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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【ピアニスト慎一シリーズ】光ある方へ(scriviamo! 2023参加作品)  

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【八少女夕さんのscriviamo!】に今年も参加させていただくことにしました。
といいながら、もうすっかり締め切り破りになってしまっております。
夕さん、ごめんなさい。
皆様の参加作品もみんな読ませて頂いて(聴かせて頂いて)おります。が、コメントが追いつかず……(;_;)
また必ずコメントに伺います。
みなさんいずれも力作で、毎年本当にこの時期は楽しいですね!
これも夕さんのおかげとしか言い様がありません。改めてありがとうございます。


少しだけ近況。
年始から、家に1日いたのはわずかに1日のみで、ほとんど出かけていたこの数ヶ月。ちょっと時間ができた!と思ったら、用事を突っ込む癖がついてしまいました。もっとも、このシーズン、学会や研究の締め切りや書類仕事が重なって、いつもバタバタするのですが、それに加えてなんと言っても私の時間を大いに食ったのは、永明さんと桜浜・桃浜の中国行き!
我慢できずにコロナで遠ざかっていた和歌山にも、母と一緒に行ってきました。
でも、中国では竹の種類が豊富で、1年のうち8ヶ月もタケノコが採れるんだとか。グルメな永明さん、いっぱい食べて、世界一の長寿パンダになって欲しい! 桃浜は母と私がシニア向けプライベートバックヤードツアーで初めてお世話になったパンダさん。マイペースな桜浜と一緒に、永明パパのような優しいお婿さんに巡り会って欲しい。
でも、そうすると、2年後には(あるいはもっと早く?)母と私イチオシの結ちゃん(結浜)も行っちゃうのか~
もう、成都まで会いに行っちゃう? いや、私、黄砂で喘息悪化するからだめかも……
パンダショックもさることながら、楽しみにしていたパーク内のレストランのレタスまるごとサラダ(レタスを丸々1個、ぱかーんって割って、トッピングしただけのサラダ。一瞬全部食べられるの?と思うけれど、異様に旨い)がメニューから消えていたのもショックで、アンケートに絶対復活してください!と書いてきました。
この先、感染症事件はどう転がるのか分かりませんが、せっせと結ちゃん、彩ちゃん、楓ちゃん、そして良ママに会いに行くことにしましょう!(って、そんなことしてるから、家にいない……)

その他。
 大人になってからの喘息その後。吸入・内服で大分良くなっていたのに、今年は寒さ→暖かくなって黄砂襲来、でまたまた悪化。相変わらず、絶対治す気のない(内科医にとっては「病気はお付き合いするもの」)イケメン主治医のもとにせっせと通っています。
 ピアノ。コンクールでは撃沈しまくっていますが、昨年に比べたら少しは進化したかなぁ? 今年は秋に某歴史的建造物での演奏会が企画されていて、そこでTOM-Fさんが恋をしたと仰っていたかのコンチェルトの第二楽章を弾きます(ピアノソロ)。そう、私、いつかTOM-Fさんに聴いていただくために練習しているかのも……ほんとに美しくて泣ける。


さて、こちらの「短編のつもりで書き始めたらまた長くなっちゃった作品」。
大海、またかよ!って思われていると思いますが、宣言通り、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をネタにしました。途中から、私には相変わらずさっぱり分からないけれどちょっと気になる、しかし楽曲がとってもしつこい(失礼)ブラームスが割り込んできましたが……

そうそう、4月に、私にブラームス4連発が耐えられるか!にチャレンジする予定です(ブラームスの交響曲4つをぶっ続けで聴く演奏会)。それに耐えることができたら、一度ブルックナーも試してみたいと思っております(多分挫折する)。
やっぱり全曲ぶっ続けで聴いて耐えられるシンフォニーは、ベートーヴェンとマーラーだけだな~たぶん。

ラフマの3番は、私がコンチェルトという分野では最も好きな2曲の1曲(もう1曲はドヴォジャークのチェロ協奏曲ロ短調)。
第2位は挙げられないくらい沢山あるのだけれど、1位はもうこの2曲でヘビーローテーションしております。
解説ははしょります。でもこの曲、生で聴かないとあの迫り来る物が分かりづらいかも。2番のように整っていないといいますか、もうドロドロの感情の渦、ちゃんとした言葉で言うと、叙情的? もっと勢いがある感じですが、これを聴くといつも思い出すのがタルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』(タルコフスキーの作品はすべて敬愛しているけれど、中でも最も好きかも)の鐘のエピソード。

権力者からの鐘を作るように(つまり権力の象徴として)命じられた鋳物師の息子。父親が亡くなってしまっているし、彼は父親から手ほどきも受けていない。でも命令を聞かなかったら殺されてしまう。作った鐘が上手く鳴らなかっても結局殺されてしまう。「作れる!」と言ってやけくそで鐘を作ったら、見事に鳴ってしまうんですね。地面に倒れ込む鋳物師の息子にとって、これは喜びの鐘の音なのか、権力に屈服する悔しい鐘の音なのか……その姿を見つめていたイコン画家のアンドレイは、色々あってイコンを描くことに疑問を抱いていたのだけれど、鋳物師の息子を助け起こして「おまえは鐘を作れ。私はイコンを描こう」……この映画、ずっとモノクロなんですが、物語が終わってエピローグで舐めるようにイコンを映し出すシーンだけカラーなんです。もう、これ書いているだけで、鳥肌が立つような映画。
ラフマの3番、もうぐっちゃぐちゃのいろんな感情で気持ちが高ぶって、どうしよう~と思ったら、ピアノが鐘を打つんですね。
その瞬間、なんだろう、すべてが許されたというのか、報われたというのか、そんな気持ちになって、最後の2分、絶対泣くんです。
ラフマニノフ、恐るべし。

もう一つ思い出すのが、やはり映画で『ドクトル・ジバゴ』。
詳細はウィキっていただくと良いかと思いますが、この映画のすごいところは(もしくは小説)、戦争・ロシア革命を背景にあんなことやらこんなことやら、もう収拾がつかないくらいいろんなことがあって、見ているうちに、どうするんだ、この話、どこまで行くんだ、というのか、どうやって話を収拾させるんだ?って、心配になるくらいに壮大に展開するんだけれど、最後、たった一言でまとめちゃうんですよね。やられた、と思いました。
そのひとこと。「それじゃあ、血かな」(脈絡がないと何のことかわかりませんね)
ラフマの3番、最後の最後の部分にオーケストラのワンフレーズが、そこまでのごっちゃごちゃを全部浄化して、一気に大海原に出たような雄大で爽快な瞬間があるのです(ありますよね?)。多分わずか2小節足らず(スコア見てないからわかんないけれど)。
やっぱり、ラフマニノフ、恐るべし。

本当はオーケストラの名前も、コンクールの名前も何もかも伏せるつもりだったけれど、最後に書いちゃった。
まだまだ修行が足りません。
書き始めるのにも時間がかかり(真っ白なWordの画面が怖い)、書きながらもまとまらなさすぎてうだうだ。
相変わらずな大海なのでした。
締め切り破りなので、勢いでアップしちゃいますが、ちょこちょこ直すかも……

あ。繰り返しますが、無駄に長いです……(;_;)
そして。あんまりよく分からずに書いている部分が多いので、細かいことはスルーしてくださいませ!
ついでに。このシリーズのことを何も分からなくても、老人回顧録ということで読めちゃうと思いますので、振り返りは不要です。




【ピアニスト慎一シリーズ】光ある方へ
(scriviamo! 2023参加作品)


 太陽は、今まさに沈もうとしていた。
 この光景を見るのは何十年ぶりだろうか。

 あの日、いったい自分と祖父はどこにいたのだったか。少年の頃、旅好きの祖父とは多くの場所を訪れたので、いろいろな場所の記憶が混線している。祖父の住むスコットランドの島だったのか、あるいはもっと暖かい南の海だったのか。
 そして今、ヴォイチェフ・シェーファーは一人のこどもと一緒に同じ景色を見ている。
 彼らが立っている場所からは、広い海しか見えない。それも海なのかどうかも分からないほど凪いでいて、波風ひとつ感じられないほどに光に満ちて澄んでいる。

