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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・近況】文章を書くということ 

うちのさくらと雲


何ヶ月も前のことですが(まだコロナがニュースに上がる前)、大學の同窓会がありました。
その時、10年近くも会っていなかった同窓生から、声を掛けられました。
「大海さん、といえば、『大草原の小さな家』とジュピターだなぁ」
え? なんの話? ですよね。

実は、身に覚えがありありです。でも、内容は自分ではあんまり覚えていませんでした。
なんのためにそれを書いたのかは全く覚えていないのですが、大学内に配られる某かにエッセイを書いたことがありました。

その内容が、『大草原の小さな家』のインガルス一家のリアル話について、だったのです。
現実にはあの後、一家は離散しており、あんなハッピーな物語ではない、そう考えたらがっかりだ、とか書かれた文章をどこかで読んだのでしょう。それをもって物語を貶めるような書き方をされていたのが気に入らなかった大学生の私。
(ちなみに、うちの大學は文学系でもなく、文系でもなく、大きな範疇ではばりばりの理系ということになるのでしょう。もっともサイエンスかというと、アートであるべき学問かも知れませんが)

物語が素晴らしいのは、人々のイマジネーションをかき立てるからであって、あの物語の価値は、その後の一家がどうであったかというリアル後日談によって下がるものではない、物語と向き合う我々にとっては想像力の豊かさと、そこに描かれた内容から何を得るか、ということこそ何よりも大事だ、とかなんとか、書いたらしい。

そこに登場したのが、ジュピター(木星)の話(なぜ? 思考回路がおかしいのは今も昔も変わらんみたい)。
たとえば、木星に生命体がいるとしよう。それが地球に存在する生命と同じようなものである、つまり我々がそれを生命と認識できるような形態をしているなどと思っているようではだめ。そもそも、木星はガス惑星。あのガスの雲の中に、想像を超えた生命体がいると想像する、それだけでどんなに楽しいか!
……ってな内容だったのかな。(多分、その時から私の思考は大して変わっていないだろうから。でもなんで、インガルス一家と木星がつながってたのか、やっぱり不明)

学年はたかだか100人ちょっとなので、話をしたことのない人ってのはいないんですが、すごく親しかった人というのでもないんです。でも、その人が、私の書いた文章を、しかも、我々の専門とする学問とはなんの関係もない、30年も前の短いエッセイを覚えてくれていたのが、なんか気恥ずかしくも嬉しかったのでした。
拙い文章だったとは思うけれど、気持ちが伝わっていたのがやっぱり嬉しい。
でも、大海=『大草原の小さな家』=木星のガスの中を漂うでっかいクラゲみたいな謎の生命体……ってのはどうなの…


 
話変わって。
最近、仕事絡みで、他人様の書いた文章(一応、理系文章ね)をチェックすることがあるのですが、内容はある程度納得できても、日本語がなっていないものがすごく多い。
かくいう私も、文章の専門家ではないし、大した文章を書いているわけでもないので、えらそうに言うべきではないと思いますが、それでも言いたくなる。

文章とは、他人に伝えるものなので、主旨が分かるように明快に書く、何が言いたいのか分からんってのは困る、起承転結のない、転んだまま終わったりするのはだめ、理系文章でも起承転結はあるのよ、いや、理系文章だからこそ明快な起承転結が必要なんだ、とか、あれこれ言いたくなるような文章もよくあるけれど、そこまで読めたらまだいいのかも。
そのずっと手前のところで引っかかって、まず「てにをは」からおかしいやろ!ってことがよくあるのです。

日本語の文章でも要旨だけは英語で書くことが多いのですが、明らかにへんちくりんな翻訳ソフトを使ったな、ってのがわかる英文もある。でも英語の文章だったら、「ちゃんと英語の分かる人にチェックしてもらいなさい」って突き返すわけだけれど、そもそも日本語の本文がなってなかったら、どうしたらいいの?

本当は突き返したい。
日本語がなっていません。文章の書き方を1から勉強しなさい。

海外の論文では「Method」のところを読んで、そこでもう判断されて突き返されるそうですが、日本は甘いのかなぁ。
私が甘いのかなぁ。あれこれ丁寧に「これは目の付け所はとても良いと思うのですが、こういう手法ではあなたの言いたい結論にはたどり着けないのです」……いや、それどころか「まずは、てにをはを見直しなさい。この文章は1文目から読む気がしません」って言いそうになる。

言いそうになるんだけれど、自分にも絶対の自信がないから、ちょっと立ち止まって考える。
(で、結局、やっぱりダメなのはダメ、と、ダメ出しを具体的にA4に5枚も書いたら、その論文を編集の先生がrejectしてくれました。でもなぁ、ほんとは、スタートラインの目の付け所は私にも興味あるところだったので、気を取り直して、ちゃんといい形に書き直して欲しいなぁ。そのことも書いたんだけれど、伝わったかなぁ)

