに、と思いを巡らしてから、あぁそうかと事情を察した。
 出掛けにホテルに結依から伝言があった。ちょっとした手違いで、今日そっちには着けないんだけれど、エージェントを派遣したから、というのだった。どこに行けとも、何時とも言っていなかったというので、仕方なくホテルのフロントには自分は今日グエル公園に行くと伝えてはあったが、彼がそのエージェントだったということだ。
「まったく、俺の命だって、あとどのくらいか知れたものじゃないというのに、いつまで待たせようって言うんだ。人の命は短く、芸術の時は長い」

 低いバリトンの声も愛情のこもった悪態も、やはりヨナスのものだった。慎一は言葉を返すこともできずに、ゆっくりと数歩彼に歩み寄り、そのまま倒れ込むようにヨナスに抱きついた。
「あなたのピアノをまた弾きたいと、そう思っていたところだった」
 一瞬の間の後、ヨナスの腕が慎一をぐいと抱きしめた。弾きたいと言った先から、この腕が作り出す、その一点しか許せないような孤高の、そして最高の音を思い出すと、思わず震えた。

 あのピアノの音に、今の自分は追いつけるだろうか。こみ上げてくる不安を隠すことはできなかった。
「あなたのピアノを弾けるほどの力が、まだ僕にあるのなら」
 いきなり、ヨナスは慎一を引きはがし、上からじっと目を見つめてきた。
「安心しろ。俺も多少歳をとって、耳がいい具合に馬鹿になっているさ。だが、今のお前が弾くピアノを最高の状態に仕上げる事ができる調律師は、いつだって俺しかいないと、そう思わないか。それにいつだって、未来は過去から生まれ出るが、過去と同じ姿はしていないものだ」

 結依なら、今の慎一の震えを、武者震いね、と一言で片付けるだろう。
 慎一は彼の腕に触れ、彼を見つめ返し、再びその胸へ顔を埋めた。
 そうだ、この腕があればまだ「この先」に行くことができる。それはかつて描いていた未来とは違っているかもしれないが、あの頃の慎一には描くことのできなかった深く豊かな予感を抱いて、森や海や空、人々の悲哀や希望、この世界のあらゆる色彩を湛えながら、静かに待っていた。

グエル公園2 
 今、世界の片隅の小さな広場では、既にこの世界から姿を消したアルペジョーネのためのソナタが終わろうとしていた。音楽が終わると、素晴らしいパフォーマンスを終えた四人の大道芸人に、才能溢れる二人の演奏家が駆け寄って、賞賛と祝福を伝えながら再会の喜びを確かめ合った。
 その様子を、夫を待つ名も無きジャズ歌手が、祈るような気持ちで見つめていた。
 すぐ側の無骨な岩の柱の陰からは、年老いたジャズピアニストが、弱り切った足で、不確かな、しかし重い一歩を、そっと踏み出そうとしていた。

 そして、遠く離れたニューオーリンズの場末のライブバーでは、壊れかけたピアノの不揃いの鍵盤のひとつが、不意にぽーんと音を弾かせて、遠くから何かがやってくるのを、あるいは、戻ってくる時を、待っていた。

(【What a Wnderful World】了 )

*写真の犬は柴犬ではありませんが、音楽堂の近くのお店で本当にこんなシーンが。タパスは実は別のお店の写真です。

こちらに出てくるアルペジョーネのソナタは、既に使われなくなっているアルペジョーネという楽器のために書かれた曲なのですが、シューベルトらしい歌うような美しい旋律で今も愛されているからでしょうか。現在も演奏されることはあって、その時はアルペジョーネのパートはヴィオラまたはチェロで演奏されるようです。ピアノの方は、小編成のオーケストラで演奏されることもあるようですが、こちらには、真耶に合わせてヴィオラの曲を置いておきます。

でも、私が学生の頃、大好きだったチェリスト、ロストロポーヴィチの演奏が見つかったので、第一楽章のみ一緒に置いておこうっと。


そして、こちらがベートーヴェンのソナタ第8番『悲愴(パルティーク)』。
悩んだけれど、バレンボイムの演奏で。第三楽章は15:11からです。

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Category: ♪慎一・短編

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コメント


おお~

執筆、お疲れさまでした。

いやホントに、お疲れさまでした。
多忙極まりない合間をぬって、こんな力作を書き上げられるとは。そのエネルギーに感心するばかりです。

いろんな意味で、とても贅沢な作品だったと思います。
慎一だけでも存在感あるのに、八少女夕さんのところの音楽系アーティスト、オールスター出演ですからね。

慎一、そんな彷徨をしていましたか。
それでも音楽に携わっていられたこと、そしてそれが悩む暇もないほど多忙を極めていたことが、逆によかったようですね。まあ、何かを失ったときって、ほかのことに忙殺されているほうが気も紛れていいですからね。芸は身を助けるといいますか、ピアノだけじゃなくてオペラという「友」もあったことが、彼にとって幸運だったと言っていいのでしょうね。

そして、慎一とルイ、二人の孤高のピアニストが、そろってまた歩み始める一瞬を描いたラストがとても感動的でした。
そのきっかけを与えてくれたマリア。お高くとまっていなくて、とても可愛くて、いいお婆ちゃんですね。でもちゃんと自分の意見は持っているし、生き方もしなやかで逞しい。
それに引き換え、男は理屈っぽいし、めそめそしていてダメですな。人生を楽しむことにおいて、女性にとても敵わない。
「What a Wnderful World」というと、ルイ・アームストロングのだみ声が思い浮かびますが、日本語訳の歌詞をみると、とてもストレートな歌なんですよね。
至高の芸術の追及もいいけど、日常的な幸せを楽しめることも大事。そんな感想も抱いたお話でした。

シューベルトというと歌曲というイメージがありますが、器楽曲もわりと書いていますね。で、じつは私、彼の交響曲「未完成」や「ザ・グレイト」をときどき聞いていたりします。たしかに、メロディが「歌」っぽいなと思います。長音符が描く旋律が印象的ですよね。
あと、バレンボイムの「悲愴」、力強いタッチの演奏なのに、ピアノの音が綺麗だなぁ。ピアノ自体の素性なのか、彼の奏法なのか。ただ、映像はどうも……。なんか第三楽章、ちょっとはっちゃけてませんか? あの表情と仕草に、途中で何回か笑いだしてしまいました(笑)