 ところで、この傍らのこどもは孫のエリアスだろうか、いや、フィンのほうか。こどもは一心に水平線を見つめているので、ヴォイチェフからはその顔は見えなかった。ただ、丸い頬が、沈みゆく夕日で赤く染まっているのが愛らしい。
 いや、孫たちはもうすっかり大きくなって、ヴォイチェフの住む小さな町を訪ねてくることもなくなったし、一緒に旅をした記憶もない。もしかすると、親類の誰かではなく、町に住むこどもの誰かかもしれない。

「空の高いところにある時は赤くないのに、夕日はどうして赤く見えるの」
 こどもの声は自分の耳の中で聞こえたようだった。
 あぁそうか。これは夢かもしれない。その昔、祖父はこどもだったヴォイチェフに、お前には少し難しい話かもしれないよと言いながら説明をしてくれた。

 朝や夕方、大気に斜めに入ってきた太陽の光は、短い波長から散乱されてしまい、波長の長い赤の光だけが地表に届く。波長の短い緑色がなくなってしまっているわけではないけれど、赤色の方が強いから、夕日や朝日は赤く見えるんだよ。
 子供のころは、昇る太陽と沈む太陽が、同じ科学現象で赤く見えるということに疑問も興味も持たなかったし、大人になり、輝かしい人生の時を戦い抜いている時には、そもそも太陽をそのように感傷的に見つめる余裕もなかった。

 その時、傍らのこどもがヴォイチェフの手を強く握りしめて叫んだ。
「あ! 緑!」
 ヴォイチェフも思わず、こどもの手を強く握り返した。

 そう、今、一瞬、遠く彼方の水平線で、緑色が輝いたのだ。
 グリーンフラッシュだ。

 緑の閃光という極めてまれな現象を目にしたのは、あのこどもの頃、一度きりだった。今また、その光を見ることができるとは。
 その光を見ると、幸福になるという言い伝えがある。いや、ジュール・ヴェルヌの小説の中では、この光を見ることができたら、自分と他人の心の中が見える、という。
 もちろん、これはただの科学現象なのだ。太陽が昇るとき、あるいは沈むとき、太陽の赤色の部分が地平線、水平線、あるいは雲で隠され、最頂部の緑色の光のみが見えることがある。ただし、いくつかの偶然が重なった時にのみ、きわめて澄んだ空気の中でだけ、太陽は揺らいで、輝いて見えるのだ。

 だが、そのただの科学現象に重なるように、ヴォイチェフの耳には彼が最も愛した、ラフマニノフの協奏曲のフィナーレの壮大なワンフレーズが聞こえてきた。
 それはまさに、緑の光が見せたヴォイチェフの心の中の景色だったのかもしれない。
 いや、これはもしかして空耳なのか、あるいは近頃煩っていた耳鳴りのせいだったのか、それとも、いざその時が来たら、この曲を聴きたいと強く願っていたからなのか。

 ヴォイチェフの脳裏を走馬燈のようにいくつもの景色が駆け巡り、やがて、ばらばらの記憶のかけらがつなぎ合わされた。
 大切な何かを思い出したような気がして、ふと少年を見やると、彼もまたヴォイチェフを見上げていた。
 ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番。
 そうか、これは彼だったのか。だが、こんなに幼い少年だったはずはない。


 ヴォイチェフ・シェーファーは、世界最高峰と言われるドイツのオーケストラのステージマネージャーを二十年以上にわたり勤めた。
 一人一人がソリスト級の実力を持つこのオーケストラでは、指揮者を含む全てのメンバーが同等の権利と義務を持ち、まさしく世界最高の音楽を築き上げるために、ひとつの船を動かしているのだった。

 他のオーケストラであれば、すべての団員が我こそはと前に出るような演奏をすれば、あっという間に音楽が崩れてしまうだろうが、このオーケストラに限ってはそれがない。すべての団員の持つ音が全く違う音色であるにもかかわらず、空間を色とりどりの音で隙間無く埋め尽くして、それぞれの色が混じることなく独立して存在しながらも、全体として調和して、説得力を持って聴衆の耳に届くのだった。

 ここでは、芸術監督やコンサートマスター、新たな団員を選ぶときも、団員の公平な選挙によって決められる。もっとも、新しい団員になるためのオーディションに合格しても、二年の試用期間の後にリストに名前を載せることなく去って行くものが少なくないのは、世界でもこのオーケストラぐらいだろう。だからこそ、専属ステージマネージャーにも、いや、まさにステージマネージャーにこそ、超一流が求められた。

 ヴォイチェフにも当然「青二才」の時があり、その時、ちょっとした失敗で仕事を失っていた可能性はあったのだ。だが、幸いにもヴォイチェフの努力と天性としか言いようのないマネージングの才能が団員たちの認めるところとなるまでに、それほどの時間はかからなかった。
 それから二十年あまりも、ヴォイチェフは世界最高峰のオーケストラの比類なきステージマネージャーとして、団員だけではなく、外部の音楽家やスタッフからも頼りにされるようになった自分自身と、この困難な裏方仕事に誇りを抱いて生きてきた。

 演奏家たちが最高のパフォーマンスをするために必要な準備、当日の全てのスタッフの仕事を繋ぎあわせて、その日の公演を最高のものにする、そのありとあらゆる采配が、ステージマネージャーの仕事だった。
 公演が始まると、団員たち、続いてコンサートマスターをステージに送り出す。オーケストラのチューニングが終わり、客席が期待と興奮を胸に静まりかえるのを見計らい、さらに指揮者の表情を伺いながら、今このときしかないというタイミングで重いステージドアを開ける。
 そのドアの重みは、十年経っても二十年経っても、この仕事への誇りと責任感をヴォイチェフの手から体全体に知らしめるのだった。

 演奏の間には、閉められた扉の向こうの音楽に神経を尖らせる。常に不測の事態に備えていつでも動き出せるように構え、一方でどんな些細な雑用でも進んで行いながら、演奏が終われば、指揮者が、あるいはソリストがステージの中央から戻ってくるタイミングを、小さな穴から覗いて、早すぎず遅すぎずのタイミングで再び重い扉を開ける。

 海外遠征ともなるとさらに大変だった。コンサートのプログラムが決まれば、演奏する曲ごとに楽器編成を確認し、大切な楽器の運搬も自分たちの手で行う。行き先のホールの広さや設備の確認には、時には現地まで赴くこともある。ホール担当者との打ち合わせ、搬入スケジュールの確認、調律依頼、設備の確認、ひとつの間違いがあってもならなかった。

 ヴォイチェフはこの仕事にすべてのエネルギーを注ぎ込み、裏方ではあったが、日々世界の頂点に立つものたちにしか与えられない栄誉の高みから絶景を見ていた。休みの日にも、ヨーロッパ中の、時には海を渡って、コンサートホールを巡り、ステージ構成、客席のどこにどのような音が届いているのかを勉強し、一流の団員たちに何を聞かれてもすべてに応えることができるだけの知識と経験を身につけてきた。
 だが、当然のことではあるが、その傍らで犠牲にしたものも少なくはなかった。


 ヴォイチェフのキャリアの中には、多くの巨匠たちとの出会いもあったが、一方でまだ経験の浅い若い音楽家との出会いもあった。
 このオーケストラが選んだソリストや客演指揮者であるから、多くはその後も大きな舞台で活躍をするようになり(そうでなくては困るのだ)、そうした若者たちの行く末を知ることは、ひとつの楽しみでもあった。ほんのわずかの時間であるが、それぞれに人生の中の最も輝かしい時間を共有したという思いが、胸のどこかに残っている。

 その中に、忘れられない青年がいた。

 ちょうど、オーケストラは新進気鋭の新しい芸術監督を迎えて、これまでとは違ったレパートリーを開拓し、新しい時代に向けて舵を切り、その波に悠然と乗り始めたところだった。そんな折に、もっとも忙しいシーズン、クリスマス前の定期演奏会で演奏されるピアノ協奏曲のソリストが、公演の3日前に脳出血で倒れたのだった。
 演奏会を中止することはできない。しかし、このシーズンに時間を持て余している、このオーケストラのソリストに相応しいピアニストなどそうそういるはずもなかった。

 新しい芸術監督は決断を下した。
 ちょうど、その年のある国際ピアノコンクールで優勝した若いアジア人のピアニストにその大役を任せたいと言ったのだ。あと3日でラフマニノフの3番を弾きこなせるソリスト、予定されていた大御所の替わりを務めるとなれば幾分か話題性も必要だし、しかも明日のリハーサルにベルリンまで駆けつけることができるとなれば、選択肢はそうそうなかった。