我々の受けた教育では、理系だからって、国語をおろそかにしていたのかしら。
ジョブスのスピーチでもいい、TEDでもいい、人に伝えるためのテクニックをもっと学べるようにしてほしかったなぁ(今はやってるのかなぁ)。
でも、せめて日本語の文章をちゃんと書いてくれ! 内容はその後についてくるもの、だよね。
(えらそうに言っちゃってすみません。言ってる自分の文章が怪しいことは多々ある)

でも、文章って、こういうブログの文もそうだけれど、自分の手から離れて誰かのところに届いて、思わぬ形で残っていたりするんですね。自分がコロナでやられちゃった後も、このブログに書いたことは、ネットのデジタルな海もしくは宇宙を、クラゲのように漂うのか……う~ん。
できれば良い形で漂ってほしいものだけれど。

コロナにやられちゃうって、喘息状態の私には結構リアルな話で。
職場でもらわないとも限らないし。
で、最近、とりあえず家の片付けしとこう、とか、家族にどこに何があるか、書き残しておいた方がいいかなとか、真面目に考えているのは私だけではないはず

ねこさん7


関係ないけれど、先週末、新車の1ヶ月点検に行きました。
うちの駐車スペースの上は、枝垂れ桜(トップの写真は家の枝垂れ)。
嵐で花びらが散りまくり、新車のボディにくっつきまくり。
「今洗っても、まだ散ってくるので、散り終わってから洗車します」と言い訳する私。

で、点検が終わったら。
うちのチリテレ2号くん、ぴっかぴかになってました^^;
「洗っときました」
わ~、す、すみません(@_@) 
トヨタの整備のおにいちゃん、ほんっとにありがとう!
(新車にこの扱いはゆるせねえ、見過ごせねえ、ってことね(^_^;))
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Category: あれこれ

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コメント


こんばんは。

へえ!インガルス一家にはそんな経緯があったのですね。
あのドラマのイメージを素直に持っていましたので、ちょっと驚きました。
でも、あの物語は物語としてそれで完結していて、実際に起こった事と区別されるべきだとは思います。だって物語なんですもの。
木星の話は・・・これはちょっと理解不能ですが・・・。すみません。

あ、文章ですね。
先がよくエキサイトしています。
先も仕事上文章をチェックすることがあるようなのですが、「てにをは」からおかしいやろ!ってことによくなっています。(サキの文章でもよくそうなっていますが・・・)
もちろん先もその道の専門家では無くてアマチュアなので偉そうに言うべきでは無いことはわかっているのですが、それでも怒っていることがありますね。
サキも見せてもらうことがあるのですが、意味が伝わってこないこともあります。
相手にちゃんと伝えようとする意思が希薄なのでしょうか?

コロナは怖いですね。
予約投稿で、これが表示されたら絶筆です・・・って記事を作っておこうかと思って、断念したりしています。

山西 サキ #0t8Ai07g | URL | 2020/04/21 22:02 [edit]


こんばんは。

『大草原の小さな家』のモデルはそういうことになっていたのですね。
現実の家族としては、普通にありそうですよね。だけれども、物語としてはそれは関係のないことで。
物語は完全に独立した世界観として存在し、変わらずに愛されてもいいのだと思います。

一方で、完全なフィクションで第一作は大好きだったけれど、好きだからこそ続編を読むんじゃなかった、みたいなこともあるんじゃないかと思っています。
(某ウチの作品とか……orz)

さて。
日本語文章の話です。文系、とくに文学畑だったりすれば「これって論外でしょ」と突っ返せる部分が、理系だと「えーと」と戸惑ってしまうお氣持ち、わかります。でも、理系だからこそ、理に適っていないのは許さないくらいでもいいのでは。ほら、文系にポエムはあっても、理系にポエムはあってはならない……ですよね?

私自身の書く文章自体も、偉そうなことをいえるレベルではないかと思いますが、伝わるように書くことはとても大切だと思います。最近、ドイツ語や日本語で事務的な文章を読んだり書いたりすることが以前よりもずっと多くなり、伝わりやすさ、言い換え、長さ、論理などを強く意識しています。難しいけれど、創作だけでなく、どんな文章でも、伝える力はとても大切だと実感しています。

終活のはなし。
母が亡くなってから、あわてていろいろやろうとしたんですけれど、結局喉元過ぎてなんとやらです。遺言状系の法的な準備も、もう少し自分の立場が固まってからでいいかと、先延ばし。このままコロナで死んじゃったら、全然願ったとおりにはならないけれど、まあ、それはそれで仕方ないですよね。早くそれなりの日常が戻ってくることを願いつつ。彩洋さん、ご自愛くださいね。