ともあれ、とても読み応えのある作品を楽しませていただきました。
ありがたいことですが、大海彩洋さん、すこしは休んでくださいね。

TOM-F #V5TnqLKM | URL | 2018/03/11 01:04 [edit]


こんにちは~。

いやぁ、力作でした。
彩洋さんのエネルギーと拘りがビンビン伝わってきました。
あのホールで開かれる着飾った人々でいっぱいのコンサート、どんな雰囲気になるんだろう?
しかもあの二人の演奏ですからね。
空想はどんどん膨らんでいきます。
見てきているだけに、これは得をした気分です。
彩洋さんも実際に行っておられるだけに描写が具体的でとてもリアルでした。
マリアとの出会い、なかなかこういう出会いって起こらないと思うのですが、説得されてしまいます。これは運命というものなんですね。
もちろん二人の演奏は素晴らしいのでしょうが、演奏の進行につれて、慎一がこれまで歩んできた道筋を辿ることが出来たのも面白かったのです。慎一の周りの人々との繋がり方なんか、いつもながらとても興味深かったです。天才的な芸術家であるが故の悩みと苦悩、凡人にはなかなか理解できないですね。
でも、これがないと優れた芸術は生まれないものなのかもしれません。
精神も肉体もすり減らして、その代償として生まれる物、それが芸術なんでしょう。
いとも簡単に作品を生み出しているように見える天才でも、生涯すべてに渡ってずっとそうだったわけではないみたいですし。
でもね、やっぱりサキは付き合いきれません。
ホンキートンクかぁ・・・・。面白いですねぇ。

グエル公園のシーンも素晴らしかったです。
あの四人組が出演するんだろうなぁと予想していましたので驚くことはなかったのですが、上手いシチュエーションですね。
サキはここではギター弾きの人からCDを買って、アルハンブラの思い出を演奏してもらったりしたので、その場の空気まで感じられるようでした。
きっと素晴らしい演奏だったんでしょうね。
サキは財布をまるごと置いたりはしなかったので、それなりの演奏だったのかな?
そしてさらに運命的な再会。
これは結依の陰謀なんでしょうが、素敵な陰謀でしたね。
奇しくも二人のピアニストの再出発の場となったグエル公園、不思議な雰囲気の素敵な場所でした。
誰もいないのにピアノがポーンとなるなんて事、きっとあるんでしょうね。

そして、ミク。
彼女の事を憶えてくださっていて嬉しかったです。
彼女はサキのもとに生まれ出たばっかりに、オペラ歌手にもかかわらずオペラの世界で描かれたことがありません。
サキがその世界を描けるほどの知識を持っていないからなんですね。
思う存分そういう雰囲気の中で描いてやっていただければ嬉しいです。
楽しみにしていますが、のんびりとお待ちしていますので御自分のペースで仕上げてくださいネ。
ミクをよろしくお願いします。

山西 サキ #0t8Ai07g | URL | 2018/03/11 16:57 [edit]


TOM-Fさん、ありがとうございます(^^)

TOM-Fさん、こんなにだらだらと長いお話にさっそくコメントをありがとうございます(o^^o)
はい、書いている自分も色んな意味で贅沢な作品、というよりも、欲をかきすぎた作品と思っておりました^^; 
何しろ、前半は真耶と拓人の演奏をバックに、慎一の半生振り返りなんて贅沢な事させて頂きまして。書きながらほくほくでした。去年イメージしたときは、始めは普通に音楽を聴いているって話だったのですが、そこになぜか老婦人が登場して、ちょっといじっていたら、なぜかバルセロナにいながらジャズの話に……
グエル公園に行って、そう言えば蝶子たちがここでパフォーマンスをしていたかなんて思ったら、その話もくっついちゃいまして。 オールスター総出演になったら、ついでに長くなっちゃいました^^;^^;

慎一の遍歴は自分でも楽しみながら書いているのです。もうちょっと平坦で、いつもハッピーな音楽家人生にしてあげても良かったのですが、実はモデルががロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』なもので、ちょっと苦悩してもらわないと、という。
それに、まだ書いていないのですが(正確には、もう何十年も前に書いたのですが、鉛筆書きでノート8冊ほどある、ジョルジョ・ヴォルテラの話)、慎一のピアノのお師匠さんのこともありまして。もともと慎一はこの人にベートーヴェンを教えられたのですが、ちょっとえらいことがありまして(実は『死と乙女』で慎一が告白してるのですが、さらりと流してある)、心を病んでいた慎一坊ちゃんは、一時、精神を病んだ子供たちを預かる施設にいたんですね。そこで、箱庭がわりにオペラの舞台を作っていたという。この施設にあった音の狂ったピアノを自分で直していたりしたので、調律のまねごとはできるのです。あくまでもまねごとですが。
『死と乙女』であれこれ片鱗は出てきますので、また続きを書かなくちゃ。

プラハ時代は幸せでもあったのでしょう。思うような音楽ができていたからどうかは別ですが、恋もしたし、素晴らしい音楽劇の編曲もしたし(版権は置いてきたので貧乏のままになっちゃったけれど)、幾つか自作のオペレッタやオペラも書いているのですよ。彼はピアニストとしてずっとやっていく一方で、メインストリームではないけれど、オペラの指揮や作曲もしていくし、いずれはローマの音楽院で先生もしています。結構良い教育者でもあったのです。結果的にまぁ、音楽家としてハッピーな人生だったでしょうね。晩年は、娘くらいの歳の女性と住んでいますし(そこ?)。

ルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』のだみ声、いいですよね。あの声だから、あの歌はいいんだよな~
ジャズはあんまり分かっていないのですが、あの世界が持っているアメリカっぽさ、ちょっと憧れています。音楽院のでの慎一の友人のひとり(今回のお話の中でジャズの話をしてくれたと慎一が思い出している)が、本当はジャズをやりたかったのに親に反対されてクラシックの方に放り込まれているんですが、やっぱり最後はジャズマンになるんです。同じ友人でもテオドールとは対局のタイプ。で、時々、ぼろが出ない程度にジャズの話を書くわけですが……クラシック以上に謎。
でも、ジャズ演奏家の老夫婦の話を思いついたのは、ジャズもいつか書かなくちゃな~と思ったからで、そうなるとやっぱり、今回のタイトルはジャズの曲からだな、と。私が一番好きなのは『Fly Me to the Moon』なのですが、今回、月に行っちゃったら困るので、この世に留まって頂きました!
ルイとマリアの夫婦、慎一の視点からだけですが、きっと酸いも甘いも乗り越えてきて、これからもまだまだ酸いも甘いもある人生なんだろうな~なんて思いながら書いていました。