 彼はちょうど、そのコンクールのファイナルでチャイコフスキーの1番とラフマニノフの3番を弾いて、優勝を勝ち取ったのだった。しかも、彼はウィーンに住んでいる。もちろん、明日の午後からのリハーサルには十分間に合う距離だ。
 しかし、団員たちが簡単にその案を受け入れるわけもなかった。

「ヴォイチェフ」
 練習室の隅でことの成り行きを見守っていたヴォイチェフは、突然団員代表のホルン奏者に呼びかけられて顔を上げた。
「君はどう思う?」
 何故自分に意見を求められたのか、分かっていた。そして、自分の言葉に、ひとりの若い音楽家の行く末がかかっていることも理解した。

 その頃、ヴォイチェフはオーケストラに新しい風を吹き込んでくれるような若い演奏家を見いだすために、団員の供をしてコンクールを聴きに行くことがしばしばあった。ステージマネージャーとしての仕事を超えているような気がしたが、むしろ一般聴衆の耳になって欲しいというというのが理由だった。

 そのコンクールでは第1ラウンド、第2ラウンドでそれぞれ1時間のリサイタルプログラムをこなさなければならなかったが、その時、勝敗の行方を決めたのは、むしろ第1ラウンドのバッハ、古典ソナタだったかもしれない。多くのコンテスタントがベートーヴェンのソナタを弾いた。聞いているうちに、むしろモーツァルトやハイドンの方が良かったのではないか、聴いている方の耳がベートーヴェンで疲れてしまうのでは、と思い始めたときに、彼が舞台に現れたのだった。

 圧倒的、というのではなかった。だが、ヴォイチェフは思わず肘掛けに体を預けて座り直した。その時同じような動作をしたものがどれほどいたことか。何しろ、舞台に現れた彼は、体格の良いヨーロッパやロシア人の中ではまるでこどもだった。歩く姿はどこか自信なさげで、こちらが心配して見守らなくてはならないような様子だった。

 バッハは、どの演奏者も完璧だったと言って良い。いや、そうでなければ、ここで振り落とされるだろう。だが、ヴォイチェフを始め聴衆の気持ちを一気に惹きつけたのは、その次の古典ソナタ、ワルトシュタインだった。
 二十歳そこらの青年の演奏する音ではなかった。もうすでに人生のほとんどの時を、苦楽も不運も幸運もなめ尽くした後に、この場に現れ、その上でかつて誰かの人生の輝かしい春の時を思い、今再び新たな命の芽吹き、大地の胎動を呼び起こすような、そんなベートーヴェンだったのだ。

 ヴォイチェフが、自分が彼に抱いた興味・関心が、居合わせた聴衆の総意であると確信したのは、ファイナルで彼がラフマニノフを弾き終えた後、三階席の最後列の聴衆までスタンディングオベーションで惜しみない拍手を送っている光景を振り返った時だった。
 彼が、コンクール開催期間中にすでに小さなスターになりつつあったために(聴衆はマイナスポイントが覆されると、ことさらに擁護的になるものだ)、その小柄な体格と頼りなさげな表情で、得をしているという点を差し引かねばならないという計算をし始めていたヴォイチェフだったが、そんな否定的な批判をすべて吹き飛ばすようなコンチェルトだった。
 いったい、あの小さな体のどこからそのエネルギーが湧き出してきたのか。

 だが、ひとりひとりがソリストのように、前列のメンバーに合わせることをしない、最後方列の団員までもが我先にと音楽に食いついてくるこのオーケストラをバックに、彼はこの緊急の大役を果たせるのだろうか。あの頼りなげな表情を思うと、それはいくら何でも無謀だと思う。
 ここで失敗すれば、この先の彼のキャリアは大きく後退することだろう。静かに少しずつ階段を上っていけばよかったのに、なんと言うことか、この若者の未来を摘み取ったのはあの世界最高峰と言われるオーケストラなのかと、批評家たちはそう言うに違いない。

 だが、彼がここで上手くやりおおせたら……
「現時点で、他に選択肢がないのであれば」
 そう言いかけて、ヴォイチェフは声色を変えて、はっきりと言った。
「いや、ハンス、僕は、聴いてみたいと思う」

 ステージマネージャーは音楽についてのプロではない。いわばちょっとばかり業界の裏方を知っている素人に過ぎないのだ。だが、プロの中のプロである音楽監督と、一般の音楽ファンの代表であり、誰よりも信頼されているステージマネージャーが推すのであれば試してみよう、ということになった。

 その若い音楽家のそれからの活躍、挫折、そして挫折の中からの蘇りを、ヴォイチェフは遠くからずっと見守っていた。そして、あのとき、彼の道を開いたのは自分だったかもしれないという自負心が、第一線から外れてしまってからのヴォイチェフの後半生を支えることにもなったというのは、実に不思議な縁というしかない。


 そのピアニストと舞台袖で会ったのはわずかに三度だった。
 一度目は、彼があの緊急避難的代役を務めた時。

 彼はウィーンでこのとんでもないオファーをどう受け止めたのだろう。すぐにベルリンに来てくれ、リハーサルをして、その翌日はステージに立ってくれ、だなんて、そもそも「喜んで!」というような状況ではなかっただろう。突然のことで、旅の疲れもあったろうし、リハーサルの際には、ピアニストにもオーケストラにも、いくつもの不安が残ったというのは、ヴォイチェフにも見て取れた。

 それでも時間は待ってくれなかった。公演当日、オーケストラの音合わせが終わり、静まりかえったホールの気配を感じたヴォイチェフは、いつものように重いステージドアを開けるタイミングを見計らうために、指揮者とそして若いピアニストの顔色をうかがう。
 観客が不審に思うほどの時間を開けてもいけない。しかし、若いピアニストの顔色は白く、唇には生気がないように見えて、ヴォイチェフはためらっていた。
 ヴォイチェフは、平静を装わなければならなかった。このことには自分にも責任があると思えて、彼自身が初めてステージドアを開ける役割を与えられたときのように、手に汗をかいていた。

「気楽に、とは言わないよ。君の200%でかかってきてくれ。いや、8000%だね。何しろ、このオーケストラには船頭が80人いるんだから」
 指揮者の一言が、ヴォイチェフに扉を開けさせた。
 それほど多くの船頭が乗っていても船が沈まないのは、世界でもこのオーケストラだけだろう。それは、全ての船頭が、唯一無二の高みの場所を知っていて、そこを目指しているからだ。

 1909年、作曲者自身のピアノと、ウォルター・ダムロッシュ指揮ニューヨーク交響楽団との共演によりカーネギー・ホールにて行われた初演、さらに翌年、グスタフ・マーラー指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとの共演により行われた二度目の演奏。今でこそ超絶技巧をものともせずに好むピアニストが少なくないが、当初の評価は複雑だった。何よりも協奏曲にあるまじき45分という長さ、根底に潜むスラブの強烈な民族性とリズム、その間、技術的にも音楽的にも全く気を抜くところのない楽曲は、当のラフマニノフでさえも後にはカット版で弾くようになったという。

 第1楽章。オーケストラが短い旋律を奏でた後、すぐにピアノがオクターヴで第1主題を示す。
 緊張していると、ヴォイチェフにも分かる滑り出しだった。
 だが、その杞憂はごく短い時間のことだった。リハーサルではずっと青い顔をしていた昨日の若いピアニストは、もうそこにはいなかった。たった1日で彼は別人になったようだった。いや、ステージでいざ音楽に入り込むとまるで別人のようになる、そういうことだったのかもしれない。

 ヴォイチェフはモニターを確認しながら、客席のあの場所でこれを聴くことができたらどれほど良かったかと思わずにはいられなかった。
 なんという色彩に満ちた音楽だろう。ロマンチックな旋律のなかに秘められた情熱が、時折、スパークするように見せるきらめき、その色合いの複雑で、しなやかで、しかも強靱なこと、超絶技巧の速いテンポの中にも奥深いところに情緒があり、管楽器との掛け合いで見せる繊細な音質はこの世のものとは思えなかった。展開部から再現部に移る部分に置かれたカデンツァでは、フレーズが変わるごとに色彩が変わり、表現というのはこれほどに多彩になり得るのかと舌を巻いた。
 不安を感じていたヴォイチェフ自身も、もうそこにはいなかった。ただ音楽に魅入られていればよかったのだから。