あ、洗車の話は……。今、私のYarisくんはサハラの砂にまみれているんです。いや、一応、イースター前に洗おうとしたんですよ。でも、コロナ禍の営業禁止でセルフウォッシュも使えなくなっていたんだもの……。あ、いつもピカピカって意味ではありません。いつも大体ひどい状態。ウチの子は新車ではないですが、それでも車好きの方は許せないだろうなあ。

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2020/04/22 04:09 [edit]


サキさん、ありがとうございます(^^)

私は個人的には、実話を元にした物語、とか、モデルは誰々という物語とかについて、リアルな元ネタに左右されないタイプなので、それはそれと思えちゃうんですけれど、そうじゃない人がいても、仕方ないですよね。
今となっては「実話がこんなことになってるなんて、がっかり」なんて言う人が目の前に居ても、まぁ、そういう気持ちになる人もいるのね(器は小さいけど)って認めてあげちゃうかもしれませんが、大学生のピュアな私は「物語とはかくかくしかじかで、お話としての面白さはそういうところにあるんじゃなくて、云々」と熱弁を振るっていた訳ですね。
でも、ちょっと思ったんですけれど、物語を書く人は、みんな「それはそれ」って思うんじゃなかろうかって。サキさんも、他の皆さんも、私も、きっと書く人なので、創作ってそういうものよって思ってるんでしょうね。

木星の話は、気にしないでください。実は、これには時代背景があったと思うのです。
今でこそサイエンス番組や本は山のようにあって「科学の面白さ」に接する機会はネットも含めてごまんとあるけれど、私が中学・高校の頃って、宇宙は謎だらけ、しかもその知識欲を充たしてくれる情報もほとんど手に入らない時代でした。宇宙人=タコ型、みたいな(リトルグレイマンですらなかった)
そんな時、COSMOSというすごい番組がアメリカからやってきて、夢中になりました。科学を科学として面白くわかりやすく教えてくれた初めての番組だったのではないでしょうか。しかも、科学の限界についてもきちんと話してくれた。好きすぎて、番組統括のカール・セーガン博士の本を全部読み、講演会まで行きました。その時、「何故我々は宇宙人・生命体とはこんな形をしていると(つまり人類に近い形)思い込んでいるのでしょう、たとえば太陽系の惑星の中で最も大きいと言われる木星、ほとんどがガスでできているのあの星に生命が居るとして、それがどんな姿をしているか、それは我々の今の知識の及ぶところではない。我々はもっと想像力を駆使して、宇宙という壮大な舞台に物語を描かなければならない」というような話を(ものすごい意訳ですが)、セーガン博士から教えられたのですね。

細かいことは覚えていませんが、きっと、私がその時書いたエッセイは「今の科学では計り知れない、リアルな現実からだけではうかがい知ることのできない世界、それが物語の中にあり、私たちは想像力を尽くしてその世界を楽しまなくちゃ」という内容だったのだろうと思います。
あぁ、セーガン博士のことでは書きたいことがいっぱいあるなぁ。いつか書こう。
今は、現実や知識の方があふれすぎていて、想像力の活躍する余地を奪っているような、そんな時代なのかも知れませんね。

何しろ書いた本人が細かい内容を覚えていないので^^;
でも、ずっと昔に自分が書いた(そしてその時の気持ちを込めて書いた)文章を、思わぬ人が心にとどめておいてくださったということが、本当にありがたいなぁと思ったのでした。

今は「国語」が苦手な人が多いといいますよね。でも、それってどうなんでしょう。英語なら文法をちゃんとやるじゃないですか。
夏目漱石の『こころ』をどう解釈するかとかは、もう読み手の勝手でいいんです。国語ってそういうんじゃなくて、文章をちゃんと書く、感情とか情景を描写するとかじゃなくて、とにかく、テクニックとして主語述語構築をちゃんとする基礎を教えておけばいいんじゃないのかって、そう思いますよね。まぁ、人のことは言えないんですけれどね。

> 相手にちゃんと伝えようとする意思が希薄なのでしょうか?
そうかもしれませんね。相手を想像する能力が欠けているのかも知れません。
最近、仕事で文章を作るとき、最初に考えるのはそれを誰が読むか、対称となる人たち(年齢とか立場とか)です。これって、大事なことなんですね。小説はそういう意味では、一番自由度が高いのかも。

> 予約投稿で、これが表示されたら絶筆です・・・って記事を作っておこうかと思って、断念したりしています。
確かに、昔の人って、辞世の句は、命尽きる随分前から考えてたみたいですしね。ありかも。

コメントありがとうございました(*^_^*)

彩洋→サキさん #nLQskDKw | URL | 2020/04/22 15:36 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