そして。
やや、TOM-Fさんに、こっそりしてたはずの私のシューベルト好きがバレているかも(いや、別に隠れファンしてなくてもいいのだけれど)^^; 竹宮恵子さんの影響で、一時色んな少年合唱団の曲を聴きまくっていたのですよね。当然、シューベルトは外せません。最初に『セレナーデ』を聴いたときに魂持って行かれまして(えっと、同じくらい『蘇州夜曲』と『北上夜曲』が好きです。私の中では同じ位置。慎一が『セレナーデ』をアンネットに歌いましたが、いつか誰かに『蘇州夜曲』を)、その後、結構、クラシックのコンサートに足を運んでいた頃に交響曲第8番を生で聴いて、古典化けしたマーラーかと思いました(え? でもこの曲、シューベルの部屋で死後に埃を被っていたのをシューマンが見つけたんですよね。ありがたや~)。それ以来、シューベルトをただ歌曲王とは思わなくなりましたが、やっぱりオーケストラが歌うんですよね。うん、あんまり分かってないけれど、でも、輪唱みたく音が強弱・高低つけながらメロディが重なっていく辺りは、やっぱり歌ですよね。もうちょっと長生きしてくれていたら、どんな曲をかいていたのでしょうか。

あ、かのバレンボイムの演奏、やっぱりですか! 私も、実はちょっと、某ハリウッド映画に出てくる人間もどきに似てるなぁとか、思っていたのですが^^;^^;^^; 第1楽章では普通なんですよね。それが第3楽章辺りでは、髪の毛が踊ってるし、ハリウッド映画になっていくし……でも、快演かなぁと思ったのですよ。
ほんと、YouTubeって有り難い。
コメントありがとうございました!!

彩洋→TOM-Fさん #nLQskDKw | URL | 2018/03/11 21:05 [edit]


サキさん、ありがとうございます(^^)

サキさん、早速こんな長ったらしい、読み手さんを置いてきぼりに自己満足しているお話を読んでくださってありがとうございます!! 長々とあれこれ書いちゃいましたが、前半は、真耶と拓人の演奏をバックに、慎一の半生をあらすじするという、超贅沢な事をやっております(ありがとう、夕さん。そう言えば、scriviamo!では、詩織が夕さんちの某靴職人に靴を作ってもらったりするとか、ほんと、勝手に美味しいことしてるなぁ、うちの連中。済みません、夕さん)。
何しろ、真耶と拓人とは違って、どこの馬の骨とも分からない日本人演奏家ですから、ほんとに、紆余曲折ありすぎちゃって。でも、書いていて楽しい音楽家人生です。

この人、音楽については結構とがっているんですよね。そうそう、サキさんが付き合いきれないというの、私も思います! 何しろ「なんでもいいやん」な私。多分、民謡の楽譜がいかんのですね。だって、正確な音なんて書いてないんですもの。ただ、上がる・下がるしかわからん(お経みたい)し、100人歌い手がいたら、100人とも違う音階で歌っているといっても過言ではない……だからカラオケ・バトルにはならんなぁ、な音楽に慣れちゃうと、正確であることが「正しい」とも思えなくて。
でも、この子は耳が良すぎるんですよね。で、自分で自分の首を絞めるという。でもプラハ時代を経て、いいように丸くなっているようです。自分にもう少し優しくして欲しいなぁと思いますが……でも、真摯であればあるほど苦しくなる、芸術ってそういう側面がありますよね。その人の目指すものに「譲れない部分」があるからこそ、観る者・聴く者は心打たれる様な気がします。

ホンキートンクってのは耳にしたことがある言葉ですが、その意味は?と思っていたら、こんなことだったのか! と面白かったので使ってみました。そもそもはお店の名前だったみたいですね。そこでやっている音楽がホンキートンクミュージックという。そこから転じて調律のなっていない音楽を指すようになったようですが、いや、実際、鍵盤ひとつ押さえて3つも音が聞えたら、クラシックの演奏者だった気持ち悪いだろ~な~、と思います。思えばジャズも民謡も、基本は即興なので、こういうことになるんだろうな。音楽ってほんと、奥深いですよね。

ファーストシーンはちょっと遊んでいます。いや、絶対拓人のファン(もしくはナンバリングされた女たち)が海外のコンサートでも追っかけて来ていたりして、で、絶対着物着て最前列に並ぶとか、あるよな、と^^; その雰囲気に、多分、慎一もルイもたじたじだったことでしょう。真耶はきっと、いつものこと、って感じで受け流しているでしょうけれど。
もっと音楽堂の雰囲気を描写しようとも思ったのですが、もう長くなり過ぎちゃって、断念しました。こりゃ、ゆっくり描写してたら終わらんわ、と。だからちょっと飛ばして書いちゃったけれど、書いている方はそれなりに楽しかったので……ま、いいか! ほんと、贅沢なBGMで回想にふけるという、有り難いシーンでした。サキさんはきっと実際に観たものでイメージを補ってくださっているから、それも有り難いです(って、ちゃんと描写しろよって思うけど^^;)。

マリアとの出会い、そうですね、コンサート会場の前でポスター見て指くわえてたら、「チケット余ってるんですけれど、一緒に聴きませんか?」って、まぁ、そうはありませんね。でも、この時、マリアもちょっと必死だったかも。チケット2枚持ってて、一緒に行くはずの人が来なくて、自分の隣が空いているって、ちょっと寂しいですものね。
あ、アイドルのコンサートなら「チケット譲ってください」って紙を持って立っている子と一緒に入ったことはあります。やっぱりチケットは有効利用しなくちゃね。