 第2楽章では、オーケストラがまるでロシアの大地で生まれ育った血を持つ演奏者のように雄大な響きを紡ぎ出せば、ピアニストは東洋的で繊細な、それでいて厚みのある表現を重ねていった。後で聞けば、彼は日本で生まれたものの、かの東洋の端っこの国での記憶は全くなく、ロシアとも真逆の南の国で青年期までを過ごしたのだという。もしかすると、この色彩は、その太陽の元から引き出されたものだったのかもしれない。

 そして第3楽章フィナーレ。複雑で叙情的な音楽は、さらにエスカレートしていく。分厚い毛布が覆い被さるようにたたみかけてくる容赦のないオーケストラのすべての音に、彼は一歩も譲らず応えていた。すさまじいの一言だった。
 チャイコフスキーの音楽には情景が見えるが、ラフマニノフの音楽は情緒、感情の渦だった。この感情の渦は息ができなくなるほどに体にまとわりつき、その密度のために、すでに自分が聞いている側なのか、演じている側なのかの区別がつかなくなっていく、そうして、ついに、ピアノがラフマニノフの鐘を打ち鳴らす。

 ヴォイチェフはいつの間にか目頭を熱くしていた。息苦しく凝縮された感情が、オーケストラのワンフレーズで、突然大洋に出て世界を高みから見下ろすように凪いで、物語の終演が告げられた。
 ヴォイチェフには、45分、たったの45分だと思えた。これまで幾度も聞いてきた曲が、まるで別の色彩を放ち、新しい景色を見せてくれたのだった。

 マーラーの言ったとおりだ。この曲は傑作だ。
 音楽が終わった後も、若いピアニストはピアノの前から立ち上がることを忘れたように放心していた。先に立ち上がったのは聴衆たちだった。やがて、指揮者に促されて立ち上がって深く頭を下げる様子も、コンサートマスターと握手をする姿も、滑稽なほどぎこちなくて、興奮した聴衆たちも、これがさっきまでこのオーケストラの重圧をその指先で払いのけていた同じ人物なのかと思わず笑うほどだった。

 何度目かのカーテンコールのあと、最後に舞台袖に指揮者と一緒に戻ってきた若いピアニストは、何かを聞いて知っていたのかどうか、出番前に戻ったような青白い顔でヴォイチェフに頭を下げた。ヴォイチェフは、彼に何か話しかけてやれば良かったと、後から何度も思い返した。

 二度目はその五年後だった。
 その五年は若いピアニストにとって大変な時間だったはずだ。栄光の階段をひたすら上へと昇り続けていたら、突然足下に地面がなくなったようなものだったのだろう。ピアニストとして挫折した彼が、プラハで三流劇場の音楽監督に就任したと聞いた時、ヴォイチェフは失望した。

 その頃、ヴォイチェフ自身にもちょっとした問題が起こっていた。ヴォイチェフの妻の乳がんが発覚したのだった。だが、小さな学校の音楽教師をしていた気丈で賢明な妻は、ヴォイチェフの仕事の邪魔になるようなことは望まなかった。ヴォイチェフは妻を家や病院に残して、当たり前のようにこれまで通りの休みのない仕事を続けていた。
 もちろん、心の片隅に小さな不安と申し訳なさを抱えながら。

 一度だけ、仕事を兼ねて妻とプラハの春を訪れた。もうそのときには、あの若いピアニストは、ピアニストという領域を越えた魅力的な音楽家になっていた。妻は彼が創作したオペラと、つい一昨年までは三流だった歌劇団を、本当に素晴らしいと絶賛した。彼が以前は未来を約束されたピアニストだったのだと言っても、彼女は信じなかった。
「たとえそうだったとしても、あんなに素晴らしい舞台を作り上げるのだから、彼はオペラの世界でやっていくほうが良いに違いないわ。たとえあなたから見れば、取るに足らない小さな劇場であっても」

 だが、その翌年、彼はウィーン戻ってきた。驚いたことにプラハの国立劇場からのアシスタントマネージャーのオファーを断って、ピアニストとして再び生きていく道を選んだのだ。
 戻ってきたときには、彼のスケジュールは過密で、かといって彼に無理をさせまいとする敏腕マネージャーの手に全てが握られていて、なかなか手出しができないよ、と音楽監督が笑っていたのを思い出す。
「もしかしたら、僕より売れっ子かもしれないよ」
 そういう音楽監督も三日に一度は公演があるというハードスケジュールだった。

 妻は、自分の命の時がそれほど長くないことを知っていたのだろう。
 あるとき、ひとりで旅がしたいと言って出かけていった。ウィーンに立ち寄った時、偶然、彼のリサイタルを聴いたようだった。帰ってきた彼女は、ずいぶんと面やつれしていたが、表情は何かを達観したように晴れやかで、明るい声で言ったのだった。
「まぁ、あなたの仰る通りだったわ。素晴らしいブラームスだった。何度も聴いてきたはずなのに、今日初めて、本当にブラームスが理解できたような気がしたの」

 妻の病状にヴォイチェフは注意を払わなかった。ヴォイチェフは相も変わらず、世界最高峰のオーケストラのために心血を注ぎ、隙のない一流の仕事をこなすことで一流の仲間から敬愛され続けることを望んだ。
 五年ぶりに彼がベルリンにやって来て、あの時と同じラフマニノフを弾くのを聴いたとき、ヴォイチェフは五年前の彼の演奏は懐かしくもあるが、今の彼はまるで別物だと理解した。

 かつての彼には若く勢いがあったが、どこかにまだ納得しきれないような音や思いを抱えていて、音楽はまだまだ荒削りだった。だが、五年の時を経て、そのピアニシズムは、巨大なオーケストラと闘うためにさえも、乱暴な音はひとつさえ必要ないというように洗練され、厚みと複雑さ増していた。

 容姿だけをみれば、ピアニストは五年前から変わっていないように見えた。相変わらず少年のように幼く、どこか不安そうな表情はそのままだったが、穏やかで礼儀正しい態度の中には、幸運も不運も受け入れて積み上げてきた自分自身への手応えと最高の音楽を提供できるという確信のようなものが見て取れた。

「今日はアンコールを頼むよ。五年前はそれどころじゃないって顔をしていたけど」
 団員たちがステージに出て行くのを見送りながら、音楽監督がピアニストに声をかけた。
 時に手厳しいが、若い音楽家たちにも道を切り開き、老舗オーケストラにこれまでと違ったレパートリーを提供してきた音楽監督も、やはり同じ重い五年間を過ごしてきた。このオーケストラの音楽監督は歴史上長期になることがほとんどで、良くも悪くもそのカラーが色濃くなっていく。だが、五年前は彼もまた、手探りで団員たちと同じ船の舵をとろうとして必死だったのだ。

「ヴォイチェフ、君はブラームスが好きだったね。ブラームスか。間奏曲Op.118-2、いや117-1……しかし、今日はラフマニノフプログラムだから、それはまたの機会にしよう」
 ブラームスの音楽を愛していたのは、ヴォイチェフではなく妻だった。だが、音楽監督の頭の中ではそれは混同されていたのだろう。中でも彼女は117-1が好きだと言った。
「長調なのにどこかもの悲しいでしょ。でもとても暖かいの」
 そう言って微笑んだ。

 その日のオーケストラとピアニストの演奏は、ヴォイチェフを含む幾人かの人生への意識を変えさせる不穏なエネルギーと、憂鬱で美しく繊細で神秘的な色彩に満ちていた。リハーサルの時から、両者は旧知の間柄であるように協調し、時には反駁して攻め立てるように絡み合っていたが、そのイメージを残したまま本番のステージに上がったようだった。

 五年前の彼は、確かに超絶技巧の持ち主ではあったし、若さ故の情熱を前面に打ち出した、それはそれで素晴らしい演奏であったが、ピアノとオーケストラは、まだ対極にいたのだと、その日の演奏を聴いて理解した。その日、ピアノとオーケストラは見事に密着していた。ピアノはオーケストラの音に共感して息を潜めているかと思えば、その中から湧き上がるように立ち上ってくる、その瞬間に鳥肌が立つような思いを幾度も味わった。

 気がついたときには音楽は第2楽章から第3楽章へ移ろうとしていた。さっきまで穏やかな景色を見ていたと思えば、突然聞こえてくるこの悲痛な魂の慟哭、ヴォイチェフの重ねて来た五年間、いや、これまでの二十年あまりの全ての感情が混乱したまま、今まさに音になって目の前での色彩を変えながらうねっていた。この不穏から抜け出せるのか、ヴォイチェフは重い扉の向こうから漏れ来る音の波に溺れそうになりながら、ただその時を待っていた。