そうそう、サキさんへのコメントのお返事にも書きましたが、よく考えたら、物語ってそういうものよって思えるのは、夕さん、サキさん、みなさん、自分が書く側(書くことがある側)だからかも、と思いました。書く人って「それはそれ」「そうは問屋が卸さない」って分かってて書いてますものね。結局、書く人ってもしや「スレてる」?
たとえばお伽噺だって、「いつまでも幸せに暮らしました」……って、そんなわけないやろ。意地悪な女官とかがいて、お城にはしきたりがいっぱいあって、平民ではとても務まらんわ、って心の中で思いながらエンドマークを眺めるんですよね。なのに、一方では、そんなハッピーエンドの話を書いたりすることもなくはない(あくまで「なくはない」。夕さんは「そうは問屋が卸さない」派ですものね(^^))。

私、『大草原の小さな家』は大好きでしたが、実際のインガルス一家がどうであったかはあまり興味がありませんでした。ただ、あの「西部へ行って一旗揚げる」という時代背景にはものすごく惹かれるものがありました。一旗揚げるという部分じゃなくて、その時代の勢いとか、景色とか、人々の感情とか、そういうことにものすごく惹かれていたのかもしれません。一方で『サウンド・オブ・ミュージック』の実話部分はすごく気になっていました。たぶん、あの話の方が、時代背景が厳しく反映しているからなんでしょうね。結局、歴史・時代背景の中で人々がどう動いたかってことが、私の興味の一番の対称だったのかな。

> 一方で、完全なフィクションで第一作は大好きだったけれど、好きだからこそ続編を読むんじゃなかった、みたいなこともあるんじゃないかと思っています。
> (某ウチの作品とか……orz)
え~? 某ウチの作品、とな? えっと、それは何だろう? そんなキライになるような続編ってありましたっけ?
でも、なんか、2作目・3作目がイマイチと思うものは世の中にもろもろありますよね。多くの場合は、1作目が当たったから続編をつくったってやつで、始めから3部作計画ってのはまだよいのかも(ただ、だれることはある)。あと、背景の作り方によっては、2作目も3作目もそれなりのクオリティを維持できるものもありますが。
大体1作目ってのは、その時代になかった驚くような作品が突然表われたっていう突出感があるけれど、2作目以降は薄れるんですかね。私たちの時代では『宇宙戦艦ヤマト』がアニメに登場した時、『スター・ウォーズ』がやってきたとき、そしてものすごいひねくれた主人公にびっくりした『ガンダム』かも。

理系の受験を乗り越えてきた人たちって、あまり文章を構築するってことに慣れていないのかもしれませんね。
文系の人は、卒論ってかたちで一度は自分の研究をまとめるってことをやってるし、同じ理系でもそういうのが必要な学部などもあるけれど、ウチらの業界、試験を受けて云々だから(しかもマークシート)……かなぁ。
確かに、書かれている内容、対称については、すごく大事なポイントがあったりするんですよ。だから無下にはできないのですが、文章がまずいと査読している私はもう途中からイライラ……いや、途中からならまだしも、時々、冒頭で「読めねえ!」ってことが。ただ、チェック欄に「日本語がなってない」ってのはないんですよ(;_;) 英語がだめってのはあるんだけれどなぁ。
理系ポエムかぁ。確かに^^; でも、ポエムならまだ「読め」ますよね~

小説は、ある意味文章の実験室みたいな部分もあるので、また違ってるんでしょうね。それでも、受け付けない「文体」ってありませんか? 書評読んで、内容は面白そうと思っても、数行読んで「この文章は読めない」って小説もあったりしますよね。世間的に人気の高い作家さんの幾人かの人の書く文章は、私にとって「読めない」んですよね。でも、それは小説の文体としての合う合わないであって、理系論文の「読めない」はそれ以前の問題が。
何はともあれ、人の文章見て、我が身をふり返る、ってところですかね。

> 終活のはなし。
このところの相次ぐ災害とか今回のコロナとかで、もう「対岸の火事」感覚は薄れてきましたね。どこかで地震があるたびに、みんな「明日は我が身」と思うようになったと思うのです。コルシカ島や北海道のガソリンの話じゃないけれど、阪神大震災の後の大きな教訓は、避難袋の準備じゃなくて「ガソリンは半分以下にはしない、携帯(今ならスマホ)はできる限りフル充電」ってことだったって、ある人が言っていました。この教訓、私、守っております。
どこかで変死したときのために家の中片付けとこうかなぁ、でも、死んじゃったら自分では恥ずかしいかどうか分からないから、ま、いいかとも思わないでもないけれど、やっぱりちょっとは小綺麗にしておこうと思うこの頃でした^^;
夕さんもお気を付けて。

洗車の話。
私の後輩の一人は黒い車派なのですが、その理由が面白くて。「白い車なんて、洗ったときの満足感がなくないですか? 黒い車って、かなり汚れちゃってから洗ったら、すごい洗った~感があって、いいんですよ」って。
チリテレくん1号のときもそうでしたが、確かに、何年経っても、黒系の車は洗った後の満足度は高かったかも。赤も、悪くありません(*^_^*) でも、夕さんも私も、車好きの人から怒られそうですね。