グエル公園のシーンも楽しんでいただけて、何よりです。あ、そうか、サキさんはそこでギターを聴いておられるのですね。ほんと、どんな雰囲気で4人はやっていたのでしょうね。なかなか本家本元が書くシーンには追いつけませんので、むしろ周囲の人間たちの動きを楽しんでもらえたらと思っていました。
いやいや、財布丸ごとなんて置いちゃダメですよ(多分、拓人や真耶は、現金は大した額持っていないのでは? だって、ほぼクレジットカード、しかもブラックでしょうしね。だからきっと財布の中身=現金はたいしたことなくて、あとで稔が、「なんだよ~、これっぽっちかよ~、サービスしすぎたよ~」とか言ってそう)。
でもきっと、サキさんの時は遠い国からの訪問者、額に関わらず、一生懸命演奏してくださっていたと思いますよ。

> これは結依の陰謀なんでしょうが、素敵な陰謀でしたね。
主人公がぼ~っとしてるので(慎一は音楽にはとがっているけれど、実生活とか、男女関係とか、ほぼ落伍者ですから。音楽のこと考えて歩いていたら、強盗に身ぐるみはがされてても気がつかないかも)、周囲が頑張るって話かも……そう言えば、兄貴が恋愛落伍者なので、トト(サルヴァトーレ)も頑張ってたなぁ。世の中上手く回っているもんだ!(え?)

> 誰もいないのにピアノがポーンとなるなんて事、きっとあるんでしょうね。
あ、いや、実はこれは、もしかして単に、ついに弦が切れて壊れたのかも! って、自分で自分に突っ込んでいた私でした。
それとも、オカルト? 

慎一は将来、結構良い歌手たちを育てているのですよ。本人はあくまでも教師として教えていたのはピアノなのですが、なぜか指揮や歌を学ぶ学生からも慕われていたという。生涯の中で、実は結構曲を書いているのですが、なぜかピアノ曲はなくて、全てオペラや歌曲。プラハの劇場でも歌姫を連れて帰りたかったんでしょうけれど、失恋しちゃったので、代わりに少女を見初めて(いや、変な意味じゃなくて。歌姫からも「よろしくね」と言われたので)、その子をちゃんとデビューさせています。
最もミクには良い仕事上のパートナー(プロデューサー)がついていますものね。だから、そっち方面じゃなくて、何か違うサポートかなぁと思っていました。とは言え、まさにタイムパラドックスになりそうな、えっと、そことそこ、両方に居られないわって時間軸設定になりそうな^^; イメージの中では慎一はもうローマで教鞭をとっていて、孫の真(ロック歌手?だけれどヴォーカルチームでも活動している)とミクとの組み合わせがしっくりきていたんですよね。あぁ、時間軸が……ま、いいか!
しばしお待ちくださいね。
コメントありがとうございました!!

彩洋→サキさん #nLQskDKw | URL | 2018/03/11 21:57 [edit]


ありがとうございます!

彩洋さん 、真っ先にコメントに伺わなくちゃいけないのに、大変失礼しました。
先程、ウィーンから戻ってきました。

まずは、体を休めることもできないくらい緊急でお忙しくなってしまったのに、こんなに素晴らしい作品を書いてくださり、ありがとうございました。あ、いや、私のために書いたのではないでしょうけれど、無理していま仕上げてくださったのは「scriviamo!」のためですから、もう、本当に頭が上がりません。

真の物語もまだ全人生を理解しているわけではないのですが、「死と乙女」を無理やり書かせた件もありますし、最近は某シマウマ研究者との共演などもあって、慎一の人生にもおそらく他のどのブログのお友達よりも興味があると思うので、新たなことが分かってきて嬉しいですね。

拓人たちのように苦労も苦悩もなくクラッシック音楽界を迷いなく進んでいるわけでもなく、かといって蝶子やヴィルたちのようにあっさりと捨ててしまえるわけでもなく、慎一の置かれた心と地位の立場は、とても辛いものだと思います。この迷宮に彼が入っていくことになったのは、あの築地で子猫を飼っている方(飼っていない方だってば)の死だったということでいいのですよね。実のお父さんを失うよりもずっと辛いことだったのかなと思うと、その恩讐の深さというのか、単なる育ての親という立場に留まらない、彼と真との関係にも勝る何かを感じます。

でも、その方だけが彼の人生を左右する力を持っているのではなく、ヴィクトルも、ヨナスも、それに結依も、そして、この袖触れ合う程度の関係を持った老夫婦も、それぞれに灯台的な役割を果たして、彼を導いているのかなと思いました。彼らに比べるとフォトグラファーの影はけっこう薄い?

なんて、のんきに感想を書いている場合じゃなくて、なんか書かなきゃいけないんですよね。(あたりまえ)
これから籠りますので、しばらくお待ち下さいませ。ああ、どうしょう。

「scriviamo!」の長さの注意書きは、あれです、ほら、期間中に私が書く量が多いので、全部に二万字でお返しとか無理ですけれど、お一人だけ少なくなったりするとそれはそれでお氣になさる方もいらっしゃるので、セーフガードとしてはじめからかいておこうということで、実際にはすごく長くお返ししていることも多く(笑)

さて、タイムパラドックスの話ですけれど、慎一って、何年生まれなんだろう。でも、真たちが昭和ということはたぶん慎一との共演でもどっちかがタイムトラベラーだと思うんですよ。なんせ拓人と稔は2016年生まれ、蝶子と真耶(ご指摘ありがとうございました。こっちが正解です。Mac、新OSになってから日本語変換に問題があって、何度教えても真耶を覚えてくれず、いつの間にか違う名前に変わっていました)は2017年、レネとヴィルはまだ生まれていません(笑)
なぜこうなったかというと、千年祭が2012年10月30日で、真樹がその年に生まれたという摩利子のセリフがあるから。で、瑠水はその九年後の2021年生まれで逆算すると拓人は2016年生まれになってしまうのでした。
まあ、「scriviamo!」やコラボでは、その辺は追求しないでおきましょう。

そういえば、タイムトラベラーたちはともかく、シマウマ研究者との共演の時系列から考えると、結依とアレッサンドラは一緒にお仕事しているかもしれませんね。あ、こっちもタイムトラベルかしら? (ちなみにニューヨークの話は私の中では完璧に現在。スマホとか出てくるし)

だから、そんなことはどうでもいいから、さっさと書けって?
ありがとうございました。まずはお礼まで

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2018/03/12 23:15 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