 いつもこの場で曲の終わりを待ちながらも、ヴォイチェフの頭の中はどこか冷静だった。仕事をしている、という感覚を失ったことはなかったのに、今日は違っている、そのようなことはこの仕事を始めてから一度も無かったことだった。
 もうこれで良いのだと、そのときは思えた。潮時というのは、引き際ではなく、まさに最高潮のタイミングを指すが、最高潮というのは引き際と同じ意味だったのかもしれない。

 ピアノが打ち鳴らす鐘の音が、ヴォイチェフに重い決断を迫っていたのだった。
 あと二分、計算していた終了までの時間、小さなワンフレーズごとにあらゆる場面が駆け巡る中、ヴォイチェフは犠牲にしてきた妻との時間を思った。
 ヴォイチェフにもまた、重い五年間があった。


 ヴォイチェフは惜しまれながら引退した。
 妻の癌の再発については、既に家を出ていたこどもたちと妻との間では共有されていたが、妻の希望で直接ヴォイチェフには伝えられていなかった。妻が旅行、あるいはこどもたちの家に行って孫たちの面倒を見ると告げて出かけていったうちのいくつか、もしくはすべてが、病院での治療だったのだろう。ヴォイチェフとしても全く気がついていないわけではなかったが、敢えて見て見ぬふりをしてきたのだった。

 妻はきっと、自分の看護をする夫の姿など想像できなかったのだろう。この期に及んで、すべてを彼女の判断に任せて放置してきたことを悔いるだけの十分な時間が残されているのかどうかは分からなかったが、その時間が短いのであれば、せめてわずかでも繕いたいと、そう思った。

 ヴォイチェフは妻と一緒に彼女の故郷の小さな町に移り住んだ。
 そして二年後に、妻はなくなった。闘病という悲愴感はなく、穏やかな最期だった。彼女が、ヴォイチェフの選択についてどう思っていたのか、確かめることはなかったが、彼女はもういよいよ意識が朦朧とし始めたときに、ごめんなさいね、と言った。
 ありがとうではなく、ごめんなさい、に込められた彼女の想いは何だったのか、ヴォイチェフにはよく分からなかった。

 妻が亡くなってからのしばらくは何をする気力もわかなかったが、その町の小さなオーケストラの拙い演奏を聴いた翌日、ヴォイチェフは久しぶりにベルリンを訪れた。
 客席から聴く世界最高のオーケストラの響きはやはり特別だった。

 かつてはこの音楽を届ける側にヴォイチェフはいたのだ。こちら側からの景色ではなく、あちら側からの景色は、たとえそれが重い扉の向こう側からであったとしても、ヴォイチェフにとっては絶景だった。
 昔の仲間たちは彼を快く歓待してくれたが、二年の間に、彼の居場所はこのコンサートホールの中にはなくなっていた。不思議と落ち着いた諦念の思いでそれを受け止め、ヴォイチェフはベルリンから列車に乗り、妻の故郷へ戻った。

 列車がベルリンの街を抜けると、移りゆく車窓からの景色はどこまで行っても同じようで、窓枠で切り取られたのは、どこを切っても同じような田舎町の小さな小さな景色だった。
 とはいえ、ヴォイチェフはすっかり引退するにはまだ若かった。少なくとも気持ちだけは。
 だから、その町唯一の小さな劇場付ステージマネージャーのオファーが来たときも、妻を失った無気力と悲しみの中で何もしないよりは良いだろうと受けたのだった。

 当たり前のことだが、同じステージマネージャーという仕事とはいえ、かつてヴォイチェフが見ていた景色はそこにはなかった。時には少しばかり名の知れた国内の演奏家がやってくることもあったが、ほとんどは町の小さな音楽教室の発表会や、趣味のご婦人方の集まり、ポピュラーミュージックの演奏会、それに時には音楽と関係のない集まりにも使用される、そんな雑多な劇場だった。

 劇場付オーケストラはあるにはあったが、ほとんどアマチュアと変わりはなかった。団員の多くは専門の音楽教育を受けてはいたが、その道で生活が成り立つほどの職を得ることはできなかったので、他に仕事を持ち、練習にもそれほど熱が入っているようには見えず、もう一つの仕事や家庭の都合は常に優先されて、全員が集まることはなかった。
 もちろん、人生の後半で得た仕事にヴォイチェフは小さな失望を感じていたが、この劇場、このオーケストラにも、自分自身とその仕事についても、もう多くを期待することはやめよう、余生という言葉が似合うこの後半生をただ静かに生きようと思っていた。

「シェーファーさん! 聞いてください!」
 オーケストラの若い指揮者は、いつも勢いと熱意が空回りしていたが、純朴な青年だった。
「ダメ元でオファーしたら、来てもらえることになったんですよ」
 目の前に契約書をひらひらさせられて、ヴォイチェフは鬱陶しいと感じながら、ちらっとだけ目を向けた……つもりだった。

 次の瞬間、ヴォイチェフは彼の手から契約書をもぎ取っていた。
 まさか、と思った。かつてのヴォイチェフが裏方とは言え華々しい人生の時間を過ごしていた時に出会った若いピアニストは、今では世界の一流オーケストラとも共演を重ね、ソロリサイタルのチケットも(幾分か噂の美人敏腕マネージャーの力もあるのだろうが)常に完売になるという音楽家になっていた。スケジュールは数年先まで埋まっていると聞いている。それなのに、この小さな町の、アマチュアのようなオーケストラとの共演のオファーを受けるなど、考えられるだろうか。

「僕、ベルリンフィルで彼が弾いたラフマニノフが忘れられなかったんですよね。で、熱烈なファンレターを書いたんです。打ち出したら、二十枚はあったかな」
 読むだけで大変だったろう。いや、大変、というよりも本当に読んでもらったのかどうか。大学のレポートでもあるまいに、量が多ければいいというわけではない。
 全く、若いというのは恐ろしく単純で無謀だ。

 だが、それが、ヴォイチェフが舞台袖から聴く彼の三度目のラフマニノフになった。
 この小さな町でも、二年に一度、音楽祭が催される。音楽のためのものか、ただ住民の親睦のためなのか定かではないが、それでも、小さな田舎町の勤勉な人々にとっては、この春の祭典はかけがえのない時間だった。

 どうスケジュール調整をしたのか、すでに実力派の中堅という位置に座ることになったピアニストは、ステージの数日前にこの町にやって来て、明らかに彼が普段共演しているのとは雲泥の差であるオーケストラとのリハーサルに参加して、朝早くから夜遅くまで、実に根気よく指揮者や団員たちと細かな音まで確認していた。

 それよりもヴォイチェフを驚かせたのは、田舎町の小さなオーケストラの団員たちの頑張りだった。
 練習室もステージも常に隙間がないほどに埋め尽くされているなど、これまでにあっただろうか。そもそも音楽についての素地は持ち合わせている連中なのだ。こうやってその気にさせられたなら、世界の一流オーケストラのメンバーには当然かなわなくても、ひとつの音楽を作り上げていくエネルギーは並大抵のものではなかった。

 いや、これもそれも、情熱が空回りしているとばかり思っていた若い指揮者の気持ちの真っ直ぐさに、そして、突然彼らの前に現れたピアニストの熱意に、皆がついて行かざるを得なくなったからかもしれない。
 妻が絶賛していた、あのプラハの三流劇場を一流と並ぶほどの人気劇場に押し上げた舞台を思うと、普段は幾分か鬱陶しい若造指揮者とこのピアニストは、どこか似ているのかもしれない。

 ヴォイチェフは改めて、練習に打ち込む団員たちひとりひとりの顔を確かめるように見た。
 運送会社でトラックを運転しているホルン奏者はいつも多忙だが、トラックに楽器を積んで時間があれば郊外への遠出で練習していると聞いていた。三人のこどもを持つ母親のフルート奏者、こどもの一人は障害者だったはずだ。あのヴィオラ奏者は母親の介護をしていたのではなかったか。常に妻から才能もないんだからやめちまいなと言われているチェロ奏者(実際にはそうでもないが、妻は音楽には理解がなかっただけだ)、打楽器は保健所の相談員で、冬になるといつも多忙で時々居眠りをして出番を逃して怒られていた。
 そんなひとりひとりの顔が妙に愛おしく感じられることに気がついて、ヴォイチェフは自分の感情に驚いた。