コメントありがとうございました(*^_^*)

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2020/04/22 16:41 [edit]


えええ、インガルス家って、そんな残念な末路なんですか……たしかにそれで物語の価値が下がるとは思いませんけど、ちょっと残念ですねぇ。『北の国から』的な展開だったのでしょうか。

それにしても、『大草原のちいさな家』から木星の生命体につなげるとは、大海彩洋さんのイマジネーション、なかなかのものですね……書いててよくわからんけど(爆)

で、おかしな日本語の件。
なんか、わかるなぁ。
私も仕事柄、報告書とか稟議書とかよく見るんですけど、いやこれ日本語おかしいから、とツッコミ入れることが頻繁にあります。すでにあちこち回覧されているので、致命的なミスでなければスルーしていますが、なんだかなぁですよね。
多少の誤字脱字はしかたないですけど、てをにはを間違っていると、一回でいいから読み直してみたら、と思います。まあ、人のことは言えないけど(笑)

ところで、このにゃんこの写真。なんか、不穏さ全開なんですけど?

チリテレ二世、きれいになってよかったですね。ディーラーで点検に出すと、洗車してくれるのかぁ。いいなぁ……。

TOM-F #V5TnqLKM | URL | 2020/04/22 16:49 [edit]


TOM-Fさん、ありがとうございます(^^)

> えええ、インガルス家って、そんな残念な末路なんですか……たしかにそれで物語の価値が下がるとは思いませんけど、ちょっと残念ですねぇ。『北の国から』的な展開だったのでしょうか。
でも、まぁ、あの時代、ありがちな話なのかなぁと思ったりもするのですよ。何というのか、家族の愛の物語が成立する一方では、時代の厳しさとか、生きていくためのやむを得ない選択とか、色々ありそうじゃないですか。
物語って一番いいところを切り取っていますから、物語としての出来映えが良ければ、十分なんですけれどね。

で!『北の国から』ですか!(これでまた年がバレる。田中邦衛さんのものまねを知っている人はいても、リアルタイムであれを見ていた年代となると^^;)
いや~、あれについては語りたいこと、山のようにあります。実は、私がマコト、じゃなくて真の育った故郷を北海道にしたのは、まさにあのドラマの影響ですからね~。あの頃のドラマって、今みたいに「言えないことがある」風潮ってなかったから、お行儀が良くないことも結構描かれてたんですよね。胸きゅんって感じじゃなくて、なんかもう、追い込まれるように切なくなる感じ。
私は正吉がすごい好きだったので、蛍ちゃんにプロポーズするために黄色い花刈りまくっているシーン見ると、泣きます。正確には、花を刈りながら、ふと夕陽に向かって手を合わせるシーンに、やられたと思います。背景には不倫とかあれこれどろどろあるんだけれど、あのシーンで全て浄化してしまう。現実も物語も、そういう一瞬があるのですよね。それを描くことができたらいいなぁって、いつも思う。どろどろごたごたの中にある光のようなシーン。

あ~それなのに、あの話の後日談(ドラマにはなっていないけれど、倉本聰さんがどこかで語ったたか書いていることによれば)は、なんやねん、ですよね。だから、もう、私の中ではあそこで終わっていてこれ以上は書いて欲しくないところです。
まぁ、役者さんを変えずにってのがコンセプトでしたから、もうドラマが作られることがないので、一安心です。
あれ? 何の話だっけ。

> それにしても、『大草原のちいさな家』から木星の生命体につなげるとは、大海彩洋さんのイマジネーション、なかなかのものですね……書いててよくわからんけど(爆)
ひえ~。すみません。
いったいどういう繋がりでそんな話になっていたのでしょう。自分の書いた原稿が残っていないので、どういう脈絡で展開したエッセイだったのか、今となっては分かりません。しかし、その同級生の海馬に「インガルス一家と木星のガスの中を漂う巨大クラゲ生物」が刻まれたことは確からしい^^;
思考回路がはちゃめちゃだったってことですね。

TOM-Fさんもお仕事でいっぱい「文書」を確認されるお立場ですよね。ほんとに、気になりだしたら止まらなくなるんですよね。美しい日本語を書けとまでは言わないけれど、せめて文章として読めるようにして欲しいなぁ。
ベタな話ですが、音読すれはすぐに分かりそうなものですけれどね。いや、音読なんて風習が今はないのかな。とはいえ、人に言える立場じゃないかも、なので、自分も気をつけようと思いました。

