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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

☂[7] 第1章 同居人の留守 (7)(改) 

 真は思わず雑誌を放り出した。
 あの野郎、と思った。その気持ちに追い討ちをかけるように、美和が言葉を掛けてくる。
「ちょっと調べたら簡単に先生に行き着きますね」

 何を考えているんだか、時々突拍子もない行動に出る。
 それでも、同居人が目立つ外見ほどにはパフォーマンスを好まない人間であることがこれまで救いだったのに、一体何を考えているのか。確かに去年の秋から何やら思いつめたような顔をしていることがあるし、考えてみれば、夜中にかかってくる電話の数が増えたのも事実だったが、それとこれは別だと思った。

 もちろん、その電話が彼の母国語で交わされていることからも、同居人の身辺で女関係以外の何か特別なことが起こっている可能性は否定できない。その電話を同居人が枕元の子機で取ることはないが、後半には、隣の部屋で眠っている真もびっくりするくらいの激しい調子になっていることが多い。

 彼の実家が彼の帰りを待っていることは分かっていた。彼がそこに帰りたがっていないことも知っていた。
 自分が生涯呼ぶことのない同居人の本当の名前を、真は心の中でさえ思うことができない。その名前はある意味で恐怖に近い感情を引き起こすことがある。
 それは彼のいない左隣が引き起こす感情と全く同じだった。

 その日は外に出る気も起こらなかったが、幸い新しい仕事が舞い込む気配もなかった。

 とは言え、仕事にならない来客の多い一日だった。
「真ちゃん、最近顔を見せてくれないから、来ちゃったわ」
 といいながら疲れた顔に、目だけは異様に楽しげな気配を漂わせて、歌舞伎町の某ショーパブの人気者が顔を出したのは、真がコーヒーを飲み終えて間もなくだった。
 彼女はさんざん美和とおしゃべりをして、結局小一時間で帰ったが、何をしに来たのか全くわからなかった。

 美和の不思議なところは、水商売の女性たちにもあまり嫌われることがなく、会話にも簡単についていってしまう、それもただ屈託のない世間知らずのお嬢さん、という感じではなく、本当に明日からその手の店で働く気でもあるのではないかと思われるくらいの興味津々の顔で会話に参加していることだった。

 その後で、朝方まで開いているバーのバーテンが、コーヒーを飲みにやって来た。
 美和は、うちは喫茶店じゃないんですけどね、と言いながらもちゃんと美味いコーヒーを振舞う。
 この男は青森の出身で、ここに顔を出す連中の中では珍しいことに、真の探偵業とは何の関係もない知り合いだった。つまり、真は高校生のときから祖母の奏重が民謡酒場で唄う時に三味線伴奏に借り出されていたのだが、その酒場に客として出入りしていた男だ。
 彼は真に会うと、安心して津軽弁を話す。答える真はあくまでも標準語を繕うが、美和がいつも、どうして分かるの、と不思議そうに真を見る。その男も、今度またゆっくり飲みに来てくれと言って、半時間ほどで帰っていった。

 昼時には別の来客があった。
 この調査事務所を、バイト、というよりもほとんど趣味で手伝ってくれている主婦が幾人かいるのだが、彼女たちは尾行についてほとんど天才的ともいえる才能を示している。いかにも下町のお節介好きの買物中おばちゃん風から、旦那の帰りが遅いので昼間はぶらぶらとウィンドウショッピングやジョギングといったスポーツを楽しんでいる有閑マダム風から、真や美和では全く考えられない世間への溶け込み方を持っていた。
 彼女たちはまた、ほとんど娘か息子のように事務所の経営者を可愛がってくれているのだ。

 タッパーに詰めた肉じゃがに自家製漬物、炊き込みご飯などを持って、彼女たちはやって来た。
 お互いに面識があるのかどうか、複数の主婦に同時に仕事の手伝いを頼むことはなかったから、真も美和もよくわかっていなかったが、そこは主婦のネットワークを舐めてはいけないということなのだろう。

「うちの田舎から送ってもらった野菜なのよ」漬物を出しながら、有閑マダム風の都さんが言えば、「今朝、築地に行ってきたら、蛸が安かったのよ」と胡瓜と酢で和えた蛸を、吉祥寺に住むおせっかいな笙子さんが差し出した。
 さんざん喋った後で、笙子さんが言う。
「真ちゃん、あんまり水臭いのはなしにしてね」
「そうよ。困ったことがあったら、バイト料は要らないから私たちが手伝うわよ」