夕さん、早速ありがとうございます。いやいや、こちらこそ、金曜日にアップします、と言ってたのに、記事の体裁を整えるのに結構時間がかかっちゃって(前書き書いたり、曲をセレクトしたり、あれこれ)、思った以上に時間を食ってしまいました。でも、夕さんのウィーン滞在中にアップできて良かったです。書きながら、夕さん、ウィーンかぁ~いいな~、と思っていました。あ、こちら舞台はバルセロナなのですが、でもウィーンに帰る決心をしたって下りですものね。

慎一にとってウィーンは特別な場所ですし、ウィーンの音楽愛好家たちが自分を育ててくれたと思っているので、本当に帰ることができてほっとしていると思います。もちろん、本当の意味で再始動できるまでは、まだ「おとうちゃん、許してくれるかな」とびびっている放蕩息子状態ですけれど。この人、晩年はローマの郊外に住むのですが(イメージでは聖チェチーリア音楽院の先生)、ウィーンで年に1回のテオドールとのピアノデュオリサイタルを続けるんですよ。ファンたちは「うちらが育てた子が、こんなに立派になって……」って何年経っても思うんだろうなぁと。

最近、ますます締め切りがないと何もできない子、になりつつあります。小説も仕事の原稿も(;_;) やっぱり締め切りの圧力って重要だわと思う今日この頃です。だからscriviamo!の締め切りはありがたい気がしました。
この勢いで、サキさんに30000Hitのお祝いを書くよ!と宣言したからには頑張らなくちゃ。それが終わったら、『死と乙女』の後編を書かなくちゃ(誰か、締め切りをください(;_;))。って、自分の首を絞めちゃだめですが。
締め切り破りのx2をしてしまったので、本当にみじか~くてきと~にのお返しで、と言いたいところですが、夕さんは手を抜かれないので、やっぱり期待して待っています。
そして、慎一の人生に興味を示して戴いて、本当に嬉しいです。この人の場合、音楽以外の話が全くないので、本当に困っちゃう。気が抜けない、とても作者泣かせのお話で(って、自分が書いてるんだけれど)、しかも他の方が読んでくださって面白いんかしら、といつも疑問に思っているのです。
いや、夕さんやTOM-Fさんのようにクラシック音楽LOVEって方々は大丈夫かなと思うのですが(あれ、実はそっちの方が問題かなぁ。おおみ、何いい加減なこと書いてんだよってことに(^_^;))。

今回、ようやく慎一の人生の中間どころのカミングアウトをしましたが、実はそれこそ前半部分が問題なのです。
夕さんのご想像通り、この迷宮に入り込む直接のきっかけは築地で子猫を飼っているあの人のパラレルさん(実は、真が結婚してから、本当に子猫を飼うことになりそう、という妄想が^^;)の死なのですが、何しろ、誰のために弾いていたって彼のためでしたから。なんか支えがなくなったというのか……でも隠れた問題があって、それは『死と乙女』のラストの方でぼや~んと出てくる(はっきりじゃないのか!ってつっこまないで(>_<))予定。
ただ、慎一にとって、この育て親は、存在を支えてくれている人でありながら、自分ではなく、いつも自分の中に亡きオヤジの影を探している、複雑な相手。「彼と真との関係にも勝る何か」を感じてくださる夕さんってすごい。だって、真シリーズで、私が最初に「人生」を書いたのはこの義理の親子のことだったのですもの。

坊ちゃんは本当に「たらし」なんですよね。というのか、あまりにも何もできないので(音楽以外)、周りが面倒見なくちゃって思ってしまうという。ヴィクトルもヨナスも蟻地獄に嵌まってるし、あ、でも結依は手のひらの上でころころしている側かもしれません。そしてご推察の通り、フォトグラファーの影は結構薄い! 去年のscriviamo!を書いたとき、たぶんもうこの人の話は書かないってすでに宣言してましたしね^^; 子どもまで生んでくれたのに、申し訳ない……

そして、タイムパラドックス?の話。
そうそう、確か2040-50年くらいの話かもなんて話を以前に聞いたような気がしていたのです。やっぱり記憶は正しかったのですね。いや~、まだ未来と思っていたら、あっという間に超しちゃったりするのが恐ろしいけれど、さすがに2050年にはもうあっちに行ってるかも?な私。
真の話を書き始めたとき、真は「ちょっと年上のお兄さん」なだけだったのになぁ。いつの間にか、明治の人のような気分(昭和だけれど)。
これは、真のオヤジがああいう仕事をしていて成立する話にするためには真が戦後の復興期・東西冷戦時代の生まれでないと話にならなかったからなんですよね。で、どこかに年表があるのですが、探すのが大変なので、ざっぱな記憶によると、慎一はたぶん1983年生まれなのです。てことは、がっつり現在のニューヨークの人たちとはぴったり合う計算ですね。つまり、彼がウィーンに帰ってきて再始動するのがまさに現在のリアルタイム(正確には数年前くらい?)な計算ですよ。じゃ、やっぱアレッサンドラとは絶対会ってるな! シマウマ研究者さんともぴったりかも!(次回はモデルで行くか! いや、音楽以上にその業界、不案内だわ)
あ~でも、慎一って絶対にスマホを使えないわ……なんでこんなに原始人みたいな子なのかしら。

となると、ヴィルや蝶子たちと時空が合っているのは、やっぱり二代目真あたりなのかもしれません。
拓人、1歳なのね。内容はちょっと違っているかも知れませんが、この二人のピアニスト、仲良く「たらし」ですからね~
今回、何を楽しんでいたかというと、絶対拓人の追っかけが音楽堂の入り口でわさわさしているに違いないってところ。これが慎一とルイをびびらせていたというのがミソですね。だから、慎一は「ぼや~」と柱の前に立ってて、ルイは柱の陰から出てこれなかったという^^; 

> まあ、「scriviamo!」やコラボでは、その辺は追求しないでおきましょう。
はい! そうしましょう! 
なにはともあれ、こんなに長くなってしまったことをお詫びします^^; でも、楽しく書いたからいいか!
コメントありがとうございました!!