 本番前日の夜半、最後に劇場を見回ると、ホールからピアノの音が聞こえていた。
 ヴォイチェフはそっと後方の扉を開けた。

 もうステージにはピアニスト一人しか残っていなかった。
 劇場の最後尾からではその表情はよく見えなかったが、音はすぐピアノのそば、大屋根の下に耳があるように響いていた。団員が帰った後、ようやく彼は自分の音を確認する時間を持てたのだろう。こんな小さなオーケストラを相手にしても、全く容赦なく手を抜くことなど考えていないピアニストの姿は、この世ではないどこかと語り合っているようで、ただただ神々しかった。
 何か声をかけたいと思ったが、ヴォイチェフはそっとその場を離れた。

 あの日の音楽祭、ヴォイチェフの聴いたピアノ協奏曲は、これまでの人生で聴いたすべての音楽の中で、最も力強く胸に迫るものがあり、この世に音楽があることの喜びと幸福を、心から神に感謝した。
 超絶技巧の第1楽章、その圧倒的な大カデンツァ、第2楽章の感情を押し込めるような祈り、すべてを振り切る雄大で勇壮な第3楽章。

 ずっと頼りないと思っていた団員たちが、今演奏する姿を見、その音を聞きながら、ヴォイチェフはこの劇場での仕事に密やかな誇りを感じた。我先にと音楽にのめり込み、お互いの音にしっかりと絡みついて、ピアノについて行ったかと思えば、突き放すように走り抜け、それをまたピアノが追い越していく。同じ渦に呑み込まれるに任せたり、もがくようにそこから抜け出したりしながら、ありとあらゆる感情のうねりを肌に巻き付けてゆく。抑圧と闘争、大きな波と突然の凪、後悔と慟哭、どこへも納めることのできない流転。

 この景色は絶景ではないが、あの日、車窓から見た小さく美しい、しかし、力強い熱情を抱いた景色だった。
 やがて、音楽は決然とその時を迎える。

 すべての出来事が、幸福も不幸も、感動も嫉妬も、哀しみも喜びも、フィナーレの鐘の音で肯定された。
 そうだ、彼の人生はこれで良かったのだ。
 どのひとときを取っても、悪いときなどひとつもなかった。

 ヴォイチェフは自分に最期の時が来たら、この音楽を聴いて旅立ちたいと思った。
 だが、それまではまだ少し時間がありそうだ。
 明日からまた、小さなこどもたちの発表会のためにだって、誇りを持ってこの重いステージドアを開けよう。
 
 総立ちの客席に幾度も挨拶をしてから、若い指揮者と、かつては若く、舞台袖では泣きそうに不安な表情を浮かべていたピアニストは、肩を並べて、ヴォイチェフの開けた重いステージドアを通って悠然と舞台袖に戻ってきた。ピアニストはすぐに立ち止まり、ただ深々とヴォイチェフに頭を下げた。ヴォイチェフも同じように頭を下げ、彼には見えないところで静かに微笑みを浮かべた。

 後になってある手紙を受け取ってから、ヴォイチェフは初めて、彼とは一度も口を利いたことがなかったということに気がついた。

 ソリストアンコール。
 ブラームス 間奏曲Op,117-1。



 そうだったのか。
 ヴォイチェフは傍らのこどもの手をもう一度強く握りしめた。
 これは彼自身だった。長い時をともに歩いてきたこどもは、ヴォイチェフの中のもう一人のヴォイチェフだった。緑の光を見たこどもは、あの幼い時には気がつかなかったかもしれないが、自分の心の中に、人生の核になる大切な何かを明らかに見いだしたのだ。そして今、最期の時、緑の光はもう一度、ヴォイチェフに自分自身の心の中を見せたのだ。

 たとえ言葉を交わさなくても、音楽が、彼と世界を繋いでいた。
 彼が世界を忘れるときが来ても、世界が彼を忘れるときが来ても、世界は音と光で満たされている。




 ぶしつけなお手紙をお許しください。
 今日、あなたのブラームスを拝聴して、私の人生が静かに光で満たされていくように感じ、ようやくすべてに得心いたしました。
 私の夫はかつて、ベルリンフィルで専属ステージマネージャーとして勤めておりました。何も言いませんでしたが、チャイコフスキーコンクールであなたのラフマニノフを聴いてから、ずっとあなたのファンだったと思います。
 夫は私の看護をするために二十年にもわたる誇り高いキャリアを捨てました。彼は家庭を顧みることのない仕事人でしたから、そんな中で私に取り憑いた病について、後ろめたさを感じていたのかもしれません。夫を余計に苦しめることになりましょうから、彼には言えませんが、私にとってもまた、彼の仕事は誇りであったのです。夫がキャリアを捨てたことを、本人以上に後悔しているのは、私だったのです。そのことが、自分の病よりも悔しくてならなかったのです。
 でも、今日、あなたのピアノが、私が自分の人生について感じていた暗いものを、すべてそのまま包み込んで認めてくださいました。
 私がこの世から去った後、すでに一線を退いてしまった夫がどのような時を過ごすのか、もう私にはどうすることもできませんが、ただ、ひとつ、あなたにお願いがあるのです。

 いつか、夫にもこの美しいブラームスを届けていただけないでしょうか。
 あなたの音楽は誰のどんな人生をも否定しない素晴らしいものです。どうか、世界の片隅にも、声を出さないままの密やかなファンがいることを忘れないで。

 追伸:でも彼はきっと、最期の時にはあなたのラフマニノフを思い出すことでしょう。



(2023/3/17 書き下ろし)

・なお、作中の固有名詞に関しましては、現実の同じ名称の団体・イベントとはパラレルワールドにあるものお考えください……もろもろ、失礼や勘違いがございましたら、また、曲の解釈につきましては私の勝手なイメージですので、皆様のイメージとかけ離れていても、どうぞご容赦ください。

・今回は、夕さんちのキャラを絡める余裕がなくて……文字数が多すぎて、疲れ果ててしまったのもあるけれど、長い間創作をサボっていたので、今回はウォーミングアップということで、こちらもご容赦ください。この若造指揮者と誰かさんが知り合いだったりして、とかあれこれネタは作っていたのですけれど……(〃▽〃)


さて、誰のラフマの3番をお借りしようか、迷いましたが、
もうバレバレだと思うので、イメージにお借りした真央くんのラフマニノフを。
藤田 真央(Mao Fujita)さん☆ 読売日本交響楽団 (2021年3月18日TV放送)">藤田 真央(Mao Fujita)さん☆ 読売日本交響楽団 (2021年3月18日TV放送)
でも未だ生で彼のラフマ3番、聴いたことないんです。
彼の弾くピアノの鍵盤になりたい!(もう一人、鍵盤になりたい本命がいますが)

もうひとり。

まだまだ青いな~と思うけれど、すがすがしさが好ましい亀井くん。
昨年、生で聴いたとき、終わった瞬間、間髪入れずスタンディングオベーションしていました。
え? 余韻? いやもう、ラフマニノフ終止ですから、余韻なんていいんです。


ブラームス。118-2が好きかな~と思っていたけれど、聴けば聴くほど素晴らしい117-1。
今、ロマンス(ショパンコンチェルト)と同時進行でブラームスもやっているけれど(ロ短調。先生が「ショパンばっかり弾いてたら拍感、おかしくなるから」って……)、この頃なんだか、長調が弾きたいなぁと。年取ると、明るい方へ行きたくなるのかな。
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Category: ♪慎一・短編

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コメント


彩洋さん、お忙しい中、しかもお誕生日だというのに作品をアップしていただきありがとうございました。
私のために書いているわけではないでしょうけれど、でも、きっとお忙しい中に無理してでも仕上げてくださるモチベーションの1つになれているとしたら、このイベントを強引に開催する意味もあるかもと、ちょっと嬉しいです。

さて、今回も彩洋さんの音楽への造詣深さといろいろな意味での愛が感じられる作品で唸りながら読みました。
ラフマニノフの2番と3番って、素人受けするのが2番で(だから私の一押しは2番、ドヤッ)、玄人やよくご存じの方は3番なんですよね。どうしてなんだろうとよく考えていたんですけれど、どうも言語化が難しいなと思っていたのが、今回の彩洋さんの作品とその解説で腑に落ちました。2番って「きれい事」で、3番って「ドロドロの感情の渦」なんだろうなあと。かつて「シャイン」という映画がありましたけれど、あそこでも3番が効果的に使われていましたよね。だから変な話ですけれど慎一は3番が似合うし、拓人は2番なんですよ。あいつチャラいし、そっちの方がしっくりくるんです。

という3番談義はともかく。
このお話、慎一が出てきているようで、ピアノしか弾いていないのに、ものすごく大事な感情というのか、情報の伝達をしてくれているんですね。好きなピアノを弾いて、自分の感情を表現しているだけではなくて、自分の人生と重なるような「都落ち」的な職業生活に身を置いているヴォイチェフに対して、慎一がピアノだけでメッセージを伝えているというのがすごいなあと思いました。

そんな理由は誰も知らないけれど、とにかくなぜかスターが来てくれると熱狂している田舎の楽団のみなさんや観客たちもそれぞれに鼓舞されて幸せになっているでしょうし、ヴォイチェフ自身も、妻と慎一の手紙のやり取りを知らずに、ただステマネとして無言で関わりつつ、その演奏を何度も耳にすて感動を深くしている、そんな多重構造が、彩洋さんらしさ全開で表現されているなあと感動していました。

素晴らしい作品でのご参加、どうもありがとうございました!