あ、でも、どこかに出すときには、何回も読み直しますけれどね~。ただ、あまりにも何回も見ていると、それに違和感を覚えなくなってしまうとも思います。間違いに慣れてしまって、気がつかない。
昔、文章教室では、一度書いたものは1ヶ月くらい寝かして、自分自身が忘れたころに一読者として読み返してみなさいって言われました。そんなことしてたら、いつまでたっても仕上がらないんですけれどね。あと、文章を読み返すときには、1回目は「てにをは」だけを見る、2回目は段落の切り方だけを見る、3回目は表現が偏っていないか、とかそんなふうに注目点を変えて読み返すようにとも言われましたが、これもまた、いつまで経っても終わらない^^;

> ところで、このにゃんこの写真。なんか、不穏さ全開なんですけど?
そうなんですよ~。でもこのにゃんず、たぶん兄弟ですよね。模様そっくり。そしてこの前後で、ものすごくもめてた覚えがないので、多分、これでもじゃれ合ってるところなんでしょうか。
この公園、時々散歩に行きますが、いっぱい居るときと、1匹も会わないときと、あります。

> チリテレ二世、きれいになってよかったですね。ディーラーで点検に出すと、洗車してくれるのかぁ。いいなぁ……。
いや~、結構恥ずかしいものがありました^^;
やっぱり、許せないと思われたんでしょうね^^;^^;
でも、ありがたかったです!(^^)!
コメントありがとうございました!!

彩洋→TOM-Fさん #nLQskDKw | URL | 2020/04/23 18:09 [edit]


漢文が「日本語」の授業であることにも気づかず、「そんな昔の中国語を読むよりも現代中国語の時間にしてくれ」っていう意見が当の高校生から根強い意見として上がるような国語教育レベルでは無理でしょうなあ。わたしは、あの漢文の訓読の音のリズムの素晴らしさが好きで、大好きな授業だったんですけどねえ。

とにかく、日本の組織というもんは、「効率主義」に基づいて計画を立て、それを非効率的に運用することでは他の国々の追随を許しませんからなあ。

ちなみに「ローマ字」の授業も「日本語」の授業ですので、「その時間を削って英語にあてろ」とかいうのは最低最悪の愚行のひとつだろう、と思います……。

いやあ素晴らしいですなあ日本の国語教育。とほほ。英語ができないのは国語なんかに無駄な時間を割いてるからだ、って意見、多いですが、英語ができないのは、むしろフォニックスを無視してジスイズアペンから始めることの害のほうが大きいんじゃないかな、とか思ってます。フォニックスを知らんのにどうやってカタカナ発音から離脱せいいうねん、とわたしなんかは思うんですけどねえ……。

ポール・ブリッツ #0MyT0dLg | URL | 2020/04/25 15:31 [edit]


ポール・ブリッツさん、ありがとうございます(^^)

うん、現代の中国語を学ぶことと、漢文を学ぶことは別のことですよね。
そうそう、英語の早期教育にやたらと力を入れるようになってきましたが、そもそも環境がバイリンガルではない国なので、どのくらい効果的かはわかりませんね。英語教育を大事にするのは悪いことじゃないけれど、まずは母国語をきちんと学んだ上で第二言語を学ぶべきだともいいますよね。いや、並行でもいいんだけれど、英語に力を入れると同じように母国語にも力を入れてほしいものです。でないと、そのうち、アジアの他の国からの移住者のほうが綺麗な日本語を話すようになったりするかも。

ただ、漢文にしても古文にしても、今何かの役に立っているかと言われたら困るけれど……私も漢文の授業はけっこう好きでしたけれどね。漢文と古文は先生が一緒だったんですけれど、なんか個性的なムードの先生で、それが面白かったのかもしれませんが(^^)
まぁ、高校生も忙しいから、何に時間を割くのかは自由に決めてもいいのかもしれませんけどね。

イタリアなんて、小学校からダンテの神曲を授業でひたすらやるんだそうです。高校を卒業する頃には、国民みんなが神曲を最初から最後まで知ってるって、なんかすごいことだなと思ったりしました。これこそ効率とはほど遠いことでしょうけれど、そういう古典が自分たちを形作っているといつか気がつく日が来るんでしょうかね(若者には理解できないかも)。

あ。英語が出来ない話ね。
そもそも、日本以外のアジアの国の人たちが英語を話せるのは、遠慮が無いからじゃないかと思うのです。国民性って大いに影響している気がします。そもそもアジア英語って何を言ってるか分からんこと多いけれど、彼らはそんなこと気にせず、がんがんしゃべってるじゃないですか。言語ってそれが大事なんだなぁと思います。多少の文法の間違いや発音のまずさなんか気にしないでね。
そう言えば、英語と称するものだって、我々が学んだのは米語であってほんとは英語じゃないし(私の学校には両方の先生がいて、英語の先生と米語の先生の発音は全然違っていましたね。大学ではオーストラリア人の先生もいて、これまた全然発音が)少々の発音の問題なんて気にしなかったらいいんですけれど。
米国人の英語に比べたら、日本人の英語の文法はちゃんとしてるそうですから、悪いことばっかりじゃない。問題は「話す」ことですよね。これについては、幼少期からの教育は貢献するかも。小さいときからやってると、いわゆる遠慮ってものが吹っ飛びますし。
カタカナ発音、いいじゃんって思うけれど。ジャパニーズ英語を国際的にしてしまえばいいのだ。
なんてね。

コメントありがとうございました!!