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2018/03/13 14:21 [edit]


またまた

しつこく再登場すみません。

書き忘れた件などもふくめて。
アルペジョーネのソナタ、なぜこんなに聴き慣れていたんだろうと首をかしげていましたが、コントラバスバージョンもあるんですよね。つまり父が練習していたやつじゃん! と、思い当たりました。どうりで、一部だけやたらと耳に残っていたわけだ。

ミクのストーリー、よく考えたら二代目真とリアルタイムというのは、ちょうどいいかも。
ほら、カルロスがでてきちゃったので、時間軸的にはぴったり?

そして、お返し書いているんですけれど、ヨナス、オーストリア人であることもあって、ちょぴっとお貸しいただけると嬉しいです。

関係ないけれど、現在発表しているあたりを2017-8年として、計算してみたらマッテオ兄ちゃんやシマウマ研究者は1979年、ジョルジアは1984年、アレッサンドラは1986年生まれくらいの計算になりますね。まさに慎一たちと同時代だわ〜。

っていうか、それはいいから、早く書けって。少々お待ちください。お誕生日プレゼントを目指しています。

あ、「死と乙女」の締め切りですが、今年のリアルオフ会までに。
というのは嘘です。それも待ち遠しいけれど、ブラックカード必須のお船も待ち遠しいなあ〜。って、自分で自分の首を締めてどうする。

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2018/03/14 05:09 [edit]


素晴らしい

本当に素晴らしいと思いました。
ぎっちりした文章量で、読むのにちょっと時間がかかるかな、と思ったのですが、一旦読み始めると、その文章運びの滑らかさ、巧みさで、驚くほどスルスルと読めてしまう。そして、人に理解されにくいだろう慎一の感情と苦悩と少しの諦めが、様々な音と共に心に流れ込んで来る。
何だか、久々に大海さんの筆力に唸らされました。

本当に、なんでこんなに書ける人が文筆業をやっていないんだろう。
『蜜蜂と遠雷』なんか目じゃないのに。(これを言いはじめると、キリが無いから割愛(笑)←やっぱりあの作家さんの書き方が好きじゃないのかな)

慎一が求めてやまない調律師の技術、その辺の描写がものすごく好き。
彼の調律した音は、きっと慎一の音楽を更に高みに導いてくれるんだろうなという期待感が半端ないです。
ホール前での夫人との出会い、そして二人の会話からも、たくさんの発見と驚きを貰いました。
それらすべてが一気に収束(いや始まり)を迎えるエンディングが本当にすごい。
本当に、いつか本にしてほし。(慎一の物語を完全音楽だけに的を絞って劇的に書けば、ものすごくいいものが出来上がりそう)
本物の文学がここにあるなあって( ;∀;)
堪能させてもらいました。

lime #GCA3nAmE | URL | 2018/03/15 11:18 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

夕さん、再びarigatougozaimasu……あれ? なんか押したらいきなりアルファベットになっちゃった。
ありがとうございます!

そうでしたか。夕さんのお父様はコントラバス奏者でいらっしゃったんでしたね。そうそう、確かに在りました、コントラバスバージョン。そもそももう無い楽器の曲だし、なんでもありなんですね。この曲、確かに低音の方が響きがよさそうです。
まさかそんな曲をセレクトしていたとは、scriviamo! の神さまがどこかから降りてきたのかしら……何となく、光栄です(o^^o)

そして、やっぱり二代目真と時間軸が合っていましたか。確かに、ミクと絡むのを考えた時に、一度計算したような記憶があります。で、合っていそうだ、と勝手に納得していたような。
慎一もレイナも20前後で子どもを作っているので(へんな言い方だな。でも生んでいる、となると、慎一が生んだんじゃないしな)、蝶子が30歳くらいとすると、2047年って事になるから、慎一はほぼ65歳。二代目真は20~25歳くらいってことかぁ~ふ~む。この人の人生そもそも壊れてるからなぁ……
でも何だか、こっちは時間軸が合いそうですね。
ってことは、この話も、稔&真も、書かれていない事実……つまりタイムトラベラーの話だったのか!
ま、いいか!
そして。ジョルジアたちとはぴったり同年代ですね。次回はやっぱりモデル界の話か!(あぁ、絶対書けない……)

> そして、お返し書いているんですけれど、ヨナス、オーストリア人であることもあって、ちょぴっとお貸しいただけると嬉しいです。
はい、もちろん。何せ、この話で突然作られたキャラですので、まだ中身真っ白です。コンクールにくっついてくるのは、正確には調律師と言うよりも各ピアノメーカーで、調律師はそのピアノメーカーの人って事になるはずだけれど、まぁ、細かいことは目をつぶってもらおうと思って書いておりました。

> あ、「死と乙女」の締め切りですが、今年のリアルオフ会までに。
> というのは嘘です。それも待ち遠しいけれど、ブラックカード必須のお船も待ち遠しいなあ〜。って、自分で自分の首を締めてどうする。
はい! このあるような無いような締め切りがかえって怖い……
お船はやっぱり夏ですよね。ちょっと仕込みをしないといけないのが悩みの種。あぁ、なんでオフ会にあれこれややこしい内容を盛り込もうとしているのだろう……
頑張ります!
コメント再登場、ありがとうございました!!

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2018/03/17 07:14 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

ひえ~、limeさん、やっぱり「ぎっちり」ですよね~(>_<) 
いやもう、後から見返してみて、あら、また、やっちゃった、と反省しきりです。
そうそう、申し遅れましたが、例の南海電鉄コンテスト(あれ、なんか変だな!)、この間お話ししたときに聞いた52ヘルツの話、読ませて頂きましたよ! またコメしに行きますね。でも、ほんと、良かったなぁ~。おめでとうございます!!
で、それを拝読して、あ~、私の「見た目ぎっちり」とはえらい違いだと。。やっぱりlimeさんのお話は垢抜けしていて、読みやすくて、しかもちょっとひねった題材を使っていて、さらりとして魅力的っていいなぁ~と。
なのに、私ったら、ほんと、見た目が悪いわ、泥沼に入りやすいわ、ほぼいいとこなし(@_@)
ちょっと反省いたしました。