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2023/03/19 08:26 [edit]


なんだかほんとに、お身体大丈夫ですかって感じで心配してたんですけど、パンダの見送りのツィートが流れてたので、ちょっと安心していました。

ピアノの演奏、コンクールに出るって、すごいですねぇ。
で、えええ、あの曲を弾かれるのですか。なんというかもう、ちょっと感動して舞い上がっております。これはなんとしても聴きにいかねば。

ブラームス教授の講義、4時限ぶっ続けで受講なさるんですね。
彼の曲って、綺麗な部分もあるんですけど、なんというか授業だか説教だかを聴いているような気分になります。すごく良いことを教えてもらっているんだけど、聞き終えたら、なにひとつ理解できてないし、頭にも残らないんですよねぇ。残念(笑)
ブルックナー御大の曲はねぇ、私は「ロマンティック」しか聴いたことがないんですけど、もうあれ一曲でお腹いっぱいです。ぶっ続けで聴いたら気持ちよく眠れるだろうし、ヨーロッパの森や湖や山の夢が見れそうですけど。
ドヴォコンも、ええですなぁ。あれは「新世界から」とセットで聴くと、さらに良い。郷愁という言葉が似合いますねぇ。
ラフマニノフのピアノコンチェルト3番。やはり大曲だなぁ。
ピアニストは、ほんと大変ですよねぇ、あの曲。以前にアシュケナージとコンセルトヘボウのCDで聴いたときはそれほども感じなかったですが、動画で見ると全力疾走のフルマラソンみたいでした。歳とったら弾けないかも。

歳を取ると、明るい方にというのはなんだかわかる気がします。
でも、ただ明るいだけじゃなくて、長調で研ぎ澄まされたメロディが奏でられる曲って、聞いていると泣きたくなってきますよね。なんか、秋の終わりの晴れ渡った空を見ているような気がします。
うん、やっぱりもう歳だなぁ(しんみり)

さて、作品。
執筆、お疲れさまでした。
ヴォイチェフは、音楽家ではないけれど、音楽に奉仕する人なんですね。指揮者やソリストや楽団員のように表舞台には立たないけど、裏方でこういう仕事をこなす人もいないと成り立たないですからね。
また、ヴォイチェフの仕事に理解を示し、自らの病気も隠して連れ添った妻に、最期の最期にわずかながらお返しをすることができて、よかったなぁと思います。彼女の手紙も泣かせるなぁ。
ヴォイチェフの半生と慎一のキャリアがオーバーラップして、短いながら大河ドラマのような印象でした。

TOM-F #V5TnqLKM | URL | 2023/03/19 13:55 [edit]


こんばんは。

ステージマネージャー、とても面白そうな仕事ですね。コンサートのすべてを取り仕切るなんて、サキにはとてもできそうにはありませんが、もし自分に豊かな才能が与えられていたとしたらチャレンジしてみたい職業だと思います。あれをして、これをして・・・。何かをゼロから作り上げてゆく行程は刺激とワクワクを与えてくれそうです。

ヴォイチェフはその青年のデビューに立ち会ったんですね。豊かな才能を見つけ出し、それを世間に差し出すというのは、本来ヴォイチェフのような立場の人の役割ではないのかもしれませんが、いろいろな偶然が重なってその役割が回ってきたことは嬉しかったんじゃないかなぁ。
二回目の出会いで青年の成長を目の当たりにし、そして引退後三回目の出会いを迎える。そうやって彼の成長に立ち会えたことは幸運なことだと思います。
引退後にマネージメントを引き受けた町のオーケストラに少々幻滅していたようですが、そこにあの青年がオファーを受けてやってくるなんて、サキもマネージャーの助手になったようにドキッとしました。
根気よく指揮者や団員たちと細かな音まで確認するピアニスト、練習に打ち込むオーケストラの団員たち、どうかコンサートが上手くいきますように、思わず祈っちゃいましたよ。
そして最後の奥さんの手紙、そうだったのかぁ。
あの青年=ピアニストがあの方だということはわかっていたのですが、それにしても素敵なお話でした。
彩洋さんの蘊蓄で少し物語が長くなっていますが、そこにクラシック音楽の文化のとてつもない深さを感じました。それぞれの曲、一回一回の演奏、それぞれに深い内容があるんですね。

そして相変わらずお忙しような様子ですね。なんだかそれを楽しんでらっしゃるようにも見えますが、とにかくご自愛ください。

山西サキ #0t8Ai07g | URL | 2023/03/24 20:09 [edit]


夕さん、ありがとうございます(*^_^*)

すっかり返信を放置しておりまして、すみません。
なんだか色んなものに追い回されていて、収集がつかなくなっておりまして、それなのに、なんか余計な仕事に首を突っ込んだり(よく考えたら何のためなのか? 女性雇用均等なんとかかんとか。参加するべき? 別にしたくないけれど、一応枯れ木も山の賑わい的に参加する?な状態を自ら作ってしまったり、声をかけて頂いて断れなかったり)知らない振りして通り過ぎればいいのですけれど。
という言い訳は置いておいて。

実は先日、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番、なるものを初めて聴きました(生で)。
で、なんというのか、随所にラフマニノフらしさはあるものの、2番や3番のようにテンションを上げる要因があまりなくて、ごめん、セルゲイ、ちょっとこれは難解やわ~、そう思ったら、2番も3番も良くできているなぁと改めて感心した次第です。決して音楽的にマズい出来というわけではないのでしょうけれど、玄人好み? 少なくとも私ごときでは理解できる世界ではありませんでした。
9月にもう一度聴く機会があるので(なんと4番まで全曲とパガニーニ狂詩曲ぶっ続けで)再吟味したいと思います。

『シャイン』観たことないんですよ。3番が好きといったら、皆さんが映画のことを仰るので、うう、それは観ないといけないのねと思いつつ、そのままに。で、「死ぬときは3番のフィナーレを聴きながら死にたい」と言ったら、「あれ聴いて死ねる? 蘇ってきそう」なんて言われておりますが……でも、どんな人生も(力業で)肯定してくれる曲と思っているので、あぁ、私の人生もこれでよかったな~と思えそうで。そんな思いをヴォイチェフに託しました。
ちなみに、お葬式ではエロイカの第2楽章、と言っていたけれど、でも死んじゃったら自分は聴けないし……

拓人の2番はもう、テッパン的愛のメッセージでしたものね。女に曲を贈るって、ほんとにね~。
これって贈られた方にその気があれば「素敵!」ってことになるけれど、その気がなかったら結構迷惑だったりするんだけれど(瑠水はどうだったんかな~。足蹴にはしてないけれど、まぁ、他の男への想いを確かにした、ってことですよね。いわゆるやぶ蛇?)、贈る方は一生懸命なんですよね。
慎一は妹の逆襲にあいましたが…(贈る相手には気をつけた方が良いという)

父の三回忌を迎えるに当たって、一生を終えようとする老人にとって、人生はどう見えるんかな~と思ったりしていたので、ヴォイチェフの一生を駆け足で追いかけながら楽しく書かせていただきました。慎一はまだ人生が開く一方という年齢で、ヴォイチェフは思い切り開いているところからだんだん閉じていく年齢なんだけれど、袖すり合うも何とか、ってお話になりました。贔屓の若手ピアニストを聴くたびに、この人の行く末、円熟期なんてのを観ることは出来ないんだなぁと、しみじみしているこの頃😅