彩洋→ポール・ブリッツさん #nLQskDKw | URL | 2020/04/26 12:09 [edit]


大海さん、ご無沙汰しています。
今は大変な時なのでとくに、大海さんは元気にされてるだろうかと、ことある毎に思い起こします。

ブックカバーチャレンジを読み、そのあと未読だったこの記事も読ませてもらいました。もう、ずっと頷きっぱなしでした笑。大草原の小さな家のところでは「そうだ、物語の面白さはそこじゃない」、と共感し、ジュピターでは、そうだよ、人間は自分を基準に考えすぎなんだよ、と発奮し。
でも、すばらしいですよ。そうやって、何年たっても忘れられないような文章を書けるというのは。忘れないでいられるというのは、そこに真理があるからなんだろうと思います。読んだ方も、気づいていないけれど、そう言うもんなんじゃないかと。
偏った意見と言うのは、生きていくうちに「あ、違う」と、どこかで気づかされ、記憶からはがれて行くんじゃないかなと思うのです(そうであってほしいな、とか)
最近、ネットニュースやSNSのコメントなんかに目を通すことが多くて、いろいろ思う事が多くなってしまったんですけど、そういう「もしかして自分も偏ってたんじゃないか」と振り返る事も、創作をするうえで大事かも、と、思い始めています。

あ、本題からずれてしまいましたが、文章を書くこと、人に何かを伝える事って、分野に限らず、とても大事で、疎かにしてはいけないなあと思うのです。

小説講座も最後の授業を残して休校に入ってしまいました。課題の作品をようやく書き上げて、先生の(厳しい)ダメ出しを待つだけになっているのですが、いま、行き場を無くして(笑)うろうろしています。

改めて、書くこと、伝える事、伝え過ぎない事、いろんなことを想いつつ、こう少し、うろうろしてみます。
大海さん、くれぐれも無理のないようにしてくださいね!

あ、ブックカバーチャレンジ、Twitterでやってみたくなりました。

lime #GCA3nAmE | URL | 2020/04/29 13:47 [edit]


limeさん、ありがとうございます(^^)

わ~い、limeさん、お元気ですか? 
そうなんですよ、私も時々limeさんがどうされているかなぁと思っていたのです。以心伝心~
確かlimeさんは自転車通勤でしたよね? 公共交通機関を使って通勤されている方たちが本当に心配ですが……お仕事は休業になっても大変だし、こんな状況でも働かなければならないのも大変だし、それぞれの人がそれぞれの状況で、以前とは違うことを強いられて大変なんだとしみじみ思います。
うちは、まぁ、ここでおおっぴらに書くのもなんですが、今は落ち着いています。気ぜわしいのはあるし、準備と警戒は怠れませんが……うちにも余波が来る状況になってしまったら、まさに崩壊って気がします。
うん、気をつけてやっていきますね。何しろ、我が家には寝たきりの87歳老人がおりますから。

そうそう、この記事、なんか言いたいことを書き切れなかった気がして。でもエッセイとか真面目に勉強したことないので、要点をついて、さらに余韻を残して、スマートに読みやすく書くのって、ほんとに難しいですね。でも、limeさんにはばっちり伝わっておる(読み手を選んじゃいかんけれど、そんな気がして)とにまにまして、いただいたコメント読ませていただきました。

子どもの頃に読んだ物語あるあるですが、結構伝記物(いわゆる偉人伝)を読んで感動したのに、後から「でも実はあの人、人に金の無心ばっかりしててね(野口英世)」とか「あの人、梅●だったらしいよ(坂本龍馬)」とか言う人がいるわけですね。ところがありがたいことに、私ってそういうマイナスポイントがかなり好きらしくて「そうそう、いいとこばっかりだったら人として魅力がないわ」と思っちゃうタイプでして、坂本龍馬も英雄としてじゃなくてアスペルガーの兄ちゃんと思ってからのほうが、俄然好きになったという。

ただ、「きれいごと以外受け付けません」って言う人をみると、時々「それはどうなん? 自分が絶対間違ってない人だけ石を投げなさいってイエス・キリストに言われちゃうよ(話が違う^^;)」って絡みたくなっちゃうのでした。
物語はリアルと決別して楽しみたい。一方でリアルのダメなところも受け入れたい、そんなふうに思うのです。