ま、反省しても、どうしようも無いということで。
でも、そのlimeさんからこんなお褒めの言葉をいただけると、ちょっと舞い上がってしまいます(/_;)(ひら~)
取っつきが悪いので、読み始めたら中毒になる作品を目指そうと思ったこともあったけれど……う~ん、どうやら説明するのが好きみたいで、そう言えば仕事でも説明が長い私だった……(そして、終わらない……警備のおじちゃん泣かせ)
でも、この子の話は、本当に音が聞えると言って頂けると、嬉しい限りです。音楽を言葉で表すのはほぼナンセンスと思っているのですが、あのリズムや世界のキラキラさは少しでも上手く表せたらなぁと思います。
文筆業……いや、仕事として書くのって、ほんと、しみじみ大変な作業ですよね……

じいちゃんとばあちゃんのジャズマンってちょっと憧れなんですよね。だから、こちらではそのイメージを膨らませながら書いていました。慎一にはきっとジャズの音って????だったと思うのですが、この音楽院の仲間でジャズマンになった子というのが、実はこのレイの後を受けて成功しちゃった子なのですよね。慎一には良い影響を、しかも、慎一と生涯を共にすることになる女性との仲を取り持ってくれるという。
あ、また書く書く詐欺が~~~
何はともあれ、limeさんにお褒め頂くと、ちょっと舞い上がる大海なのでした。
ほんとに、読んでくださってありがとうございました!!

あ、研究会から帰ってきたら、またコメに行きますね。今日は今から日帰り東京です(@_@)

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2018/03/17 08:14 [edit]


大海さーん^^ お久しぶりです。スペイン・バルセロナ紀行もこっそり楽しませていただいています。いつも足跡だけですみません(><)

さてさて。わわっ(いつものように感嘆から始まる -_-;)
さすが大海さんは、人物のとある一時を描写するのが本当にスゴイ。

傍から慎一たち登場人物を見る時間はほんのわずかのはずなのに、この想いの長さ・深さは何でしょう。とりあえず、3年分が詰まっている? いや10年。30年。いやもっと…果てしない…

こんな出逢い・縁、そして、夕さんのところのみなさんたちとのニアミス。全てが総合された贅沢な一コマですね。

物語は長い? いえいえ。それこそ、音楽が流れていくように大海さんの言葉・描写が大きくうねりを見せながらもサラサラと進んで行き、まだこれからだよ、という余韻を残すラストへ。え、終わっちゃう…みたいな…(←イミフすみません><) まさに続きは本編で。ですかね?

これ、日本に詳しいヨーロッパ人の作家さんが日本語でない言語で描いたのが原作で、それを大海さんが独自の解釈で日本語翻訳した、みたいな感じがする、なんてわけ分からんこと思うのはきっと私だけでしょう。

久々の大海さんのワールドはいつもながら、というか、パワーアップして(?)非常に刺激的でした!

最後に。感想は遅れたけど、こっちにはかろうじて間に合った(?)

お誕生日おめでとうございます!
Have a wonderful day!
素敵な一年を^^

けい #- | URL | 2018/03/17 19:39 [edit]


けいさん、ありがとうございます(^^)

けいさん、お忙しそうですが、いかがお過ごしでしたか~??? あれこれ大変なんだろうなぁ~と思いつつ復帰をお待ちしているおおみです。でもそちらは夏ですよね。身体の調子を崩したりされないように乗り切ってくださいね。

そして、お忙しい中、読んで頂いてありがとうございました。
このシリーズ、本当に書くときに気合いがいるのに、書いてしまったら結構独りよがりになりがちで、自分の世界に埋没してしまうというのが困りものです。
これ書きながら、あ~短い中に長い時間がたたみ込まれている作品になったらいいのにと、確かに思っていました。私が目指している短編のひとつが池波正太郎先生の『鬼平犯科帳』の『正月四日の客』(ちょっとタイトルが違っているかも)で、一度雑記で書いたこともあるのですが、毎年1月4日に蕎麦を食べに来る客がいて、蕎麦屋の女将さんと客の間に同郷のよしみから心の絆みたいなものが生まれてくるんだけれど、実はその客は盗賊で、何年もの年月の流れの中で…・・って話なのですが、これが1月4日を軸に時間の流れと心の動きの流れが本当に上手く書かれているんですね。
なかなかそんなふうには書けませんが、少しでも時間の流れを織り込めていると感じて頂けたら嬉しいです。

そうそう、袖すり合うも多生の縁、って話でもありました。
実は、本当のところ同年代には生きていない慎一と夕さんちの皆さん、なので、敢えて皆さんの名前は書いていないのです。まぁ、明らかに誰かってのが分かるので、名前が出てる出てないはこの際、どうでもいいことだったりもしますが、でも、タイムトラベルしていたって全然いいんですけれどね~(うちの連中、みんなタイムトラベラーだし(^^))
scriviamo! だからその辺遊んでもいいはずって思ってはいるんですけれど、もう少し考えてつじつま合わせておいたら良かったなぁと反省。

長さについても気にならなかったと言って頂いて、ありがとうございます。読み始めてさえ頂ければ、楽しく読めるような(あ、楽しくはないか)そんな話であったらいいなぁ~と。
しかも、ヨーロッパ人の作家さんが書いたかも?みたいな? いやいや、それはもう夕さんのようにはいかないのですが、今回はバルセロナに行ったところでしたから、ちょっとくらいヨーロッパの香りが残っていたのかも。いずれにしても、楽しく読んで頂けたのがとても嬉しいです(^^)
あ、誕生日祝いのお言葉も、ありがとうございました。もうあんまり嬉しい歳でもないけれど、何よりあっという間に過ぎていく1年にびびっているこの頃です。

コメントありがとうございました!!