 都さんと、もう一人、かなり平凡な大人しい主婦の顔をした靖子さんも頷いている。
 靖子さんの肉じゃがは逸品で、靖子さん本人には会ったことはないものの肉じゃがだけは口にしたことのある竹流も、いつかは靖子さんに会って秘密を聞きたいと言っている。

 一体、自分が何を困るのかと真は思いながら、適当に相槌を打っておいた。

 後から振り返ってみれば、仕事帰りの水商売の連中や、昼間にやってきてお茶を飲んで帰った主婦にしても、つまりはあの雑誌の記事の話を探りにきたのだろう。しかも、真の性格を真以上に摑んでいる彼らは、直接聞けば真が何も喋らないことを知っていて、ただ真の顔を観察していたというわけだ。
 皆が、ある意味では真以上に探偵業に精通しているということかもしれない。
 

 夜になって真は身を隠すように事務所を出た。
 午後になって事務所にやってきた自称『弟子』の高遠賢二が、何か怪しい人影が外に、などと言うので、自意識過剰になったのかもしれない。
 それが必ずしも例の雑誌と関係しているわけではないだろうが、厄介ごとに巻き込まれるのは御免だった。

 調査事務所といっても、少々面が割れても仕事に差し支えるほどでもなかったし、全国ネットのテレビに連日顔を出しているような有名人でもない限り、顔を覚えられて困るなどということはないはずだが、自分の外見が割と印象的なのを真は知っていた。
 本来ならこの手の仕事は目立たないほうがいいはずだが、実際には目立つことがそれほど害になることはなかった。むしろプラスに働くこともあったので、最近では気にしないようにしている。

 考えてみれば、調査事務所を始める前までは、この外見で得をしたことなど一度もない。子どもの頃から北海道のような田舎では真の外見は否応無しに目立って、幼稚園でも小学校でも同年代の子供からからかわれ苛められ除け者にされた。
 庇ってくれる親はいなかったが、祖父が時々我慢がならん、というように苛めた子供の家に怒鳴り込みに行った。当時は親戚一同で経営していた牧場の経営がそれほど悪くはなく村にも随分貢献してきていたので、祖父の朴訥な行動は何とか許容されていたが、それでも他の家族はそんな祖父を窘めた。

 小さい頃、鏡の中の自分を見ていると変な生き物のように思えた。それは目と髪の色だけの問題だったのに、怖くて鏡を割ったこともあった。近くに一人で住んでいたアイヌ人の老人だけは、真の髪についても目についても何も言わなかった。いや、むしろ褒めてくれさえした。

 きっとお前の目は、他人の目に見えないものを見、感じることができる。

 それがどう意味だったのかはともかく、お蔭でしっかり変なものが見えた。最初は民話に出てくる『蕗の下の人たち(コロボックル)』だった。
 そういうものが、少なくとも世間常識的には、本当は存在していないのだということは、随分大きくなるまで分からなかった。

 孤独だった子供は、次第に見えるはずのないものを見て感じるようになった。
 今でも時々、どこまでが現実か幻か分からなくなる事がある。
 中学生のとき、逆にこの外見を利用してやろうと思ったことはあった。思えば随分と無茶をしたものだったが、お蔭で人が外見に惹かれ外見で他人を判断することがしっかりと認識できた。それはプラスにもマイナスにもなるが、あまり積極的にプラスにはなり得ない事も了解した。

 ただこの仕事を始めてからは、他人が自分を覚えてくれていることが助けになることも多々あった。ある意味名刺代わりだったのだ。
 勿論そのお蔭でかなり痛い目に遭ったこともある。しかし、その痛い目に遭ったことがきっかけで、今ではこの界隈で真につまらないちょっかいをかけてくる連中は随分と減った気もする。

 良いか悪いか、プラスかマイナスかは、人の心だけが決める。それはよくわかっているつもりだった。




さて、各方面に波紋を投げかけている竹流のインタビュー記事。
新宿の探偵事務所にやってくる興味津々の連中。
そして、今から真が訪れる『女』の目にも触れていたこの記事。

実は、新宿では『ヤクザの持ちビルに入っている某探偵事務所の所長には手を出すな、怖い男がついている』というのがもっぱらの噂。
確かに、妙なことをすると、明日東京湾に浮いているかも、と思わせる迫力が、竹流にはあるらしく……

キリストみたいな人なんですけどね。
怒らせると怖いのであります。

さて、次回は真の『女』が登場。
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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