そして、そうそう田舎町の音楽愛好家たち?にも注目していただいてありがとうございました。音楽に関してはピラミッドの底辺を支えている自覚が思い切りあるので(ホストに貢いでいるようなもの?)、そんな人たちには愛情を感じます。そういう人らがいないと、音楽業界は成立しないはず!
でも誰かの人生で音楽がそっと寄り添っているって、良いですよね。

そして手紙! ここに注目していただいてありがとうございます。
そうそう、これって、ほんとに使い古された手なんですけれど(死者からの手紙)、答え合わせみたいでいいですよね。こんなちょっとしたことから世界が変わるっていう。そこからお返しをいただけて何よりありがたいです。
読んでいただいてありがとうございました。
また、そちらにもコメに参ります。おっそいですけれど……

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2023/05/24 17:01 [edit]


TOM-Fさん、ありがとうございます(*^_^*)

すっかりお返事が遅くなって済みません。この頃、ほんとに眠くて、途中まで打ち込んでは寝る→寝ている間に消える、みたいな繰り返しでした。老眼が進んで、硝子体剥離のために右視野が(左よりも視力はあるのに)いつもぼや~っとしているのも私の日常活動への(特にPC画面をみる活動)抵抗力を下げているとしか思えません……寄る年波には……ですよね。
楽譜なんて、装飾音符が見えないので拡大コピーです。でも全部コピーしたら上の方が見にくいので、部分拡大コピー。ほんとに大きくなるだけで、世界が変わりますわ~

そして、そうなんですよ! あの曲、ただいま絶賛怒られ中練習中です。
多分、選曲の理由はTOM-Fさんなんですよ。TOM-Fさんの「恋をした」に賛同して、次の発表会でどうでしょうか~と先生方に聞いたら「(バラードも舟歌も教えるの飽きたから?)いいですね~、こういう斜めから攻めてくれる選曲!」……私は思いきり真っ正面から選曲したんだけれどな~
とはいえ、ひたすら「キレイ」の連続。それが10分あまり、9ページもあると、もうなんなん!と思うこともあるのですけれど(キレイに弾けないから欲求不満になる…)、弾きながら「は~、美しい~」と酔いそうになり、そうなると確実に間違う!という繰り返しです。後ほど、こっそり演奏予定をお送りいたします(どんなピアニストやねん!v-411
いつか絶対TOM-Fさんに聴いていただこうと思って練習しております。完成度は低~いですけれど。

そして、ブラームス、行ってきましたよ!
もうほんと、大熱狂でした。ブラームスに熱狂したのか、というと怪しいけれど、関西の4オケの熱演の連続、観客もどんどん熱気が上がって行っているのが分かって、ほんとに楽しかったです。この4オケシリーズ、毎年やっているみたいなので、TOM-Fさんも機会がございましたら是非!
これならブルックナーでも耐えれるかも。ただ、同じオケが4曲弾いたら面白くなかったろうな~と思います。
関西ならではのバトル型?オケ対抗戦? 続けて欲しい~~~

ラフマ3番、いいですよね。あの曲、ほんとによく出来ていると思います。まさに、曲と一緒に自分のテンションがどんどん上がっていくんですよね。で、最後にピアノの鳴らす鐘とオケのワンフレーズで確実に泣く。
今年はラフマ生誕記念年、あちこちでラフマが聴けますね。

そして、歳を取ったら明るいものを求める論。例のコンチェルト第2楽章も、長調の明るさでほっとしますよね。この曲練習し始めたときの最初の先生のダメ出しは「あなたね、これまでずっと短調の曲ばかり弾いてたからでしょうけれど、そんな音じゃ駄目。もっと突き抜けるような明るい音を出して」でした。ベトソナも21番のお許しがでたので、そっちへ向かいつつあるこの頃。そういえば、家を建てるとき、セキスイのお兄さんにも言われました。「迷ったら明るい色を選びなさい」と。床とか壁の色ね。今は納得です。

最近は真っ白な画面になかなか最初の1文字を打ち込めない日々ですが、こうして小説の中に誰かの人生を写し取る作品を自然に書きたくなる、そんな歳にもなったんだなぁとしみじみ感じるこの頃。成功しているかどうかは怪しいですけれど、以前はおっちゃん登場率の高かった私の話も、老人登場率が上がってしまって……自らの行く末を感じる歳になったのでしょうか。なんだかしみじみ。
お読みいただきありがとうございました。
また演奏日程などお知らせいたします(^^)
コメントありがとうございました!

彩洋→TOM-Fさん #nLQskDKw | URL | 2023/05/24 17:36 [edit]


サキさん、ありがとうございます(*^_^*)

サキさん、お返事が遅くなり、申し訳ございません。
サキさんも色々とお忙しい中、新作のアップ、ありがとうございます(って、大分前)。読ませていただいております。またコメントにお伺いしますね。
土日に家にいることがほとんどなくて、平日は夜も遅いので、なんだか余裕がなくて、ほんとに済みません。昨日はもう、お誘いを受けて行った温泉(近隣の日帰り)で気持ち悪くなっちゃって、そこで寝込んでました。う~ん、目も見えにくいし、この頃はもう踏んだり蹴ったり。っと、ここで愚痴ってる場合ではありませんでした。

ステージマネージャーにはホール付とオケ付があるみたいで、果たしてこのオケはどっちなんだろう?調べようがないので適当にオケ付にしておきました。多分このオケにはホームグラウンドのホールがあるはずなので、そこのホール付マネージャーなのかもしれませんが……分からないのでいいや!ってことで、もうパラレルワールドだからいいことにして!という気持ちで。
そして、サキさんがこうしたお仕事に興味を持たれるってのも、なるほど~と思いました。サキさんはもう、機械類の件でも、中身に興味津々でおられるから、分解して1から作り上げるってとてもお好きそうですものね。ひとつのイベント(公演)を作り上げるのも同じような面白さなのかもしれません。最近、『「マエストロ、時間です」~サントリーホール ステージマネージャー物語~』という本が出版されましたが(読む前に書いちゃったから、あれこれ齟齬があるけれど、いいか~と)、なかなか面白い本でした。

ヴォイチェフがこうしたシチュエーションで出演者についての意見を求められる立場ではないんだろうな~と思いましたが、まぁ、ここは例えば飲み屋で話してたとかでもいいや~とか、あれこれ思いながらごまかしつつ書きました。この後の、ヴォイチェフにとっての「栄光の日々」と「その後の日々」の落差をつけるためには良いエピソードだろうと思いまして😅 まぁ、お話ですものね。で、仰るとおり、ヴォイチェフにとって、彼は特別な存在になったのですね。でないと、その後の話に結びつかないかなぁ~と。

こういう立場の人だから、誰かに特別な想い(ファンですね、いわゆる)を持つわけにもいかないというのもあるのかなぁと思って、出だしでは彼の感情は抑え気味……でも一流どころからの引退後は、むしろ自由な気持ちで音楽を感じられるはずなのに、なんだか、最高の場所から弾き飛ばされたことへの後悔(自分で選んだんだけれど)が、音楽を楽しむという単純な気持ちに蓋をしてしまっていた(奥さんへの申し訳なさもあって)、そこで色んな出会いの中でまた次の一歩を踏み出す機会が巡ってきたのですね~。老人だって次の一歩があるんだ!って気持ちで書いております。どんどんそういう年齢になってきたなぁ~自分が。

町のしがないオケのメンバーたちと一緒に音楽を作り上げていく、そこに注がれるベテランステマネの視線、それをサキさんも一緒にみてくださっていたみたいで、とてもうれしいです。
そうそう、やっぱりサキさんの目線はそういうのがお好き?お得意?なのかもですね。

音楽って、一流どころの音楽がいつも感動をもたらすのかというとそうでもなくて、なんだか上手くはないんだけれどこの人の(このオケの)演奏、今日はむっちゃいい!という瞬間があって、それを感じ取れる時は、たか~いチケットを買って聴く超一流音楽よりも感動しちゃいます(コストパフォーマンスのせいではないはず)。
音楽には、一流の素晴らしい音楽の他にも、愛される音楽というのがあって、きっとこの町の三流オケはヴォイチェフにとってそういう存在になっていくのでしょうね。

すっとこどっこいの日々ですけれど、そのうち抜け出せるでしょう。
サキさんの素敵なお話、またお待ちしております!
コメントありがとうございました!

彩洋→サキさん #nLQskDKw | URL | 2023/05/29 12:01 [edit]

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