彩洋→けいさん #nLQskDKw | URL | 2018/03/18 23:38 [edit]


最初、「あれ、グエル公園と大道芸人の四人が出てくるって予告してたのは、変更になったのかな」と思いながら読まさせていただいたのですが、
なるほど、こう繋がりましたか!
なるほど〜前半の慎一の葛藤は後半の解放へ向けての伏線だったのですね。

そういえば、このお話を拝読するまで気付かなかったのですが、
言われてみると慎一と大道芸人の面々の音楽に対する姿勢というか
接し方は正反対かもですね……!
まだ真ほど慎一の性格を理解しているわけではないけれど、でもなんとなく
慎一は、音に対して鋭敏過ぎるほどの鋭敏過ぎる感覚を持ったピアニスト
という印象があります。
『正しい音』をめぐる葛藤は考えさせられました。
マリア夫人の、「あると言えば、他の正しさを否定することになるし、無いと言えば、何を求めて何にすがっていけばいいのか分からなくなるのね。」
って台詞には頭をガーンとなぐられました。
特に慎一は、この「すがるもの」というか『正しい音』という絶対的指針がなければないでフラ……っとさまよいそうな危ういところも感じられて。
慎一にとって『正しい音』を追求することは必要なことであると同時に
自身の首を締めているようにも感じられ諸刃の剣のように感じました。

大道芸人の面々は、どちらかというと『正しい音』という指針に忠実というよりは、より「自分らしい生き方」に力点をシフトしている感じがしますよね。その結果生まれた音楽はまさに「幸福な音楽」なのでしょうね。

慎一は『正しい音』の「この先」に何を見出すのでしょうか。
希望を感じるラストと共に、やはりすごい彩洋さんの熱量に
心をもっていかれるわたしなのでした^^

canaria #- | URL | 2018/03/19 11:36 [edit]


canariaさん、ありがとうございます(^^)

canariaさん、グエル公園の予告の場面が物語の最後の方になっていて済みませんでした(>_<) 
もともと去年のscriviamo! でシマウマ博士ではなくて、拓人と真耶が登場する話を考えていたのです。でもシマウマ博士が丁度連載されていたので、去年はあちらで書かせていたのですが、その時の構想では(長さの都合上もあって)拓人と真耶だけが登場する予定だったのです。つまり、音楽堂で彼らの演奏を聴いて、云々って話で終わっていたのですが、1年経ってみると、頭の中にマリアとルイという老夫婦が湧いて出てきてしまって、話が膨らんでいたところに、折しもグエル公園の旅行記事を上げたときに、夕さんがそう言えば4人があそこで稼いでいた、というコメントをくださって、お~そう言えばそうだった! というので、ますます話が膨らんでしまったという、まぁ、私にはよくあるパターン(=話が膨らんで収拾がつかなくなる)になっていました^^;
で、グエル公園ともうひとつの舞台(=音楽堂)の旅行記事を書いてからお話をアップしますね~っていっていたら、できあがるのがどんどん遅くなってしまったという……予告からアップまでも時間がかかっていまして、ほんと、どうしていつもこうなるんでしょ。さっさとコンパクトにまとめればいいのに~だったのですが、もうこれ、仕方が無いですね。

そうですね~、canariaさんが仰るとおり、まさに大道芸人たちとは音楽に対する姿勢も接し方も正反対、かもしれません。生きていくフィールドが違うってのもあると思いますが、それを言うと、同じフィールドのはずの拓人とも一見正反対に見えるかも知れません。まぁ、下敷きがロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』なので(やたらめったらずっと悩んでいる^^;)、こりゃしょうが無いのですが、多分、慎一のアイデンティティの確立過程が拓人や真耶や大道芸人さんたちとはやや違っているってのが大きいのかも知れません。
この子は、育ての親が良かったといえば良かったけれど、最悪といえば最悪だったのですね。そもそも、みんなが言っていますが、この親子(真と慎一)、外見上よく似ているんですよ。だから、慎一のアイデンティティ獲得の第一歩は、自分の中にいるオヤジの存在の否定と克服からスタートしているので、音楽はまさにその「違う」という表現だったわけです。つまり、育ての親に対して「僕はここにいる!」表現だったのですね。
それに、この先『死と乙女』で(少しだけ)明らかになる、彼の過去が大きく関わっていまして……自分の音楽の先導者を失ってでも育て親を守ろうとした彼の中で、音楽を続ける柱=育て親(ジョルジョ・ヴォルテラ)の死は土台を突き崩す出来事だったのです。この子にとって、音楽を続けることは生きていることそのもの、しかも、人の死の上に成り立っているということを知っているので、苦しいけれど離れられない宿命ということで。
だから「正しくあろう」と自然にのめり込んでしまうような面があったのかも知れません。

でも、そんななのに、一度だけ、音楽を捨てて女に走ったことが! あるのです。晩年を共にした女性は、ある国の政治的監視対象者の娘で、死んだと思っていた父親が生きているかもと聞いて戻らないはずの祖国に戻ってしまったことがあるのですね。それで、なんと、全てを捨てて!愛に走ったということが……まぁ、結依の恐ろしい人脈と尽力で事なきを得たのですが(そしてジイちゃんっ子の二代目真の逆鱗に触れたという←単に、この単純な孫息子がぐれただけ^^;)老いらくの恋とか、若い女に騙されたとか、色々いわれつつ、女の方も、まさかそこまでしてくれるとは思っていなくて大慌てだったというような事件が。
まぁ、実際のところ、あんまり面白みのない子なんですよ。くそまじめでバカ正直で不器用。そこもオヤジに似てるか……
その分、孫が壊れてるからいいか!(なんであんな壊れた子ができたんだろ?)

> 特に慎一は、この「すがるもの」というか『正しい音』という絶対的指針がなければないでフラ……っとさまよいそうな危ういところも感じられて。
そうなんですよ。canariaさんの仰るとおり、音だけなじゃなくて、全てにおいて融通がきかないというのか。自分が自分であるという絶対的な自信が欠けてるんですね。時々、オヤジが自分を食い破って出てくるんじゃないかって夢まで見てますから(なんか、すごい悪者の真……先に死んじゃうからだ)。これもそれも、育ての親が……(結局、そこに戻る^^;)
うん、さすが、canariaさんは読み取ってくださいましたね。こんな短編の少ない情報の中で……有り難いです。

でも、大道芸人の皆さんのように早い年齢ではなかったけれど、悩んだ甲斐あって、最後は穏やかでよい人生だったと思います。波瀾万丈ですけれど、行き着くところへ流れ着いたという。彼が晩年を過ごすことに決めた街がローマという点からも、最終的に教育者としても音楽に人生を捧げたことからも、愛する女に巡り会って添い遂げたことからも、岸辺にたどり着いたなぁという気がします。
あ、すでに人生を総括しちゃった^^;

そんなこんなですが、こうして頑張っているので、見守ってやってくださいまね。それにしても、なんで夕さんちの面々とはこうも違ってるのかなぁ。あ、作者の違いか! それはでかい。
コメントありがとうございました!!

彩洋→canariaさん #nLQskDKw | URL | 2018/03/21 22:14 [edit]

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