そして、ジュピター話にもご理解いただき、ありがとうございます。
そうそう、そういうこと(「そうだよ、人間は自分を基準に考えすぎなんだよ」)が言いたかったんですよ!
『ダーウィンが来た!』を見てたら、自然の中の一員にしか過ぎない人類、って思うし、自分の知っている地球環境(温暖化がどうとかじゃなくて)で宇宙の全体を知ろうなんておこがましいと思ってしまうのです。

歴史認識もそう。今の倫理で過去の出来事を評価しちゃいかんのです。
網野史学を知ってから、歴史に名を残した人、つまり政治的に中心にいた人たちではなくて、もっと市井の民衆、当時の人たちの感覚がどうであったかということを考えるようになったら、歴史はもっと面白くなりました。
織田信長が特別な人なんじゃなくて(ある意味特別だけれど、それは天下統一を図ったことじゃなくて、オランダ人?に言われて直感的に「地球が丸い」ってことを理解したってことですよね)、あの当時、一国一城の主はみんな天下統一を狙ってたんですよ。そう考えたら、今大河でやっている明智光秀は、陰謀とかじゃなくて当時の当然の帰結として天下統一を考えただけかも、なんて思ったりします。その「君にもできる、天下統一」という風潮をたたき壊したのが徳川家康で、その江戸時代にも、やっぱり民衆は黙っていなかったと思うと楽しい(『元禄繚乱』ですね)。
あ、また語りに入っちゃった^^;

> でも、すばらしいですよ。そうやって、何年たっても忘れられないような文章を書けるというのは。忘れないでいられるというのは、そこに真理があるからなんだろうと思います。

うん、ありがとうございます(*^_^*) 誰かの気持ちの中にちょっと残っていたなんて、すごく嬉しいことですよね。
たとえば、ここにコメントをくださるlimeさんや他の皆さんの小説、書かれていたことも、具体的な内容を忘れても、そこにあった何か、それがもしかしたらlimeさんのおっしゃる真理のひとつかもしれませんが、書かれている膨大な文字の中の核みたいなものは、忘れられません。うん。

> 最近、ネットニュースやSNSのコメントなんかに目を通すことが多くて、いろいろ思う事が多くなってしまったんですけど、そういう「もしかして自分も偏ってたんじゃないか」と振り返る事も、創作をするうえで大事かも、と、思い始めています。

あ~、なんか分かります。私も、最近思うんですよ。コロナって、ウィルスとして振りまいた問題(つまり病気そのものとしての問題)も大きいけれど、実は、人間の本性・社会の仕組みの弱点を浮き彫りにしたというところが大きいなぁと。
コメントとかブログとか見てても、いや、それは言い過ぎやる、とか根拠は何?なんて話も多くて、何か発言すると、それとは反対の考えを持っている人から思いも寄らぬ攻撃を受けたりして、この人はこういう人だったのか、と気持ちが離れちゃった人もいるなぁと。ソーシャルディスタンスが物理的距離じゃなくて心理的距離を生み出していますよね。
とりあえず、お仕事できているので、ありがたいと思うことにします。

> 小説講座も最後の授業を残して休校に入ってしまいました。課題の作品をようやく書き上げて、先生の(厳しい)ダメ出しを待つだけになっているのですが、いま、行き場を無くして(笑)うろうろしています。

小説こそ、オンラインで行けそうですのにね~。音楽とかはもともと媒体的にムリだと思うけれど(どんなにCDやYou Tubeでいけてもやっぱり生でないとわからんものがある)、小説こそもともと文字媒体なんだから……
でも、そういう準備をしていなかったら難しいんですかね~。休校の間に一旦冷やしてまた見返すと、いい発想が新たに生まれたりして、いいかもしれないですけれど。

> 改めて、書くこと、伝える事、伝え過ぎない事、いろんなことを想いつつ、こう少し、うろうろしてみます。

うんうん。「伝えること、伝えすぎないこと」、ほんとにそうです。別のところでもちょっと文章を書くことがありますが、公共に晒される文章でマイナスなこと、不確かなことは絶対書かない、というスタンスを守ろうと、この頃しみじみ思います。

> あ、ブックカバーチャレンジ、Twitterでやってみたくなりました。

うふふ。limeさん、ぜったい食いついてくださると思っておりました。私も最近ツイッターほったらかしだから、そっちにも覗きに行かなくちゃ。私もツイッターにも載せようかな(*^_^*)
物書きあるあるですよね。好きな本は語りたい。物書きじゃなくてもね~
limeさんも、お身体お気を付けて! コロナのやろうがちょっと静かになったら、一度ゆっくり語りたいですね(*^_^*)
コメントありがとうございました!!

彩洋→limeさん #nLQskDKw | URL | 2020/05/01 13:43 [edit]

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